身体の動きと表現

(2)

その日常生活での応用



(この文章は 《 身体の動きと表現(1) 》からの続きです)


ここまで 上下・左右・前後・回転・収縮拡散といった方向の特徴を見てきましたが
では 私たちは日常生活において それをどう活用できるでしょうか。
特定の方向性には 特定の性格があるということは
何か特定の表現をしたい時には それに適した身体の姿勢や動きをして
エネルギーの方向を調整すれば良いことになります。

(一番下に索引があります)



何か行動をしたいとき 行動を起こしたいときには
あるいは やる気を起こしたいときには
身体の重心を前にもっていき 身体を前傾させます。
重心の掛かり具合と 前傾の具合によって速度が違ってきます。
その行動について考えるときにも その姿勢でします。


後ろ

リラックスしたいときには 重心を後ろに持っていきます。
あるいは受動的になりたいときにも そうします。


感情を素直に あるいは豊かに表現したいとき
楽しい・嬉しい気持ちを表したいときには
重心を身体の右側にします。右足に体重をかけます。


感情を抑制したいとき 悲しみを表現したいときには重心を左にします。
(日常生活ではあえて悲しみを表現することは無いかもしれませんが)


何かを良く考えたいとき 想像・空想したいとき インスピレーションを得たいときには
背筋を伸ばし 首も上に伸ばすようにし 頭をやや上に向けます。
目を閉じた方が よりやり易いかもしれません。


回転

「がんばるぞ」というときには 身体を捻ります。
怒りを表現したいときにもそうします。
「がんばる」のが 「頑張る」では無く 「我を張る」からきている
あるいは競争心からきているのだとしたら
怒りの表現と共に あえてはしない方が良いことになります。
自分の実力を発揮したい 全力を出し切りたい という意味での「がんばる」だとしたら
回転(=捻れ)ではなく 前向きや上向のエネルギーの流れを作ることになります。


収縮

集中したいときには 身体を収縮させます。
これは どうやったら簡単に出来るのかというと
排尿を我慢している時に似ていますが
足を内股気味にして 足の親指と脚の内側に力を入れます。
更に 骨盤(腰骨)を前に反らすように前傾させます。


拡張

おおらかな気持ちになりたいとき 気前良くなりたいとき
寛大になりたいときには 身体を拡張させます。
これは具体的には 収縮の反対ですから
脚を外股気味にして 足の小指側と 脚の外側に体重が掛かるようにします。
更に 骨盤(腰骨)を後ろに反らすようにします。


鳩尾(みぞおち)

< 鳩尾 あるいは胸(肋骨)の開き具合も感情と関係しています。
「心が開いている」という表現がありますが これは
すなわち 鳩尾あるいは胸が開いている状態でもあります。
「心が閉じている」のは 鳩尾あるいは胸が閉じている状態です。
「心が狭い」のは 心を閉じているからです。
ですから この場合にも鳩尾あるいは胸は閉じています。
「心が広い」のは 心を開いているからです。
ですから この場合には鳩尾あるいは胸は開いています。
「愛している」状態では 自分以外の何かに心を開いていますから
胸が開いている状態です。
「嬉しい」「楽しい」状態でも 胸は開いています。
けれども「悲しい」時には 心を閉ざしていますから 胸も閉じています。
ですから 悲しくて頭を垂れているのは 前傾ではありません。
この時には 身体の重心は前にはありません。
つまり 鳩尾あるいは胸の開き具合は 頭の向きにも影響します。


頭部

何かを思い出そうとする時には 目を上に向けています。
その時には 頭も自然と上向きになっています。
何かを疑問に思っている時 「はてな」という時には 首を傾げています。
じっと考え込んでいる時には 眉間に力を入れて 皺がよっていたりもします。
これらはいずれも その時に脳のどの部分を働かせようとしているのかによるものです。
ですから 敢えてそのような頭の向きにすれば 効率良くいくことになります。


姿勢を良くするのに 「あごを引く」という表現がありますが
実際には顎を引くことによって 首に力を入れて 背筋を伸ばしています。
つまり 背筋を伸ばすのには 首の力が必要だということです。
首の力が抜けているのは 頭にエネルギーが流れていかない状態
つまり 頭が働いていない状態です。
ですから 頭を働かせるには それなりに首に力が入って
頭が真っ直ぐになっている必要があります。
「頭を垂れる」あるいは「首を垂れる」という表現は
ガックリしている状態を表していますが これも首に力が入っていない状態です。
何か理想に燃えていたり やる気のある時には 首に力が入っています。


