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楽器の演奏法

 




5)「習う」とは

 

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この「楽器の演奏法」では どの楽器にも共通した「基本中の基本」を説明しています。

それぞれの楽器の演奏方法は それぞれの楽器の先生に習うことになります。 しかし 習ったからといって誰でもが素晴しく演奏できるようになるわけではありません。なぜでしょうか?

主な理由は三つあります。

まず 教師に「違い」が分からないからです。生徒一人ひとり体型/体格が違っています。 体型が違うということは 身体のエネルギーの動きの速度と方向が違うのです。 そして 器が違えば中身(=心の傾向性)もまた違うのです。ですから ものごとの感じ方/捉え方/考え方/表現の仕方が違うのです。 それなのに それを無視して 誰にでも同じことを教えます。 そうすると当然のこと「合う」「合わない」が出てきます。

ほとんどの教師は「自分はこういうやり方でうまく弾けている」というのを基準にして考えています。 でも 教師と生徒とでは身体が違うのです。ですから 身体のエネルギーの動きの速度と方向が違うのです

つまり 見るべきものは「エネルギーの動きの速度と方向」なのに ほとんどの教師は「型」「形」しか見ていないということなのです。 そして「自分のやり方=自分の型」を生徒にやらせます。

例えて言うと 人それぞれで足の大きさも形も歩き方も違うのに 誰にでも同じ靴を履かせるようなものです。 教えるべきは「型」では無くて 「(エネルギーの)動き」なのです。

 

二つ目に 演奏家として大成した人の多くは「上達が早かった」人たちです。 ではなぜ上達が早かったのかというと その人の「意識」「考え方」「体型」「エネルギーの流れ」などが 楽器を演奏するのに適していたからです。 つまりは それらの人たちのほとんどは「自覚せずに」上手くなっていったのです。 そういう人たちは大抵の場合 そういった「自らの中でのエネルギーの動き」を自覚していません。 ですから それを他人(この場合には生徒)に説明することができません。 これが 素晴しい演奏家が必ずしも素晴しい教師では無いという理由です。(これは 他の芸事やスポーツなどいろいろな分野で共通していることです。)

 

ということは 習う生徒の側に「型を習うことよりも エネルギーの動きの速度と方向とを習得する方が重要なんだ」という認識があるかどうかが重要になるのです。 そして それを「自分で感じて確認する」地道な積み重ねをできるかどうか なのです。

そして これが「創造性」なのです。 「習う」というのは「教わる」ということであり 先生から生徒への一方通行の伝達であり 受動的なもののように思えるかもしれませんが 実はそうではありません。 新しい靴が 自分の足に合うのか合わないのか 合わないのであればどう合わないのか あるいはどうすれば合うのかを感じ確認するのと同様に 先生から教えられた型が どうやったらば自分に合うのかを感じ探求できることが大事なのです。 それをするのは(あるいは出来るのは)本人なのです。そして 靴を履くのはそれ自体が目的なのでは無く歩くためであるのと同様に 型を習うのはエネルギーの流れを習得するためだということを理解していることが大事なのです。 「もっとどうしたらばより良く演奏できるのかを自分で認識して をれを実行できるようになること」。これが「創造性」であり 真に「学ぶ」ということなのです。

 

つまり 上達するかどうかは

☆教師の教え方

☆生徒の創造性

この二つによって 違ってくるということです。

 

「習うより慣れろ」という言い方があります。 楽器の演奏の場合には「慣れろ」の部分は「自分の身体の動きの速度と方向のコントロールの仕方を習得する」ということです。 (別の言い方をすると「コツを掴む」ということです。)  「習う」が三割 「慣れる」が七割です。ただし ものごとの上達には段階があります。 先ずは「習う/真似る」 そしてそれを「体得する/身に付ける」 そして「習ったことから離れて昇華する」という三段階です。初めの段階では「習う」「教わる」「真似をする」割合が多くなります。 後の段階に行くほど少なくなります。それを 生徒の段階を考えずに「習う」方を九割十割と押し付ける教師がいます。自分の複製を作らないと気がすまない教師もいます。 そういう教師に習う場合には 「この教師から学べるのはここまで」という見切りを付けることが大事です。
ところが逆に 全く教えることができない教師もいます。生徒に対して言う言葉はただ一つ「もっと練習しなさい」 これだけという教師もいます。 上記の 「習う」が三割「慣れる」が七割を 教師の立場で言うと 「教える」が三割 「コツを掴ませる」が七割です。 「もっと練習しなさい」だけでは そのどちらもしていないのです。そういう教師に付いてしまった場合には 「この教師から学べるものは無い」と見切りを付けましょう。 練習も演奏も「コツを掴む」事が大事なのです。つまり 良い教師とは「その生徒なりのコツの掴み方を指導できる」人なのです。

 

 

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