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《宇宙の揺り籠》

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》《音と言葉》 → 《宇宙の揺り籠》


ここに掲載した文章は
曲集〔 宇宙の揺り籠 〕Op.154の映像作品において
音楽に添えられたものです。

曲の長さや フレーズの展開に合わせて文章を書いていますので
文としての形が整ってるわけではありません。

この曲集は それぞれの曲の印象を色と結び付けて
それに即した内容の文を付けてあります。

〔 宇宙の揺り籠 〕

①白い(まゆ)の子守歌

(すみ)色の五彩(ごさい)

東雲(しののめ)色のまどろみ

(もも)色の水玉

()の花色の真珠

琥珀(こはく)色の風~太古から

(しろがね)色の神殿

瑠璃(るり)色のゆりかご

天色(あまいろ)の宇宙の図書館

朱鷺(とき)色に包まれて

(だいだい)色のしるし

翡翠(ひすい)色の鳥

透明色(とうめい)は多彩色

紫紺(しこん)の思いは光の故郷(ふるさと)

(にじ)を駆け昇る

金茶(きんちゃ)色の衣

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① 白い繭の子守歌

私たちはたくさんのことを忘れて生きています。
自分たちがどこにいるのかでさえ忘れています。
私たちは 地球の上にいて 宇宙の中にいるのです。
私たちは 宇宙から生まれ 宇宙の中で育ち
宇宙の中で生きています。
宇宙とは 全ての存在を 生み出し 育み 生かしています。
つまり 宇宙は私たちの揺り籠なのです。
それなのに 私たち人間はその揺り籠の中で
あくせく働き 諍い合い 争い合って生きています。
なぜ?  どうして?  何のために?

私たちは 宇宙という揺り籠の中で
安らぎに包まれて生きているのが本来のあり方なのです。
それなのに なぜそうしないのでしょう?
思い出しましょう。
宇宙は私たちの揺り籠であることを。
その中で 平穏に満たされ
歓びと調和に満たされて生きて良いんだということを。

宇宙は 私たちの繭なのです。
その中で平安に満たされていて良いのです。
宇宙は 私たちのために子守歌を歌ってくれています。
心を澄ませて その子守歌に耳を傾けてみましょう。

蚕は身を守るために繭の中で育ちます。
でも 私たちは何からも自分を守る必要は無いのです。

宇宙は 私たちの揺り籠。
宇宙は 私たちの繭。
抱かれていることを感じられますか?


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② 墨色の五彩

宇宙の始まり それは
「無」から始まったのでしょうか?
暗黒から始まったのでしょうか?
「無」とは 暗黒だったのでしょうか?
「無」から「有」が生み出されたのだとしたら
本当に不思議です。

宇宙の原色は「金色」です。
暗黒から始まったのだとしたらば
どうやって金色に変わっていったのでしょうか?

本当に宇宙は 無から有が生み出されたのでしょうか?

墨色の夜空に 幾多の星々が瞬く。
瞬いている星=恒星は
この銀河の中に千億もある。
そして この宇宙の中には
銀河が千億もある。
とてつもない数のこれらの星々は
一体どうやって どこから生み出されたのだろう?

暗黒から墨色への変化。
見た目では分からないかもしれないけれど
実は とても大きな変化なのでしょうか。

宇宙が生み出され その中にたくさんの星々が生み出され
それらが銀河に形作られる。

そして 私たち一人ひとりの人間もまた
宇宙の中に生み出された存在。

暗黒に見える夜空は 実は様々な黒
たくさんの彩の黒。
その向こうに満ちている黄金の光と混ざり合っているから。

目を閉じれば真っ暗。
でも 実は黄金色の光に包まれているのが
見えるでしょうか・・・


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③ 東雲色のまどろみ

暗闇に閉ざされたかのような夜
東の方から空の色が刻々と移り変わっていく。
黒が 朝日の赤と混ざり合い 東雲色へと。

東雲は そもそも「篠の目」で
篠を裂いて作った明り取りの網戸から
ほのかに朝日が見える色合いを意味しています。

夜明けの空の色は やがて東雲色から
空色へと変わっていきますが
その途中で 金色と混ざり合います。

私たち人間が 地上のこの世に生まれ出て
その意識は刻々と「この世」に合わせて変化していきます。
あたかも 夜明け時の空のように。

けれども その変化を周りにいる大人たちは気付きません。
外からは見えないからです。

本当に大切なのは 身体の変化よりも 意識の変化なのに。
その両方の変化で「成長」なのに。

夜空にキラキラと瞬いていた星々が
夜が明けると見えなくなるように
私たち人間の意識も 生まれる前には
キラキラと輝いていたのに
この世に生まれると見えなくなってしまいます。

