? ロヒール・ファン=デル=ウェイデン
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ロヒール・ファン=デル=ウェイデン
Rogier van der Weyden

ここでは ブルゴーニュ公国において活躍した画家ロヒール・ファン=デル=ウェイデンの
ベルギーで見ることのできる作品を中心に解説しています。

《幸也の世界へようこそ》《絵画を見る目・感じる心~芸術と触れ合うには》 → 《ロヒール・ファン=デル=ウェイデン》


《どの画像も別窓で大きな画像が出ますので そちらを見ながらお読み下さい》

ロヒール・ファン=デル=ウェイデンは 15世紀にヨーロッパを揺るがせ 絵画の概念を大きく変えた「フランダース・プリミティーヴ」(フランダース写実主義)の初期の一人であり 最も重要な一人とされています。

彼の生涯に関しての資料はとても少ないのですが 大まかには以下のようになります。

ロヒール・ファン=デル=ウェイデンは現在のベルギーのトルネの出身で (しかしこの時代にはまだ出生記録は無いのが一般的でしたので 推定で)1399年か1400年の生まれだと思われています。

父親は刃物作り職人のHenri de la Pastureで ですのでそもそもはロジェー・デ=ラ=バストゥルというフランス語の姓名を名乗っていました。
25歳(あるいはその前)からトルネの画家ローベルト・カンピンの公房で絵を学ぶようになります。
26歳の時に父親が亡くなり 実家の家屋は姉妹夫妻が購入し そこに一緒に暮らし続けました。
27歳でブリュッセル出身の女性と結婚し 同じ年にローベルト・カンピンの公房に弟子入りして その後五年間徒弟として修行しました。(27歳以前に絵の勉強を始めていたようですが それ以外それまで何をしていたのかは全く不明です。この時代には男性は親の職業を継ぎ 30歳前後で職業的に身を固めてから結婚するのが一般的でしたので 結婚してから修行を始めるのは例外的です。後に妻の出身地ブリュッセルに移住したことを含めて妻の家の影響があったのかもしれません。) 
徒弟期間を終えてトルネでギルドの親方の試験に合格し 当地のギルドに加盟して創作活動を始めました。(師匠のカンピンが不倫罪で追放処分となった直後に親方試験に合格していますので 最初はカンピンの公房を引き継いだ可能性もあります。) 

ブルゴーニュ公爵の宮廷があるブリュッセルで暮らすことにした1435年に 姓をそのオランダ語訳であるウェイデンに変えました。(ブリュッセルは オランダ語地域でした。)(バストゥルもウェイデンもいずれも「原っぱ」という意味です。)(オランダ語のファン=デルは「~の」という意味です。)

活動範囲は ブルゴーニュ公国のフランダース伯爵領/ブラバント公爵領で すなわちその当時ヨーロッパで最も経済的に繁栄していた地域です。イタリアやスペインからの注文も受けていますが 制作はブリュッセルにて行われています。

この時代には絵画はまだ「宗教画」と「肖像画」の二種類しかありませんでしたので 画家の活動は教会および宮廷と結び付いていました。ブルゴーニュ公国は ヨーロッパ内で最も経済的に繁栄したのみならず 芸術においてもその繁栄は群を抜いており ですから芸術家として活動するにはとても良い条件の地に居たわけです。
(この時代の画家が何をしていたのかは こちらをご参照下さい。⇒「画家は画家?」

絵画に「宗教画」と「肖像画」しかなかったということは 14世紀に入るまでは「画家」という職業は無く 修道士や司祭が絵を描くのが一般的でした。そしてだんだんと絵を描くのが得意な聖職者が それを専門とするようなり そして独立した画家という職種が生まれ ギルドが結成されたのが14世紀でしたので ウェイデンの時代には「画家」という言い方がされるようになっていました。

宗教画を数多く制作しましたが 彼がどの位キリスト教と(一般信者として以上に)関わっていたのかは分かっていません。長男がルーヴェン大学で学んだ後 司祭になっていることや 50歳の頃にローマまで巡礼に行ったことは それなりに資産があったことを物語っています。

宮廷との結び付きでは ブルゴーニュ公爵の宮廷からの注文を多く受けていますが 宮廷画家とはならず1436年から没するまでブリュッセル市の専任の画家という地位にありましたので 市の行事に関わる様々な装飾を担当していたと思われています。(ですので トルネのギルドに所属し続け ブリュッセルではギルドに加盟していません。)