「肩が凝っている」というのは 正確には 首と肩の間の筋肉のことです。
肩を上げ下げする時に使う筋肉です。
「肩に力が入っている」というのは
その筋肉の状態というよりも 肩の見た目の状態
上がっているか 前に出ているかを言ったものです。
ですから その反対が 「肩を落とす」ということになります。
しかし この「肩を落とす」というのも 肩の力が抜けて落ちているというよりも
鳩尾や胸が閉じているから肩が落ち かつ 前に出ている状態を表しています。
「肩を怒らす」という言葉は 肩に力を入れて上に上げている様子ですが
「空威張り」の時の姿勢です。
肩は 角のところが硬いから「かた」と呼ばれるようになったようですが
肩の筋肉を硬くしやすいのは 前傾しやすい人です。
行動的な人=前傾しやすい人は 上半身に重心があるために いつでも肩に力が入っています。
つまり 行動的な人は 往々にして空威張りし易い とも言えます。
ただし 頭にエネルギーの行き易い人は 首に重心がありますから
首の力が抜けにくく 従って首から肩にかけても凝り易くなります。


「腰が据わっている」というのは
どっしりと落ち着いて 些細なことには動じない様子です。
しかし 腰に重心がある人は 行動が敏捷ではありません。
かつ 心の動きもまた敏捷ではありません。
ですから どっしりと落ち着いて 些細なことには動じないように見える訳です。
逆に 「柔ら腰」というのは なよなよとして優柔不断な様子ですが
ですから 決断力を司っているのが 腰です。
しかし 実際には 「腰」という言葉で言っているものは 三つあります。
ひとつは 「骨盤(=腰骨)」
もうひとつは 骨盤の上の脇腹
そして 臍と丹田(たんでん)です。
「腰が据わっている」という言葉で言っているのは
本当は「腹が据わっている」状態です。
これが 丹田に力が入っていて 物怖じしない様子です。
敏捷では無いがために 落ち着いて見えるのは 脇腹が張っている場合
又は 骨盤の動きが鈍く 「腰が硬い」場合です。
「腰が硬い」のは 同時に「頭が固い」状態を表していますが
融通が利くかどうかは 腰の柔らかさと関わり合っていて
これは 脇腹と骨盤との両方の具合です。
腰が固いと敏捷な行動が出来ない=融通が利かない 従って 頭も同様になるという仕組みです。

丹田(=臍の約3cm下)には力が入って充実していると
「動じない」状態です。
けれども 腰(=脇腹と骨盤)は力が入り過ぎずに柔らかい方が 頭や心もまた柔軟だということです。


脚・足

足に力が入り過ぎて 力が抜けないでいるのは
緊張している状態です。
いわゆる 「あがっている」状態です。
「アレキサンダー・テクニック」というのがあって
これは 「あがる」のは 首の力が抜けない過緊張が原因だと解明した
アレキサンダーさんが始めた 首の緊張をコントロールする技術ですが
それは アレキサンダーさんが頭にエネルギーの行き易い
つまり首に力が入り易い人だったから そう解明したのであって
もし彼が脚に力の入り易い人だったら
「あがるのは 脚の過緊張が原因だ」と解明していたかもしれません。
けれども 確かに 首の力と脚の力とは関係しています。
というのは 頭にエネルギーの行き易い人は
逆に 脚には力が入りにくいからです。
入りにくいと うまくコントロールできずに 過緊張になり易い訳です。
脚の力の入り具合は 身体の安定性に関わっています。
ですから 頭にエネルギーの行き易い 頭に重心がある人は
ヒョロヒョロと不安定に見えるかもしれません。

けれども 脚の状態は 腰(骨盤)の状態とも密接に関わり合っています。
内股か外股かで 骨盤の締まり具合が違ってきます。
内股なら締まり 外股ならば開いています。
ですから 逆にこれを使えば
集中したい時には 内股に
おおらかな気持ちになりたい時には 外股に
とすれば良いことになります。


