〔生の営み〕
《幸也の世界へようこそ》 → 幸也の言葉 → 《音と言葉》 → 《生の営み》 |
ここに掲載した文章は
曲集〔 生の営み 〕Op.134の映像作品において
音楽に添えられたものです。
〔 生の営み 〕 |
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~ 佐藤善美さんへ ~
この三曲からなる曲集は
相次いで身近な人を亡くされるという体験をしながらも
その悲しみや辛さを乗り越えて
この世での「生きる意味」を悟ろうとされている
一女性の生の営みを祝福し讃えるために作曲されました。
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《生の揺らぎ》
「生きる」って 何なのだろう?なぜ 何のために私たちは生きているのだろう?
どうして 私たちは いろんな喜びや 楽しさだけではなく
悲しさや 辛さをも体験するのだろう?
平穏無事な人生が続くことを願っているのに
なぜ私たちの人生には 波風が立つのだろう?
何か 悪いことをしたわけでもないのに
誰かのことを傷つけたわけでもないのに
突然襲ってくる 悲しい出来事
突然襲ってくる 辛い出来事
どうしてなのだろう?
なぜなのだろう?
生の揺らぎ・・・
波風の立つ人生・・・
かき乱される心・・・
私が夢見ているのは 心穏かに暮らせる日々なのに
私が心から望んでいるのは 楽しく嬉しい人生なのに
いつでも どこでも 歓びに満ちた人生なのに
誰とでも 何をしている時でも 嬉しさに満ちた人生なのに
私の夢は 夢でしか無いの?
私の そのささやかな願いは 叶えられないの?
家族そろって 和気藹々と暮らしていた
その生活が当たり前に続いて欲しかった
誰とでも 家族のように 仲睦まじく接することが出来る
それが当たり前だと 思い続けたかった
あの子供の頃
何も憂いも無かった・・・
神様がすぐそばにいるのを感じられた
あの子供の頃・・・
「おとな」になることによって体験する 様々なこと
「世の中」を知ることによって感じる 様々なこと
それらが私を 夢から引きずり出す
これが「この世の現実」だと 私の夢を打ち砕く
生の揺らぎ・・・
私たちの人生を揺さぶる それが「運命」というものなのだろうか?
私には 平穏無事に生きることは許されないのだろうか?
当たり前だと思っていた
あの夢のように生きることは
叶えられないのだろうか?
人生の荒波に 翻弄されなければならないのだろうか?
私の人生の《生きた証し》《人生の歩み》とは
何なのだろう?
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《生の証し》
私たちは 何のために この世に生まれてくるのだろう?どうして 私たちは ここに存在しているのだろう?
この世に生まれてから 死ぬまでの一生
その生の営みとは 一体 何なのだろう?
何が 私たちの 生きた証しになるのだろう・・・・
日々の暮らしの連続が 私の生きた証しになるのだろうか?
毎日 いつものように暮らす その中に生きた証しはあるのだろうか?
何かを作り出すことが
何かで名を成すことが
私の生きた証しとなるのだろうか?
楽しかった思い出
嬉しかった思い出
人生を振り返ると出てくる 素敵な思い出
心穏やかに暮らした日々
仲睦まじく暮らした時間
もしかしたら あの楽しかった 嬉しかった時を過ごした
心がウキウキし 魂が震えた あの体験が
私の心の財産となり 生きた証しとなるのだろうか?
どうして 私たちは「おとな」になるのだろう?
あの 子供の時のままの気持ちで生きられたら良いのに
大人になって いろんなものに縛られて
たくさんの「してはいけない」
「しなければいけない」ことに縛られて
そんな重荷を背負って生きることが
生きた証しになるのだろうか?
分かち合い 生かし合い
共感し合い 愛し合い
喜びと 楽しさとに満たされた
優しさと 嬉しさに満ち満ち
感謝と 感動が沸き起こってくる
私の 心の宝物箱の財産こそが
私の 今世を生きた証しとなるのだろう
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《生の歩み》
立ち止まることなく歩み続ける 私たちの人生この世に生まれてから今日まで そして この先も
ひたすらに続いていく 私たちの生の営み
ひたすらに歩み続ける 私たちの生の営み
決して途切れることなく続いている 私たちの人生の道
私たちの住処であり 私たちの揺り籠でもある
この地球の上での人生を なぜ選んだのだろう?
凪一つ無い 大海原の水面の酔おうな 静かな人生を
雲一つ無い 夜空の満月のような 澄み切った人生を
ひたすら平凡に生きていけると思っていたのに
それなのに 「この世」になじめずに歩んでいる人生・・・
ふと 振り返る これまでの人生の歩み
子供の頃から 自分は 他の子供たちと違うと感じていた
いつも一人でいた子供の頃
一人の世界で満たされていた
だから 一人でも 寂しさを感じることは無かった
いつでも 誰かに 何かに見守られているような感覚
そして 大人になって この「世の中」で 落ち着くことが出来ない
「この世」の価値観に どうしてもなじめない
けれど 心の奥から湧きあがってくる思い
「人の役に立ちたい」
「人を助けたい」
「人類に貢献したい」
私は知っている
全てがひと繋がりなことを
そう 私はあの「光の世界」にいたのだ
全てが一体の世界に
全ての存在が分かち合う世界に
私は この地球では異邦人
「この世」と それを当たり前と思っている人の中に入っていけない
私の夢は 私の願いは
「本来の世界」への思い
誰もが 慈しみ合って生きる
それだけのことなのに
なぜ この地上では それが
当たり前ではないのだろう?
それでも この地上の生を
歩み続けなければならない
たとえ 私の夢を分かってもらえなくても
ひたすら歩み続ける
私たちの生の営み
止めることも あきらめることも出来ない
私たちは 決められた人生の道を歩むために
生まれてきたのだろうか?
私たちは 何かを作るために
ここに居るのではないだろうか?
決して途切れることなく続いている 私たちの人生の道
ひたすらに歩み続ける 私たちの生の営み
何か「起きていること」が 自分の人生なのではない
私の「感じていること」が 私の人生なのだ
生の歩みとは すなわち
自分で作り出す《心の軌跡》
その《心の軌跡》が 本来の世界
光の世界へと繋がっていることを
私は知っている・・・
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