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ブリューゲルの絵画を観るにあたって

《幸也の世界へようこそ》《幸也の書庫》《絵画を見る目・感じる心》 → 《ブリューゲルの絵画》


ペーター・ブリューゲル(一世)の作品を観るにあたって
彼の作品には何が表現されているのか
彼は何を表現し 人々に伝えようとしたのかを
捉え感じ取るための一助として
この文章をご活用して頂ければ幸いです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

① ペーター・ブリューゲル(一世)の生き方について

② ペーター・ブリューゲル(一世)の生きていた時代と土地

③ ロマニスト

④ 絵を描く視点

⑤ ブリューゲルの視点

⑥ 人はその悟り以上のものを感じとることは出来ない

⑦ ブリューゲルの視点・観点・観念


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

① ペーター・ブリューゲル(一世)の生き方について

ペーター・ブリューゲルの生涯については 詳しいことはほとんど分かっておりません。
ごく大雑把に いつギルドに登録され イタリアに出発し
いつ誰と結婚し 子供が生まれ そして いつ亡くなったのか
ということ位しか分かっていません。

けれども 私たちが絵画を観るにあたって
そして一つ一つの作品からメッセージを受け取るにあたって
作者の生涯について知ることは どの程度その助けになるのでしょうか?
ある芸術家が どういう生涯を送ったのか ということは
どういう考え方で生き どういう観念で生き どういう思想で生きたのか
あるいは どういうものの感じ方で生きたのか ということです。
けれども 私たちはそれを 作品から直接に受け取ることが出来るのではないでしょうか?
なぜならば 芸術作品とは それを作った人の気持ち・観念が物質化したものだからです。
だとしたら どうして作品そのものからでは無く 他のものから
あるいは 作品の外から何らかの情報を得ようとするのでしょうか。
特に 第三者の手によって書かれた伝記などは
どの程度 その作者自身についての真実を伝えているのかは分かりません。
なぜならば 伝記はほとんどが後の時代に書かれたものであり
ですので 違う時代様式を基にした見方をしていることが多いこと
かつ 伝記の著者がどの位 芸術家の感性や悟性を理解できているかは
多分に疑問だからです。

  私たちが絵画を観るということは
一つ一つの芸術作品からのメッセージを受け取っている訳ですが
そのメッセージを受け取るにあたっての一助となるのは
その作品の作者の生涯についてを
後世の第三者の手によって書かれたものによって知ることよりも
その作者が どういう時代のどういう土地に生きたのか知ることの方ではないかと思われます。
特に その時代のその土地の人々の信仰生活=宗教と人々との係わり合いや
その時代のその土地の産業・経済は 人々の生活に直接影響していることですが
このブリューゲルの時代においては
宗教改革が起き 広まり 弾圧された時代であること
フランダース地方の経済的繁栄がそれによって終わってしまったこと
ヨーロッパで自然科学が発展してきたこと
宗教改革と自然科学の発展とでキリスト教カトリックの権威が揺らいできたこと
それにより 南ヨーロッパから人道主義(ヒューマニズム)や
ギリシャ神話・ローマ神話を基にするルネッサンスが入ってきたこと
大航海時代の始まりにより ヨーロッパから新大陸への略奪と植民地化が始まったこと
など 大きな変動が世の中に起きていました。
これらが実は この時代の人々の生活に影響し かつ
ブリューゲルの作品を観るにあたっても 非常に重要な要素となっているのではないかと思われます。
ですから それらの背景を有る程度理解した上で
彼の作品から直接に 何を表現しているのかを聴き出す様にすることが
彼の作品を あるいは彼の芸術を理解することに繋がるのではないでしょうか。


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② ペーター・ブリューゲル(一世)の生きていた時代と土地

ペーター・ブリューゲル(一世)は1525年頃に生まれ
イタリアに旅した後
30歳の頃からアントウェルペン(アントワープ)で創作活動を始め
その後ブリュッセルに居を移し
1569年に亡くなったとされています。
この時代には ヨーロッパで大きな変動が起きました。
そして フランダース地方では 特に大きな変動が起こりました。


土地

ブリューゲルが生まれ育ち生活をしていたのは フランダース地方です。
今日のベルギー王国の北半分が フランダース地方です。
(これは ブリューゲルの時代で言うと フランダース伯爵領とブラバント公爵領です。)
オランダ語が話されている地域でもあります。
このフランダース地方とその北のオランダとが ネーデルランド(低地地域)といわれていました。
土地が平らで標高が高くない地域です。
この地方の土地は 湿地帯でした。その湿地帯の土壌を農業に使えるように改良していきました。
そして 夏と冬とでは日照時間がかなり違い
冬の間は昼がとても短く かつ 晴れることは滅多に無く
つまり 冬が長い地域ということになります。

けれども このフランダース地方が
中世の 14世紀15世紀そして16世紀
ヨーロッパ中でも 最も繁栄する土地となります。
その繁栄とは 経済的なものであり そして芸術的・文化的なものでした。


言語

ブリューゲルが生きていたフランダース地方(そしてネーデルランド)では
オランダ語が話されていました。
オランダ語は ゲルマン語系の言葉であり
地理的にネーデルランドがドイツとイギリスとの間に位置していることからも
容易に理解できるかと思いますが
ドイツ語と英語との間に位置している言葉です。
そして 基本的には 農民の言葉でした。
つまり 決して洗練された言葉ではありませんでした。
フランダース地方では 上流階級の人々は 一般にフランス語を使っていました。
そして 中世には教養のある人々は ラテン語を話せました。
というよりも 中世のヨーロッパでは 書物はラテン語が基本でしたので
本を読めるということは ラテン語を理解できたということであり
かつそのラテン語が ヨーロッパの共通語でもあった訳です。
ブリューゲルは オランダを話していました。
彼のスケッチには オランダ語で書き込みがしてありますし
絵の中に書かれた文章もまた オランダ語とラテン語です。
つまり 彼はヨーロッパの三大言語(ラテン語・ゲルマン語・スラブ語)のうち
ゲルマン語系のオランダ語と ラテン語とを使うことが出来
しかし 日常生活では ゲルマン語系のオランダ語を使っていたということになります。
つまり 彼は 主にラテン語では無く ゲルマン語での思考をしていた ということになります。


宗教

ブリューゲルが生まれたとされる1525年
ヨーロッパでは宗教改革が始まったばかりでした。
この宗教改革はその後
ネーデルランド(今日のオランダ+フランダース地方=オランダ語が話されている地域)にも
カルヴァン派の新教が広まり
一時は新教が政権をも握りますが
スペイン国王フィリッペ二世によって新教への弾圧があり
オランダは新教の国として独立していき
フランダース地方はカトリックのスペイン領として残るという経緯をたどることになります。