無くなったのではありません。
外からは見えなくなっただけです。
自分では意識があるのは分かりますから。

そして外から見えないからこそ
お互いにその意識を尊重せずに生きているのです。

本当は 誰もがその意識を輝かせて生きて良いのに・・・


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④ 桃色の水玉

心がウキウキした時には
心の中に桃色の水玉が漂います。

心がワクワクした時には
心の中に桃色のハートが漂います。

いえ
心の中に桃色の水玉やハートが漂っているのを
ウキウキとかワクワクと感じるのかもしれません。

その桃色の水玉やハートが
心の中でどんどん大きくなると
心が桃色で満たされます。

心の中が桃色で満たされている時は
すなわち 心が「愛」で満たされています。

あなたが「愛」そのものになっているのです。

でも 今まで 誰かを愛したのに
心の中が桃色で満たされなかった・・・
というのは
それは実は 誰かのことを愛したのではなくて
その人に愛されたかった それを
愛していたと勘違いしているのです。

心の中を満たしている
桃色のエネルギーが
自然と外に流れ出ていく
それが「愛している状態」です。

そう たいていの人は
「愛している」つもり なのです。
実は 「愛されたい」気持ちを
相手に押し付けているのです。

心の中が愛で満たされると
それは自然に外に流れ出て行きます。
光のキラキラと共に。

心の中に桃色の水玉やハートが漂った時
それが 自分の意識を輝かせている証しなのです。


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⑤ 卯の花色の真珠

子宮の中に宿った
私たち一人ひとりの初めの姿は
卯の花色の真珠のようです

ごく僅かに色付いた白
艶やかな輝き
歪みの無い整った球形

「白=しろ」は「死色=しいろ」
生の向こうの世界の色
その世界からこの世にやって来た
「魂」は 玉の形の生命の中心

子宮の中で始まる この世での人生
澄んだ心 輝いた心 整った心のままに
濁らずに くすまずに 歪まずに生きていく
卯の花色の真珠のままに


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⑥ 琥珀色の風~太古から

私たちの生命は 永遠です。
この地上での生は数十年ではあっても
生命そのものは永遠です。

幾度も この地上に生まれては死に
幾度も この地上での人生を生きてきました。

幾多の時代を経て生きてきた私たちは
古からのこの地球を知っているのです。

明確には思い出せなくても
心の中ではそれを覚えています。

古からの風・・・
古からの香り・・・
古からの空の色・・・

地上=この世に来る前のことを覚えていますか?
雲の上から この地上を見下ろしていたことを覚えていますか?
あの世からこの世を見ていた時のことを覚えていますか?
思い出せなくても 誰でもがそれを体験しています。

私たちの生命は 永遠です。
この地上での生は数十年ではあっても
生命そのものは永遠です。

私たちがどこから生まれてきたのかを自覚したらば
いつでも「今」を生きている と分かります。

古だと思っているものも 実は「今」なのです。
私たちの永遠の生命の。


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⑦ 銀色の神殿

神殿/寺院/仏閣/神社/教会・・・
それらは 神様が祀ってあり
お参りやお祈りや礼拝に行く場所です。

神殿は 神様がいる特別な場所なのです。

でも お参りって お祈りって 礼拝って
何なのでしょうか?

神殿にいる(はずの)神様に 何かをお願いすることなのでしょうか?

それぞれの宗教で 神様がいます。
どうして違う神様なのでしょうか?
神様って誰? 神様って何?

この一つの宇宙の中に どうしていろいろな神様がいるのでしょうか?

本当の神様は 宇宙そのものです。
その宇宙=神様に感謝し
いつでも一体であることを確認する。
それが神様と相対するということです。

心が落ち着き安らいでいる時には 耳の中に銀色の音が聞こえます。
神様が鳴らしている銀の鈴の音です。

本当は 私たち一人ひとりの心の中に神殿はあるのです。
そこに神様はいるのです。

私たちはいつでも 心の中の神殿の神様に話しかけ
その声を聞くことが出来るのです。

心を銀色(しろがねいろ)のように澄ませば
聞こえてくるはずです。


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⑧ 瑠璃色のゆりかご

宇宙を漂う 私たちを入れた瑠璃色の揺り籠 
平安と安泰とに包まれて

瑠璃色は 瑠璃石の色で 紫を帯びた濃い青です。
瑠璃石は 西洋ではラピス・ラズリと呼ばれ
古代から神聖な石として重宝されてきました。
ラピス=石 ラズリ=天/空/青 で
「群青の空の色の石」を意味しています。

