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アール・ヌーボー

オルタ(ブリュッセル)とマッキントッシュ(グラスゴー)

その表現の違いと理由

《幸也の世界へようこそ》《幸也の書庫》《絵画を見る目・感じる心》 → 《アール・ヌーボー~オルタとマッキントッシュ》


この文章は ベルギーのアール・ヌーボー様式の代表者の一人とされる
Victor Horta ヴィクトール・オルタと
イギリスのアール・ヌーボー様式の代表者とされる
Charles Rennie Mackintosh マッキントッシュの
それぞれの作品に触れたときに感じるものから
この二人は何が違っているのか なぜ違っているのかを考察したものです。

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「アール・ヌーボー」という芸術様式が。
19世紀末から 20世紀初めにかけての 僅か30年ほどの短い期間でしたが
ヨーロッパにおいて一世を風靡しました
そのアール・ヌーボー様式の中心となったのが ベルギーでした。
特に ブリュッセルのVictor Horta (ヴィクトール・オルタ)
建築におけるアール・ヌーボーの先駆者として
その作品が世界遺産に登録されていますが
そもそもは イギリスで室内装飾として始まり
「アーツ・アンド・クラフト運動」と結び付き
室内装飾のヴィクトリア朝様式と  絵画の「前ラファエロ派」を経て
海を越えて大陸へと渡ってきた流れが
ベルギーにおいて 他の様々な分野へ発展し
総合芸術としてのアール・ヌーボー様式へと発展していった訳です。

アール・ヌーボー様式は 特に建築と絵画において広まりましたが
実際には 建物とその中に含まれる全てのもの
すなわち生活に関わる全てのものが含まれていました。
アール・ヌーボー様式は
室内装飾・家具・調度品・窓やドアの建具・食器・服飾・装身具などをも含んだ
あるいは音楽や文学にも及ぶ
総合芸術になりました。

そして ベルギーから
ドイツ(ユーゲントシュティル)/オーストリア(ウィーンのゼセッシオン派)/
フランス(ナンシー/パリ)/チェコ(プラハ)/ラトヴィア(リガ)/
ノルウェー(ストックホルム)/アメリカ(シカゴ)
などへと広まっていきましたが
それぞれの土地で 違った発展を遂げました。
ですので 建築においても ブリュッセルもウィーンもプラハも
  同じ「アール・ヌーボー様式」とは言いながらも
かなり違った表情をしています。

特に Victor Hortaとの対極にあるのが
グラスゴーのMackintosh ではないかと思います。
アール・ヌーボーの特色のひとつが
「曲線を多用している」ことにあります。
しかし 絵画や彫刻においては
直線を使わずに曲線のみで表現することは容易ですけれども
建築においては 直線を使わない作りは難しくなります。
ということは 曲線と直線との両方を使い それを組み合わせなければなりません。

この 直線と曲線とを組み合わせるという点において
HortaとMackintosh とは対照的なのです。

Hortaの幾つかの作品を見てみますと
彼の多用した曲線が 直線部分と調和していないのが感じられます。
曲線を使えば使うほどに 直線部分との不調和を感じさせてしまっているのです。
そして彼は20世紀に入る40才頃には早々とアール・ヌーボー様式に見切りをつけて
直線を多用したアールデコ様式へと移っていきました。
これは多分 彼が直線と曲線とを
融合させられなかったことが原因となっているのではないかと思います。

それに対して Mackintosh は より多くの直線を使いながらも
曲線と直線とを全くの違和感無しに融合させています。

この違いは一体 何処から来ているのでしょうか。
それは 二人の作品を見比べてみると分かるのですが
Hortaの作品からは 「この世」しか感じられないのに対して
Mackintosh の作品には 「この世」と「あの世」が感じ取れることに
あるのではないかと思われます。

アール・ヌーボーが曲線を多用するのは
「自然界には直線は無い」ということが由来となっています。
つまり  植物などに現れている曲線を模したところにその出発点が有ります。
イギリスのヴィクトリア朝様式で使われた
唐草模様などがその元となっています。
しかし ここで言う自然界というものは
実は人間が目で見て捉えている物質界のみのことを指しています。
Hortaもそこを出発点としました。
つまり Hortaの作品に表れているものは「この世」だけなのです。 

