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ゴチック様式の始まり

~そのそもそもの目的と意味

《幸也の世界へようこそ》《幸也の書庫》《絵画を見る目・感じる心》 → 《ゴチック様式の始まり》


(ここでは 芸術様式の説明ではあっても
視覚芸術=美術=絵画・彫刻・建築)のみを扱っていて
それ以外の 音楽・文学・写本・織物などには触れていません。)


ゴチック様式は 1140年頃にフランスのパリのすぐ北にあるサン・ドニ修道院で始まり
その後およそ400年間にわたってアルプス以北のヨーロッパを支配した芸術様式であり
ヨーロッパの文化においては もっとも強力な影響力をもった時代様式です。
(日本では 「ゴシック」と言われることが多いようですけれども
本来は フランスに暮らしていた「ゴート族の文化」ということで名付けられたものですから
「ゴティック」という発音が正しいようですが ここでは読み易い様にゴチックと標記します。)

1)ゴチック様式の始まり

1096年に (現在のベルギー国内の)ブイヨン領主だったゴットフリード・ブイヨン公は
第一次十字軍を率いて 聖地エルサレムへと出発し
三年後の1099年に イスラム教徒に占領されていた聖地エルサレムを
キリスト教徒の手に奪い返すという快挙を成し遂げました。
エルサレムの王となることを期待された彼は しかし謙虚な人でしたので
「エルサレムの王は イエス・キリストただ一人である」としてそれを辞退し
自らを「キリストの墓の守護者」として エルサレムを統治しました。
しかし丁度一年後 彼は病死してしまいます。
その後 「十字軍の兵士たちを守るため」という名目で
聖堂騎士団(テンプル騎士団)が設立されました。
しかし 聖堂騎士団がしたことは 実はエルサレムのソロモン宮殿の中での発掘でした。
そして数年後 探していたものを見つけた彼らは それを携えて
北フランスへと移動します。
そして その数年後に突如現れたものがゴチック様式でした。

ということは ゴチック様式は 聖堂騎士団が生み出したことになります。
そしてゴチック様式が何を目的に始められたものか 何を表現しているのかは
聖堂騎士団が エルサレムで何を探していたのかと繋がっているわけです。

十字軍そのものは 聖地エルサレムをキリスト教徒の手に取り戻すということで
「聖戦」と言われました。
しかし キリスト教というものは
この時点ですでにキリストの死後千年以上たっていたわけですけれども
その中身は イエス・キリストとはかけ離れたものになっていました。
つまり 正統派キリスト教と名乗っていたローマ・カトリックは
実は イエス・キリストの説いた教えを実践し 伝え広めるのではなく
キリストとは関係の無い教義を打ち立てた「カトリック教」だったのです。

そういうキリスト教カトリックの歴史において
本来のイエス・キリストの教えを実践しよう それを広めよう
そして 後の世代へと伝えていこうという人々がいました。
しかし それはカトリックにとっては異端ですので
見つかれば弾圧されました。
(初期キリスト教時代のグノーシス派や 南フランスのカタリ派は
徹底的に弾圧されました。)
ですから 見つからないようにしなければなりません。

実は 聖堂騎士団が エルサレムのソロモン宮殿で探していたものは
イエス・キリストの本当の教えを知る手がかりとなる
彼が学んだ古代エジプトの秘儀であり
そして イエス・キリストの子孫に関する情報だったのです。
なぜならば キリストの子孫は
彼の教えを隠れて伝えているのではないかと思われたからです。

ヨーロッパ人は ヨーロッパの文明はギリシャから始まったと主張しています。
しかし実際には それ以前のエジプト文明から 多くのものを引き継いでいました。
そして エジプト文明は 一万年以上続きましたが
不思議なことに 一切発展も進化もしていないのです。
エジプト文明というものは 最初に完成したものがあって
それが時代とともに退化し衰退していきました。
ですから古ければ古いほどに 高度な文明だったわけです。
エジプト文明そのものは衰退していきましたけれども
その古代エジプトからの高度な知恵や技術を
「秘儀」として伝えていたごく少数の人々がいました。
イエス・キリストは それを学んでいたのです。
そしてそれが 彼の説いた教えの根幹となっていたのです。
それを聖堂騎士団は エルサレムで探したのです。

そして探し出したものを その当時の人々に広め そして
後の時代の人々に伝えたいのですけれども
しかし それを誰にでも分かるようにしてしまっては 
カトリックから「異端」だとされてしまいます。
言葉で書き記したり伝えたりすることはできません。

ですので 言葉を使わずに 記号でそれらを伝えようとしました。
それがゴチック建築です。
壮大な建築の各所に 暗号としての記号を配置したのです。

ゴチック様式の目的は
「本当のイエス・キリストの教えと その元となった古代エジプトからの秘儀を
言葉を使わずに表すこと」でした。


2)ゴチック様式の意味

「この世」は 「宇宙」の中の一部分です。
宇宙の中での 物質の世界であり 時空間の世界です。
つまり 宇宙は 物質と非物質とで成り立っていますが 「この世」は物質の世界です。
その中で人間は 肉体という物質を持って生きています。
しかし 生きている身体(=生体)と死んでいる身体(=死体)は
何が違うのでしょうか?
「生きている」。というのは 「生命力」という
目には見えない=非物質のエネルギーがあるからです。

