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ルネッサンス様式の始まり

~そのそもそもの目的と意味

《幸也の世界へようこそ》《幸也の書庫》《絵画を見る目・感じる心》 → 《ロココ様式の始まり》


(ここでは 芸術様式の説明ではあっても
視覚芸術=美術=絵画・彫刻・建築)のみを扱っていて
それ以外の 音楽・文学・舞台芸術(=演劇・歌劇)・写本・織物などには触れていません。)



ルネッサンス様式は 1410年頃イタリアのフィレンツェで始まり
その百年後にアルプス以北に伝播し
バロック様式が始まる17世紀初めまで続いた芸術様式です。

ルネッサンスは 日本ではしばしば「文芸復興」と訳されますが
直訳は 「再び生まれる=再生」です。
何が復興され 何が再び生まれるのかというと
古代ギリシャと 古代ローマの文化です。
ではなぜイタリア人はそれらを再生しようと 復興しようと思ったのでしょうか? 

1)ルネッサンス様式の始まり~キリスト教社会の構図

キリスト教は 四世紀後半にローマ帝国で国教となり
同時期に現在の新約聖書が編纂され
その後のヨーロッパを支配することになります。
国教となる ということは 国家権力と結び付くということですから
政治と離れた独立したものではなく
政治権力を助け それに助けられるものとなりました。
つまりは 君主が領土を支配するに当たって
政治と宗教の両方を使うようになったということです。
ですから この時点でキリスト教は 宗教であることを止めました。
人民を統治し支配するための機構となったのです。
しかもそれは あたかも政治とは切り離されたものであるかのように見せかけ
しかし実は その両方での支配でした。
けれども時代と共に 政治権力と宗教権力との間で争いが起きます。
どちらもが 自分たちの方が儲けたいのです。
その結果 キリスト教は政治から離れて
ヨーロッパは 君主による支配と キリスト教による支配との
二重支配の構図をとることになります。
人民は 君主に課税されます。
そしてキリスト教にも(献金という名目で)課税されます。

この二重支配は では政治と宗教(実際には宗教もどきですが)との
どちらが上にあるかというと それは宗教です。
なぜならば この世というものは 神の創造物であり
人間もまた神の創造物の一つだからです。
そして ローマ教皇(法王)が 創造者である神の代理人として地上を統治します。
そして それぞれの土地を統治する許可を国王や領主に与えます。
(ですから ヨーロッパ諸国での国王の戴冠というのは
ローマ教皇が国王に冠を授けます。)
あくまでも この世は神のものであり
その中でそれぞれの土地の管理を国王が任されている
ということです。

この地上に生まれた全ての人間は アダムとイヴの子孫であり
この二人が禁断の木の実を食べてエデンの園を追放された
その罪を犯した二人の子孫です「から
全ての人間は罪人なのです。
その罪をあがなうためには 懺悔をし (罰金として)教会に献金し
神から与えられた罰として日々の労働をしなければなりません。

ヨーロッパ全体がキリスト教社会であり
ですから ヨーロッパに生まれた全ての人が(自動的に)キリスト教徒であり
そこから逃れることは出来ません。
国王であれ領主であれ 全ての君主もまた その中の一人です。
罪人であり 懺悔をし 教会に献金をしなければなりません。

これがヨーロッパの社会の構造でした。


しかし キリスト教カトリックは 世の中を支配するための機構であって
宗教ではありません。
人々を幸せにするつもりはありませんでした。
あくまでも 全ての人から献金という名目の税を取る 集金組織でした。
とにかく人々は搾取されていたのです。
収入の十分の一を納める「十分の一税」の他に
懺悔の時には その内容に応じて献金の額が違っています。
更に 「金持ちであるほど天国に行くのは難しい」と脅して
金持ちであればあるあるほど たくさんの献金をさせました。
人々は教会に搾り取られていたのです。
そして その集めたお金は 何に使われたのでしょうか?
人々を幸せにするためではありません。
集めた聖職者たちが堕落した生活に使い浪費していました。