ヨーロッパはアルプスによって その北と南とに分断されています。
つまり 民族的にも言語的にも文化的にも気候的にも アルプスの北と南とでは違っています。
そして 宗教的にも違っていました。
同じキリスト教カトリックを人々が信じていたように思われるかもしれませんが
実際には アルプスの北と南とでは人々の信仰心=宗教生活は全く違ったものでした。
この違いとは 民族性から来ている訳ですが 民族性とは
その土地の気候・風土から来ている面が非常に多くなります。
土地が平坦か起伏があるか あるいは暑いか寒いかは
その土地に生る植物の違いとなり 農作物の違いとなり 生息している動物の違いとなり
そして人間の感性の違いとなります。
この アルプスの北と南との気候・風土の違いから来る民族性の違いというものが
人々の信仰心の違いにもなっていきます。

宗教改革はアルプスよりも北でのみ起き アルプスよりも南では起きませんでした。
アルプスの北と南とでの 人々の信仰心の違いが
宗教改革をアルプスよりも北でのみ起こし
アルプスよりも南では起こさなかったのかの理由となっていますし
この違いが 芸術の表現にも大きな影響を与えています。
1400年代 イタリアではルネッサンス芸術が花開きましたが
同じ時代のフランダース地方では 写実主義による宗教画が繁栄していました。
なぜならば 南ヨーロッパでは 特にイタリアでは
キリスト教カトリックの総本山がローマにあるにもかかわらず
本当の意味では人々はカトリックの教義を受け入れていなかったのに対して
北ヨーロッパでは 逆に人々は敬虔にカトリックの教義を受け入れ信じていたからです。
気候が温暖であり それ程に労せずして農作物が手に入る南ヨーロッパと
寒さが厳しく 土壌も痩せ 農作物が手に入り難い北ヨーロッパとでは
当然 人々の生き方・ものごとの考え方は違ってきます。
カトリックの「原罪」「人間罪の子」という基本教義は
南ヨーロッパの人々には 親しみ難く 受け入れ難いものでした。
逆に 自然の厳しさの中で生活している北ヨーロッパの人々にとっては
自然の厳しさ=神の厳しさとして受け入れ易いものでした。
キリスト教は キリストの死後およそ千年かけてヨーロッパ全域に広まりましたが
ヨーロッパ全般において 実際にはキリスト教は キリストの教えが広かったというよりも
自然や母性に対する畏敬の気持ちが 聖母信仰として広まり人々に受け入れられたと言えます。
キリストの教えそのものが広まったのではないということは
キリスト教社会の歴史において 十字軍・ヨーロッパ外への進出と植民地化など
ヨーロッパ人が 略奪と殺戮とを繰り返してきたことに現われています。

南ヨーロッパ 特にイタリアでは 聖職者たちの生活は腐敗・退廃していました。
キリストの教えに身を捧げ 人々に神の声を伝え 人々の導きとなるはずの聖職者たちが
実は 教会税という豊かな収入を我欲のために使い 浪費し
退廃的な不道徳的な生活をしていました。
そこから 宗教改革が始まりますが
ではなぜ 聖職者たちの腐敗の進んでいたその南ヨーロッパでは宗教改革は起きなかったのか
なぜ 北ヨーロッパでのみ起きたのかというと
一つには キリスト教の教義を本当のところ受け入れていたか 受け入れていなかったかの違いであり
もう一つには イタリアなど南ヨーロッパでは
教会の収入の一部が社会事業に当てられ 人々にある程度還元されていたのに対して
北ヨーロッパではそうではなかったということが理由となっています。
ストイックに生きるよりも 享楽的に生きたい南ヨーロッパの人々は
教会の収入が社会事業にも当てられているとういうことで
聖職者たちの退廃的生活を黙認していました。
しかし 北ヨーロッパでは 人々はもっと敬虔にカトリックを受け入れていましたし
教会の収入が社会事業にも当てられるというメリットも無かったからこそ
聖職者たちの腐敗に目をつぶることが出来ませんでした。

南ヨーロッパの人々が キリスト教の教義を本当のところ受け入れてはいなかった
そのもう一つの現われが ギリシャ神話・ローマ神話が広く愛好されていたこと
人道主義(ヒューマニズム)が広まっていったことです。
キリスト教は一神教ですから キリスト教にとっては
沢山の神々がいるギリシャ神話・ローマ神話は 異端です。
けれども その異端であるものが南ヨーロッパの人々には逆に理想とされていました。
そして 人道主義(ヒューマニズム)も一体何を基準にして 何の権威に基づいているのかというと
それは キリスト教の唯一神ではありませんでした。
唯一神から生み出された存在である人間一人一人を大切にするのでは無く
唯一神という観念無しに 人間一人一人がどう生きるかを考えたのが人道主義(ヒューマニズム)です。
ここでも 人々の考え方が キリスト教から全く離れていることが明らかです。
それにもかかわらず カトリックが受け入れられていましたし
今日でも 南ヨーロッパでは人々は他の社会以上にカトリックを信仰しています。
それに対して 北ヨーロッパでは
異端であるギリシャ神話・ローマ神話が人々の間で広まるのは 宗教改革以後になります。
宗教改革が始まり 新教が広まり始めてから
人道主義(ヒューマニズム)も南ヨーロッパから北ヨーロッパへと入ってくることになります。
つまり宗教改革以前は 北ヨーロッパではキリスト教カトリックが
真面目に受け入れられていたということになります。
ということは 宗教改革以前の 人々の日常生活における信仰 あるいは信仰生活ともいえますが
それは南ヨーロッパと北ヨーロッパとではかなり違っていたことになります。

そして 宗教改革がボヘミア・ドイツ・フランス・スイスなどで始まりますが
フランダース地方にはフランスで始まったカルヴァン派が入ってきました。
そして ブリューゲルの住んでいたアントウェルペンでも 一時はカルヴァン派が政権を握り
カトリックを町から排除することになります。
新教は 聖書に書かれている以外のことは認めず キリスト以外を聖人とは認めず
そして偶像崇拝を認めませんでしたので
教会内にある宗教美術を破壊することになります。
これは 例えばアントウェルペンでは 1566年に起こりました。
ブリューゲルがブリュッセルに住んでいた時代です。
しかし スペイン国王の カトリックによって治めるという方針により
ネーデルランドでは新教は弾圧されることになります。
沢山の新教徒が殺されていきました。


