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アールヌーボーと音楽

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幸也は 三十六簧活斗鍵打笙という中国の楽器を使って
主に自分で作った曲を演奏しているのですが
特に東洋風の曲を作っている訳ではありません。
どちらかというと 西洋クラシック音楽のオーケストラの響きに近いものを
シンセサイザーで作って伴奏に使い
そこに三十六簧活斗鍵打笙のメロディーが加わる形をとっています。
それによって特に東洋的でもなく 特に西洋的でもないという
音の響きを作っている訳です。
逆に言うと 東洋的でもあり かつ
西洋的でもある音楽を作って演奏していることになります。

東洋風・西洋風という二つの種類を挙げましたが
音楽の分類の仕方で 地域的では無い分け方として
宗教的な目的 あるいは雰囲気を持った神聖な音楽と
世俗的な音楽 という二種類に分けることもできるかと思います。
西洋音楽の歴史においては
グレゴリア聖歌からルネッサンスの多声音楽
そしてバロック音楽の時代までは 宗教音楽が基本でした。
しかし だんだんと宗教的な雰囲気・目的を持たない
世俗音楽が増えて来ました。つまり
サロンで演奏される音楽 食事の時の音楽  恋愛をテーマにした歌劇などです。
そして そういった世俗音楽の演奏は 宗教音楽の演奏とは
当然のことながらスタイルが違います。
宗教音楽では 宗教的内容を伝える歌詞が重要でした。
しかし 世俗音楽では 歌詞が必ずしも必要ではないので
器楽音楽が主流になりました。
それに伴って
作曲家の「個」 演奏者の「個」をはっきりと出す演奏形態が発達しました。
いわゆる 演奏者の「名人芸」を聴かせる演奏もその一つです。
宗教的な内容を伝えるのでは無く
作曲家や演奏家個人の感情・思想・技術等を現すことが目的になりました。
絵画の世界でも同じような流れがありました。
宗教画(=キリスト教カトリックの絵画)が主だった時代から
ルネッサンスに入って 画家の「個」を表す表現へと変わっていきました。

今から およそ百年前にヨーロッパにおいて
「アール・ヌーボー」という芸術様式が一世を風靡しました。
19世紀末から 20世紀初めにかけての 僅か30年ほどの短い期間でしたが
そのアール・ヌーボー様式の中心となったのが ベルギーでした。
特に ブリュッセルのVictor Horta (ヴィクトール・オルタ)
建築におけるアール・ヌーボーの先駆者として
その作品が世界遺産に登録されていますが
そもそもは イギリスで室内装飾として始まり
「アーツ・アンド・クラフト運動」と結びつき
絵画の「前ラファエロ派」を経て 海を越えて大陸へと渡ってきた流れが
ベルギーにおいて 他の様々な分野へ発展し
総合芸術的なアール・ヌーボー様式へと発展していった訳です。

この アール・ヌーボー様式の特色としては
曲線を多く使い 滑らかさを強調していることが第一に挙げられるかと思います。
アール・ヌーボー様式が目指したものは
そのキーワードが「夢」と「青春」であったことからも分かる様に
生活に関わる全てのものが美しくあるように
若々しくあるように 清純であるように という理念を掲げ
かつそれを実生活で実現していく ということでした。
つまり 単なる理想主義では無く
理想を現実のものにするということを実行していった様式でした。
あるいは 生活そのものが芸術であるべきだ
ということを目指していたとも言えます。

アール・ヌーボー様式は 特に建築と絵画において広まりましたが
実際には 建物とその中に含まれる全てのもの
すなわち生活に関わる全てのものが含まれていました。
アール・ヌーボー様式は
室内装飾・家具・調度品・窓やドアの建具・食器などをも含んだ
あるいは音楽や文学にも及ぶ
総合芸術になりましたが
その理由が 先に挙げたアール・ヌーボーの
「生活に関わる全てのものが美しくあるべきだ」
という理念からきていることはお分かり頂けるかと思います。

音楽におけるアール・ヌーボー様式は それ程には知られていませんが
ウィーンのツェムリンスキーがその代表とされています。
あるいは グスタフ・マーラーも含まれるかもしれません。
(ツェムリンスキーはマーラー夫人の作曲の先生でした)

