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テレビはなるべく見ない

なぜテレビを見ない方が良いのか

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1)感じる

私たち人間は この地上で肉体を持って生活しています。
その肉体には 「五感」といわれる感覚機能が備わっています。
「触覚」「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」です。
日常生活においては それらの五感のいずれもを働かせています。
例えば 何かを食べるときには この五感全てを使っています。
「盛り付け」を視覚で感じ 「匂い」を嗅覚で感じ 「味」を味覚で感じ
「口当たり」を触覚で感じ そして口の中で噛まれる音などを聴覚で感じ取っています。
しかし テレビを見ている時にはどうでしょうか?
テレビの画面に料理が映し出されています。
それを視覚では捉えています。
でも嗅覚で匂いを感じているでしょうか?
味覚で味わえるでしょうか?
触覚で口当たりを感じられるでしょうか?
いずれもできません。
あるいは どこかの土地の景色が映し出されています。
でも その場の空気がどんな暖かさなのか感じられるでしょうか?
どういう香りが漂っているのか嗅げるでしょうか?
そこで吹いているかもしれない風を肌に感じることはできるでしょうか?
いずれもできません。
つまり テレビを見るということは
五感の中のほんの一部しか使わないのです。
視覚と聴覚しか使わないのです。
そしてそのように アンバランスに五感を使いながら
でもテレビを見ることによって 何かを「知ったつもり」になってしまうのです。
何かを「分かった」つもりになってしまうのです。
実際には感じ取っていないにもかかわらず・・・
子供のうちから このように五感をアンバランスに使わせる必要はありません。
バランス良く全ての感覚を育んでいくことが大切なのです。
そのためには テレビは害にはなりますが 益はありません。
どうして 全ての感覚をバランス良く発展させる必要があるのでしょうか?
私たちは 「この世」という物質界に生きています。
そこでいろいろな(人間を含めた)生命と関わり合って生きています。
その関わり合いのためにこそ 「五感」という感覚を持っています。
つまり 五感をきちんと育めば「生命と生命との関わり合い」がきちんとできるようになるし
五感をきちんと育まないと 「生命と生命との関わり合い」がきちんとできないということなのです。
結局 今の日本で過去には無かったいろいろな社会現象が起きていますけれども
その一つが「他人との関わり合い方が分からない人が増えてきた」ことです。
それがなぜかというと 「五感」を子供の時にしっかりと育まなかったからなのです。
「五感」をしっかりと育んでこそ 「第六感」もまた育まれていきます。
いわゆる「勘」です。
そしてこの「勘」こそが 他の生命の気持ちを感じとる時に必要なものなのです。
他人の気持ちを捉えられなければ 相手のこと理解するのは難しいのです。
結局 人間関係というのは 「自分の気持ち」と「相手の気持ち」との関わり合いなのです。
しかし 子供の時に五感をしっかりと育まなかった人は 第六感もまた育まれてはいません。
したがって 他人の気持ちを察することも感じ取ることもできません。
そうすると 他人と関わり合うことが「苦手」「面倒」という意識になってしまいます。
そして 引き篭もりになります。テレビゲームしか相手にできない。
人間を含めた「生命」を相手にすることができなくなってしまうのです。
あるいは 特定の共通点を持った ごく少数の友達としか関わり合えない人間になってしまうのです。
ですから 「人間」という一つの生命体として 他の生命と関わり合っていくためには
五感を育んで働かせることが必要であり
その五感を育むのにテレビは全く役には立たない
逆にその成長を阻害するものなのです。


2)想像する=創造する

私たち人間は 常に何かを考えています。
人間は「想念の動物」です。
その想念によって 何かを生み出しています。
というよりも「想念」だけを生み出しています。
人間は(現時点ではほとんどの人が)物質を生み出すことはできません。
しかし 「想念」は誰でもが生み出しています。
つまり人間が何を「生み出した」「作り出した」と思っているものは
実は「物質」としての何かを生み出したり作り出したりしているのではないのです。
「想念」つまりアイデアを生み出して そのアイデアに則って
何らかの物質を変形させている それを「作る」と言っているのです。
その「想念」というのは つまりは「想像」です。何かを想像しているのです。
過去のことを思い出すもの 未来のことを想うのもいずれも 「想像」しているのです。
そしてその「想像」が 何らかの形となる つまり「創造」となるのです。
ですから 「想像」=「創造」です。「想像力」=「創造力」なのです。