ラピス・ラズリを粉状にした顔料ウルトラマリンは
西洋では聖母マリアの衣を描く色として使われました。
その色の衣で「天の女王」であることを表しています。

しかし 天国の色は 金色です。
青は空の色です。

人間は 長いこと「空」の更に上に「天」があるんだと思っていました。

でも 本来「天」とは「天界」であり「宇宙」のこと。
私たちも地球も宇宙の中にありますから
「天界」ははるか彼方にあるわけではありません。

「遠くにある」と思っている限り そこへは到達できません。
いつでも遠くにあるのですから。

地球を外から見ればわかります。
空は上にあるのではなくて 空が地球を覆っているのです。
そして地球は 宇宙の中にあるのです。

宇宙を漂う 私たちを入れた瑠璃色の揺り籠 
その中で 誰もが「あるがまま」でいることが すなわち
宇宙に身も心も委ねているということなのです。


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⑨ 天色の宇宙の図書館

宇宙とは叡智です
宇宙には 叡智が遍在しています

心を落ち着けて座し 手のひらを上に向ければ
宇宙の叡智が降り注いでいるのを受けとけることができます

宇宙という叡智の図書館の豊かな情報を 何の道具も使わずに受け取ることが出来るのです

天色(あまいろ)の天(そら)に心を向ける
だ田それだけのことを 多くの人たちはしていません

宇宙の豊かな叡智に気付かずに 地上での(どうでも良い)情報に気をとられ
思考も行動も右往左往させているのです

何も持たずにこの地上に生まれてきた私たちは 本当は
宇宙という揺り籠の中で すなわち 遍在する宇宙の叡智の中で生きているのです

青は理性の色 その青に天の光が混ざり合った天色に心を合わせることで
宇宙の叡智と繋がることができるのです


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⑩ 朱鷺色に包まれて

朱鷺は白い鳥ですが 春から夏にかけて 羽の下面に色が付きます
その特徴的な鮮やかな色から 朱鷺色と呼ばれるようになりました
昔は「桃花鳥」と書かれていましたが 今では「朱鷺」で
つまりは 桃色のような朱色のような色合いです

朱鷺色は 桃色よりも明るい色です
明るいということは 光が入っているからです

無条件の愛の色桃色に 宇宙の光が入ってくると朱鷺色になります
朱鷺は 昔は日本のどこにでも居ましたが
明治時代に入ってから 肉と羽を取るために乱獲され 絶滅しました
人間のエゴによって絶滅させられたのです
「自分の利益」「自分の(目先の)儲け」「自分の都合」しか考えない人間たちによって
そして人間は 人間同士でもそれをしています
それがいかに愚かなことであるのかにも気付かずに 

朱鷺色に 無条件の愛の色桃色と 宇宙の光とを見ることができる人は
愛と光として この世でも生きている人です


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⑪ 橙色のしるし

橙は ヒマラヤが原産で日本にもたらされました
冬に熟す実の色が橙色です
春になると 実は緑色に戻りますが
実はそのまま数年間は枝に付いたままです
ですので「代々(だいだい)」と呼ばれるようになりました
そして 「代々」の意味から縁起物として正月の飾りに使われ続けてきました

橙色は よく見ると「黄金色」と「桃色」が合わさっているようです
宇宙の原色である金色の 物質界での代表が黄金です
桃色は無条件の愛の色です

私たち人間は 肉体という物質と心という非物質との存在です
私たちは 実は黄金(の肉体)と桃色(の愛の心)との存在なのです
そして この地上において親から子へと代々 子孫が続いていきます

目を瞑って 自分の肉体が黄金であることを感じてみましょう
そして その肉体から桃色の無条件の愛の心が湧き出てくるのを感じてみましょう

私たちは 黄金と桃色の合わさった橙色の存在です
そして 心の中に湧いた愛は 肉体を離れてどこかへと飛んで行きます
そうやって 私たちは愛の気持ちを振り撒きながら生きている橙色の存在なのです


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⑫ 翡翠色の鳥

翡翠色の鳥 かわせみ
彩の美しさから「飛ぶ宝石」「清流の宝石」の異名を持ちます

翠の字は「卒=混じりけの無い」きれいな色の「羽」を持つ鳥 という意味で
翡は雄で 翠が雌 です
青緑色ですが 雌の翠の方は緑が強く
なので 翠は「みどり」と読まれます

その色の宝石が 翡翠玉
古代から美しい色の宝石として珍重されてきました

かわせみの羽の美しい色は 光り輝きます

その姿で 私たち人間に見せてくれているのでしょうか
「もっと自由に飛んでいいんだよ」
「もっと彩り豊かに美しく生きていいんだよ」
「もっと輝いて生きていいんだよ」と

でも 人間は自力では飛べないし…
彩り豊かになれないし…
お化粧しても輝かない肌だし…
と思った人は
心と想像力とを使いましょう

私たちは 心をどこに飛ばすこともできます
地球の反対側に居る人のことを想うこともできます

私たちの想像力は どこまでも膨らますことができます
今まで地上には存在していなかったものを想像することもできます

でも 何に心や想像力を使いたいのでしょうか?
何のために使いたいのでしょうか?