経済

けれども この新教への弾圧により
1500年代初めからヨーロッパ最大の貿易港となり商業活動の非常に栄えたアントウェルペンから
商人や職人たちが去っていくことになります。
それにより アントウェルペンの非常な繁栄はあっという間に終わりを迎えてしまいます。
15世紀末までヨーロッパ最大の貿易港であったブリュッゲ(ブルージュ)の繁栄が終わり
それにアントウェルペンが取って代わったことと
大航海時代の始まりにより 新大陸をはじめとするヨーロッパ外から
様々な物資がヨーロッパへもたらされるようになった
その北ヨーロッパでの唯一の陸揚げ港とされたこと
(その当時新大陸へと乗り出して行き 略奪し植民地化していったスペインの国王は
1500年にフランダース地方のゲントの町に生まれた
カルロス一世=神性ローマ帝国皇帝カール五世であり
ヨーロッパ外からの物資は 南欧はスペインに 北欧はアントウェルペンにもたらされました)から
アントウェルペンは1500年代初めから
ヨーロッパ最大の貿易港となり 商業活動が非常に栄えることになります。

つまり ブリューゲルが生まれ そしてアントウェルペンに住み始めたのは
この町が非常に繁栄していた時代でした。
そして 1555年のカール五世の退位の後にスペイン国王を継いだ
フィリッペ二世による新教への弾圧が始まり アントウェルペンの繁栄に陰りが見え始めると
ブリューゲルはアントウェルペンからブリュッセルへと居を移すことになります。


文化・芸術

その様なアントウェルペンの経済的な繁栄は
文化的・芸術的な面へも大きな影響を及ぼしていきます。
貿易港・商業として栄えていたアントウェルペンには
ヨーロッパ各地から様々な文化人が訪れてきました。
例えば 人文主義者(ヒューマニスト)たち
エラスムスやトマス・モアです。
しかし 文化的・芸術的な面への経済的な繁栄の影響とは
実は否定的な面の方が多いように思われます。
14世紀から15世紀にかけて
すでにフランダース地方は 毛織物産業と貿易業とで
ヨーロッパの中では北イタリアと並んで 繁栄している地域となりました。
そしてその時代には 様々な芸術もこの地で発展・繁栄することになります。
絵画(油絵の具の発明・油絵技術の確立と写実主義)
木彫り彫刻(祭壇)
本(細密画・銅版画・印刷)
音楽(ルネッサンス音楽・多声音楽)
楽器(スピネット・ヴァージナル)
毛織物(タペストリー・衣料)
などの分野で フランダース地方はヨーロッパ中で 最も高い水準のものを作り出していました。
しかし 16世紀に入ってからのアントウェルペンは
貿易の町 商業の町となり 芸術家の住む町では無くなります。
ですから はじめアントウェルペンに居を構えていたブリューゲルも
ブリュッセルへと移っていくことになります。
僅かに プランタン・モレトス印刷工場が
ヨーロッパ最大の印刷工場・出版社として栄えることになります。


政治

ブリューゲルが生きていた1525年から1569年の間のうち
1555年まで フランダース地方は神聖ローマ帝国皇帝カール五世によって統治されていました。
1500年にゲントで生まれた カール五世は
6歳でスペイン国王に 16歳でオランダ国王に そして
19歳で神聖ローマ帝国皇帝となり 1555年に退位しますが
その後スペイン国王の地位を継いだ息子のフィリッペ二世がフランダース地方を治めることになります。
スペイン王・シチリア王・ナポリ公・ボヘミア王・オーストリア王・ネーデルランド王・神聖ローマ帝国皇帝
を兼ねていたカール五世の生涯は
宗教改革の勃発と 新教・旧教の和解への試み
新大陸アメリカへの進出と植民地化
ヨーロッパの脅威となっていたオスマントルコへの対抗
これらに費やされました。

そもそも 19歳で神聖ローマ帝国皇帝となるにあたって
フランスのフランソワ一世とその地位を争いましたが
結局は選帝侯たちへの賄賂を多く贈ったカール五世がその地位を得ることになります。
そしてその賄賂のために ドイツのフッガー家から 莫大な借金をします。
更に 新大陸アメリカへの派兵 そしてオスマントルコ対策として
莫大な軍事費が掛かることになります。
新大陸から様々なものがもたらされましたが
その中でも インカ帝国を滅ぼすことによって大量の金を手に入れはしましたが
しかしそれらも ほとんどが軍事費と借金の返済のために使われました。
軍事費が掛かったのはフィリッペ二世の時代に入ってからも同じでした。
ネーデルランド統治の為にスペインから軍隊が送られて来ましたが
その費用 兵士への賃金もスペインの財政にとってはかなりの負担となりました。
ということは 彼が統治していた土地の人々には 重い税が課せられるということになります。



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③ ロマニスト

1400年代初めにフランダース地方で油絵の具が発明され
その特色・長所を利用した写実的絵画が始まります。
油絵技法が生み出され確立し 1400年代には
ファンデル・ウェイデンやファン・エイク
そしてメムリンクといった巨匠たちが活躍することになります。
その様に 非常な高い水準の絵画が生み出されたために
1400年代には フランダース地方の画家たちの多くが
イタリアをはじめとするヨーロッパ各地の宮廷や教会に招かれて絵を描きました。
しかし 1400年代も末になると ヨーロッパ中で絶賛されたフランダース地方の画家たちが
イタリア・ルネッサンスの影響を受けることになります。
これには 二つの理由があります。
まず 芸術家たちを含めて人々の信仰心 つまり生活の中での信仰が変化してきたこと。
そしてもう一つは 芸術家たちにおいて
芸術によって何を表現したいのか そのためにはどういう表現をしたいのか
という確固たる思いが薄らいできたことです。
もっとも この二つ目も はじめの人々の信仰心
つまり生活の中での信仰の変化が前提となっています。

そして イタリアに行ったフランダース地方の芸術家たちは そこで
イタリア・ルネッサンスの影響を受けることになりますが
これは具体的には 心の面と 形の面との両方になります。
つまり イタリア人の宗教心と ルネッサンス精神
そして 構図やスフマート(ぼかし画法)など 絵の中での表現の仕方とです。