言葉

私たちは 日常生活において 行動し
かつ 沢山の言葉を発しています。
実際に音として言葉を発している時と 頭の中で考えるのに言葉を使っているのとありますが
実際に音として言葉を発する時に どういう姿勢をとっているかで
当然その響きが変わってきますし
ということは 聞く人の受け取り方 そして反応も違ってくることになります。

積極的な言葉を言っているのに
もしも身体の重心が後ろにあったらば その言葉は
積極的には響きません。
ゆったりとくつろぐ言葉を言っていても
身体を捻って緊張させていたり 前傾させていたらば
落ち着く感じには聞こえません。

ですから ある言葉を発する時には
その言葉の意味している感情・感覚を
その状態になりきって口から出せば その感じが伝わりますし
その状態にならないで口から発すれば その感じは表現されないので 伝わらないことになります。
これは 自分自身のことですと 客観視しにくいので分かり難いかもしれませんが
例えば 映画やテレビドラマでの俳優の演技を見てみれば
真に迫って演技しているのと 「嘘っぽい」のとの違いはどこにあるのかというと
まさに ある感情表現を「なりきって」している時には
その姿勢をとっているので真に迫って感じ取れますし
その姿勢をとらずに表現をしていると 本当らしくは見えないことになります。

言葉は 記号ですから
自分と相手とで あるいは言葉を発する側と受け取る側とで
それぞれの言葉について 共通の認識を持っていれば意味が通じることになります。
しかし 実際には その言葉が目の前で発せられる場合には
単に記号として受け取られるのでは無く
言葉は逆に二次的なもので 実は 言葉の背景の感情・感覚の方をより多く受け取っています。
ですから 例えば 子供は(あるいは大人でもそうですが)
大抵の場合 叱られた時に
なぜ何が理由で叱られているのかでは無く
相手が叱っている あるいは怒っていることだけを感じ取り
その相手の感情と それに対する自分の気持ちだけが記憶に残ります。

ですから 言葉を発するのは
実は 記号としての言葉を発しているというよりも
言葉を伴った感情を発している という方がより正確なことになります。
だからこそ その言葉を相手に伝えるには
その言葉の意味している感情・感覚をまず身体で表現して
それから言葉を発すると 本当にその言葉の意味が伝わることになります。


「〜したい時」には

では最後に 日常生活において
どういう時に どういう姿勢をとれば良いのかをまとめてみましょう。
(ただし ネガティブな表現を敢えてする必要は無いかと思いますので ポジティブな表現についてのみ揚げてあります。)

* リラックスしたい時

身体の重心を後ろにもってきます。
体重を後ろにかけるということは 背もたれの姿勢です。
足も 指ではなく 踵に体重が乗ります。
そして 肩の力を抜き 首の力も抜き 身体全体の力を抜きます。

* 行動したい時

身体の前の方に体重を掛けます。
足の踵ではなく 指に体重が乗り 特に親指とその付け根に力が入ることになります。
そして 身体は(特に上半身は)前傾します。
この時 腕にも力が入ります。
つまり 身体の重心が上半身に移ることになります。
行動について考える時にも この姿勢で考えます。

* 何かに集中したい時

集中ということは エネルギーが自分の内側に向かっていくことです。
そして 外に漏らさないということです。
まず 脚を内股気味にして(つま先を内に向けて)
重心が足の親指とその付け根に掛かるようにします。
つまり 足の親指とその付け根に力を入れます。
骨盤が後傾せずに 前傾するようにして 締めます。
口は 閉じて 下唇が上唇よりも前に出るようにして少し力を入れます。
下唇で上唇を押さえる感じです。
眉間に意識を集めます。
身体全体に 前側にエネルギーが集まっているのを感じられるかと思います。

* インスピレーションを得たい時

インスピレーションは 自分自身を
宇宙に対して開いている時に受け取るものです。
ですから リラックスしていることが前提です。
昔から インスピレーションを得るのは
馬上・枕上・厠上と言って
乗り物に揺られている時・うたた寝をしている時・トイレに入っている時
と言っていました。
けれども これに更にもうひとつ
風呂の(湯船の)中 が加わるかと思います。
いずれにしろ リラックスしている状態でこそ インスピレーションを受信出来ることを意味しています。
リラックスし かつ二つ目には 開いていることが条件になります。
ですから 胸を開き 頭も上に向けます。
けれども 一番の前提は「何についてのインスピレーションを得たいのか」という
問いを発しているかどうかです。
宇宙はとても親切ですから 問いを発したら答えが返ってきます。
でも 宇宙にはとても沢山の情報がありますから 問いを発しなければ
沢山の情報が身の周りにあるのに気付かずにいてしまうだけです。
これは 「波長同通」という宇宙の仕組みでもあります。
答えが欲しいのならば それと同調するような問いを発する必要があるということです。