各都市のギルド内では 親方たちは毎月集会を開き情報交換をしていましたが 他の都市のギルドや画家たちとどのくらいの関わりを持っていたのは不明です。ヤン・ファン・アイクの作品からの影響などから その作品に触れていたことは確実ですが 個人からの注文の作品であれば 制作者から注文主に作品が渡される前の段階で見ているはずですので (公房を訪れるなど)それなりの交流があったかと思われます。

ウェイデンは(ヤン・ファン・アイクと共に)ヨーロッパでもっとも影響力を持った画家であり その当時 及び彼に続く時代の画家たちに(特にイタリア/スペイン/南ドイツにおいて)多大な影響を与えました。すなわち 多くの画家たちが彼の絵の題材/構図/表情などを真似しました。彼の弟子の中でも最も成功したのがハンス・メムリンクです。

署名を入れた作品はありません。残されている制作契約書によって いつどのような作品が制作された(であろう)ことが分かっていますが 個々の作品はあくまでも推定で彼の作(または 彼の公房での作)とされています。制作年も推定です。

四人の子供のうち一人が画家となり 更にその息子(=孫)の一人も画家となっています。

1399/1400 トルネに生まれる
1426頃 結婚
1427頃 長男誕生
1427~1432 徒弟としてローベルト・カンピンの公房で修行
1432 トルネの画家ギルドに親方として登録される
1435 ブリュッセルに移住
1436 ブリュッセル市の専任画家に任命される
1437頃 息子のペーテル誕生 後に画家となる
1444頃 ブルゴーニュ家の宮殿の近くに邸宅を購入
1450 ローマへ巡礼
1462 ブリュッセルのカウデンブルグの聖ヤコブ教会の「聖十字架兄弟団」に夫婦で加盟
1462 修道院に多額の献金
1464 6月18日に死去 ブリュッセルの聖グーデレ教会(今日の聖ミカエル・聖グーデレ大聖堂)に埋葬される
1477 未亡人死去

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「十字架から降ろす」
1435/1440頃の作?
(プラド美術館/マドリッド/スペイン)
高さ220cm×幅262cm
ウェイデン「十字架から降ろす」プラド美術館
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現存するロヒール・ファン=デル=ウェイデンの最高傑作。 ルーヴェンの足弓(=十字弓)ギルドの依頼で制作され その祭壇に置かれたものと思われていますが 後にスペインの修道院に贈られました。 三連祭壇画でしたが 左右の開閉扉は失われています。 (およそ半分の大きさの作者不詳の複製(1443年作)が ルーヴェンの聖ペテロ教会にありますが それは両翼が残されており その複製の注文主一家とその守護聖人が描かれています。)

【十字架から降ろす】複製
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ウェイデンがブリュッセルに移ってから間もなくの作品であり まだ大掛かりな公房を持っていなかったことが覗えます。 ほとんどの部分は彼自身の手で仕上げられており そのために完成度が極めて高くなっています。

1)最小限の背景
背景がほとんどありません。極めて限定されています。宗教画の伝統に則って金無地になっており それによって天界を現しています。しかし 人物がほぼ等身大で画面いっぱいに描かれており それによってこの絵は「宗教画」を越えた何かを表現しようとしているのが分かります。 そして 少ない背景によって緊張感や臨場感が巧みに表現されています。
2)無駄の無い/隙の無い 凝縮された構図
人物像はいずれもが どこにも隙が無い緻密な配置となっていて 全く無駄がありません。 その無駄の無さが凝縮感を生み出し その凝縮とはすなわち「作者の想い」の凝縮であることが表現されています。
3)人物の的確な配置/姿勢
それら全ての人物像は いずれもが的確な配置がなされ 的確な向きに描かれています。 それによって各部分の そして全体のエネルギーの流れが極めて自然に滞りなく表現されています。
4)感情表現
個々の人物の感情表現が とても写実的であり真に迫っています。 ウェイデンは特に泣いている顔の描写にとても長けていて 「泣きのウェイデン」と称されましたが その表現が充分に発揮されています。 しかしその感情表現は自然なものであり 芝居がかった過剰な表現とはなっていません。
5)現実感と象徴感
そのような感情表現や人物の姿勢によって 臨場感が充分に表現されています。 等身大に人物を描くことで この絵を見ている私たちが「この場に居合わせている」臨場感を得ることが出来ます。 しかし その反面「過去の重要な出来事」としての「記念碑的表現」にもなっています。 両上端のゴチック装飾によって 見ている私たちと場面の中とが分かたれています。 つまり 「臨場感」と「記念碑的象徴感」との両方が巧みなバランスで表現されています。
6)静止感と動感
そして そのバランスとは「静止感」と「動感」のバランスでもあります。 「臨場感」は「動感」と 「記念碑的象徴感」は「静止感」と結び付いていますが その両方が 画面の中で全く違和感無しに表現されています。 例えば 夜空の星々は止まっているように見えますが しかし止まってはいません。 あたかも その星々の「止まっているように見える動き」が表現されているかのような印象です。
7)小宇宙
それら全てを纏めてみると 結局はこの絵で表されているものは「小宇宙」だということなのです。
宇宙の中で 一部の隙も無く規則的に動いている天体。それぞれの星での生命の営み。 それらは「何らかの意図によって生み出された」ものであり その「創造者としての視点」から生み出されたのがこの作品なのです。 その認識があったからこそ 彼は「真の芸術家=創造者」たり得たのです。
そして その「小宇宙」とは 「日々の生活の全ての瞬間が祈りとなっている」生き方が表現されているということでもあります。 ウェイデンがそれを意識しておらず それを実践していいなかったらば それを表現することは出来たでしょうか?  それがまさにウェイデンの生き方であり 彼の悟りの境地であるからこそ それを表現できているわけです。 その境地に至っていない 弟子たちに同じ表現は出来ません。それが彼の工房で作られた他の作品との違いとなっているわけです。

