メニューにカーソルを乗せると展開します

ロココ様式の始まり

~そのそもそもの目的と意味

《幸也の世界へようこそ》《幸也の書庫》《絵画を見る目・感じる心》 → 《ロココ様式の始まり》


(ここでは 芸術様式の説明ではあっても
視覚芸術=美術=絵画・彫刻・建築)のみを扱っていて
それ以外の 音楽・文学・舞台芸術(=演劇・歌劇)・写本・織物などには触れていません。)



ロココ様式は 1725年頃フランスのパリで始まり
およそ50年間続いた芸術様式です。
バロック様式と(新)古典様式に挟まれたこの芸術様式は
期間としても短く 地域としても狭く ジャンルとしても限られていて
他の芸術様式と比べると 存在感は薄くなっています。


1)ロココ様式の始まり~ルイ15世時代

ヨーロッパ=キリスト教社会は
16世紀初めからの宗教改革と それに対するカトリックの反宗教改革とで
混乱していました。
芸術においても
カトリックによる反宗教改革と世界伝道の道具としてのバロック様式は
その「はったり」の表現
すなわち 中身の無い 大袈裟な表現により
精神性や崇高さとは無縁のものとなっていました。

バロック様式が 余りに芝居がかり
大袈裟な アクの強い表現をしたことは
初めのうちはその斬新な かつ強烈な表現がもてはやされましたが
やがて厭きられ敬遠されるようになります。
それは パリの宮廷で始まりました。

「太陽王」と呼ばれたルイ14世のあとを継いだルイ15世は
政治に熱心で軍事行動を好んだルイ14世とは逆に
政治的な能力には欠け 文芸を好みました。
そういうルイ15世の時代に始まったのがロココ様式です、
ルイ15世の宮廷では 力ずくの表現は敬遠され
優雅な・上品な・洗練された・繊細な・軽やかな表現が
好まれるようになりました。
これが ロココ様式の始まりです。

つまり ロココ様式とは 
「(力ずくで大袈裟な芝居がかった)バロック様式への反動」
です。


2)ロココ様式の始まり~ルネッサンスへの回帰

このようなロココ様式の始まりは
バロック様式以前のルネッサンス様式への回帰でもあります。
ルネッサンス様式は 個人個人の心の表現 感情の表現を重視し
「等身大の表現」をしました。
それに対してバロック様式では 全体としての圧倒的な表現を優先させて
その中での一人ひとりの気持ちは重視され無くなりました。
「個人」の存在は忘れられたのです。

しかし 生きているのは 私たち個人個人です。
一人ひとりが「生きている実感」を噛み締めながら生きているのです。
それを表現していないバロック様式が
人々の心とは離れたものとして厭きられたのは当然のことです。

ですので ロココ様式は
「人間の表現」を目指したルネッサンス様式に戻りました。
バロック様式の「力ずく=男性性」の表現から
ルネッサンス様式と同じ 「女性性」の表現へ。
「全体性」の表現から「等身大」の表現へ と。

しかし ルネッサンス様式そのものに戻ったのではありません。
パリの宮廷で始まりましたから 庶民の芸術ではありません。
時間もお金もたっぷりとある=あくせくと労働をしなくても良い
この世の中では限られた特殊な人々の好みの反映ですので
ロココ様式には「庶民性」はありません。
ルネッサンス様式が「民衆の芸術」だったのとは違っているのです。

これが ロココ様式の特徴である
優雅な・上品な・洗練された・繊細な・軽やかな表現
を生み出しました。

これは 日々の労働をしなくても良い
楽しみのためだけに生きられる人々の表現なのです。
ですから「生活臭」の無い表現です。
彼らの生活とは 子供のような「生活の憂いの無い 純真無垢」なものであり
それの表現がロココ様式です。

「ロココ」という言葉は そもそもは
「貝殻」を意味しています。
ですので(特に建築において)貝殻様の装飾が使われています。
ここから ロココ様式は 装飾性を重視した様式であることが分かります。
例えば服飾にしても
庶民が労働のために着る服は 装飾よりも実用性が重視されるのに対して
労働をしない貴族が着る服は 装飾を重視した「着飾る」ものとなります。


3)ロココ様式の変遷と終演

ロココ様式の特徴は
☆曲線の多用
☆細やかな装飾
☆女性性の強調
☆力まない 柔らかさ
☆豪華で高価な衣装
☆淡い色合い(パステルカラー)
などです。

しかし ロココ様式はそのそもそもが
「労働をしなくても良い 楽しみだけに生きられる」
宮廷の生活を基にしたものでしたので
だんだんと 中身の無いうわべだけの表現へと変わっていきます。
優雅な・上品な・洗練された・繊細な表現のための細やかな装飾は
やがて「装飾のための装飾」となってしまいます。
軽やかさの表現は「軽薄な表現」になってしまいます。
全てが 表面的な 上っ面の 中身が無いなってしまったのです。
それは 宮廷の中でのんびりと楽をして生きているようでいて
実は「本音を言えない」「宮廷の決まりごとに縛られた」
つまり本当には 伸び伸びと生き活きとは生きられない
「上っ面だけの優雅な生活」の反映としての表現になってしまったのです。

そしてそれは「生きる目的」を考えず
「宇宙」に目を見けることも無く 
「神」を意識することも無く
宮廷内での「欺瞞的な優雅さ」の反映としての
精神性の無さの表現となったのです。

そして ロココ様式は
再び 中身のある 精神性を重視した表現をしたい
という思いによって その後
(新)古典様式に取って代わられます。



(2017年12月7日)


このページの初めに戻る

カーソルを乗せると展開します