問いを発してから 受信するためにリラックスする という順番になります。
身体全体をリラックスさせ 胸を開き 頭も上に向けると
多分 意識は上頭部に集まっているはずです。
手を合掌させるのも助けになるかもしれません。
(体型によっては 指を伸ばさずに組んだ方が楽ですが これは胸が閉じている状態です。)

* 楽しい気持ち・嬉しい気持ちになりたい時

右足に体重を掛けます。
そして 身体の力を抜きます。
胸を開き 顔をやや上に向けます。
そして 今までの人生で体験した楽しかったこと・嬉しかったことを
ゆったりと思い出します。
あるいは 目の前にいる人と 楽しい気持ち・嬉しい気持ちを感じ合いたいのならば
「楽しい」「嬉しい」と言葉に出して言います。

* 愛を感じたい時

胸を開き 胸に意識を集めて
胸の表面からエネルギーが入ってくるのを意識します。
あるいは 胸の奥に太陽をイメージして その太陽が
エネルギーを呼吸しているのをイメージします。
そうしながら 「わたしは〜さんを心から愛しています」
「わたしは〜さんをひたすら愛しています」
「わたしは〜さんをとことん愛しています」
「わたしは〜さんを何があっても愛しています」
と 何度も繰り返して言います。
(何度?と訊きたい方には 千回言うのをお勧めします。)
そうすると 顔も身体も緩んできて 暖かい気持ち 優しい気持ち
柔和な微笑が自然と沸いてきます。

* 「有り難い」(感謝の)気持ちになりたい時

有り難い気持ち・感謝の気持ちは
ものごとを受け取るのが先ず第一の前提です。
つまり 自分の心を閉ざしていたら 有り難い気持ちにはなりません。
ですから 胸を開きます。骨盤は前に反らせます
(腰を前に お尻を後ろにした感じです)。
そして顔をやや上に向けます。
目を閉じて 両手で合掌すると 自然と「有り難い」気持ちになっています。
この状態は ただ漠然と「有り難い」気持ちです。
でも 何に対して? 誰に対して? と思う方は
何か あるいは 誰かに対しての感謝であれば その対象を思い浮かべます。
これも 「〜さん どうも有り難う御座居ます」と 言葉に出して言った方が
自分の耳からも入りますし より効果的かもしれません。

* 「あるがまま」「自由」を感じたい時

あるがままも 自由も
共に 心も身体もその状態でないと感じ取れないことを意識しやすい気持ちかもしれません。
私たち全ての存在は 宇宙の中に存在している 宇宙の一部です。
宇宙というエネルギーの中を漂っている存在です。
本来 自分の周りにあるのは 宇宙のエネルギーだけです。
ですから 幾らでも 伸び伸びと 楽に 自由に存在していられるはずです。
けれども 大抵の人は そうは感じていません。
逆に 不自由をこの世で感じつつ生きています。
この不自由さとは一体何なのでしょうか?
一体どうしてそう感じるのでしょうか?
世の中とは 沢山の人が集まって作っているものです。
その沢山の人たちには それぞれに意思があり意識があり
つまり それぞれの人が その人なりの考えや癖や好き嫌いで行動しています。
けれども それらの意識や意思は 必ずしも宇宙のエネルギーに即しているものとは限りません。
つまり エゴに基づいているかもしれません。
そうすると この世の中は
そのような人々のエゴのエネルギーを初めとするいろいろな想念が流れ出て
ぶつかり合い 渦を巻いているところになってしまいます。
そして 他人の考えや癖や好き嫌いは 自分のそれと一致していることは
一つ一つについてはあっても いろいろなことに関して一致していることはまれです。
ですから 自分のそれと 他人のそれとが一致しない=ぶつかり合うことになってしまいます。
それが この世で多くの人が不自由を感じている理由です。

