メニューにカーソルを乗せると展開します

〔天国の入り口〕

《幸也の世界へようこそ》幸也の言葉《音と言葉》 → 《天国の入り口》


ここに掲載した文章は
曲集〔 天国の入り口 〕の映像作品において
音楽に添えられたものです。

《天国の入り口》の二曲は
2003年の7月から8月にかけて
続けて作曲されたものです。

その後 詩人・写真家のマキノ凛さんが
原爆をテーマにした写真展「滲む広島」において
BGMとして使って下さり
悲惨な状況においても
生きる希望と勇気とを失わなかった
広島の人々をテーマにした内容に
相ふさわしい音楽として好評を博しました

生から死へ あるいは
この世からあの世へ
という動きや方向性よりも
生と死とが 向かい合わせであることを
あるいは 生と死とか
永遠の生命の中でひと繋がりであることを表現するために
「天国への入り口」ではなく「天国の入り口」としてあります

〔 天国の入り口 〕
①生と死の狭間
②永遠の生命

生命の力

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

《生と死の狭間》

生と死の狭間・・・

私たち人間は どこから来て どこへ行くのでしょうか?
何のために この地球に来たのでしょうか?
何のために この地球に生きているのでしょうか?
そして 死んだ後は どこへ行くのでしょうか?

地球人類は 長いこと 生と死とを 別なものとして捉えてきました
しかし 本当に生と死とは 別物なのでしょうか?

死とは 門を通り抜けることです

生は永遠であり その永遠の生の営みの中で
「この世」に生きるのが「今世での生」であり
そして「死」という門を通って
「あの世」へと戻っていきます

私たちは この宇宙の中で 永遠の時を生きているのです

私たちは 宇宙の中の存在であり
私たち 宇宙の中に存在する全ての生命が
宇宙の一部です

ですから 私たちは宇宙と一体です

ということは 
宇宙が存在し続けている限り
私たちもまた存在し続けているのです

私たちは 永遠の時を この宇宙の中で生き
あの世からこの世へ この世からあの世へと
行き来しているのです

何のために・・・?

宇宙そのものと一体になるために です
宇宙そのものと同じになるまで 私たちは成長し続けます

宇宙は その中に存在する全てのものを
生み出し 育み そして生かしています

宇宙とは
《愛》という意志と
《調和》という意識
それだけの存在です

その宇宙そのものと同じになるまで 成長し続けます

この地上で出合った他の存在と
どのように接し どのように関わり合うか
その体験が 私たちの成長となっていきます

私たちの肉体は 「この世」という舞台での衣装であり 
本当の私たちは「意識体(=魂)」という 意識そのものです

その 意識体である私たちは 
これまで 鉱物から植物へ
植物から動物へ 動物から人間へと
長い時間をかけて成長してきました

そして
人間から惑星へ 惑星から恒星へ
恒星から銀河へ 銀河から星雲へと
成長し続けていきます

今 人間をしている私たちは
あの世からこの世へと 滝のように落ちてきました

何もかも忘れて・・・

永遠の生の営みの中で
この世での生は ほんの一瞬のように
僅かな時間に思えます

しかし 本当は
時間というものは無いのです
時間も空間も 「この世」という地上での
舞台設定に過ぎません

「あの世」といわれる本来の世界には
時間も空間もありません
「今」「ここ」
それだけしかありません

私たちは この地上で
「時間」と「空間」と「物質」という舞台設定の中で
「肉体」という舞台衣装を身に纏い
人生で出会う人々を共演者として そして
自分自身を主演者として芝居を演じているのです

「死」とは その舞台が終わり 舞台裏に戻ることであり
肉体という舞台衣装を脱ぐことです

生の営みは 生も死も ひと繋がりであり
「自分」という意識も ひと繋がりです

この世が舞台だということは すなわち
たくさんの存在が その舞台を見ている ということです

この地上の存在だけではなく あの世の存在も
いわゆる 守護霊や守護神や
あるいは 他の星の存在も
私たちの舞台を見守っています

そして 私たちは 死という扉を通り抜け
「この世」という舞台を降りてから
そこでの演技を振り返り 反省し
そして「あの世」での過ごし方を決めます

そして それ以後の自分自身の学びに
最もふさわしい場所へと 移行していきます

生と死の狭間・・・
それは
違う視点 違う感じ方の世界へと入っていく入り口であり
この世からの出口です

私たちは
何のためにこの地上に この世という舞台に
出てきたのでしょうか?

