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この五千年来の地球文明~神の視点・神の計画

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目次
☆ 精神世界と物質世界
☆ 物質世界の探求
☆ 近代科学
☆ 忘れられた精神世界
☆ これからの地球文明





☆ 精神世界と物質世界

宇宙とは 波動です。
宇宙そのものが波動ですから 宇宙の中に存在してイ全てのものも波動です。
それらの波動は 人間の目に見えるものもありますけれども
人間の目には見えないものもあります。
あるいは 目で見るだけではなくて 五感といわれる感覚器官
(すなわち 視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)で
捉えられるものと捉えられないものとがあります。
しかし この地球での近代科学は
「五感で捉えられるもの」だけを取り扱ってきました。
そして 五感で捉えられないものに関しては
「非科学的」として無視 あるいは存在そのものを否定してきました。

しかし 五感で捉えられるものは
この宇宙に存在しているものの中で ほんの僅かなのです。

私たちが五感で捉えられるものを「物質」と言います。
近代科学とは すなわち「物質科学」なのです。
宇宙に存在するものの中で 物質しか取り扱ってはいないのです。

しかし この宇宙は 五感では捉えられない様々な波動があり
その中に「物質の世界」があります。
そういう物質の中の一つが 私たち人間の肉体です。
つまり 物質である肉体は 物質を認識できるようになっています。
それが肉体の性能なのです。
では 物質ではない波動は 人間には認識できないのでしょうか?
それは 肉体という道具を使わなければ 認識できます。

私たち人間という存在は
肉体だけの存在ではありません。
五感では捉えられない すなわち物質ではない波動もまたあるのです。
そのような 物質ではない波動でできている
「生命エネルギー体」を「霊」あるいは「魂」と言いますけれども
これが人間という存在です。
その生命エネルギー体も様々な波動を含んでいますけれども
それらの波動の中でも 一番粗い部分が物質として
つまり肉体としての部分です。
肉体よりもやや波動が細かい部分は「幽体」と言われています。
これは 目に見える人と見えない人とがいます。

近代科学は 物質だけを探求してきましたけれども
それ以前には 物質だけではなく
不可視の波動もまた 探求されていました。

そもそも 人間は いつでも今のような肉体を持った存在ではないのです。
ずっと以前には 今のような肉体は持っていませんでした。
霊体と幽体だけの存在だったときもあります。
人間は 宇宙によって生命エネルギー体が作られ
そして 宇宙そのものと一体になるまで成長するという目的で
この宇宙の中での成長を始めました。

物質の世界においても
鉱物・植物・動物を体験してきました。
すなわち いろんな種類の鉱物(砂や石)となり
いろんな種類の植物となり そして
いろんな種類の動物となって
実に様々な生涯を体験してきたのです。
そしてその後 人間となりました。
人間となってからも 様々な星に生まれ
様々な人生を体験してきました。
そして 今
この地球に地球人類の一人として生まれてきているのです。

人間にまで成長した人類は
「宇宙のあり方」「宇宙の法則」をある程度まで理解し
それに則って生きていました。
そして ある程度の高さの文明を築き上げました。
それは 不可視=非物質の文型であり 
すなわち「精神文明」です。

人間は その成長のために「もっと宇宙を探求しよう」と思いました。
そして その宇宙の探求とは
これまで築いてきた 不可視である非物質の世界=精神世界と
可視である物質の世界との 両方の探求です。
つまり 「物質世界」の探求に乗り出したのです。


☆ 物質世界の探求

物質世界の探求に不可欠なのは
「分ける」「分解する」ということです。
ここから 日本語の「分かる」という言葉が出てきました。
この物質世界において「理解する」というのは
すなわち 物質を分解することなのです。
ですから 近代科学は ひたすら物質を分解してきました。
より細かく見るために顕微鏡が発明され
細菌や分子が見られるようにありました。
(その 目に見えるようになったことを「発見」と言っています。)

しかし ものを「分ける」ということは
ものを壊すということなのです。
分解というのは 破壊なのです。
そもそも調和して存在しているものを
分解し破壊するのです。
だからこそ 地球人類は
破壊・暴力・闘争・略奪・殺戮をするようになり
それをすることを当たり前と思うようになったのです。
そしてその考え方で弱肉強食の世の中を作ってきたのです。

では その「分ける」やり方で
物質世界を探求した末には
何が起きるのでしょうか?
全てのものを破壊してしまうのでしょうか?