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「七秘蹟」
1445/1450頃の作?
(王立美術館/アントワープ/ベルギー)
1445/1450頃の作?
中央パネル=高さ200cm×幅97cm 両翼=高さ119cm×幅63cm
(開いた状態での幅=223cm)
ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【七秘蹟】
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ベルギーに現存するロヒール・ファン=デル=ウェイデンの最高傑作。
キリスト教の七秘蹟が並べられています。七秘蹟(=秘跡)とは キリストによって定められた 神の超自然の恩寵を示す印を与えることによる活作用のことです。
(左端から順に)
「洗礼」キリスト教徒になるために生まれてすぐに受ける
「堅信」12歳になって本人が信者であることを自覚する
「懺悔」罪を告解して悔悛する(以上 左パネル)
「聖体拝領」パンはキリストの身体 ワインはキリストの血として授かる(中央パネル)
「叙階」聖職者になる
「結婚」神の定めた相手と結ばれる
「終油」死に際して罪の贖いを神に請うために身体に聖油を塗られる(以上 右パネル)

各場面の上には 天使が場面の説明を手にしています。この絵はトルネの大司教の注文で描かれたもので 注文主は左パネルの「堅信」の場面の司祭として描かれています。

1)空間性
この絵では(特に中央パネルで)空間性が巧みに描き出されています。ゴチック様式の高い建物の中での奥行きのある広がりは 天国を指し示し天界へ繋がるゴチック様式の目的が表現されています。
2)構図
その空間性は 計算しつくされたかのような無駄も隙も無い構図によって生み出されています。
3)方向
しかし 構図と共に重要なのは「向き」です。エネルギーの流れの方向です。(それを生み出すための構図なのですが。)  垂直性を強調した高い建物の中で 中央パネルの下部には磔刑の場に居合わせた人物が描かれていますが 磔にされたキリスト自身はかなり高いところに描かれています。 これによって 教会の中での七秘蹟と磔刑の場面とが違和感無く表現されると共に キリストは天界からそれを見守っている様子が表現されています。
中央パネルの建物の向きと 下部の磔刑の場に居合わせた人物たちの姿勢や方向は 全てが「そうあるべき」表現がとられています。 (左端赤い服の)ヨハネの顔から (右端赤い服の)マグダラのマリアへの線と ヨハネの顔から聖母マリアの顔を通って床へと延びる線とで 建物の中全体の遠近法が強調されています。 そしてヨハネの姿には 聖母マリアを気遣う気持ちが表現されています。
そしてそれら全体は 左から右への末広がりの構図ですが 七秘蹟が年齢の順に左から右へと(時計回りに)配置されているのを一目で(説明されなくても)認識できるように目を導いてくれます。
4)丁寧な描写
この絵には 様々な場面が描かれていますが そのどれをもが丁寧な緻密な描き方がされています。そして どの人物の顔も ウェイデンのお得意の優しい描き方がされています。

