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【① フランダース伯爵領】
【② ブルゴーニュ公国】
【③ なぜ栄えたのか】
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【① フランダース伯爵領】
フランダース伯爵領とは ヨーロッパ北西部の大西洋に面した一地域で
フランダース伯爵によって治められていた土地であり
今日では(そのほとんどが)ベルギーと
(一部が)オランダ南西部とフランス北西部にまたがっています。
(フランダース=英語 フランドル=フランス語 フラーンデレン=オランダ語 です。
この地域で使われている言語はオランダ語ですが
日本ではオランダ語のフラーンデレンという言い方はなじみが無く
しかし 英語文学の「フランダースの犬」が知られたために
英語からのカタカナ書きが一般化しています。)
このフランダース伯爵領は 中世のヨーロッパにおいて
最も繁栄した地域でした。
九世紀半ばに成立したフランダース伯爵領は やがて
毛織物産業と広域貿易とによって四百年間繁栄します。
イギリスで採れた羊毛は ヨーロッパ内で最も質が高く
その羊毛を輸入して織物に仕立てたフランダース産の毛織物は
ヨーロッパ内で最高の品質として重宝されました。
そして 原料の羊毛をイギリスから荷揚げし
出来た毛織物製品をヨーロッパ各地へと出荷する
広域(国際)貿易が盛んになりました。
貿易で扱うものはどんどんと増えていきましたが
主に「効率良く儲けられるもの」を扱ったがために
ヨーロッパ内でも商業活動の中心となりました。
(「効率良く儲けられるもの」とは
①高価で ②軽くて ③かさばらないもの すなわち
①宝石/貴金属類 ②香辛料 ③高級織物 などでした。)
毛織物産業は 他の製造業の振興にも影響を与えました。
装飾性豊かな高級品が生産されたのです。
それらは 主にキリスト教会において使われるものでした。
あるいは 貴族や裕福な商人たちの家で使われるものでした。
フランダース伯爵領では 多くの商人や職人が暮らし 活動し
ヨーロッパ内で最も商人/職人が多く集って都市を形成し
すなわち ヨーロッパ内において最も多くの都市が密集している
ヨーロッパ内で最も人口密度の高い地域となりました。
それらの商人/職人たちは 都市の中において
都市の運営を自分たちの手で成すようになりました。
つまり 領主は統治はしていても 都市の政治には直接は関わらない
商人と職人とによる「自由都市」が形成されました。
その「自由都市」の象徴として 都市の中心には「鐘楼」が建てられました。
(今日では「フランダース地方の鐘楼群」として世界遺産に登録されています。)
都市には 市民による行政の象徴として 立派な市庁舎が建てられ
商人や職人たちは競って立派なギルドハウスを建てました。
特に裕福だったのは毛織物を扱う職人や商人ですので
どの都市にも壮麗な毛織物館が建てられました。
そして ヨーロッパはキリスト教社会ですので
どの都市も競って「ヨーロッパで最も素晴しい教会」を建てようとしました。
(フランダース伯爵領が繁栄した四百年間と
ゴチック様式が繁栄した四百年間とは ほぼ重なっていますので
フランダース伯爵領内では「立派な建物=ゴチック様式」で建てられました。)
広域貿易は国際貿易となり ヨーロッパ内でも最も高価な貴重な物資が取引されました。
この時代には 運送は水上輸送が基本でしたので
船が発着できることが都市の繁栄の条件でした。
海に近いブルージュが特に港町として繁栄し また
内地へは川を使っての運搬ですので 川の通じている所が
都市として繁栄しました。
この時代の貨幣は それぞれの都市で発行されたもので
つまり その都市の中でだけ使えるものでした。
しかし 貿易の範囲が広がったために 両替を介して
様々な地域の貨幣を使いながらの「貨幣による売買」が成立するようになりました。
これによって フランダース伯爵領は世界で初めて
「国際間貿易」と「国際金融社会」が始まった地域となりました。
そして このフランダース伯爵領は 1384年にブルゴーニュ公国に編入され
それからの百年 更なる繁栄の時代を迎えました。
【② ブルゴーニュ公国】
ブルゴーニュ公爵家は 10世紀初めにフランス王家から分離して成立しました。
