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「成長」とは何か

 

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《 「成長」とは何か》目次
① 子供の成長/大人の成長
② 欧米人の成長
③ 人間としての成長
④ 成長しない社会
⑤ 真の成長とは

(この文章は「地球人類の一番の課題とは何か」と関連しています)

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① 子供の成長/大人の成長

子供は成長します。
親は 子供の成長を喜びます。
ですので 誕生日を祝ったりします。

ところが 大人になっても誕生日を祝ったりします。
なぜ?
大人も成長しているのでしょうか?

子供の成長は 目に見えます。
つまり 身体がどんどん大きくなるという
肉体的(=物質的)な変化があるからです。
そして 学校でいろんなことを学んで 学力が向上します。
そして できることもどんどん増えていきます。

子供には そのような「目に見える変化=成長」があるわけですけれども
では 大人(=身体がもうそれ以上成長しなくなった人)はどうなのでしょうか?

大人だって 知識が増え 経験が増え できることが増え 認識力が高まり
というように 成長しています。
(成長しているはずです。)
しかし 子供の成長と違って
それらの変化は一目見ただけでは分かりません。
内面的なものだからです。
そして 一目見ただけでは分からないからこそ
成長していなくても分かりません。

自分自身のことだったらば 知識が増えれば分かります。
経験を積んだことも分かります。
出来ることが増えたものも分かります。
認識力が高まったのも分かります。
分かるはずなのに なぜか多くの人が
ある程度の年齢になると成長しなくなります。
成長を諦める という方が正確でしょうか。
なぜなのでしょうか?


② 欧米人の成長

日本と欧米では文化が違います。
その違いの一つが「大人の成長」に関してです。
欧米人には「大人の成長」はありません。
なぜならば キリスト教社会であるヨーロッパでは
そのキリスト教によって 成長が禁じられていたからです。
日本では 寺子屋で読み書き算盤を(無料で)学びました。
ですから 日本人のほとんどは読み書き算盤ができました。
しかし キリスト教社会のヨーロッパでは全く違いました。
読み書きができるのは世の中のおよそ一割の人たちだけです。
なぜならば キリスト教カトリックが読み書きを禁じていたからです。
キリスト教の基本教義のひとつは「原罪」です。
全ての人は生まれながらにして罪を背負っています。
なぜならば 全ての人は罪を犯したアダムとエヴァの子孫だからです。
そして 生まれながらの罪人は 更に罪を犯します。
(そういうことになっています。)
なぜ罪を犯すのか それは「愚か」だからです。
全ての人は罪人であり 罪人は愚かであり
なので「愚かな人」として生きなければならないのです。
愚かな人は 読み書き算盤は出来ません。
出来てはいけないのです。愚かなのですから。
というわけで キリスト教社会においては
成長とは身体が大きくなることであって
それ以外の(=内的な)成長というものはありえなかったのです。

そして それはもう過去の話ではないのかと思うかもしれませんが
しかし 今日でもそれは続いているのです。
欧米では 職業に就くというのは
「役職」「肩書き」「地位」に就くということなのです。
日本のような「昇進」ということはありません。
これがまさに「大人の成長」を否定しているということなのです。 


③ 人間としての成長

日本では 昔から(あるいは 昔は)老人を敬う世の中でした。
それは 老人は多くの経験を積み 知識を蓄え 智恵も豊かになり
そして 認識力も高くなっているからです。
「亀の甲より年の功」を発揮したからです。
これはすなわち「大人の成長」を認識していたということです。

ところが 今の世の中ではどうでしょうか?
高齢者は その経験/知識/智恵/認識力などを発揮しているでしょうか?
どうも 発揮できていないようです。
それはなぜかというと 機械文明の発達により
(つまり 時代と共に新しい機械がどんどん出てくることによって)
「新しい機械を扱えること」が
世の中で価値があることのように思い込んでいる人が多くなったからです。
どんな機械が出てこようが 「ものごとの本質」は変わりません。
しかし そういう「本質」が分からない人が多くなったのです。
それよりも 目の前にある機械を扱えるかどうかの方が大事なのです。

そうすると 経験を積み 知識を蓄え 智恵も豊かになり
そして 認識力も高くなるという「大人の成長」が無視されるわけです。
ですので 多くの人が「大人の成長」を認識せず 
それを目指すこともしなくなりました。

ということは このことの本質は
「ものごとの本質を捉えない」ということなのです。
そしてもう一つ「大人になってからの成長」が忘れられた理由が
地球人類が「宇宙の中での成長」を認識していないからなのです。
もし 地球人類が宇宙の中での幼稚園生であることを自覚していて
この先どんどん成長していくんだということを知っていたらば
この地球上での人生において
「大人になってからの成長」を放棄するはずがありません。

そして 「大人の成長」を認識していないということは
「人類としての進化成長」や「文明の進化」を認識していない
あるいは それを否定しているということに繋がります。

多くの人は 人間は進化していると思い込んでいます。
しかし 本当にそうでしょうか?
昔の人よりも敏感になっているのでしょうか?
昔の人よりも認識力が高まっているのでしょうか?
昔の人よりも智恵が豊かになっているのでしょうか?