フランダース写実主義の表現から イタリア・ルネッサンス絵画の
特色的な表現へと絵の描き方が変っていったのは
三角形の構図・・・垂直性・直線性から三角形・曲線性へ
スフマート(ぼかし画法)・・・かっちりとした描き方から 曖昧な表現へ
人工的な作り物めいた舞台設定・・・全て実際に見たものを基に描いていた写実絵画からの離脱
(線的)遠近法・・・ものを見る視点の変化
ぼかした背景・・・全てのものの克明な表現から 明確な主・従あるいは主・副の表現
人間的な聖人の描写・・・宗教性の表現よりも 人間的な表現を目指す
などに 顕著に現われてきます。

そして フランダース地方の画家たちは イタリア・ルネッサンス絵画の影響を受けて
まるっきりイタリア・ルネッサンス絵画風の絵を描く人
又は イタリア・ルネッサンスの表現と 15世紀フランダースの写実的表現との和合という形で
絵を描く人とがほとんどになります。

そういう中で イタリアに行きながらも イタリア・ルネッサンス絵画の影響を受けなかった
あるいはその作品の中に それがほとんど感じられない唯一の人が ブリューゲルになります。



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④ 絵を描く視点

写実的絵画から ルネッサンス絵画への変遷というものは
一体何から来ているのでしょうか?

私たちが表現しているものは 全て
私たちの 心の現われです。
私たちの 顔の表情 身体の姿勢や動き
話し方・話している内容
作り出したもの
全てが 私たちの 心の現われです。
それらの表現には 自ら意識しているものと
意識せずに 無意識のうちに表現されてしまっている
つまり 意志で表現しているものと 意識として表現されてしまったものとがありますが
いずれにせよ 私たちの「心」という 目に見えないもの 非物質が
色と形と質感のある 目に見え手に触れられる 物質として現われたものが
絵画・彫刻・建築などの視覚芸術です。

ということは 一人一人の表現においてだけではなく
時代様式という 多数の人々によって生み出されたものも また
ある時代の ある土地の人々の心の現われだということになります。

1400年代の フランダース地方の画家たちが描いていたものは 一体何だったのでしょうか?
なぜ 画面の上全てにおいて 克明な緻密な表現をしたのでしょうか?
なぜ全て 目に見たものを描いたのでしょうか?
それに対して
イタリア・ルネッサンスと その影響を受けた
1500年代のフランダース地方のロマニストたちが描き出したものは何だったのでしょうか?
なぜ 遠近法を取り入れたり 画面の上において主・副をはっきりとさせたりしているのでしょうか?

これは結局は 絵を描く人々の意識の違いであり 何を表現したいかの意志の違いであり
そして ものを見る 絵を描く視点の違いから来ていると言えます。

1400年代の フランダース地方の画家たちは なぜ全て 目に見たものを描いたのでしょうか?
なぜ 画面の上全てにおいて 克明な緻密な表現をしたのでしょうか?
それは この世に存在しているものは 全てが神によって創り出されたものであり
絵画とは 神が創り出したものを描き出し
そして その神の創造物は本来全てが 完全なもの 美しいものとして生み出された
その完全さ その美しさを絵として表現し
そして それら全ての被創造物には 等しく存在する価値があり 等しく神の目が注がれている
ということを表わすものであるというのが
1400年代の フランダース地方の画家たちの認識であり
目指していたものでした。
つまりは まずは神があって そしてこの世があり人間が存在するという捉え方であり
神の視点でものを見ているとも言えます。

それに対して
ルネッサンスの視点 あるいは目指した表現は全く別のものでした。
ルネッサンスは「文芸復興」と日本語に訳されますが
ギリシャ神話・ローマ神話に登場する神々がとても人間的に生きている様子
そして ギリシャ文化・ローマ文化における肉体美の表現を理想とし復活させる
ということが その目指したものでした。
ですので 神という存在よりも
この地上に生きる人間 生身の人間を重視したものの捉え方 ものの見方になります。
ということは 天と地と あるいは 神と人間という 上下の関係では無く
(その上下の関係=エネルギーの動きを形として表したものがゴチック様式ですが)
この地上に生きる人間を重視した あるいは基準にしたということは
地上に重心を据えたものごとの捉え方ですから
三角形がその基本的な構図となるのは 全く自然なことです。
そして その人間の目から見た この世 というものを描き出す
その表われのひとつが 遠近法です。
本来 ものは遠くにあっても近くにあっても 大きさは同じです。
しかし この世の人間の視点で見ると 近くのものは大きく 遠くのものは小さく見えます。
ですから 遠近法とは 物の本質を描き出したものでは無く
人間の目からの見え方を描き出したものです。
そのもう一つの表われが 背景の描き方です。
ルネッサンス絵画では 背景は大抵ぼかされて描かれています。
あるいは はっきりと背景として つまり 価値の低いものとして表現されています。
人間の目は 注目しているものをはっきりと捉え それ以外のものは
視野に入ってはいても はっきりと捉えないという性質があります。
この人間の目の見え方で描き出しているのがルネッサンス絵画です。
(その後 印象派やキュービズムなどが ここから離れることになります。)

そして 人間を基準にするということが
聖人の描写にも顕著に影響します。
聖人をも 一般の人間としての姿で描き出すようになります。
聖なる存在としてよりも 私たちの隣人として描いているとも言えます。

このように ルネッサンスはものの捉え方が はっきりと人間の目になったということが
神の目を基準にした 1400年代のフランダース写実主義との決定的な違いであり
その違いが 絵において様々な表現の違いとして表われている訳です。



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⑤ ブリューゲルの視点


では ブリューゲルは 一体 どういう視点でものごとを見 絵を描いたのでしょうか?

私たちがブリューゲルの絵を見て まず見て取れるのは
仔細な描写・線描・俯瞰・広い空間性といったものではないでしょうか。
更に細かく見てみると
登場人物の描写が 明確ではない感情表現でされていることにも気付きます。
あるいは 上記のルネッサンス絵画の特徴を当てはめてみると
スフマート(ぼかし画法)はされているでしょうか?
逆に線描をして 曖昧な表現ではなく かっちりとした描き方をしています。
これは彼が銅版画家であったことを思えば納得できる描き方ではないかと思います。
人工的な作り物めいた舞台設定はされているでしょうか?
逆に 全て実際に見たものを基に描いています。
ほとんどが フランダース地方の農村の様子であり あるいはアルプスの山岳です。
農民も兵士も彼の時代にいたそのままです。
ブリューゲルの絵から感じるのは 自然な描写です。
人工的な作り物めいた舞台設定ではありません。
空想画(H.Boschの画風に類似したもの)も描いていますが
それらの絵に描かれているものも ほとんどが実際にあるものを
変化させたり組み合わせたりしているものです。
(線的)遠近法はされているでしょうか?
勿論 遠近は表現されていますが
私たちが感じるのは 遠近法で描かれているということでは無く
広い空間的な広がりではないでしょうか。
ぼかした背景 あるいは明確な主・従あるいは主・副の表現はされているでしょうか?
その広い空間的な広がりの中で
どこが主題となる部分なのか どこが主でどこが副なのかは明確ではありません。
人間的な聖人の描写はされているでしょうか?
宗教を題材とした絵でも どこが主題となる部分なのかがそれ程明確ではありません。
そして 顔の表情によって人間を描き分けることをしているのではなく
服装・姿形でもって人間の描き分けをしています。
三角形の構図はとられているでしょうか?
あからさまな三角形の構図は見て取れません。
でも良く観ると 確かにいろいろな部分で三角形が用いられています。
ここにも あからさまな あるいは人工的な表現では無い
自然な描写という彼の特色が顕れています。