ブルゴーニュ地方はそもそも ワインの産地ですが
ワイン作りに適した葡萄の種類を選定し栽培することによって
その質と生産量とを高めました。
ブルゴーニュ公爵家は どんどんと領地を拡大し やがて
フランダース伯爵領(1384~)や
ブラバント公爵領(1430~)をも統治下に置くようになりました。
ブラバント公爵領はフランダース伯爵領よりも内地(=東側)にある地域で
フランダース伯爵領よりも後の時代に 毛織物産業と貿易業とによって繁栄しました。
(代表的な都市は ブリュッセル/アントワープ/メッヒェレン/リール/ルーヴェンなどです。)
この二つの ヨーロッパ内で最も繁栄していた地域を併合したことによって
ブルゴーニュ公国は ヨーロッパ内で最も重要な地域となります。
すなわち 経済的に繁栄したのみならず
文化/芸術においても ヨーロッパ内で最も高い水準に達したのです。
彫金細工を初めとする 金属工業が盛んになりました。
ヨーロッパ内で最も質が高い毛織物製品(特にタペストリーや高級服飾)を生産しました。
西洋音楽(多声音楽)が発明され ブルゴーニュ公国出身の音楽家たちが
ヨーロッパ各地の宮廷や教会で重宝されました。
油絵の具が発明されたことにより 西洋絵画の概念が大きく変わり
ブルゴーニュ公国出身の画家たちがヨーロッパ各地で絶賛されました。
ヨーロッパ有数の木彫り彫刻の産地となり
素晴しい祭壇/オルガン/説教台が製作されました。
(特に「アントワープの祭壇」は一世を風靡しました。)
豪華で壮麗な手書き本の制作 後には印刷本の出版においても
ヨーロッパ内で最も重要な地域となりました。
ブルゴーニュ公爵家は 領土内の各地に宮殿を建て
そこに芸術家たちを招いて あるいは宮廷音楽家/宮廷画家に指名して
活躍させました。
ブルゴーニュ公爵家に子供が生まれると
大規模な祝宴が開かれ そこではワインが湯水のごとくに振舞われました。
【③ なぜ栄えたのか】
①フランダース伯爵とブルゴーニュ公爵の理念
フランダース伯爵家もブルゴーニュ公爵家も
そもそもは フランス王家から分かれたものです。
フランスは メロヴィング朝から始まったフランク王国が母体と成っており
その後王家は入れ替わってはいますが
家系というのは 物質的な血筋が繋がっているかどうかと
非物質的な 理念が伝わっているかの 二つの面があります。
重要なのは 物質的な血の繋がりではありません。
霊的な繋がり あるいは理念の繋がりが重要なのです。
メロヴィング朝に始まったフランク王国における王家の基本は
「統治しない」ということでした。
丁度日本の天皇家のように 「祭祀王」としての存在であり
政治は「政治王」がするという ユダヤの伝統を引き継いだものでした。
つまり「国王」とは言いながらも 政治を司るのでは無く
民衆の平和な生活を祈っていたのです。
フランス王家は だんだんとこれを忘れていってしまいましたが
フランダース伯爵家とブルゴーニュ公爵家は それを保ち続けたのです。
ですから「ブルゴーニュ公爵領内には 貧しい人が一人でもいたらばいけない」
という理念を掲げていたのです。
そして その首都ディジョン近くのボーヌの町に
施療院が宰相の自費によって開設され ヨーロッパを代表する「神の家」となりました。
(これは フランダース伯爵領のベギン会を参考にしたものです。)
1430年にブルージュにおいて ブルゴーニュ公爵のフィリップ善良公によって
「金の羊毛騎士団」が結成されました。
これは 当初ヨーロッパ中の24人の貴族だけが参加できたもので
結成後すぐにヨーロッパ内で最も権威ある世俗騎士団となりました。
この「金の羊毛騎士団」は 一体何をしたのでしょうか?
キリスト教カトリックの教えでは無い
イエス・キリストの本当の教えに従って生きようということを理念としていました。
(その百年前に 異端として弾圧され解散させられた
「聖堂騎士団=テンプル騎士団」の理念を引き継いだものです。)
「人間は(生まれながらの)罪人ではない」と 原罪を否定し
「イエス・キリストが唯一の神の子なのでは無く」「全ての人は神の子である」として
全ての人が幸せに生きる道を説いたものでした。
ブルージュは このブルゴーニュ公国に編入されていた時代(1384~1477)に最盛期を迎えました。
なぜ ヨーロッパ有数の商業都市として栄えることが出来たのでしょうか?