音楽においても 基本的には他のジャンルと同じように 曲線的であり かつ
「夢」「青春」「美しさ」「若々しさ」「清純」「神秘性」
といったものがその根底にあります。
これらの特色は 特に絵画において
たとえば 年老いた人は描かれていないこと
あるいはしばしば中性的な 男性とも女性とも分からない人が描かれていること
などに顕著に現れています。

幸也の音楽は 様式的には
この アール・ヌーボーにとても近いものではないかと思っています。
つまり 曲線的であり かつ
「夢」「青春」「美しさ」「若々しさ」「清純」「神秘性」といったものも
感じ取って頂けるのではないかと思います。

文学におけるアール・ヌーボーの代表は
ベルギー出身の作家マーテルリンクによる「青い鳥」です。

アール・ヌーボー様式は ベルギーから他の国々へと広まっていきましたが
それぞれの土地で 違った発展を遂げました。
ですので 建築においても ウィーンもプラハもナンシーも
  同じ「アール・ヌーボー様式」とは言いながらも
かなり違った表情をしている訳です。
特に Victor Hortaとの対極にあるのが
グラスゴーのMacintoshではないかと思います。
Hortaの幾つかの作品を見てみますと
彼の多用した曲線が 直線部分と調和していないのが感じられます。
曲線を使えば使うほどに 直線部分との不調和を感じさせてしまっているのです。
そして彼は40才頃には早々とアール・ヌーボー様式に見切りをつけて
直線を多用したアールデコ様式へと移っていきました。
これは多分 彼が直線と曲線とを
融合させられなかったことが原因となっているのではないかと思います。
それに対して Macintoshは より多くの直線を使いながらも
曲線と直線とを全くの違和感無しに融合させています。
この違いは一体 何処から来ているのでしょうか。
それは 二人の作品を見比べてみると感じ取れるのですが
Hortaの作品からは 「この世」しか感じられないのに対して
Macintoshの作品には 「この世」と「あの世」が感じ取れることに
あるのではないかと思います。
つまり 自然界には直線は無い として
植物などに現れている曲線を模したところにHortaの出発点があったのに対して
Macintoshでは 「この世」と「あの世」
 つまり「天」と「地」とをつなぐ意識が
 直線となり 曲線となって表れているのが感じられるのです。
眼に見える現象界には直線は不自然なものかもしれませんが
眼に見えない 意識の世界では直線は逆に自然なものであり
決して曲線と対立するものではないことを
二人の作品が表しているように感じられます。

これは アール・ヌーボーの先駆けとなったイギリスの前ラファエロ派が
その名のとおり ラファエロ以前の画家の精神に戻ることを目指したのと
通じているのではないかと思います。
ラファエロ以後の 宗教性から離れて退廃した絵画から
それ以前の 全てのものを美しく創った神の世界を現すための絵画
全てのものを美しく創った神の想いを現すための絵画へと戻ろうという理念
つまり 神の世界とこの世とを対立させない考え方だからです。

そもそも Horta以後のアール・ヌーボーのもう一つの特徴となったのが
「夢」 あるいは「潜在意識」とのつながりを重視するということでした。
心理学的に言えば 夢 あるいは潜在意識という言葉にはなりますが
これは違う言い方をすれば
まさに「あの世」とのつながりを言っている訳です。

幸也の音楽が アール・ヌーボーのスタイルに近いという
そのもう一つの理由が この点です。
私達は 「あの世」の中に含まれている「この世」に住んでいるのであって
従って 「あの世」と「この世」とはひとつながりです。
だということは 私達が
潜在意識の世界 あるいは夢の世界に生きているのが本来であり
いわゆる「現実」(=この世)とされるものが
実は 大きな世界の中でのごく限定された一部分であることが
分かるのではないかと思います。
そして更に どちらでのあり方が実は自然なのかも
容易に理解できるのではないかと思います。
ですので
幸也の音楽を聴かれた皆様が
このような点をも
この世は あの世の一部であり
この世とあの世とはひとつながりであり
その中で 意識は真っ直ぐと
対象が眼に見える見えないに関わらず
対象へと向かっていく
(その対象を 幸也は「宇宙エネルギー」あるいは「神」として認識していますが)
繋がっていく感じを受け取って頂けたならば幸いです。


(2004年11月の演奏会でのお話を元に文章化したものです)


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