ですから 「あるがまま」「自由」を感じるのには
「心」のあり方が大きく関わっています。
自分にエゴがあったらば それらは感じ取れない ということです。
エゴというのは 自分の肉体をこの地上で守り維持したい という要求から始まる
「自分を優先させたい」気持ちです。
ですから 自と他とを分けて捉えています。自分と他人との間に線を引き境を作っています。
その結果 宇宙の中の一部分であることも認識しなくなってしまいます。
これが 「あるがまま」「自由」では無い状態です。
ですので 「あるがまま」「自由」を感じるには
自分のエゴを認識し それを減らし無くすように心がけないと
何につけても 「自分が〜」という意識を止めないと
感じ取れないということになりますが
身体をそれに先行させるには
身体も 宇宙の中の一部であることを感じ取れば良いことになります。
まずは 準備として背骨を柔らかくします。
背骨も動きとしては 前後・左右・回転の三種・六方向の動きをしますから
それらの方向に積極的に かつ力を抜いて動かすことで 背骨を柔らかくし 可動性を回復させます。
両脚を骨盤の幅の広さに広げて立ち 身体全体を横から見ると波打つように
脚が前に行ったら 次にお尻が前に そして腰が前に行き 更に肩が前に出て 最後に頭が前へ
 頭が前に行ったらば 今度は
脚を後ろに動かし 順次 お尻が後ろに そして腰が後ろに行き 更に肩が後ろ 最後に頭が後ろへ と
30回程動かします。
次に 横の動きも同様ですが 同じように立って 前から見て 身体が横に波打つように
脚が右に行ったら 次にお尻 そして腰が右に 更に肩が右に行き 最後に頭が右へ
頭が右に行ったら 脚は左へ動かし 次にお尻 そして腰が左に 更に肩が左に行き 最後に頭が左へ と
30回程動かします。
次は回転運動ですが 両脚を骨盤の広さに開いて立ち 上半身を90度に前屈させ両腕はぶら下げて
右肩を上げたら同時に左肩を下げる 左肩を上げたら同時に右肩を下げる と
これも 30回程繰り返し動かします。
(前後・左右・回転 いずれの動きにおいても 体全体の力が抜けるようにするのがコツです。)
そうしたらば 脚を大の字に開き 両腕は真横か それよりも少し下に伸ばして開きます。
(脚も腕も その人の体型によって楽な角度が違います。いずれにしろ「楽」な角度に開きます。)
顔はやや上に向けて 胸は開き
目をつぶり 身体の力を出来るだけ抜いて 両腕をゆらりゆらりと前後に動かしながら
「私たちは 宇宙の中に存在している 宇宙の一部であり 宇宙そのものと一体です。
ですから 私たちの心にも身体にも 宇宙のエネルギーが満ち満ちていて
私たちは 誰もが 最高に生き活きと 伸び伸びと 自由に
美しく 素晴らしく 輝いて存在しています。」
と 言葉に出して繰り返し言います。