それは 外国人商人たちに 自由に商売をしても良いと門戸を開いたからです。
そして それら外国人商人も 地元の商人も同じように儲けたお金を使ったのです。
②キリスト教カトリックの社会
16世紀に宗教改革が起きるまでは ヨーロッパは
キリスト教のカトリックによって世の中全体が支配され統治されていました。
そのカトリックには 様々な問題点がありましたが
(だからこそ宗教改革が起きたのですけれども)
しかしその版面 カトリックの決まりごとが
(それがカトリックにとって都合の良いものとして作られたものではあっても)
良い方向に作用した点もまたあります。
カトリックにおいては「金持ちになるのは良くないことだ」とされていました。
新約聖書にも「金持ちが天国に入るのは 駱駝が針で開けた穴を通るのよりも難しい」
という言い方がされています。
これを根拠にカトリックは
「金持ちはたくさんの献金をするように=しないと天国へは行けない」
と言っていました。
そして 金持ちになった人たちは 実際にたくさんの献金をしたのです。
しかし「献金」とは 教会に直接お金を渡すだけではありません。
教会(宗教)に関わることに経済的な援助をするのも また献金です。
あるいは 財産が増えるのを避けるために 金持ちは社会事業に投資しました。
(この場合の投資とは 更に金儲けするためではありません。
喜捨という意味です。)
というのは 教会にお金を渡しても それを聖職者がどう使うかは分からなかったからです。
(その「どう使っていたか」が宗教改革の発端なのですから。)
だったら直接渡すよりも 「何のために」と目的を絞って
そこにお金をかけた方が納得できます。
そのようにして 商売がうまく行って儲かってしまった商人たちや
作品がどんどん売れて金持ちになった職人や芸術家たちが
世の中のいろいろな処に「喜捨」をしました。
教会の建築に 教会の内装に 彫刻や絵画に。
そして (特にフランダース伯爵領では)「神の家」が建てられました。
「神の家」とは 貧民院/救貧院/施療院のことで
裕福な家 あるいはギルドの出資によって建てられました。
また フランダース伯爵領の「ベギン会院」も同様です。
「ベギン会」は 結婚していない女性たちの生活共同体です。
カトリックでは「人間=結婚している」という定義でしたが
中世のヨーロッパでは女性の方が多い世の中だったので
結婚相手が見つからない女性たちも多かったのです。
フランダース伯爵領各地のベギン会院も
裕福な家(あるいは領主)の出資によって開設されました。
(16世紀にヨーロッパで一番の金持ちになったドイツのフッガー家は
アントワープに出張所を持っていましたが
ブルゴーニュ公国のフランダース伯爵領やブラバント公爵領での「神の家」やベギン会を真似て
本拠地アウグスブルクに同様の「フッガー屋敷」を開設しました。
ちなみに 五百年たった今でも 家賃は当時の金額のまま=1ライングルデン=0.88ユーロです。)
このようにして カトリックの「金持ちになるのは悪だ」という教義が
社会事業/社会福祉に出資することと
ある程度以上には財産を蓄えられない
という機能を果たしていたわけで これが
世の中の潤滑油となり 世の中を潤わせていたのです。
地元の商人も外国人商人も あるいは地元の職人や芸術家も他所から来た人たちも
ヨーロッパ有数の商業都市の地の利を活用して豊かになった人々は
同じように 社会のためにその財産を提供したのです。
つまり 「個人の儲け」ではあっても それを個人のものとはせずに
「社会のもの」としたのです。
都市の中には素晴しい建物(市庁舎/ギルドハウス/鐘楼/教会/邸宅など)が建てられ
教会の中は「神の栄光」を表すために装飾され
各種の芸術作品もまた「神の栄光」を表すために制作され
そして 「神の家(貧民院/救貧院/施療院)が建てられました。
その全てが「神の栄光」「神の慈愛」「神の慈悲」をこの地上において
神に代わって実現するものでした。
これが フランダース伯爵領/ブラバント公爵領/ブルゴーニュ公国が栄えた真の理由なのです。
「個人の金儲け」ではなく「社会のための金儲け」をしたのです。
しかし イタリアで始まったルネッサンスは それを壊しました。
聖職者だけが財産を際限なく蓄えられることに嫉妬した
メディチ家を初めとする貴族たちが「反カトリック」として始めたのがルネッサンスです。
そして その計画は成功し 人々の心はカトリックに疑問を持ち
カトリックに反抗し 芸術は世俗化し 宗教心は失われていきました。
そして 「社会のための金儲け」という考え方もまた 廃れていったのです。
それは 特定の個人が際限なく財産を蓄えるだけではなく
その財産を使って 人々を支配するようになりました。
そして それが今日にまで続いているのです。
個人の金儲けのためならば どんなにあくどい事をしても良い 他人を傷付けても良い
自然を破壊しても良い 地球を壊しても良い という
「今だけ/金だけ/自分だけ」の「三だけ主義」が当たり前の世の中となってしまったのです。
フランダース伯爵領/ブラバント公爵領/ブルゴーニュ公国が栄えたのは
そのようなルネッサンスが伝わってくる前の時代でした。
そして こうやって過去を読み解くことによって
今の時代を生きる私たちが 「どういう世の中を作りたいのか」
「どういう生き方をしたいのか」の指針の参考とすることが出来るのです。
結局は フランダース伯爵領もブルゴーニュ公国も
宇宙の中での当たり前な生き方を出来るような世の中を作りたかったのです。
生み出し/育み/生かし/活かす 愛と調和との生き方ができる世の中を。
金の羊毛騎士団に参加した貴族たちも それを設立したブルゴーニュ公爵家も
イエス・キリストの直系の子孫による「レックス・デウス」という秘密結社に属していました。
つまり 彼らはヨーロッパを「キリスト教社会」から
「イエス・キリストの本当の教えによる社会」にしたかったのです。
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(2024/5/5)