これら全てによって 絵の中で大きさの違いによって場面としての重要度の違いは表現されていますけれども しかし どの部分も同じ密度で描くことによって「価値」としての違いはないということが表現されています。 人生のどの場面も同じように重要なのです。どの人の人生にも価値があるのです。それがまさに「神の目」です。 七秘蹟というキリスト教の教義を絵にした作品でありながら 実はキリスト教の教義を越えた(=人々を裁いたり地獄に落としたりする神では無い)「神の目」を表している これがウェイデンの世界なのです。

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「ピエタ」
1441年頃の作?
(王立美術館/ブリュッセル/ベルギー)
高さ32,2cm×幅42.2cm
ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【ピエタ】
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「ピエタ」とは 十字架から下ろされたイエス・キリストの亡骸を聖母マリアが抱いている情景のことです。 アルプス以北のヨーロッパでは余り取り上げられない題材でしたが ウェイデンの作品によって流行となりました。 この時代 ウェイデンとヤン・ファン・アイクとが最も大きな影響力を持った画家でしたが 多くの画家たちにとってはウェイデンの方が真似をしやすかったと思われます。
この絵は 元絵がウェイデンの公房にあり それを元に人物を変えたりした複製が幾つも作られたと思われています

例によって ヨハネが左側にいます。そして 彼の顔から末広がりに右へと広がっていく構図によって 極めて自然なエネルギーの流れが表現されています。 逆に 左に傾く聖母とマグダラのマリアの姿勢によって この二人の気持ちの凝縮感が表現されています。
イエスの顔は 死んだというよりも眠って目を閉じている感じで 聖母マリアの顔も死んだ息子に頬を寄せているというよりも 「三日間の眠りについた息子」へのようにも見えます。 このような ことさらに悲しみを強調しない「くどさが無い」ウェイデンらしさが発揮されています。

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「アントワーヌ・ブルゴーニュの肖像画」
1456年と1464年の間?
(王立美術館/ブリュッセル/ベルギー)
高さ32,2cm×幅42.2cm
ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【アントワーヌ・ブルゴーニュの肖像画】
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アントワーヌは ブルゴーニュ公国を最も繁栄させたブルゴーニュ家三代目のフィリップ善良公の子です。 しかし 妻との間の子ではなく 33人いた側室の内の一人の子で ですので相続権などはありませんでしたが フィリップ善良公はきちんとした教育を受けさせ 後には公国の軍の司令官となり また 金の羊毛騎士団にも参加しました。 ですからこの当時ブルゴーニュ公国においても特に重要な人物の一人だったわけです。
金の羊毛騎士団の首飾りを下げていますが 衣装は派手ではなく よく見ると生地の高級感が丁寧に描き出されています。 手にしている弓は何を表しているのか不明ですが ブルージュでの弓道大会で優勝したことを表しているのかもしれません。
この時代には 肖像画は背景を黒無地で描くのが一般的でした。宗教画は背景を金無地にするのと対にしていたのです。
その黒無地に浮き上がるようにして描き出されているアントワーヌに顔には 軍人としての勇敢さや威厳が 奥ゆかしく表現されています。 だからこそ それが彼の内面からの本当の性格なのだということが表われているわけです。 まさに この角度からの描き方の長所を発揮しきっています。
そして その表情は落ち着いた衣装と黒無地の背景と違和感無く繋がり合っています。
ウェイデンは ブルゴーニュ公国の貴族たちから肖像画家として絶大な支持を受け 多くの注文を受けました。この絵と 次のクロワの絵とを見れば その理由は充分に納得できます。

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「フィリップ・クロワの肖像画」
1460年頃の作?
(王立美術館/アントワープ/ベルギー)
高さ49cm×幅30cm
ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「フィリップ・クロワの肖像画」
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二連画の右翼部分で 左翼には聖母(子)が描かれていたと思われています。ですので 正確には肖像画ではなく祭壇画です。 カリフォルニアにある聖母の絵が(大きさが同じなので)その片側ではないかと思われています。(しかし 一見して分かるように その聖母マリアの絵はウェイデンの手によるものではありません。)

ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【聖母子】サン・マリノ ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「フィリップ・クロワの肖像画」
【聖母子】【フィリップ・クロワの肖像画】
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フィリップ・クロワは ブルゴーニュ公の信が篤かった名門貴族クロワ家の出で この絵が描かれたのは彼の25歳頃と思われていますが 後に金の羊毛騎士団に迎え入れられています。 派手でない衣装は よく見るととても高級な生地なのがわかります。髪型は この頃の流行でした。
ウェイデンは ほとんどの肖像画を ヤン・ファン・アイクが始めた(と思われている)斜めの(「四分の三」と言われる)角度から描いています。この角度が最も表情を描き出しやすいからです。 つまり 感情表現だけではなく その人の性格をも表現しやすいからです。
さて この顔にはどういう性格が表現されているでしょうか?
肖像画に表現されているものは ①描かれている人の顔形と性格や感情 ②描いた画家の性格や気持ち ③当時の流行 ④理想の顔立ち です。 これらが合わさっていますから 本当に描かれている人の顔というわけではありません。
祭壇画ではありますが ではこのフィリップが本当に信仰心や宗教心が豊かな人だったのかというと 必ずしもそうではなさそうです。 もし上記の聖母子の面がこれと対であったのだとすると ウェイデンはそれを感じて弟子たちに描かせたのかもしれません。そして 注文主もそれで良しとしたのかもしれません。
ウェイデンの肖像画とは 鏡になっているのです。絵に描かれている本人が鏡に映っている自らの顔を見ているように描かれているのです。 しかし それは単に顔形が映っているだけではありません。その人の内面をも映し出しているのです。それが ウェイデンの画家としての技量という以上の 彼の達していた境地だったのです。

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「エノーの歴史書の献呈」
1447年
(王立図書館/ブリュッセル/ベルギー
1447年
高さ44cm×幅31.2cm
ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【エノーの歴史書の献呈】
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ブルゴーニュ公国は 芸術の様々なジャンルにおいて ヨーロッパで最も素晴しい作品を生み出していました。 その内の一つが手書き本です。この当時にはまだ印刷技術がありませんでしたので 本は全て手書きでした。全て手書きということは 作るのに手間隙が掛かりますので高級品でした。
字も絵も装丁も 高級品として丁寧に制作されました。字を書くのと 絵を描くのは別の人です。そして綴じるのも別の人です。
ウェイデンはこの本の挿絵を担当しました。
エノー伯爵領の歴史を綴った293ページの本の表紙で エノー伯爵領はブルゴーニュ公国の一部でしたので ブルゴーニュ家のフィリップ善良公に出来上がった本を作者のジャック・ギスが献上している場面です。 (ということは 実際に献上する前にこの場面が描かれたわけです。)
フィリップ善良公の左側には宰相ロランと大司教 右には息子(後のシャルル突進公)と金の羊毛騎士団の貴族たちが描かれています。 縁取りとして並べられている紋章は フィリップ善良公が治めていた土地のものです。
画家は 木の板に油絵の具で柄を描く以外にも 様々な仕事をしていました。その中でも重要だったのが細密画(=手書き本の挿絵)でした。 そして まさにこの細密画を手がけていたからこそ この時代の画家たちはとても細かい緻密な精密な描き方を油彩絵画でも出来たのです。

この本は 「ベリー公によるいとも華麗なる祈祷書」と共に中世の手書き本の最高傑作とされています。

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「聖母子を描く聖ルカ」
(グルーニング美術館/ブルージュ/ベルギー)
1447年
高さ44cm×幅31.2cm
ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【聖母子を描く聖ルカ】グルーニング美術館
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この絵は 複製を含めて世界で四点知られています。(実際にはもっと多くの複製が制作されたと思われています。)

ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【聖母子を描く聖ルカ】ボストン ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【聖母子を描く聖ルカ】サンクト・ペテルスブルク ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【聖母子を描く聖ルカ】ミュンヘン ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【聖母子を描く聖ルカ】ブルージュ
ボストン(大きい画像へ)/ サンクト・ペテルスブルク(大きい画像へ)/ ミュンヘン(大きい画像へ)/ ブルージュ

ボストン/サンクト・ペテルブルグ/ミュンヘン/ブルージュにあるものの内 ボストンのものが(赤外線透析で下書きが見つかったので)本物とされていますが 最も劣化しています。 その他はウェイデンの公房での複製を含めて後世のものと思われています。ただし  いずれの複製も質が高く その中でもブルージュにあるものが最も保存状態が良好です。
福音書記家聖ルカは 聖母子の肖像画を描いたということで「絵画の始祖」および「画家の守護聖人」とされています。その伝説を題材とした絵で 聖母子の部屋を訪れたルカがデッサンしている様子なのが見て取れます。 この絵は ブリュッセルの画家ギルドから 彼らの祭壇のために依頼され制作されたものと思われています。
構図や背景は 明らかに下の絵からの影響を受けています。(ウェイデン自身が真似をしようとしたのか ブリュッセルの画家ギルドの誰かがそれを頼んだのかは不明です。)  ウェイデンの作品に僅かに先立つ頃に制作されたヤン・ファン・アイクの作品で ブルゴーニュ公国の宰相ロランが聖母子を崇めている様子を描いたものです。 ヤンお得意の 息が詰まりそうなキチキチ感で描かれています。ロランは左側 聖母子は右側 そしてロランと聖母とは顔の高さがほぼ同じに描かれています。ロランは・・・石のように固まっています。 聖母子の前でガチガチに緊張しているのでしょうか? しかし「ガチガチ」動いている感じも伝わってきません。化石のロランは聖母を睨むようにして見つめています。