永遠の生の営みの中で この地上において
「時間」「空間」「物質」という
あの世には無いものと共に過ごす その中で
どこまで 宇宙そのものに近付けるか
「愛」と「調和」だけである宇宙そのものに近付けるか
それを演じているのです

「この世」という舞台を降り 舞台裏に戻った私たちは
やがて 観客席につき
他の生命の舞台を見守ることになるか
それとも 観客席ではない場所で
この世の舞台で演じ切れなかったことや
消化できなかったことを学ぶことになります

生から死
それは 滝が落ちるようにしてこの世に生まれてきたのと比べると
私たちの本来の世界へ戻っていく
愛と光と調和の 素晴しい世界へと 戻っていく門なのです

ただし この世という舞台で 充分な演技ができなかったり
本来の演じるべき役を 演じることができなかったりしたらば
この世よりももっときつい
新たな学びの場へと行く門なのです

それを選ぶのは
生と死との狭間の時ではなく
この世に生きている「今」なのです
「今」以外に 私たちの生きている時は無いのですから・・・・

死という門を通って
「ようこそ! 愛と光と調和の あなた本来の世界へ」と
迎え入れられるかどうかは
「今」「この場」で演じている
その演技によるのです

《天国の門》
その門を通って どういう世界へと行くのでしょうか・・・

* * * * * * * * * * * * * *

《永遠の生命》

永遠の生命・・・

生命は
私たちのいる この宇宙に遍在しています

私たち地球人類は 長いこと 
生命は この地球上にしか存在しないものだと
信じて (あるいは 信じ込まされて)きました

しかし 本当に
生命は この地球にしかいないのでしょうか?

そうではありません

宇宙そのものが「生命」であり
その生命の営みは「永遠」であり
その 宇宙の永遠の生命の営みの中に
数多くの生命が存在しているのです

なぜ 私たち地球人類は
「生命は地球上にしかいない」とか
「地球人類は この宇宙の中で 唯一の知的生命体だ」
などと思い込んできたのでしょうか?

夜空を見上げてみれば
たくさんの星が瞬いているのが見えます

この宇宙には 数え切れないほどの
億兆を越える数の星が存在しているのです

どうして そのような広大無辺な宇宙の中で
この地球にしか生命はいないなどという
想像力の乏しいことを
地球人類は信じ込んできたのでしょうか?

私たちは 生命であり
宇宙の中の存在であり
私たち 宇宙の中に存在す全ての存在物は
すなわち 「生命」なのです

ですから 私たちは 宇宙と一体です

ということは 
宇宙が存在し続けている限り
私たちもまた存在し続けています
私たちは永遠の時を
この宇宙の中で生き続けているのです

何のために・・・?

「宇宙そのものと一体となるために」です

私たちは 宇宙の一部であり
その 宇宙そのものと同じであることを
真に実感し 実行できるようになるまで
成長し続けます

そして
その永遠の生の営みの中の
ほんのひと時を
この「この世」という地上に生まれてきているのです

「この世」と言われる
この地球上の物質世界において
私たちの経験する様々な出来事を通して
私たちが 宇宙に目を向けるか 向けないかは 
すなわち
宇宙の中での成長を認識しているかどうか なのです

私たちは宇宙の中心で生み出された
《生命エネルギー体》(=魂)が その本質です

この生命エネルギー体は これまで
幾千万年もの時間をかけて
宇宙の様々な場所で成長してきました

物質の存在として あるいは
非物質の存在として

肉体を持った存在として あるいは
肉体を持たない存在として・・・

実は 私たちが目に見ている全ての存在は
私たち自身の 過去の姿であり
また 未来の姿であるとも言えるのです

夜空に瞬いて見える幾千万の星は
私たち自身の 未来の姿でもあるのです

星々の集まりである 銀河や星雲もまた
私たちの未来の姿なのです

この宇宙の中での 永遠の成長を理解した時に
私たちは この地上において生きている
その目的と意味もまた 理解できるのです

私たちは 争い合ったり
いさかい合ったり 傷付け合ったり
奪い合ったりするために
この宇宙に生み出されたのでしょうか?

そのために この地球上に生きているのでしょうか?

この地上において
お金のために生きることが
私たちが宇宙の中に生み出された
その目的なのでしょうか?