今の人たちが進化だと思っているのは
自分の外の物質的な進化のことであって
人間そのものが進化しているわけではありません。
新しい機械がどんどん開発されることが「進化」だと思っているのです。
しかし それらの機械は 特定少数の人たちが作り出したものです。
世の中の大多数の人たちは それを使うだけです。
(実際には 「使わざるを得ない状況」に置かれていますが。)


④ 成長しない社会
「大人の成長」「人間としての成長」「人類の進化成長」といったことを
(全くと言って良い程に)地球人類が認識していないことは
世の中のいろいろの面に如実に現れています。

それが 例えば「移民問題」であり「過剰観光被害」です。
「宇宙の中での成長」を認識していれば
全てに関して「より良く」を目指すのは当然です。
移民問題の本質とはまさにこれなのです。
「自分だけより良い生活をしたい」そのためには
「環境を変えれば」と思っているのですが
(つまり その時点で身を置いている環境のせいで不幸なんだと思っているわけですが)
そこには「自ら幸せを創造する」「自分の人生は自分で創造する」という
人間としての成長が全く無いのです。
全ては「誰かのせい」「世の中のせい」「環境のせい」だと思っているのです。
「自分」が 世の中を作っているその一人であることをも自覚していない。

「人間としての成長」を認識していないのですから
「社会の成長」も勿論認識していません。
資本主義社会においては「より多く金儲けをする」ことが
「成長」だと思われています。
そして 政治もまたその資本主義に則って行われています。
そこには「個人の成長」も「社会の成長」も無いのです。
つまり そもそも「大人の成長」を否定しているキリスト教文化が
白人文化=欧米文化であり
その欧米文化が 地球上において「進んでいる」
「優れている」「素晴しい」とされているのですから。

(ここから先は 「地球人類の一番の課題とは何か」に続きます。)

⑤ 真の成長とは
大人としての成長 すなわち人間としての成長とは何なのでしょうか?
「より認識力が高まる」ことと「より創造性が高まる」ことです。
なぜならば 人間は意識体+肉体の存在であり
意識体とは「認識力+創造力」だからです。

ですから 大人は「創意工夫」をするのが当たり前なのです。
それなのに 世の中で一体どれだけの人が
日々の生活において「創意工夫」をしているでしょうか?
(特に「右に倣え」社会の今日の日本人はそうです。)

そして ある程度まで認識力が高まれば
「自分だけの幸せ」はありえないということに気付けるはずです。
「自分も他人も 誰もが幸せ」しか ありえないのです。
(昔の日本人は これを認識していました。それが縄文文化です。)

そして その「自分も他人も 誰もが幸せ」という社会を作る
これが真の創造性です。
つまり 「大人の成長」とは 
より認識力が高まり より創造性が高まることによって
誰かの(何かの)成長に より寄与できるようになる
ということなのです。

あなた自身を見てみてください。
身の周りを見てみてください。
世の中を見てみてください。
「大人の成長」=「人間としての成長」を認識し
そして 実際に成長している人はどれ程いるでしょうか?

「大人の成長」=「人間としての成長」を否定していた
キリスト教の=白人の=欧米の文化が地球上において
「標準」であるかのように思われていることが
地球人類にとっていかに重大な過ちであるかが分かるでしょうか?
彼らは 「自分だけが幸せになる」ために
「他人から搾取する」ことを当たり前だとしてきました。
(過去形では無く 今でもそうですが。)
彼らがしてきた創意工夫は「いかに他人から搾取できるか」だけです。
そこには 真の創造性も認識力もありません。

しかし 私たちは選べるのです。
「成長する自分」か「成長しない自分」かを。
「進化発展する社会」が「進化発展しない社会」かを。

(2025/03/29)



以下二つの文章も この文章の内容と関係しています。
真の「認識力」とは何か?(近日中に掲載予定)
真の「創造性」とは何か?(近日中に掲載予定)


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