宇宙とは 非物質の=不可視のエネルギーと
物資の=可視のエネルギーとの集合体です。
しかし人間は 肉体という物質の五感で感じられるものごとだけを「真実」とし
五感で捉えられないものは無視してきました。
けれどもそれは 昔からそうだったわけではありません。
古代の人々は 今の人々よりもずっと敏感で
不可視の=非物質のエネルギーを感じていました。

古代エジプト文明は そのような
不可視の=非物質のエネルギーを基本としたものでした。
可視の=物質の世界は この宇宙の中でのごく一部分であると認識していました。
古代エジプトから伝えられた秘儀というのは
このような不可視の=非物質のエネルギーの動きを理解し認識して
それを この地上での生命活動に役立てようとするものでした。
しかし それらは物質ではなく 五感で感じられるものでもありません。
ですから 五感を超えた感覚を発揮させなければなりません。
そのためには鍛錬や修行が必要になります。
そしてそれは 誰にでも簡単にできることではありません。
だからこそ それを認識し活用できる人の数が時代とともに減少し
その結果として 古代エジプト文明は退化し衰退していったのです。

イエス・キリストは これらの秘儀をエジプトで習いました。
そしてそれを基にして 彼なりの教えを説いたのです。

そして 本来不可視のエネルギーの動きを
目に見えるように表したものが「神聖幾何学」です。
ゴチック様式というものは そもそもは建築から始まりましたが
この「神聖幾何学」を表すための建物が ゴチック建築なのです。
そして 宇宙のエネルギーを それと分断されてしまっているこの地上に伝え
私たち一人ひとりの意識を
宇宙のエネルギーと同化させるための道具でもあります。

ゴチック建築の 形としての特徴は
「上向きの尖がり」「垂直線の強調」「左右対称」ですけれども
これは 天に向かった矢印として 建物を建てたということであり
同時に 天からのエネルギーを受けると共に
私たちの意識を天に向けるためのアンテナであるということです。

日本人は 神社などで合掌をしますけれども
合掌も「指先を上に向ける」「縦の直線にする」「左右対象にする」というように
ゴチック建築の三つの特徴と同じにします。
これは 合掌が 天からのエネルギーを受けるための
そして私たちの意識を天に伝えるための
(つまり相互方向の)アンテナとして機能しているということです。
それによって 私たち一人ひとりの存在を
宇宙のエネルギーと同調させることを目的としています。

ということはこのアンテナは 受信のためだけではないということです。
発信のためにも使われているアンテナなのです。
私たちの「想念」「思考」を発信するための。

イエス・キリストが説いた教えのひとつが 「想念の大切さ」です。
動きというものは 想念によって始まり 想念によって変えられます。
「歩こう」と思って脚を動かし 「早く歩こう」と思って速度を変えられます。
ところが 日常生活において 私たちは
この「そもそもは想念が動かしている」ということを自覚せずに生きています。
半ば自動的に行動してしまっています。
歩くときに脚の一歩一歩の動きを自覚しながら歩いている人はまずいません。

けれども 全ての動きの始まりは想念です。
ですから 想念であらゆることが始まり そしてそれを現実化できます。
この想念の大切さを イエス・キリストは説きました。
「思えば叶う」ということです。

想念の中でも最も重要なのは 「宇宙と同調する」という思いです。
この思いを宇宙に(=天に)向けて発信するための
ゴチック建築の形であり 合奏の形なのです。


ですから ゴチック様式というものは
「神聖幾何学を表すための建物」であり
「宇宙のエネルギーを受信し 人間の想念を発信するためのアンテナ」だ
ということになります。


3)ゴチック様式の変遷と終演

そういう目的で始まったゴチック様式ですけれども
なにぶん暗号です。
誰にでも解るわけではありません。
始めた人たちには意味が分かっていましたけれども
時代と共にそれを分からない人々が引き継いでいくことになります。
ですから ゴチック様式は 形だけのものとなりました。
そして その形も時代と共に変遷していきました。
「何ためにその形にしたのか」の意味が見失われてしまったのです。
尖角アーチの尖がりは時代と共に緩くなり
最後にはほとんど尖がりが無くなってしまいました。
建物内部には 暗号は無くなりました。
しかし 装飾性は時代と共に増しました。
時代と共に本質が見失われて 枝葉末節が重視されるようになったのです。

そして 四百年も続いたゴチック様式ですが
ゴチック様式の目的と意味とがほとんど失われてしまった16世紀に入ると
宗教改革が始まり それによって ゴチック様式は終わりとなります。
(ゴチック様式はヨーロッパの中でアルプス以北の文化であり
宗教改革が起きたのもまたアルプス以北であり つまり同じ地域です。)

イタリア(=アルプス以南)で始まった ルネッサンス様式が入ってきたこと
宗教改革派(=プロテスタント)は 装飾性を否定したこと
反宗教改革派(=カトリック)は
17世紀に入ると世界伝道のためにバロック様式を使うようになったこと
これらの理由によって ゴチック様式は終わりとなりました。


(2017年11月11日)


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