ヤン・ファン・アイク【聖母子を崇めるニコラス・ロラン】
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それをウェイデンは変えました。
聖母子が左 ルカは右で しかし 顔の高さは聖母よりも高くなっています。画面全体が「く」の字の構図になっています。(これは後にハンス・メムリンクに受け継がれていく構図です。)  左の壁掛けが天井から斜めに垂れているのが その「く」の字を助けています。
それによって動きが出ています。ルカは右隣の部屋からササッと現れて聖母子のデッサンをしています。(手にしているのはデッサン用のペンです。画像を開く)ですので中腰の姿勢です。 ルカが左側だと 彼の方が聖母よりも偉いかのような印象を与えてしまいますので 右にいます。
全体として ヤン・ファン・アイクの作品よりも柔らかい印象です。それがまさにウェイデンの特色なのです。
聖ルカの顔は ウェイデン自身の顔であると思われています。(上記ヤン・ファン・アイクの作品では 画面中央の遠景の中の男女がファン・アイク夫妻だと思われています。) 

Rogier_van_der_Weyden_Saint_Luke_selfPortreit.jpg(106809 byte)
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ブリュッセルの画家ギルド祭壇のための作品だとすると 「ギルドの画家の誰よりもすごい自分」ということで描いたことになります。 しかし 顔というのは描いた本人の顔に似るのが当たり前なのです。ですから 聖ルカの顔を想像で描けば ウェイデンの顔に似ていても不思議ではありません。

この作品は他の画家に大きな影響を与えました。聖ルカが聖母子の絵を描くという題材。室内と屋外の組み合わせ。背景の屋外の描き方。作者自身の顔を描いて作中に参加させること。 ヤン・ファン・アイクの作品の息が詰まりそうなキチキチ感よりも ウェイデンの作品の柔らかさの方が 他の画家が真似をしたくなるのは理解でるでしょう。

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「ボーヌの祭壇画」
開面=最後の審判 閉面=寄進者と施療院「神の家」の守護聖人 1450年頃
(神の家/ボーヌ/フランス)
1450年頃
高さ44cm×幅31.2cm
ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【ボーヌの祭壇画】開面
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ニコラス・ロランはブルゴーニュ公爵の信頼が厚く ブルゴーニュ公国の宰相を40年間勤めました。 彼とその妻が 首都ディジョン近郊のボーヌに私財を投じて建てた施療院「神の家」の礼拝堂の祭壇画として注文された作品です。 ボーヌはブルゴーニュワインの生産の中心地として栄えました。ですので ブルゴーニュ公国にとってはとても重要な街でした。 イエス・キリストの そしてブルゴーニュ公爵家の理念である「全ての人が幸せに」を宰相として実践することに生涯をかけたロランは この「神の家」によって「共生共育共愛」の精神を形として残したのです。

残念ながら (一目見て)この絵はウェイデンの公房での共同制作です。仕上げをウェイデン本人がしていない部分があるのが見て取れます。それがために全体としての統一性が損なわれています。 かつ この絵は祭壇画ですから 「神の家」の礼拝堂の祭壇に置かれて礼拝の時だけ開かれていましたが 今は専用の展示室に置かれています。つまり「祭壇画」としてではなく「絵画」として扱われています。 本来の目的とは違う展示の仕方をしていますから 当然作品の本来のあり方は伝わってきません。
閉じた面は 左からニコラス・ロラン/聖セバスチアン/聖アントニウス/ロランの妻 上段は受胎告知です。二人の聖人は この絵が描かれた当時の「神の家」の守護聖人です。

ロヒール・ファン=デル=ウェイデン【ボーヌの祭壇画】閉面
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寄進者夫妻はウェイデン自身が描いています。ちなみに このニコラス・ロランの顔を見比べてみましょう。左側がこの絵の(=ウェイデンの)もの。右はヤン・ファン・アイクが描いたものです。 どちらにも共通して表現されているのがロラン自身のもの 違って表現されているものは すなわちそれぞれの画家の何か(=想念)です。