物質世界の探求において もう一つ重要なのは
物質は蘇生しない 再生しないということです。
私たちの身体に付いた傷や 怪我は やがて治ります。
生きている私たちには生命力があるからです。
しかし 死体に付いた傷は治りません。
死体には生命エネルギー(霊)はもう宿っていないからです。
これが「生き物」と「物」との違いです。
壊れた機械が 自然に治癒するということは無いのです。

しかし 物質世界の探求ということは
目には見えない(=五感では捕らえられない)
生命力というものは 無視します。
あくまでも 目に見えるものだけを扱いますから。
ですから 「生命」というものを扱いません。

これらが 近代科学 近代文明というもののあり方を決定付けたのです。


☆ 近代科学

近代科学は ひたすら五感で認識できるものだけを探求してきました。
そして その近代科学に基づいて
近代から現代の文明が築かれました。
産業革命が起こり
様々なものが 工場で機械で作られるようになりました。
ものを作る機械だけではなく
いろいろな機械を人間は使うようになりました。
いろいろな道具を機械化してきました。

それを人間は「進化」と言ってきました。
人類は進化したのだ と。

つまり それが進化ではないことに気付いていなかったのです。
宇宙のあり方とは反対の方向へと進んでいることに気付けなかったのです。

そして 「心」というものも無視してきました。
目には見えないものだからです。
目には見えないということは 非科学的なものだからです。

そして 人間を機械として扱うようになりました。
生命ではない物質として扱うようになりました。
人間もまた ものを作り出すために道具なのです。
そして さらには
人間が機械を使うはずなのに
人間が機械に使われる世の中になってしまいました。
大多数の人間は それに気付いていないかもしれませんけれども。

そして 人間が探求する それを科学と言ったはずなのに
科学で説明できないものは否定するようになったのです。
人間が説明できないものは 「非科学的」と切り捨てるようになりました。

全てが本末転倒なのです。

それは 宇宙のあり方に反しているからです。
近代科学 近代文明とは すなわち
宇宙のあり方にひたすら反してきたのです。


☆ 忘れられた精神世界

心を無視した近代科学は
心を無視した近代文明を作り出しました。
つまり 精神世界というものが人間から忘れ去られたのです。
物質万能 物質至上主義の世の中になったのです。

そして それは物質である「貨幣」至上主義をも生み出しました。
ものの価値を「お金」でしか捉えることができなくなったのです。

けれども 人間の世の中がそうなっても
不可視の世界 非物質の世界 つまり精神世界は存在しています。
人間がそれを認識できなくなっただけのことです。
つまり 宇宙とは
「精神世界」と「物質世界」とが重なり合っているものだ
ということを認識できなくなったのです。

これは 地球人類だけのことではありません。
この数千年来 地球に関わってきた異星人たちの中には
同様に物質文明だけを開発してきた存在もあります。
そういった存在たちが 地球人類を操ってきたのです。

あるものを「無い」と否定し
全てのものを分解し破壊し
そして世の中全体が機械の都合で動かさせるようになって
人間は少しずつ気付き始めました。
「何かがおかしい」「何かが違っているy」と。

物質世界の中に生きているとはいっても
あくまでも宇宙の中に生きているのです。
ですから 物質世界の探求だけでは
物質世界の認識だけでは 充分ではないのです。


☆ これからの地球文明

この五千年来の地球文明 に見られるような地球の歴史は
このような「物質世界の探求」:ということと関係しているのです。
地球人類が ある程度の精神文明を築いたあとに
物質の世界の探求に乗り出した
それが 生命を生かさない狩猟民族を生み出し
ものをこわす戦争となり
生命を扱わない医学となり
自然を壊す現代社会となり
地球も人類も破滅させようとしているのです。

けれども これはまだ過程です。

ものを細かく細かく分けていった その最後に到達するのは
全てを破壊してしまうことではなく
物質世界は 非物質世界の一部なのだという認識です。
そして そこに到って 人間は
精神世界を物質世界とを結びつけることが出来るのです。

やがては 物質の世界の探求を終えて
物質の世界は 非物質の世界の一部であることに気付き
精神世界と物質世界とを結合させた宇宙観を地球人類が獲得する
その過程なのです。

そして そのような
一見すると 宇宙のあり方に反した
全てのものを破壊するような世の中を作ったのは
神の意思に反しているようではありますけれども
実はそれは
人間が 宇宙をより認識し理解していく その成長のために
神が仕組んだものなのです。
神と人間とが協議して
成長のためにと仕組んだ学びの道なのです。

だからこそ
これまでの地球を支配し 人々を奴隷化し 搾取してきた
イルミナティー=カバールの人たちのことをも
恨んでも憎んでも裁いてもいけないのです。
全ては 学びの道なのです。
成長の一過程なのです。


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