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染脳から解かれよう

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》《祈りの言葉》 → 《染脳から解かれよう》


地球人類はこれまで いろいろなことで何かを思い込まされ あるいは騙されてきました。
世の中のほぼ全てに関して とも言えるほどに様々なことで。

そういうことを一般的には「洗脳」と言うようですが しかし
この言葉は間違っています。
「脳を洗う」のですか?
洗うことの何かがいけないのですか?
例えば「心が洗われる」という言い方があります。
これもいけないことなのですか?
洗うというのは 汚れているものをきれいにするということです。
何も悪いことではありません。
服を洗濯することはいけないのですか?
風呂で身体を洗うことはいけないのですか? それなのに なぜ「脳を洗う」のだけはいけないことなのでしょうか?

本当は「染脳」なのです。
「他人の脳を特定の色に染める」ということなのです。
そういう言葉の意味を考えずに 単に
「世の中でそう言われているから」という理由で使い続ける
それがまさに「染脳」されているということなのです。

「洗脳」は 英語の「brain wash」の直訳です。
これと関連した言葉で 「マインドコントロール」というのがあります。
これもまた 本来は単に「思考を管理する」ということですから何ら否定的な意味は無いのに
一般には「他人から思考を管理される」という意味で使われています。
(それがために 自己脳力開発のはしりであるシルヴァ・マインド・コントロールは
シルヴァ・メソッドと名称を変えざるを得なくなりました。)
ということは ここでもう一つの人間の特性に気付けるわけです。
「ものごとを否定的に解釈したがる」という。

これまで語られてきた歴史は ほぼ全てが間違っています。
「真実の歴史」ではありませんでした。
誰かが誰かにとって都合の良いように書いたものが歴史でした。
ということは 全てが「歴史風物語」だったのです。

これまで語られてきた科学は ほぼ全て間違っています。
「真実の科学」ではありませんでした。
地球人類の認識力は 宇宙を理解するほどには成長できていないのです。
その「成長できていない」ということを自覚せずに
「全ては解明された」などといううぬぼれを「科学」と言って来ました。

そして 上記のように言葉の使い方も間違ってきました。
言語は時代と共に変化してきましたが その変化とは
「どんどんと間違っていった」ということなのです。
例えば「新た」の形容詞形は「あらたしい」でした。
それが「あたらしい」と(間違って)言う人が多くなって いつの間にか
「あらたしい」ではなく「あたらしい」の方が正しいかのようになってしまいました。
そして 言葉の意味もまた間違って広まってしまったものが多くあります。
日本の外来語(=カタカナ言葉)の多くは 本来の意味とは違っています。
けれども 「日本語の中の外来語」として定着してしまっています。
例えば 日本で言う「ホームページ」は 英語のhome pageではありません。
日本で言う「ホームページ」は 英語ではwebsiteです。
Websiteを開いた最初のページをhome pageと言います。
ところが日本人は websiteをホームページと言うようにしてしまったのです。
そうすると 本来のhome pageはどう言ったら良いのでしょうか?
そこで日本では「トップページ」という言葉を作り出しました。
Website ⇒ ホームページ
Home page ⇒ トップページ
ということになってしまったのです。
これは 一旦嘘をつき始めるとそれを誤魔化すために
更に嘘の上塗りをしなければならなくなるのと似ています。
あるいは「ボタンの掛け違い」という言い方も出来ますが。

では どうしてそういうことが起きるのでしょうか?
それは 「ものごとの中身」を見ないからです。
表面的な受け取り方しかしないからです。
意味を捉えないからです。
私たち地球人類は ひたすらそのような
「ものごとの中身を見ない」「意味を捉えない」生き方をしてきたのです。
そしてそれは「真実を知ろうとしない」ということなのです。
地球人類の歴史とは 「真実を知ろうとしない」その積み重ねだったのです。

あなたは それを続けていきたいですか?

言語というものは 非常に大雑把な伝達の道具です。
先ず第一に 言葉では そのものを表現することは出来ません。
例えば 五感で感じていることを言葉では表現できません。
味や匂いや色などを言葉で表現できますか? できません。
そして第二に それぞれの単語の意味や概念を 誰もが同じに捉えているわけでは無いということです。
人によって違う意味・概念で理解しているのです。
ということは 発信されたものがそのままに受信されるのではないということになります。
私たちは どんな言葉であっても必ず「自分の言語」に翻訳しているのです。
それらのに 地球人類の多くは「自分の解釈」で受け取った他人の言葉を「真実」であるとして
自ら「洗脳」されることを選んできたのです。
そういう 非常に大雑把な伝達の道具である言語の中でも
特に大雑把なのが英語です。
これがまさに 今日英語が国際語となっている理由なのです。
様々な言語の中でも最も大雑把であるということが。
つまり地球人類は 言葉という大雑把な伝達の道具を使いながら かつ
その中でも最も粗雑な表現しか出来ない英語という言語を使うという選択をしているのです。
それで一体何が伝わるのでしょうか?
そして 多くの人は言語を使って思考をしています。
では そのような大雑把な言語で一体どういう思考が出来るのでしょうか?

実はこれが 「真実を知ろうとしない」ことと関わっているのです。
真実を知ろうとしたらば 大雑把な言語というものに頼ったりはしません。
何かを本当に共有したり共感し合ったりしたかったらば 言語を使わずに
他の方法を取るはずです。
ということは 私たち地球人類は ものごとを共有したり共感したりすることを避けてきたのです。

なぜでしょうか?
「自分さえ良ければ」という自我=エゴを基本に生きているからです。
その「自分さえ良ければ」という生き方をしていくためには
「真実を知ろうとしない」ことが必要なのです。
もし真実を知ってしまったらば そういう生き方を否定せざるを得ないからです。
もし真実を知ってしまったらば 私たち誰もが真に幸せに生きることが出来るのです。
もし真実を知ってしまったらば 私たちは真に充実した豊かな人生を生きられるのです。
それなのに 私たちはそれを避けてきたのです!!

あなたは それを続けていきたいですか?

今の時代とは まさにそれが問われているのです。
それは 「染脳」されたまま(=真実を知ろうとせずに)生きていきたいのか それとも
「洗脳」して頭の中をきれいにし 真実に目を開きそれを受け入れて
真に充実した豊かな幸せな人生を生きていきたいのかの選択でもあります。



(2021/12/17)



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