その「想念」つまり「想像力」を育むことが 子供にとってはとても重要なことです。
「創造力を育む」とは いかに自由な いかに柔軟な
いかに多様な発想ができるようになるかということです。
そしてその想念=想像力によって いかに全ての存在に役立つ何かを生み出せるようになるかです。

テレビを見るというのは 一方通行なのです。
テレビの画面に映し出された何かを見ています。
テレビから視聴者へという 一つの方向の流れなのです。
そしてテレビは常に映像が次から次へと映し出されています。
見ている人は 立ち止まることはできません。
立ち止まれないということは 立ち止まって考えることもできないのです。
見たものを吟味する時間はありません。
それについて何かを想像する時間もありません。他の発想をする時間もありません。
見ている誰もが「テレビの都合」に合わせざるを得ないのです。
ということは テレビを見るということがすなわち
視聴者に立ち止まって「自ら考えること」をさせないのです。

それによって 思考力/想像力は育まれるでしょうか?
勿論育まれません。

そして更に テレビは映像が映し出されています。
つまり 特定のイメージを視聴者に与えています。
イメージが一方的に視聴者に送られています。
それもまた立ち止まって考える時間はありません。
与えられたイメージをそのままに受け取るしかないのです。
他のイメージを頭の中に生み出している時間は無いのです。

そのような「テレビを見る」あり方に対して 「本を読む」時にはどうでしょうか?
本を読むときには 立ち止まることができます。
ページをめくる時に止まったり あるいはすでに読んだ行に戻ったりもできます。
あるいは 読んだ文章から視覚的なイメージを膨らますこともできます。

テレビを見るよりも 本を読む方がすっと「想像力」が育まれるのです。
そしてそれが「創造力」となるのです。

 「想像力」=「創造力」が育たなかった人は
つまり何かを「生み出す」という感覚が育っていません。
「自分」という存在は 何かを生み出す存在なんだという認識が育っていません。
社会の一員として この世の中を作っている一人なんだという自覚も育ちません。
どうして今の日本は 選挙の投票率が低いのでしょうか?
「社会の一員である」=「社会を作っている一人である」という自覚が無い人が増えたからです。
そしてそういう自覚が無いからこそ 「ひどい世の中になった」などと平気で言えてしまうのです。
そういう世の中を作り出した一人であることを自覚していないのです。
どうして今の日本では「フリーター」と呼ばれる人が多いのでしょうか?
社会に参加しているという自覚が無い人が増えたからです。
この世に生きているということは すなわち
社会を作っている一人なんだという自覚が無い人が増えたからです。
「想像力」=「創造力」が育たなかった人が増えたのです。

 「想像力」=「創造力」がきちんと育った人は 「創造する」ということに喜びを感じます。
そして「自分は社会の中で何を生み出したいのか」「何を生み出しているのか」を自覚します。
そして社会に貢献しようとします。
それによって「自分」という存在も また他の生命も育んでいこうと思えます。

ということは逆に言うと 想像力=創造力の育たなかった人は
何かを生かすということを学べなかったのです。
そしてそれによって 自らの首をも絞めることになるのです。
「自分を生かす」ということもできませんから。

「想像力」=「創造力」を育むことが この地上での生きていくに当たって
とても重要なことなのです。

そしてそれを育むに当たって テレビは益にはなりません。
逆に害になるものなのです。


3)何が放映されているか

子供の心は白紙で生まれてきます。その白紙に 様々な情報が書き込まれていきます。
テレビで見聞きするものも同様に子供の心に書き込まれていきます。
そしてそれらが潜在意識へと定着し その後の人生において
その人の思考・行動を支配するようになります。
その人がその人生においてどういう体験をするか 何を感じ何を得るか
それらが子供の頃に心に書き込まれたものによって決まってきます。

ということは その子に幸せな人生を生きて欲しいと思ったらば
「幸せ」波動の情報を与えるのが当然です。

逆に 不幸な人生を歩ませたいと思うのならば 「不幸」波動の情報を与えれば良いわけです。
しかし 子供に不幸な人生を生きて欲しいと思う親があるでしょうか?
多分いないかと思います。
しかしそれにもかかわらず 世の中の親の多くが
子供に「不幸せ」波動の情報を与えているのです。