別の方法は 同じ姿勢をとりながら
大空を羽ばたく鳥・雲・風 などになっている様子をイメージすることです。

* ネガティブな気持ちを追い出したい時

ネガティブな気持ちになっている時は
@ 気持ちが暗くなっている 
A 否定的ことばかり頭に浮かんでしまう あるいは頭から離れない
B 同じようなことばかり 繰り返し頭の中に浮かんでくる
という心の状態ではないでしょうか。
つまり ネガティブなことで頭が堂々巡りをしていて
気持ちが暗く すっきりしない状態です。
そして とても疲れ易くなります。
これは 心の毒素が身体に溜まることと
そのネガティブな心の状態が 宇宙エネルギーを受け取れなくしていることが原因です。
身体の状態としてみると
ネガティブな気持ちになっている時には
胸が閉じていて 更に
首の前側 つまり喉の横の筋肉が過緊張しているか
あるいは首の後ろ側に力が入らずに 弛んでいるかのどちらかです。
ですから 先ずは胸を開き
それから首の力を抜き あるいは 首がしっかりするようにします。
具体的には 首を 前後・左右・回転の三種・六方向へ動かして
可動性を回復させます。
脚を骨盤の幅に開いて立ち 身体全体の力を抜いて 特に首の力を意識して抜きます。
上体を前に出すと 頭部は後ろに行きます。
上体が今度は後ろに動き始めると 頭部は前にカクッと倒れます。
そして上体を後ろに動かしていくと 頭部は前に倒れたまま付いていきますが
上体がまた前に動くと 頭部は後ろにカクッと倒れます。
この 上体を前後に動かして 頭部を付いてこさせる運動を 30回程繰り返します。
きちんと力が抜けていれば 頭部は首からカクッと倒れます。
次は横の動きです。
上体を右に動かすと 頭部は左に傾き
上体の動きを左向きに変えると 頭部はカクッと右に傾きます。
上体の左右の動きを 30回程繰り返します。
回転運動は 首をまずぐるぐると30回程回します。
そして 首の力を抜いて頭を垂らし
上体を 前→右→後ろ→左→前→右→後ろ→左→・・・ と回転させます。
頭は 垂れたままその動きに付いてくる筈です。
これも 30回程回します。
首の可動性が鈍っている時には 首から肩への筋肉もまた凝っています。
ですから 肩を上にグッと上げて ストンと力を抜いて落とします。
肩を前にグッと力を入れて出して スッと力を抜きます。
肩を後ろにグッと力を入れて引いて スッと力を抜きます。
そうしたら 頭部が頭頂から吊り下げられているかのように 首を伸ばします。
この時 首の後ろ側に適度に力が入っているはずです。
つまり 首の後ろ側に意識を集めます。
背骨も真っ直ぐに立てます。
そして エネルギーが頭頂→後頭部→首→背骨→腰→尾?骨→股間 と降りてくるのを感じます。
今度は逆行させて 股間→尾?骨→腰→背骨→首→後頭部→頭頂 と上昇させて
頭頂部から上の空間に発散させます。
吸う息で下降させ 吐く息で上昇させます。
身体全体に 後ろ側にエネルギーが集まっているのを感じられるはずです。


まとめ

ここに挙げたほかにも
様々な感情・感覚・気持ちがあります。
《宇宙とは》に 様々な感情・感覚・気持ちを挙げてありますが
それら一つ一つを実感するには
言葉の力を使って ある感情なり感覚なり気持ちの言葉を
繰り返し 繰り返し言い続けてみます。
そして 心がその言葉の感じを実感し始めたらば
身体がどう変化したかを注意深く感じ取ってみます。
ただし 「〜ない」「〜しない」という言葉も並べてありますが
それらを言葉に出してみるのはお勧めしません。
なぜならば 宇宙のエネルギーには 否定形は無く
従って 宇宙のエネルギーと繋がっている
(ということは言い換えると あの世にも そしてあの世と繋がっている)
潜在意識の中にも 否定形はありませんから
もしも 否定形の言葉を発した時には
否定の部分が作用せずに 肯定されてしまい
(例えば 「こだわらない」の「ない」の部分が取れて 「こだわる」になってしまい)
そのために ネガティブな作用が起きてしまうからです。

この文章で挙げたのは 様々な感情・感覚・気持ちの中の
ということは 様々な身体の姿勢・動きの方向性の中の
ほんの幾つかの例ですが
これらが 皆さんの生活において 幾らかでも役に立つことがあれば幸いです。




索引

長くなってしまったので 索引を作りました。

前 / 後ろ/ 右 / 左 / 上 / 回転 / 収縮 / 拡張 /
鳩尾 / 頭部 / 首 / 肩 / 腰 / 脚・足 /
言葉 / リラックスしたい時 / 行動したい時 / 何かに集中したい時 /
インスピレーションを得たい時 / 楽しい気持ち・嬉しい気持ちになりたい時 /
愛を感じたい時 / 「有り難い」(感謝の)気持ちになりたい時 /
「あるがまま」「自由」を感じたい時 /ネガティブな気持ちを追い出したい時




《身体の動きと表現(1)》と《身体の動きと表現(2) その日常生活での応用》は
エイトスター木曜会「天夢」での講演を基に 文章化しまとめたものです。
ただし講演では 姿勢による感情表現の違いを 音を使って具体的に提示しましたが
この文章ではそれは省いてあります。








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コンサートでのお話しから
特別にしない
快感と感動
モデルになり合う
癒しの時代から 生かしあいの時代へ
身体の動きと表現(1)
身体の動きと表現(2)
〜その日常生活での応用

エネルギー運動の方向性と芸術の様式
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