このようなブリューゲルの描き方の特色は
勿論 彼のものの見方から来ているものであり
他の画家との ものを見る視点の違いから来ている訳です。
しかし ものを見る目とは すなわち
ものごとをどう捉えるかという
その人の気持ちであり あるいは 観念であり その人の生き方が
ものごとをそう見させ捉えさせている訳です。

では ブリューゲルのものの見方 つまり ものごとの捉え方とは
一体どういうのもだったのでしょうか?
それは 他の画家たちとどう違っていたのでしょうか?

彼の絵の中には しばしばとても沢山の人物が描かれています。
しかし それらの人物を見てみると
共通した特色が見られます。
それは どの人物も等しく描かれている ということです。
絵の中のどの人物かが特に目を惹くわけではありません。
この人が主役だから 注目して下さい という描き方をしていません。
そして それら沢山の人間は
ほとんどが 顕著な顔の表情をとってはいません。
はっきりとした感情表現をしていません。
喜怒哀楽を表わしている訳でも無く
崇高さを表わしている訳でもありません。
更に良く観てみると
いろいろな人物が描かれていますが それら
聖職者・農民・病人・子供などが
なにか 対等であるかのように描かれているのが分かります。

もう一つ 彼の絵を見て その多くの絵にある
上から見下ろす構図と そこに描かれている広い風景を
彼のものの見方が表われた 共通した特色とすることが出来るかと思います。
これは俯瞰と言えますが
その様な構図の中で
様々な人物や植物や物が 特にどこに注目してほしいという訳でも無く
描かれています。

さらに 彼のいろいろな絵を見比べてみると
農民を描いたもの あるいは農村の様子を描いたもの
宗教(=キリスト教)的題材のもの
ことわざ・格言を絵にしたもの
船の絵(油絵ではありませんが 沢山の銅版画が残されています)
などがありますが
彼の生きていた時代の
ヨーロッパで最も商業活動が盛んであった港町
アントウェルペンの様子を描いたものはありませんし
そもそも商業活動を感じさせるものもありません。
同時代の農民・病人などは描いているのにもかかわらず
商人や職人を描いたものはありません。

以上の ブリューゲルの絵から見て取れる共通した表現から
彼のものの見方 つまり 彼のものの捉え方
あるいは彼の観念 生き方などが垣間見えてきます。
彼の絵に共通しているのは
俯瞰的見方であり
描かれている対象に価値判断をしていないことす。
この 価値判断をしないということが 彼の絵の描き方の特色である
背景を背景として つまり主題に対して価値の低いものとして
描いていないことにも表われています。
そして 絵に描かれているものに関しては価値判断をしていませんが
しかし 何を描き 何を描かないかということに
彼の価値判断が表われているとも言えます。
つまり その当時 ヨーロッパ最大の商業都市として発展し繁栄していた
アントウェルペンに住みながらも
それを思わせることを描いていない
つまり 経済的な豊かさや 富というものを描き出していない
逆に 農村の様子・農民の姿を多く描いていることから
「農民画家」という呼び方が現われた訳ですが
ここに 彼の人間としての生き方
あるいは 何を「豊かさ」として捉えていたのかが表われているように思えます。



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⑥ 人はその悟り以上のものを感じとることは出来ない

私たちは誰でもが
「自分の」ものの見方をし 「自分の」考え方をし
「自分の」話し方をし 「自分の」好き嫌いでものごとを判断しています。
考えが無いと思われるような人であっても その人なりの考え方で生きています。
自分の言葉で表現できずに 他人の言葉を借りているような人であっても
その人なりの他人の言葉の選び方をしています。
ただし それらはほとんどの場合 意識されていません。
無意識のうちに 選んだり 影響されたりしつつ
無意識のうちに話したり 行動したりしています。
つまり 自分が何をどう話しているのか
自分が何をどう行動しているのかを意識している人・自覚している人は
とても少ないといえます。
自分が何をどう話すのか ということは
自分は他人に何をどう伝えたいのか ということです。
自分が何をどう行動するのか ということは
自分は 一体何を作り出したいのか 何を分かち合いたいのか ということです。
それを自覚している人は とても少ないのではないでしょうか。
つまり 沢山の人が
自分が何をどう話すことによって
身の回りにいる人たちにどういう影響を与えているのかを
全く考えもせずに生きているということです。
自分が何をどう行動するかによって
何が生み出されるのか 何が起きるのかを
考えないで生きているということです。

このように 自分自身について どの位認識できているのか ということと
他人について あるいは ものごとについて どの位認識できるのか ということとは
とても密接に関わりあっています。
つまり 自己認識と 他人やものごとをどう認識するかとは
等しいということです。
なぜならば
ものごとを 受け取るのも 出すのも
同じ 「自分の観念」「自分の好き嫌い」「自分の感覚」
というフィルターを通しているからです。
ですから 他人をどう判断するかは すなわち
その人自身について語っていることになります。
ものごとをどう見て どう感じて どう捉えているのかは
その人自身のものの見方 感じ方 捉え方を表わしているのですから
つまり その人自身の生き方を表わしていることになります。
そして ものごとを どう捉えるか どう見るか どう感じるか
どう判断するかは 本当に人それぞれです。
それそれですが 更には
ものごとをどの位 広く認識できるか 深く認識できるか
ということもまた 人それぞれです。