そのような聖職者たちの生活に対して 当然のことながら批判が起きます。


2)ルネッサンス様式の始まり~アルプスの北と南

しかし その批判は アルプスの北と南とでは違っていました。
アルプス以北に住んでいるのは ゲルマン系民族で
彼らは 「理性的」で「真面目」なのが特徴です。
ですから カトリックに対して 理屈で真正面から戦っていきました。
そのようにして アルプス以北では宗教改革が起きました。

しかし アルプス以南に住んでいるのはラテン系民族で
彼らは「感覚的・情緒的」で「能天気」です。
ですから 「なんとなく感じが良い」ことを優先させますから
かつ 聖職者たちが贅沢な生活をしたがるのも当然だろうという共感もありましたから
カトリックに正面から戦いを挑むことはしませんでした。
カトリックに対する反抗は 試みられはしましたが
カトリック側は「破門」でそれを潰していきました。
場合によっては 街ごと破門されました。
「破門」=「人間ではない」ということです。
全ての人間は キリスト教徒なのですから。
人間で無ければ 物の売買が出来ません。貿易も出来ません。
そうやって カトリックは人々を脅し 支配していたのです。

また 献金として集めたお金は
アルプス以南では ある程度(道路の整備などの)公共事業にも使われていました。
幾らかは人々に還元されていたのです。
これも アルプス以南の人々が聖職者たちを大目に見た理由の一つになっています。
しかしアルプス以北ではそれがありませんでした。
ですから 聖職者たちの浪費と堕落した生活が赦せなかったのです。

こうして アルプス以北ではカトリックに反省を求め
考え方とやり方とを変えるように要求する宗教改革が始まりますが
アルプス以南ではそれは起きませんでした。
けれども 人々のカトリックに対する不満や批判はあります。
そこで カトリックに「反抗=プロテスト」して改革を求めるのではなく
カトリックはそのままで しかし自分たちの生活を変えてしまおうという
柔軟なやり方をとることになりました。

ラテン系民族は 古代ギリシャや古代ローマ文化に愛着を持ち続けていました。
カトリックに締め付けられる生活の中で
ギリシャ神話やローマ神話の神々たちが
生き活きと描き出されているのに憧れていたのです。
古代ギリシャや古代ローマの芸術品もまた 肉体の美しさを発揮したもので
「伸び伸び生きたい」思いの人々にとっては憧れだったです。
罪人として抑圧された人生を生きるのではなく
生き活きと伸び伸びと生きて
「素晴らしく 美しく生きている実感」を味わいたいです。

そういう「古代ギリシャや古代ローマの文化を復活させよう」
というのがルネッサンスです。
ですから ルネッサンスというのは カトリックへの反抗なのです。
ただし 正面きっての反抗ではありません。
戦いを挑んだわけではないのです。
改革でもありません。
カトリックを変えようとしたわけでもないのです。
自分たちの考え方と生活とを変えたのです。


3)ルネッサンス様式の変遷と終演

ロマネスク様式は建築の様式でした。
ゴチック様式は建築を中心として そこから他のジャンルに波及しました。
ルネッサンス様式は 絵画と彫刻(すなわち美術)や文学・演劇・音楽と多岐にわたり
建築が中心となっているわけではありません。
これは ロマネスクとゴチックが起きたアルプス以北では
木造建築を取り壊して 新たな建物を建てることが可能だったのに対して
ルネッサンスの始まったアルプス以南では
新たな建物を建てる余地は無かったのも一因となっています。

ルネッサンス様式の理念が最も発揮されているのは 美術です。
ルネッサンス様式の表現の絵画における特色は
初期の頃には
☆三角の構図
☆人物の自然な表情や姿勢
☆奥行きと広がりのある宇宙的表現
でした。 

ゴチック様式が 地上と天とを結ぶ縦の線を使ったのに対して
ルネッサンス様式では この地上に生きる人間を主体とした表現になりましたので
「地上に重心がある」三角の構図を使うようになりました。

ゴチック様式では 人物像は動きが抑えられて表現されていましたが
ルネッサンスでは 生き活きとした=自然な動きを表現するようになります。
それは 神の被創造物の一つである人間を「原罪を背負った罪人」とし
十字架に縛り付けられたような人生を生きる存在としてではなく
「神が創り出した 素晴らしい被創造物」の一つとして表現しているということです。
そして 「宇宙の中の一つの存在である=宇宙の一部分である人間」のあり方を表すために
奥行きと広がりのある空間が描かれた理由でもあります。