混じりけの無い美しい心を飛ばすことで
宇宙の彩をより一層美しくしたいのです


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⑬ 透明色は多彩色

透明色?
透明は 色ではありません
色が付いていないのが透明なのですから

でも その透明を良く見てみると
いや その中に何があるか良く感じ取ろうとしてみると
透明の中には 実はたくさんの色が含まれているのが分かる
透明とは 本当は多彩なのです

私たちの心は 多彩です
私たちの想像力は 多彩です
いろいろなことを考え 想像することができます

もし 心の中が一色だったらば・・・・・・
もし 頭の中が一色だったらば・・・
多彩な考え方は出来ません
多彩な想像は出来ません

本当は 私たちは自由に豊かにいろいろのことを考え想像することができるはずです
でも…なぜか いつも同じようなことばかりを考えている・・・
同じような言葉を頭の中で堂々巡りさせている・・・

私たちの心が 透明であれば
多彩な考え方が出来るのです
多彩な想像ができるのです
そして 世の中の人間もものごとも 多彩であることを感じ認めることができるのです
そして 透明な心でこそ 彩り豊かな宇宙の一部であることを実感できるのです


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⑭ 紫紺の思いは光の故郷へ

夜空を見上げてみると 漆黒のようでいて 紫紺色に見えるかもしれません
紫紺=紺が入ったとても濃い紫色に

紫色は 世界各地で古代から「神聖な色」とされてきました
ですから 紫色の服を聖職者が着たり
紫色の宝石(アメジスト)が神事に使われたり

なぜならば 紫色は「この世」=物質世界と「あの世」=非物質世界との境目の色だからです
だからこそ 「神様」や「心」という非物質界と関わる宗教で重視されてきました

宇宙とは 非物質世界(あの世)の中に 物質世界(この世)があります
紫色はその二つの世界を結ぶ色なのです

冬から春になる季節 一番初めに咲くのは紫色の花です
生命力という非物質エネルギーが 花という物質として咲くことの現れです

しかし それだからこそ 物質としての儚さを表す色でもあります
物質世界(この世)は 非物質世界(あの世)の中のごく僅かな一部にしか過ぎないのです
宇宙という無限大のエネルギー体の中での とても制限された世界が「この世」(物質界)なのですから

そう 私たちは この世=物質界に居るからこそ 宇宙の無限大のエネルギーというものを実感できずにいるのです

物質としての宇宙空間である夜空を見上げてみると
漆黒のようでいて 紫紺色にみえるかもしれません
それが 宇宙の物質世界(この世)と非物質世界(あの世)との境を見ているということなのです
そしてそれが 私たちの光の故郷である宇宙に心を開いているということなのです


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⑮ 虹を駆け昇る

七色の虹
赤 / 橙 / 黄 / 緑 / 青 / 紺 / 紫

と言われていて そう見えるけれど・・・
でも良く見てみると その七色の間にはいろいろな色がある

「色」は いろいろあるから 「いろ」
七色の間にはいろいろな色がある

そう 私たちは「思い込み」や「決まりごと」で
ものごとの本当の様相を見ていないのです

世の中は多様なのに 動物も植物も多様なのに
そして 人間も多様なのに

宇宙とは すなわち多様性です
宇宙は 自らの中の多様な有様を歓び慈しんでいるのです

そのような存在の内の一つが 私たち人間なのです

そして 一人ひとりが多様に生きて良いのです
「自分はこういう人間」と決め付けないで

私たち地球人類は 余りにも不自由に生きてきました
「地球」という檻の中で・・・

でも 宇宙の多様性に目を向けて 自由に生きて良いのです

七色よりもずっと多くの色の虹を駆け昇るように


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⑯ 金茶色の衣

古い箪笥にしまってある
幾世代も我が家に伝えられてきた金茶色の衣

よく見ると ほのかに輝いている
金茶色の生地に 金の糸が使われているのが見える…

そもそもは 何のための衣だったのだろう
正装とか晴れ着とかだったのだろうか

そっと広げて 袖を通してみる
何だか 気持ちが引き締まる感じがする
そして 何かを思い出す感じがする

私たちは 本来は誰もが金色に輝く光です
私たちは宇宙の一部であり 宇宙の原色は金色だからです

それなのに それを私たちは忘れてしまっています
肉体という器の中に 光は隠れてしまっているのです

自我という器の中に 光は隠れてしまっているのです
自分自身の光も見えない 他人の光も見えない

自らが光であることに気付かないでいるから
それを輝かそうとしない
その光で身の周りを照らそうとしない

思い出しましょう 
私たちは 本来は誰もが金色に輝く光なのです

なぜならば 宇宙という金色の光の中の一部だからです。

その宇宙という揺り籠の中で 
生まれたままの あるがままの 金色の光として存在して良いのです





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