私たちは この宇宙の中のごく一部である地球の上で
ほんの僅かなことしか認識しないで あるいは 認識できないで生きています。
(そのこと自体を認識していない人々もまたいるかと思いますが…..)
結局
この ものごとを認識する能力のことを 「悟り」と言いますが
より正確には
単なる認識能力のことでは無くて
ものごとをどこまで 「自分」という枠を超えて
「自分の」というフィルターを通さずに認識できるか
そして どこまで 地上のものごとだけではなく 宇宙を認識できるか
目に見えるものごとだけではなく 目に見えないものをも認識できるか
ということを 「悟り」といっている訳です。

ですから 一言に「悟り」とは言っても
様々な段階があることになります。

このように ものごとをどう見るか どう受け止めるか
どう感じるか どう判断するかは 人それぞれであり
その人なりのやり方でしていると共に
その人なりの限界があるということでもあります。
人はその人自身の認識能力以上のことは 認識できません。
ですから 何かに接しても
本当に対象を認識しているのでは無く あくまで
その対象を「自分はどう感じました」「自分はどう見ました」「自分はどう判断しました」
というような
自分のものごとの認識能力を認識しているとも言えます。

私たちが 何か芸術作品に接した時も 同じです。
その作品が何を表現しているのか
その作品を通して 作者は
何を表現し人に伝えようとしたのか・作者のどういう観念が現われているのか
ということを 本当に認識するよりも
見ている人の 感じ方・見方・判断の仕方・好き嫌いで接している
つまり 見ている人の感じ方・見方・判断の仕方・好き嫌いの枠の中で
それらのフィルターを通して入ってきたものだけを
「認識した」「見た」「感じた」と思っている訳です。
あるいは 認識したつもりになっているとも言えます。
ということは
それぞれの作品が何を表現しているのか
その作品の作者が どういう意識でどういう観念で生き創作していたのかは
見る人が
作者と同じか それ以上の悟り(=認識力)になければ
本当には認識できないということになります。


これは 特に ブリューゲルや
あるいはフランス印象派や ラファエロ前派などの作品において
顕著なことかもしれません。
一般に「素晴らしい」とされている作者の作品 あるいは個々の作品とは
それらが作られた時代にすでに評価されたものもありますが
しかし 初めは評価され無かったにもかかわらず
あるいは 一時期人々から忘れられたにもかかわらず
時と共に徐々に評価されるようになってきたものもまたあります。
それらは 「時間」というふるいにかけられた とも言えますが
長い間に 不特定多数の人々によって見られている間に
特定の時代や土地の人々の趣味・様式などを超えたものの見方がされるようになった結果
評価を得たとも言えます。
それらの作品に共通していることは
何らかの「普遍性」というものが表現されていることではないかと思います。
その「普遍性」とは 別の表現をすると
「宇宙の真実」=「真理」 でもあります。
「普遍性」あるいは「真理」というものが表現されている作品に接した時に
私たちは それをはっきりと言葉では表現でき無くても
何かしら「素晴らしい」と感じている訳です。

ブリューゲルの作品においても またこのことは当てはまるかと思います。
ブリューゲルの作品は 一目見て「うわぁ きれい!」というものではありません。
それにもかかわらず 彼が巨匠といわれ 彼の作品が名作とされるのはなぜなのでしょうか?
ブリューゲルの作品を観て 一体私たちは 何を
「素晴らしい」と感じているのでしょうか?
何を無意識のうちに感じ取っているのでしょうか?


(この項と関連して  《絵画を観るにあたって》 も参照して頂ければ幸いです。)


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⑦ ブリューゲルの視点・観点・観念

ブリューゲルの視点~俯瞰・鳥瞰 価値・優劣の判断をしない

豊かさとは~貴族・商人・商業活動を描いていない

人の人生を導くもの~格言・宗教・哲学~人道主義(ヒューマニズム)

人の生を見守るもの~

ブリューゲルは一体 何を表現したくて 何を人々に伝えたくて作品を作ったのでしょうか?
どういう彼の悟りを表現したかったのでしょうか?
彼の絵の多くは ある程度の広さの土地を上から見下ろしている構図で描かれています。
そして 人物を見てみると 特に誰かが主役として大きく描かれている訳ではありません。
それぞれの人物は 何の行為をしているにしても 特に際立った明確な感情表現をしていないようです。
嬉しそうでもなく 悲しそうでもなく 楽しそうでもなく という表情が多く見受けられます。
ですから 彼は感情表現をしたかったようでは無さそうです。
全てが ただ「そう存在している様子」を描いているようです。
そして 上から見下ろしている俯瞰的な構図が多いのは
人間対人間の視点なのではなく 人間を見下ろしている神の視点のようです。
彼は銅版画を作るのが初期の頃の仕事でした。
銅版画は 線で描きます。ですので彼の絵も線で出来ています。
ルネッサンス絵画の特徴である「ぼかし」は使っていません。
神の目からは 全てがはっきりと見えます。
そして 神は全ての存在を 「そのまま」に存在させています。
最後の審判が来るまでは 善人でも悪人でも誰でもが「そのまま」に生かされています。
裁いているのは人間だけです。
神は全ての存在を そのままに存在させてくれています。
その 「そのまま」の様子を ブリューゲルは描いているように感じられます。
聖人も聖職者も農民も病人も子供も 誰もが同等に描かれていることにも
それを表わしているように感じられます。
その時その時の出来事に 喜怒哀楽の感情で反応するのではなく
ただ 神に与えられた中で淡々と生き続けている様子が描かれている感じです。
「喜怒哀楽」は 個人の感情であり 自我=エゴと結び付いたものです。
ブリューゲルの絵に描かれている人々は
自我の現われとして 喜怒哀楽の感情表現をするよりも
ただ 目の前のことに無心に向き合って生きているように感じられます。

彼がイタリアに行って 一番大きな影響を彼に与えたのは
イタリア・ルネッサンスの芸術様式ではなく
ギリシャ文化・ローマ文化を基調としたイタリア文化でもなく
イタリア人の生活様式でもなく
それは アルプスの眺めでした。
フランダース地方は平地です。
土地は全くと言って良いほどに平らです。
でも イタリアに行く途中のアルプスで
上から下を見下ろすという視点を 彼は初めて体験しました。
動植物などをはじめとして 沢山の存在を上から見下ろす体験をしました。
そして この体験が この視点が 彼の絵の構図に大きい影響を与えました。
そして 自然の中で全ての動植物が その環境に逆らうことなく
ただそのままに存在している様子を 見下ろしました。

人間は 社会を作り 文化を作り 文明を作りましたが
そもそも 一人一人の人間が存在しているその環境は 与えられたものです。
その与えられた環境の中で 人々は
何かを受け入れたり 拒んだり 抵抗したり 喜んだり
悲しんだり 怒ったりして生きているかもしれません。
けれども ブリューゲルは そういう一人一人の人間の生き様を
その気持ちや感情に着目して絵に表わそうとはしませんでした。
あるいは 誰が豊かに生き 誰が貧しく生きているのかを描き出している訳ではありません。