ロヒール・ファン=デル=ウェイデンが描いたロランの顔 ヤン・ファン・アイクが描いたロランの顔
【ロヒール・ファン=デル=ウェイデンが描いたロランの顔】【ヤン・ファン・アイクが描いたロランの顔】
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礼拝する(=開いた)面は「最後の審判」が題材で中央パネルにはイエス・キリストと大天使長聖ミカエルが描かれています。 キリスト教の教義によると この地上での人生を終えると 人の魂は仮の場所に行き待機し やがて(いつか)来る最後の審判の日にそれぞれの人の魂の重さが量られて 天国に行くか地獄(煉獄)に行くかが振り分けられ 天国に行った人の霊は永遠の生をそこで過ごすということになっています。聖ミカエルが手にしている天秤で死者の魂の重さを量り 天国に行く人たちは左に行き天使に天国へと迎え入れられています。逆に地獄に行く人たちは右側に描かれ 一番右に煉獄の火が見えています。
そうやって題材を理解しながら見てみると ウェイデンは地獄に行く人たちの姿を彼自身の手では描きたくなかったのだろうと思えます。 なので(ついでに)天国に行く人たちの姿も弟子たちに描かせたようです。 ですので 表面的には(=姿で)地獄に行くか天国に行くかが表わされてはいますが それぞれの人の想念としてどちらに行くのかの違いは表現されていません。(実際に天国に行くのか地獄に行くのかは 地上での「行為」で決められるのでは無く「想念」によって決まります。)
人間の上には 十二使徒たちと聖母マリアと洗礼者ヨハネが描かれています。天界に居るということで雲に乗っています。 いかにも弟子が描いた雲です。しかし 顔はウェイデンが仕上げているようで ですので いかにもウェイデンらしさが出た顔が並んでいます。
中央パネルが(当然ですが)最も丁寧に描かれています。(画像を開く) 天秤を手にした聖ミカエルは 死者の体重を量っているように見えますが 魂の重さを量っています。 聖ミカエルは若々しい姿で描かれるのが決まり事でしたが この絵ではあたかも天使のように描き出されています。(天使の顔は中性に描くことになっていました。) その表情には 淡々と魂の重さを量っていく様子が現れています。人間の魂は 死後行くべきところに行くのです。それを一喜一憂してはいないのです。
更に上には イエス・キリストの姿が描かれています。あの顔の表情は 「天国に行くのも地獄に行くのも自己責任だ」ということを表しているのでしょうか? ここでもキリストの顔を このウェイデンが描いたものと ヤン・ファン・アイクが描いたものとで見比べてみましょう

【キリストの顔】ロヒール・ファン=デル=ウェイデン 【キリストの顔ヤン・ファン・アイク
【キリストの顔】ロヒール・ファン=デル=ウェイデン(左)とヤン・ファン・アイク(右)

先程のロランの顔と同様に 二人の画家の違いが現れています。えっ 同じ? キリストの顔はこのように描くことになっていたのです。   

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理想の人間像 ~ ウェイデンの描いた顔
一目見て「ウェイデンの作品だ」と分かる特色のひとつが 顔の描き方です。
幾つかの作品で見比べてみましょう。

ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「バラク祭壇画」のマグダラのマリア ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「十字架から降ろす」のマグダラのマリア ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「ピエタ」のマグダラのマリア ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「婦人の肖像画」部分 ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「婦人の肖像画」部分 ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「聖母子を描く聖ルカ」の聖母 ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「バラク祭壇画」の聖母
(ここをクリックすると大きい画像が開きます⇒) 【マグダラのマリア】 【マグダラのマリア】 【マグダラのマリア】 【婦人の肖像画】 【婦人の肖像画】 【聖母】 【聖母】

これらは 描かれている人の顔と 理想の顔とを合わせたものです。その「理想の顔」とは この時代の流行という意味での理想と そしてもう一つには「ウェイデンの理想」です。
どの顔にも共通して表われている穏やかさ。それは「この世」での日々の生活における様々な出来事に左右されていない穏やかさです。(それを納得するためには ご自分の顔を鏡に映して見てみましょう。) そしてそれは ウェイデン自身が日々そういう気持ちで生きていたからこそ表現し得たものです。

*van*der*weyden*van*der*weyden*van*der*weyden*van*der*weyden*van*der*weyden*van*der*weyden*