宇宙に目を向ければ
何が 本来の在り方なのかが見えてきます

そして 私たち地球人類が この地球上において
余りにも その本来のあり方から外れて生きてきたことにも気付けます

私たちは この宇宙の中で
永遠の命を生き続けているのです

ひたすらに 成長をし続けている存在なのです

「永遠の生命」と その成長とを理解したときに 
私たちは 私たち自身の本来のあり方を納得できます

そして その本来のあり方
それがすなわち
《天国》なのです

本当は 天国の入り口に
門はありません
無いはずの門を作っているのは
私たち地球人類の想像力です

私たちは 長いこと
「この地上は天国ではない」と
思い込んできたのです
「天国は どこか遠いところにあるんだ」と
思い込んできたのです

しかし 天国の入り口に
門はありません
私たちは いつでも
天国へと入っていけるのです

それはただ 私たちが
「宇宙の本来のあり方に則し
宇宙の本質に則した生き方をしたいかどうか」
なのです

それを決心した時に
天国の門は無いことに気付き
その意思によって 私たちは
この地上に居ながらにして
天国に生きることになるのです

* * * * * * * * * * * * * *

《生命の力》

私たち この宇宙に存在している全てのものが《生命》です

私たち人間も 鉱物や植物たちも そして鉱物も
あるいは 惑星や恒星 銀河や星雲も
存在しているありとあらゆるものが《生命》です

それら 全ての生命は 
宇宙のエネルギーである《生命力》によって
生かされています
つまり 全てのものを存在させている宇宙が《生命》であり
その宇宙のエネルギーが《生命力》なのです

私たちは
宇宙のエネルギー《生命力》を受け取ることによって生きていますけれども
そもそも この地上に生まれるに当たって
生命力を内在させて生まれてくるのです

その潜在的な生命力を
何の制限もなく発揮しつくすことによって
そして 宇宙に遍在している《生命力》を
一切の制限無しに受け取ることによって
私たちは 真に健康に生きることができると共に 
私たちの能力や可能性を発揮しつくして
「自分」という存在を
この宇宙の中で役立てることができるのです

すなわち 「天命」を全うできるのです

けれども 私たちの多くは
自らの内にある潜在的な生命力にも
宇宙に遍在している生命力にも
気付かずに 日々の生活を送ってしまっています

そして それらを充分に発揮できずにいることにも 気付いていません

しかし 長期になるのは
生命力が発揮しつくされていないからであり
あるいは
「幸せでは無い」と感じるのも
また同じ理由からなのです

なぜ 私たち地球人類は
宇宙に満たされ あまねく遍在し
私たちに内在している《生命力》を
発揮できずにいるのでしょうか?

それは 
私たちが この地上での生において
様々な制限を作り出し
多くの葛藤を生み出して生きているからです

それらの制限と葛藤とによって
私たちは 大変な不自由な思いをしつつ
この地上で生きてきたのです

けれども
そのような不自由な生き方は
すなわち 不自然な生き方であり
宇宙の中での本来のあり方ではありません

そもそも 私たちは この宇宙の中で
何の制限も無しに
自由に 豊かに 健康に
生き活きと生きられるはずなのです

なぜならば それが そもそも
宇宙の意思だからです

そもそも 人間に脳があることによって
様々な制限や葛藤を生み出してしまったのだとしたら
そのような脳を持ったことは 進化だったのでしょうか?
私たち人間は 他の動物たちよりも
進化した優れた存在であると言えるのでしょうか?

私たち地球人類が 生み出し
自らに課してきた制限や葛藤は
しかし 人類だけではなく
地球上のあらゆる存在にも影響を与えてしまいました

つまり 私たち人間が
それらの制限や葛藤を捨て去ることが
この地上の全ての存在が幸せにきるために不可欠なことであり
私たち人類は この地上の全ての生命に対しての
責任を負っているのです

この地上の全ての生命が
生き活きと 健康に
幸せに 美しく 豊かに
輝かしく存在できるように

私たちは 全ての制限を捨て去り
全ての葛藤を手放し
本来の生命力を発揮していくことが
私たちがすべきことなのです 

そうすることによって
私たちは 宇宙と繋がり
全ての生命と繋がり
宇宙意識と一体となって生きることができるのです

私たち肉体を持った存在は
そもそもは 《生命エネルギー体》すなわち《魂》が
肉体に宿っているのであり
《生命エネルギー体》すなわち《魂》は
宇宙意識と宇宙エネルギーの一部であることが認識できれば
「宇宙の子」としての自分を生きていけるのです

宇宙とは《生命力》であり
神とは《生命力》です

宇宙エネルギー すなわち
遍在する生命力を感じるとき
それは 神の遍在を感じているのです

そして
「神の子」としての自分を生きているのです

今からの地上において
宇宙の生命力を感じ そして
発揮していくことは
当たり前の生き方となります

ですから 今 この瞬間に
宇宙に遍在する生命力を感じ取り
一切の制限も葛藤も無しに発揮することを
選択し 実行していきましょう

そして そうやって
あなたがどれほどに素晴しい存在であるかを
表現してください

* * * * * * * * * * * * * *



このページの初めに戻る