15世紀のフランダース絵画と違って
彼の絵には 「貴族」を思い起こさせるものは描かれていません。
彼の生きていた 16世紀前半のアントウェルペンは
その当時ヨーロッパ最大の商業都市に発展しました。
しかし彼の絵にそのような 経済的な繁益の様子が描かれている訳でもありません。
豊かな商人も 商業活動も描かれていません。
(僅かに 「洗礼者ヨハネの説教」に 貧富・階級に関わり無く
沢山の人が説教を聴きに来ている様子として商人や異人の姿が描かれている位です。)
農民の姿は沢山描き出しましたが
けれどもそれらの人々を 「貧しい人々」として描いているのでは無い感じです。

ですから 感情表現や 貧富などに着目して表現しようとしている訳ではなく
誰もが ただ それぞれの環境の中で そのままに存在している姿を上から見下ろす
という描き方をしました。

これは別の言葉で言うと
「価値判断をしない」ということでもあります。
ブリューゲルは 誰が素晴らしく生きていて
誰が苦しく生きているのかを描き出そうとはしていません。
誰が幸せに生きていて 誰が不幸に生きているのかを描き出してはいません。
神は 私たち人間を 誰がどういう生き方をしていようと
そのままに生かしてくれています。
そして そのままに死なせてくれています。
ですから 神は 人間がこの世で生きている間には 裁いたりはしません。
人間はお互いに裁きあったり責め合ったりし
その結果として傷つけあったり殺しあったりしてきましたが
しかし 神はそういうことはしません。
そして キリスト教カトリックの教えでは いつか最後の審判の日が来て
全ての人が天国に行くか地獄に行くか ふるいにかけられる としてきました。
ですから ブリューゲルの絵に描かれている人間は
全ての人が ただ「その時その場にそう存在しているもの」として
「価値判断をしない」という観点から描かれていることになります。

では ブリューゲルは 一体どういう観念でもって
このような視点・観点から絵を描いたのでしょうか?

彼には「諺」=「格言」を描いた絵が幾つもあります。
これらの絵によって「どういうふうに生きた方が良い」ということを表現したかったのでしょうか?
それとも 「こうやって愚かに生きている人間がいる」ということを描き出したかったのでしょうか?

もし 後者だとすると 彼は価値判断をしていることになります。
しかし 彼の絵は 彼はしばしば「農民画家」と呼ばれはしましたが
決して農民のために描いたものではありません。
彼の絵を買う人たちは それなりの教養のある人々でした。
つまり 諺を知っている人たちのために描かれたものです。
ですから それぞれの絵を見れば 「これはどういう諺だ」と
分かって貰えるという前提で描かれています。
ですから 愚かさを描き出そうとしている と全く言えない訳ではありませんが
しかし 諺そのものを描き出しているのではないかと思われます。
そしてそれは 彼の中に「より良く生きるには」という考え方があり
それを絵に描き出したいという気持ちがあったからのはずです。

しかし 彼はその「より良く生きるには」という方法として
宗教よりも 諺=道徳を絵にしました。


彼の生きていた当時のアントウェルペンには
宗教改革が はじめはドイツからルター派が 後にフランスからカルヴァン派が広まってきていました。
宗教改革が始まってから カトリックはそれに対抗するために 異端狩りを強化していました。
異端裁判によって 沢山の人が処刑されました。
しかし 宗教改革の側も 特にカルヴァン派は粛清を当然のものとしていました。
つまり 同じキリスト教徒でありながら その中で沢山の殺し合いが行われました。
そういう時代に生きていた一人の画家にとっては
自らを 宗教改革の側か 反宗教改革の側かを明確になるように絵に表現するのは
もしかしたらためらわれたのかもしれません。

しかし 同時に 16世紀はじめから イタリア・ルネッサンスの文化が 芸術だけではなく
人道主義(ヒューマニズム)という哲学の面でもフランダース地方に入ってくることになります。
ブリューゲルも この影響を強く受けていました。
そして フランダース地方では この人道主義(ヒューマニズム)が
哲学としてというよりも 道徳として受け入れられたのではないかと思われます。
人間の人生を正す基準としての宗教が 新教・旧教の対立から
その機能を果たせなくなってきた代わりとして
フランダース地方では人道主義(ヒューマニズム)が受け入れられたようです。


ブリューゲルは 一体 人間の人生というものをどう捉えていたのでしょうか?
人が「生きる」ということを どう考えていたのでしょうか?
何を 人間の生きる目的と考えていたのでしょうか?
何を 人にとっての「幸せ」と捉えていたのでしょうか?
何を「豊かさ」と思っていたのでしょうか?

これらの問いに答えられることが すなわち
彼の絵を理解できることになるのではないかと思います。

なぜ これらが 彼の絵を理解する鍵になるのかというと
つまり 彼が人間以外のものをテーマに絵を描いたことがあったのか ということです。
「バベルの塔」は 人間を描いているのでは無い と思う人もいるかもしれません。
しかし あの絵を通して ブリューゲルは
何らかの人間の考えや行為を表したかったのではないでしょうか。
彼は 風景画も描いています。人物がほとんど描かれていない風景画も描いています。
しかしそれらも 単に風景を描きたかったという様には感じられません。
何らかの「視点」「観点」を表現したかった様に見て取れます。
そして 銅版画として 沢山の船を描きました。
しかし これらの帆船(商船・'軍艦)も 単に船を描くためではなく
何か別の意味を表現したかったように感じられます。

彼にとって 絵に描き出す対象として興味があったのは
「人間」であり 「人の生き方」だったのではないでしょうか。
そして その 「人の生き方」とは 決して人間だけの世界ではなく
もっと大きな中での人間の生きる姿であり
自然の中での 宇宙の中での人間の存在と生き様とを表したかったのではないでしょうか。

 1400年代のフランダースの画家たちは
神の創り出したものの豊かさや美しさを表現するために
光り輝く宝石や 豪華な生地の服などを描き出しました。
けれども ブリューゲルは そういう表現はしていません。
彼に興味があったのは 「物」=物質では無く
あくまでも 人間であり 人間の生き方だったのではないでしょうか。
たとえ 物質の表現が 神の豊かさやその創造物の美しさの現われとなり得るにしても
ブリューゲルの興味があったのは 生命としての人間であったように感じられます。
彼は 豊かさを物質と結び付けて考えることはしなかったようです。
人間が 何を思い何を感じどう行動するかに 豊かさを見出そうとしていたのではないでしょうか。