それに対して
Mackintosh の作品では 曲線と直線との不調和は感じられません。
彼の作品には「この世」と「あの世」
  つまり「天」と「地」とをつなぐ意識が
 直線となって表れているのが感じられます。
眼に見える現象界には直線は不自然なものかもしれませんが
眼に見えない 意識の世界では直線は逆に自然なものなのです。
「想念」=「思い」は 真っ直ぐに飛んでいきます。直線の動きなのです。
あるいは 宇宙の中の全ての存在物は エネルギーですけれども
そのエネルギーというものは 正多面体の構造をとっています。
正四面体(正三角形四面)/正六面体(正方形六面の立方体あるいはサイコロ型)/
正八面体(正三角形八面)/正十二面体(正三角形十二面)/
正二十面体(正五角形二十面)のような。
非物質の世界では 実は
直線が基本となっているのです。

Mackintosh はこのことを理解していたようです。
ですので Mackintosh の作品では
直線は決して曲線と対立するものではないことが
表われているように感じられます。

これは アール・ヌーボーの先駆けとなったイギリスの前ラファエロ派が
その名のとおり ラファエロ以前の画家の精神に戻ることを目指したのと
通じているのではないかと思われます。
ラファエロ(を代表とするイタリアルネッサンス)以前の芸術作品は
「神の視点」から作られていました。
「神の意思」「神が創り出したものの美しさ」を
目に見える芸術作品として作り出すことによって
「神の存在」と 「その有り方」とを表現するのが
ルネッサンス以前の芸術でした。
しかし ルネッサンス以後の芸術は
作者の自我の表現へと変わってしまいました。
ラファエロ(すなわちイタリアルネッサンス)以後の芸術作品が
  宗教性から離れて 人間の自我の表現という退廃した表現へとなってしまった
それを  それ以前の 全てのものを美しく創った神の世界を現すための絵画
全てのものを美しく創った神の想いを現すための絵画へと戻ろうという理念
つまり 神の世界とこの世とを対立させない考え方が前ラファエロ派の理念であり
それはアール・ヌーボーにも引き継がれました。
Mackintosh の作品には まさにそれが現われているのです。

だからこそ 直線と曲線とが融合しているのです。

Hortaが 「この世」という「現実社会」にのみ目を向ける人であったことは
彼が社会主義者であったことにも現われています。
社会主義は 神を認めません。
あの世も認めません。
目に見えない世界を認めません。
この世という現実社会で いかに幸せに生きていくかを追求します。
それはすなわち
「生活に関わるあらゆるものが美しくあるべきだ」という
アール・ヌーボーの理念と合致しています。
「美しく」とはすなわち 「人生を美しく生きる=幸せに生きる」
ということだからです。
しかしHoertaは この世しか見ていませんでした。

その点 同じベルギーのアール・ヌーボーではあっても
文学のアール・ヌーボーである
劇作家メーテルリンクの「青い鳥」とは対照的です。
「青い鳥」では チルチルとミチルは
あの世に行きます。
そして 幸せの青い鳥は どこか外の世界にいるのではなく
自分の心という内なる世界に居るのだということに気付きます。
これは 「外の世界=物質界」「内なる世界=精神世界」
とも言い換えることが出来ます。

そもそもは これがアール・ヌーボーの理念を作品化したものなのです。
アール・ヌーボーのキーワードに
「夢」や「永遠の青春性」があります。
それらは 時空間を越えたものであり
それはすなわち「あの世」なのです。
ということは
アール・ヌーボーから「あの世」の概念を取ってしまったらば
それはアール・ヌーボーでは無いのです。
ですから Hprtaは建築のアール・ヌーボーの先駆者と言われてはいますけれども
実は 彼はあくまでも形としてのアール・ヌーボーであり
理念としてはアール・ヌーボーでは無かったということになります。
これが 彼が40代に入る頃に早々と
アール・ヌーボー様式に見切りをつけた理由ではないかと思われます。

Mackintosh の代表作とされる
グラスゴーの美術学校の図書室に入りますと
上から 宇宙のエネルギーが降り注いでいるのが実感できます。
これがまさに彼が直線を使った理由なのです。
それに対して Hortaの建物では そういった
宇宙エネルギーを感じることはありません。

20世紀に入ると
芸術は「神」の概念から全くと言って良いほどに離れてしました。
つまり「この世」だけを 物質の世界だけを表現するようになり
かつ 「作者の個性」と称する 自我=エゴの表現が主流となってしまいました。
アール・ヌーボーは キリスト教的な「神」は表現しませんでした。
けれども 「あの世」の表現を通して
世界は「この世」で毛ではないことを
「物質の世界」だけではないことを表現しました。
そして それは「神」へと通じていくものです。

Hortaは 「神」の概念が無い 即物的な表現をしました。
その点で彼は 極めて20世紀的な芸術家であったと言えます。

そして 曲線と直線との使い方という
それだけのことで
このように作者の理念と生き方とが分かる訳です。


(2015年11月16日)



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