 「不幸せ」波動とはどういうものでしょうか?
否定的なものです。全ての「否定」です。

逆に「幸せ」波動ものとは どういうものでしょうか?
「愛」「感謝」「祝福」であり 「受け入れる」ことであり「肯定」です。

世の中で一般に見られるテレビ番組のほとんどは 否定的な表現が多いものです。
それは映像としての描写も そして音声としての言葉や音楽や効果音もです。
それらは「大人」が作っているものです。どういう大人が作っているのでしょうか?
否定的な表現当たり前だと思っている大人です。
全ての子供は天国から生まれてきたのだということを忘れている大人です。
そういう子供たちにとって この世に生まれてから直ぐに
それまでは無かった否定的な表現をされるということが
いかに大きなショックであるかを感じられない鈍感な大人たちです。
そして そういう鈍感な大人たちが作ったものを 世の中の親たちは
何の疑問も持たずに子供たちに与えているのです。
これは 親が子供の食べるものに気を配らずに ゴミを食べされているようなものです。

そして 否定的な表現のものを見て育った子供たちは 初めはショックですけれども
やがてだんだんと慣れていき そしていつの間にか
それが「与り前」だと感じるようになってしまいます。
それらを当たり前だと感じるということは 社会において
それを当たり前だとして生きていくということです。
つまり 否定的なことが当たり前だと思って生きていくようになるのです。
そして世の中は 争いごとや奪い合いが当たり前となってしまうのです。

世の中の多くの人が「戦争は無い方が良い」と思っているのかもしれません。
でも 実際には 争いを好むように 争いをするように子供を育てているのです。
なぜならば 否定的なものを子供たちに与えているからです。
相手を認めること 相手を受け入れること 祝福すること 感謝すること 大切に扱うこと
そういう情報が入っているものよりも
それとは逆の情報が入っているものを多く与えてしまっているからです。
それにもかかわらず「戦争は無い方が良い」とは言っても
それは表面上の 口先だけのことなのです。
なぜならば 心の中は「争い」で占められているからです。
他人を認めないことで占められているからです。祝福や感謝が無いからです。

ですから もしテレビを子供に見させるのだとしたならば
非常に慎重にその中身を選んでからすべきなのです。
否定的な表現がとられていないものだけにすべきです。
「愛」「感謝」「祝福」を基本としたものだけにすべきです。
そうでなかったらば それは子供を敢えて不幸せな人生を生きるように育てていることになるのです。
人生において 否定的なものを引き寄せるように育てているのです。


4)原子力発電

テレビは電気をエネルギーとして利用して作動します。
その電気はどうやって作られるかというと 多くは発電所において作られますが
基本的には 火力発電/水力発電/風力発電/原子力発電/太陽熱発電 というように分けられます。
それらは 何らかの「動き」を利用してタービンを回し電気を起こさせるやり方が主流となっています。
その中でも 最も強いエネルギーを使ってタービンを回しているのが 原子力発電です。
原子力発電は 原子と原子とをぶつかり合わせて そこで発生した熱を冷却して
タービンを回し 電気を起こすという仕組みになっています。
原子力発電をしている電力会社の説明によりますと
原子力発電は「最も効率良く発電ができる」
「二酸化炭素を発生させないので 地球環境に優しい」とのことです。
しかしこれは本当なのでしょうか?

 「効率良く発電ができる」「発電コストが他の発電方法と比べると安い」ということですけれども
しかし原子力発電は 原子を破壊することによって発生する数億度の熱を冷却してからタービンを回します。
つまりそこで沢山のエネルギーが捨てられています。
実は 原子力発電では そもそも発生させているエネルギーから実際に電気になって
そして家庭などで電気機器を働かせる末端での効率を比べてみますと
発生させているエネルギーの99%は捨てているのです。
99%も捨てているものが 「効率が良い」のでしょうか?