ウェイデンと後継者

ウェイデンは同時代 および彼に続く世代の画家たちに大きな影響を与えました。その中の一人で かつ最も画風が似ていて かつ最も成功したのがハンス・メムリンクです。 ウェイデンの公房で修業した後 ブルージュで創作活動をしたメムリンクは 宗教画と肖像画とで絶大な評価を得て 当時ヨーロッパで最も繁栄していたブルージュにおいても高額納税者として知られていました。 ウェイデンとメムリンクの画風は極めて近く 特に顔の描き方は見分けが付かないほどです。そしてはすなわち メムリンクは ウェイデンの技法だけではなく その精神を受け付いていることの証しです。
この二人の同じ題材の作品を見比べて見ましょう。

「コルンバの祭壇画」 1455年頃
開面=三賢者の礼拝 閉面左=受胎告知 閉面右=神殿奉献
(アルテ・ピナコテーク/ミュンヘン/ドイツ)
中央=高さ138cm×幅153cm 両翼=高さ138cm×幅70cm

ロヒール・ファン=デル=ウェイデン「コルンバの祭壇画」
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ハンス・メムリンク作
「ヤン・フロランの祭壇画」1475年頃
開面=三賢者の礼拝 閉面左=イエスの生誕 閉面右=神殿奉献
(グルーニング美術館/ブルージュ/ベルギー)
中央=高さ138cm×幅153cm 両翼=高さ138cm×幅70cm

ハンス・メムリンク「ヤン・フロランの祭壇画」
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こうして見比べてみると とても似ています。ほとんど同じ人の作品かと思えるくらいに似ています。しかし よく見るとメムリンクの作品の方が「く」の字の構図がはっきりしていて 動きが出ています。逆にウェイデンの作品の方は動きが少ない分 広がり感が出ています。
二人に共通しているのは 「隠し事が無い」ことです。隠された意味や 錬金術師的な秘密や暗号はありません。伝えたいことの全てが見た人に伝わるように 全てを描き出しています。

ウェイデンはブリュッセルに メムリンクはブルージュに公房を持っていましたが 両者共に肖像画家としても宗教画かとしても絶大な人気を得て 多くの注文が寄せられました。
16世紀に宗教改革が始まる前のこの15世紀には イタリアではルネッサンスが始まり ヨーロッパ全体に水面下では宗教改革の機運が高まっていました。ヨーロッパ=キリスト教社会という カトリックの枠組みの中にありながらも この時代のフランダース写実主義の画家たちは「地上天国」を描き出しました。彼らにとっては「この世=地上」とは アダムとエヴァがエデンの園を追放されてたどり着いた「罪人の地」では無いのです。この世とあの世とはひと繋がりであり あの世が天国ならば この世もまた(本来は)天国なのです。その「この世は(本来は)天国である」ことをフランダース写実主義絵画の画家たちは 克明な描写と 全てのものを最高に美しく素晴しく描き出すことで表現しました。そしてまさにウェイデンとメムリンクとがその代表なのです。彼らの作品にそれが最高度に表現されているのです。そして まさにそれがブルゴーニュ家の統治の理念であり その理念とはすなわち イエス・キリストの理念だったのです。
カトリックの教義では無く 本当の意味でイエス・キリストの志を知り 理解し 納得し そう生きることを選び そして実際にそう生き それを表現して人々に伝える。それは ベルギーという土地に連綿と続いてきた流れの中にあるものなのです。イエス・キリストの本当の教えを引き継いできた メロヴィング朝(クローヴィス王)/カロリング朝(カール大帝)/ゴットフリート・ブイヨン/十字軍/聖堂騎士団/金の羊毛騎士団という流れの中に。
ウェイデンの作品に表現されているもの すなわち彼が描き出し 私たちに伝えたかったものを 私たちはどこまで感じ取り 受け取ることが出来るでしょうか?

人間は 知ったことを出来るようになるのではありません。体験したことを出来るようになるのです。(例えば 料理本を読んで調理の仕方を知っても それで実際に美味しい料理を作れるというわけではありません。実際に料理してみることで出来るようになります。) ウェイデン(とフランダース写実主義絵画の画家たち)は 彼らの絵を見ることで「この世も天国」ということを知ってもらうだけでは無く その絵の中に参加して体験しているかのように受け取ってもらえるようにと絵を描きました。ですから その描き出されたものを 私たちがどこまで受け取ることが出来るのか それが「ウェイデンを見る」ということなのです。

(2022/02/12)


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