神の被創造物の中で 人間だけは 原罪を背負い
檻の中の囚人として生きなければいけない
というカトリックの教えとは 全く違うことを表現しているのです。
ですから ルネッサンスは徹底した反カトリックだと言えるのです。
しかし それを表しているのだと カトリックに分かってしまったらば
それは異端になります。
ですから ルネッサンスの芸術家たちは カトリック芸術を作っているふりをしながら
表現としてはそういうやり方をとったのです。

この ルネッサンスの時代=15世紀というのは
ヨーロッパにおいて 自然科学が発展してきた時代であり
かつ 世紀の後半には 大航海時代が始まります。
望遠鏡で夜空の星々を見たりして 地球も他の星と同じく球形なのではないか
だったらば地球を一周できるのでは と気付き それを実行した時代です。
カトリックの説いていた「天動説」や「地球は平面」だという説明が覆されて
カトリックの権威が揺らぎ始めた時代です。
それは 「宇宙の中の地球」「宇宙の中の人間」を意識するようになった時代なのです。
だとすると「宇宙の本質とは何なのか?」という探求をしたくなります。
これはまさに 古代エジプトから引き継がれた秘儀と 神聖幾何学へと繋がるものなのです。
実際のところ フィレンツェでのルネッサンスの始まりを導いたのは
ピタゴラス教団の教えを伝える人たちでした。
そしてそれは イエス・キリストの本来の教えにも繋がるものなのです。

カトリックの教義は 徹底した「反キリスト」です。
イエス・キリストが説いたことは カトリックの教義には ほとんど入っていません。
イエス・キリストが説いたこととは全く逆のことを教義としています。
ということは カトリックにとっては イエス・キリストの本当の教えも異端なのです。
それが世の中に出ては困るのです。人々に知られては困るのです。

ですから ルネッサンスの芸術家たちが
カトリック芸術のふりをしながらも このような表現をしたということが
どれほどに勇気のいることだったかも分かります。

ですので ルネッサンス様式が表現したかったものは何なのか
そのそもそもの目的は何だったのかというと
古代ギリシャや古代ローマの文化を手本にしながらも
「宇宙の本質」「宇宙の中での人間の本質」を表現することだったのです。


しかし そのような理念は後の時代には失われていき 違う表現をするようになりました。
そのような理念を持ち それを探求し それを表現できる人たちは少数だったのです。

☆肉感的な裸体
☆女性性の強調
☆芝居がかった舞台設定
☆(絵画の)平面的な描写
へと表現が変わっていきます。

古代ギリシャや古代ローマの彫刻のような 肉体の美しさを表現するために
肉感的な裸体を描くようになりました。
しかし時代と共に 美しさよりも肉感的であることを強調するようになりました。

そして それらの裸体は 女性の姿です。
厳しいカトリックは男性性の現れであり(父なる神=男性です)
その反動としてのルネッサンスは 女性性を強調しました。

人間の感情表現を主とする 生き活きとした生き方を表す芝居が
盛んに上演されるようになったのもルネッサンスです。
そして 絵画でもその芝居のような感じを描くようになりました。

芝居の舞台上の大道具のような実在感の無い背景
奥行き感の無い背景の描き方になっていきました。

そして結局は 何を表現しようとしたのかが
全くと言って良いほどに失われてしまいました。
理念が分からない人たちが形だけを真似し
そして大衆受けする作品ばかりが生み出されるようになったのです。
そして世の中全体が カトリックへの信頼を失い
そこから「神」の存在をも疑い
人間至上主義へと変わっていきます。
「カトリックの束縛から逃れ 人間性を解放する」という名目で 実は
神の存在を忘れ 人間が身勝手な生き方をする方向へと変わっていったのです。

そうやって ルネッサンスの時代には
世の中全体が堕落していくことになります。

そしてその後 反宗教改革芸術=バロック様式へと発展していきます。



(2017年11月11日)


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