そして その人間が 世の中でどう生きているのか
あるいは 自然の中でどう生きているのかを描き出していますが
そこには決して 劇的な表現というものはされていません。
劇的(ドラマチック)という感じが見て取れる作品が無い訳ではありません。
特に劇的と感じられるのは 船を描いた銅版画かもしれません。
商船や軍艦などの帆船を描いたものであり
そのほとんどが風に帆を膨らませた様子で描かれています。

これらの船の絵に 彼の豊かさに対する考え方が表われているように見て取れないでしょうか。
帆船は風無しには航行できません。
自然が生み出している 風の力を借りて動きます。
確かに 帆を適切に張らなければ効率良く走りません。
そして 適切な舵取りをしなければ 望んだ方向へは進みません。
しかし何よりも 風が無ければ帆船は走りません。
風の力を借りるために帆を張り そして 風の力を借りた結果 舵を取って方向を決められます。
私たちは 誰でも自然の中の存在であり 宇宙の中の存在です。
その中で 自然の風に身を任せて帆を膨らませている姿は
私たち人間も 人間の世の中だけではない何かもっと大きなエネルギーの中に居るのであって
そして その自然に(あるいは宇宙のエネルギーの流れに)身を委ねることによって
自分自身を豊かにすることが出来 最もその能力を発揮できる
ということを表しているのではないでしょうか。

そしてそこには 「神」という概念は出てきません。
豊かに生きることに 「神」は関わっていません。
豊かさを 金銭や物質と結び付けてもいません。
お金の有る無しや どういうものを沢山持っているかは 豊かさの表われではありません。

逆に 「無い」ことが 「持たない」ことが 豊かさなのではないでしょうか。

帆を張るということは 自然のエネルギーを受け止めようとすることです。
舵を取るとは 自分自身の方向性を決めることであり 意志を表しています。
しかしそれらは あくまでも自然の流れに身を任せるということが前提となっています。
肩肘張らずに 身体の力を抜き 心を緩めて
自然の流れに身を委ねる。
それが豊かさを生み出す とブリューゲルは思っていたのではないでしょうか。
自然の流れに身を委ねることによって 最も能力を発揮できる 最も生き活きと生きることが出来る
彼にとっての豊かさとは そういうことだったのではないでしょうか。

あるいは
この世の中で 例えそれがどういう世の中であっても
自然に生きること=「当たり前に」生きることが
豊かさや幸せを生み出すと思っていたのではないでしょうか。
その「当たり前に生きること」とはどういうことなのか
それが彼にとっては 諺や格言によって言われていることでした。
それは 聖書の中の言葉ではありませんでした。
キリスト教の教義でもありませんでした。

そして 自然に生きること=当たり前に生きることが 豊かさや幸せと結び付いていたからこそ
彼は 自然の中に生きている 自然と共に生きている農民の姿や 農村の風景を 
しばしば描き出したのではないでしょうか。

自然に生きる=当たり前に生きる とは 「素直に生きる」ということでもあります。
ですから 彼の絵には 運命と戦っている人は描かれていません。
運命に葛藤している人は描かれていません。
運命と戦うことによって あるいは運命に葛藤することによって
人は豊かに生きられるでしょうか? 人は幸せに生きられるでしょうか?

彼の絵では 病人も物乞いも 「哀れな人」として
「貧しい人」として描かれている訳ではありません。
ただ そういう状態の人として描かれているだけです。
つまり 自然に 当たり前に 素直に それぞれに与えられた環境の中で
その人生を受け入れて生きている人たちです。
そして 「もしも あなたが幸せではないのなら 豊かさを感じていないのなら
自然に 当たり前に 素直に生きたらいかがですか?」と
諺や格言を使って伝えてくれている訳です。

そして
私たちが 自然に 当たり前に 素直に生きる時
それを導いてくれているのが 見守ってくれているのが
それこそが「神」なのではないでしょうか。
つまり彼は 神を必ずしもキリスト教のものとして捉えていたのでは無く
何か自然と結び付いたもの あるいは 宇宙と結び付いたものとして
捉えていたのではないでしょうか。

諺や格言によって=道徳によって 人はより幸せな人生を
より豊かな人生を生きるヒントを得ることが出来るかもしれません。 
諺や格言が より幸せな人生への より豊かな人生への導きになるかもしれません。
しかし
人間の世の中だけではなく それよりももっと大きな視点で見ると
そこには 「自然」というものがあり
私たち人間もまた 自然の中の一部であり
そして それら人間をも含めた自然を導き 見守っているのが
「神」であると 彼は捉えていたのではないでしょうか。

だからこそ
彼は 神の視点でこの地上を見下ろす構図で
この地上を見守っている神の視点で 絵を描いたのではないでしょうか。
それはすなわち
一人一人の人間の人生を見守る視点です。
決して イタリア・ルネッサンスのような
人間の視点ではありません。
人間が神を仰ぎ見る視点でもありません。
人間を 原罪を背負った「罪人」として見る視点でもありません。
最後の審判を下す神の視点でもありません。

自然の中での人間の生を見守るものとしての「神」を
ブリューゲルは描き出しているのではないでしょうか。
それは 人間一人一人の存在を 生きる姿を
「いとおしいもの」「愛すべきもの」として捉えている視点です。
だからこそ 彼は 人間をテーマとして絵を描きました。
そして 彼がそのような 神の視点で絵を描いたのは
すなわち 彼自身がそのような
人間を「いとおしいもの」「愛すべきもの」として捉えている
つまり 彼の人間への愛の表われではないでしょうか。
そして それこそが 彼の「悟り」ではないでしょうか。



なぜ 私たちはブリューゲルの絵を「素晴らしい」と感じるのでしょうか?
私たちは 彼の絵の何を「素晴らしい」と感じるのでしょうか?
なぜ彼の絵は  450年以上の年月にわたって
人々の目と心とを惹き付け続けてきたのでしょうか?

それは 彼がこのよう悟りで絵を描いていたからではないでしょうか。
彼の絵に このような彼の悟りが表れているからではないでしょうか。

真の芸術とは「宇宙の普遍性」というものが現れているものなのです。


(2007/03/07)



【付記:悟りの四段階】

ブリューゲルは 悟りの段階として この四つを挙げています。
1)知る
2)理解する
3)実行できるようになる
4)そのものになる


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