 「発電コストが他の発電方法と比べると安い」という点も
これは「発電所の建設費用/稼動費用/原材料費」などから計算したものであって
使い終わった廃棄物(使用済みウラン)の処理費用は考慮されてはいません。

更には その廃棄物(使用済みウラン)の処理方法が問題です。
なぜならば 放射能を発生させているからです。
「二酸化炭素を発生させないので 地球環境に優しい」と言われてはいますが
二酸化炭素と地球温暖化は関係ありません。
地球温暖化は太陽の黒点の活動が原因です。
しかもその数年 地球は温暖化しておらず 冷却化しています。
それよりも 放射能を発生させている使用済みウランの方が
ずっと環境や生命に対する危険性は高いのです。

そして 電気は 発電所から電線を伝って消費地に届けられ 電気機器を動かしていますが
そこで伝わっているのは「電気」そのものだけではありません。
電気というのは エネルギーが乗り易い媒体なのです。
特に目には見えないエネルギーが乗り易いのです。
ですから 電話で話していると 相手の想念や心や身体の状態が感じ取れることがあったりします。

原子力発電は 原子と原子とをぶつかり合わせてエネルギーを発生させていますが
そこで発生した電気にどういうエネルギーが含まれることになるかということ 「破壊想念」です。
「ぶつけ合って 壊してエネルギーを出させる」それが
想念というエネルギーとなって電気に含まれることになるのです。

そして ぶつけ合わされて歪んだ原子の波動もまた 電気も含まれることになります。


全ての存在は原子によって成り立っています。つまり 私たち人間もまた原子の集合体です。
原子力発電が「原子と原子とをぶつかり合わせ」て
「破壊想念」と「歪んだ原子」という波動を含んだ電気作り出し
その電気は電線を伝って電気機器を作動させます。
その時に その電気に含まれた「破壊想念」と「歪んだ原子」波動は
それらの電気機器から発散されます。
例えば テレビを見ていれば テレビの画面から
「破壊想念」と「歪んだ原子」波動が発散されています。
それを浴びながらテレビを見ているということになります。
そしてその「破壊想念」と「歪んだ原子」波動を浴びるということは
全ての生命は原子でできていますから
すなわちその想念を浴びた人の肉体の原子がその影響を受けて歪み
そして肉体の免疫力が低下押して 病原菌に蝕まれるということになります。
そして その「破壊想念」と「歪んだ原子」波動の影響を受けて
その人たちの想念もまた破壊的になっていき
その想念に従った行動をとるようになります。

実は 原子力発電がなぜいけないのか その理由がここにあるのです。
原子力発電とは「破壊想念」と「歪んだ原子」波動を発生させているのです。
そして それを電気機器を使う場で 全ての生命がその想念を浴びて影響を受けているのです。
そしてそれに染まっていくのです。

ですから 1960年代以降 原因不明の病気 医師が診断しても
良く分からない病気というのが増えてきたその原因の一つが
原子力発電にあるのです。

このような 原理力発電の「破壊想念」と「歪んだ原子」波動の影響を最も受けやすいのがテレビです。
ト-スターで焼いたトーストにもこの想念は入り込みます。
電気炊飯器で炊いたご飯にもこの「破壊想念」は染み込んでいきます。
電気暖房器具からもそれは発散されています。
電気洗濯機で選択した衣服にも入っていきます。
しかし テレビとパソコンの場合にはもっと直接的に
画面から発散されている「破壊想念」を浴びることになるのです。

子供を このような環境に置くことが 良い影響を与えるはずがありません。
原因不明とされる病気も アレルギーもアトピーも自閉症も癌も それらは原子力発電か
子供の時に受けたワクチン接種かのいずれかが大きな原因となっています。

ですので このような「原子力発電はなぜいけないのか」の(目には見えない)理由を認識して
そもそも電力供給会社を選べるのであれば なるべく原子力発電をしていないところを選ぶ。

そして 電気には目には見えないエネルギーが乗っていることを認識して
それをなるべく浴びないようにする。
それが 子育てにおいても大切かと思われます。

(原子力発電には 放射能の影響という もう一つ別の危険性もまたあります。
放射能の危険性とはすなわち 放射能を浴びると身体の原子が歪み機能を発揮できなくなり
免疫力が低下して 病原菌に犯されやすくなる ということです。
今の地球人類の科学技術では 放射能をコントロールできないのです。
放射能の影響もまたコントロールできないのです。
ですから「原子力発電が安全である」とか そもそも
「原子力の平和利用」などというものは 机上の空論であって 実際にはありえないものなのです。)



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