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Himalaya

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》《音と言葉》 → 《Himalaya》

ここに掲載した文章は
曲集〔 Himalaya 〕Op.147の映像作品において
音楽に添えられたものです。

〔 Himalaya 〕

①ヒマラヤ 雪の住処~神々の住処
②大地の母
③生命の河
④天空に連なる山々~神々の息吹
⑤雪山の彩り
⑥湖上の饗宴
⑦風の躍り
⑧山の記憶
⑨黄泉の国から立ち上る霊気
⑩ヒマラヤの青いケシの花
⑪精霊たちの讃歌の響き
⑫天女の祈りの舞

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① ヒマラヤ 雪の住処~神々の住処

ヒマラヤとは Hima=雪 Alaya=住処 すなわち「雪の住処」.
一年中その山々には雪を頂いている。

しかし あそこは雪だけの住処ではない。
神々の住処だとヒマラヤの人々は信じ続けてきた.

あの山々と青い空や白い雲は 繋がりあっているように見える。
なぜこんなに高い山々が連なっているのだろう?
何かの役割を持って あそこに立ち並んでいるのに違いない と思えてくる。

遠くから見ると美しい山々も その中に入れば険しい山。
植物も動物も寄せ付けないかのように。

それなのに あの山々を見ていると 心が和む 心が落ち着く。
そして なぜか親しみの気持ちが湧いてくる。
あの山々も 心が魅かれていく。

空に星々の輝きが見え始める頃 ヒマラヤの山々はその表情を変える。
白い雪山から 色合いに富んだ山々へと。

宇宙へと語りかけているかのようなその表情の変化。
静かに大地に横たわっていた山々が 雄弁に語り始める。
山々と宇宙とが 対話をしているのだろうか?

闇夜の訪れとともに ヒマラヤの山々は 漆黒の空へと溶け込んでいく。
深遠な宇宙と一体であるかのように。

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② 大地の母

チョモランマ=大地の母
チベットの人々はヒマラヤの最高峰をそう呼んできました。

大地の母神 大地の母なる神として
畏敬の念を込めてそう呼んできました。

チベットの人々は 全ての存在は本来一つであるということを
認識し実感して生きていました。
天と 宇宙と 神と繋がって生きていました。

だからこそ  ヒマラヤの山々が
沢山の生命を育んでいる母胎であることも実感していました。

そして その母胎である山々に 感謝と尊敬の思いを持ち続けてきました。
ヒマラヤの山々は チベットの人々にとっては「愛おしいお母さん」なのです。

山と人との間に エネルギーの繋がりをしっかりと感じていたのです。
だからこそ 日々感謝の歌を山々に捧げ その歌声を山々に響かせるのです。

それは 感謝の歌であるとともに 喜びの歌でもあります。
ヒマラヤの山々に抱かれ 育まれているのは人間だけではありません。
植物も 動物も どの生き物も「大地の母神」への賛歌を歌っているのです。

チョモランマ=大地の母神は 育みの思いとして全ての命の成長と幸せとを願い続けているのです。

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③ 生命の河

春になって陽気が暖かくなると ヒマラヤの雪が溶けて流れだします。
ヒマラヤの山々の膨大な雪が溶けて 山肌を勢いよく流れていくそれは
やがて山々の間で合わさり うねりとなって流れていきます。

その澄み切った水は あたかも全てのものを浄化するかのように。
そして 全ての命に生のエネルギーを与えるかのように

ヒマラヤからの水は 命の水として
全ての生きものを潤していく生命の川となるのです。

多くの生命が この水によって生まれ この水によって育まれ
そして この水の中へと死んでいきます

肉体を去った魂は川の流れに押しやられるかのように
またあの世へと 天界へと帰っていきます。

ヒマラヤを流れる川の水は
そもそもは ヒマラヤの山々に降り積もった雪が 溶けて流れたものです。
すなわち 天から降り注いだ雫の集積が 川の流れとなっているのです。
その滴とは 天から地上の生命への聖なる贈り物なのです。

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④ 天空に連なる山々 ~ 神々の息吹

Devgiri インドの人々はヒマラヤの最高峰を そう呼んできました
Devgiriとは サンスクリット語で「神聖な山」。
.
しかし このDevgiri=チョモランマ=エベレストと呼ばれる山だけではありません。
 
インドの人々 すなわちヒマラヤの南側に暮らす人々も
チベットの人々 すなわちヒマラヤの北側に住む人々も
同じように ヒマラヤの山々を神聖に感じていたのです。

それは 山々が神聖に感じられると共に
まさにそこには 神々が居るように感じられるからです。
神々の存在と その息吹とを感じ取れるのです。

そして この地では はるか昔からたくさんの人々が修行をしてきました。
神聖を 霊性を感じ取れるからこそ この地が霊的な修行の場となったのです。

そして 悟りを開き高度に進化した人たちは
数百年もこの地で生き続けていると言われています。
それらの人たちは一般の人間と触れ合うことはありません。
あたかも存在しないかのように 空気や霞のように
ヒマラヤの山々に隠れているのです。

そして ヒマラヤの山々と共に 地上の生命の幸せを祈っているのです。
天空に連なるヒマラヤの白い山々を目の前にした時に
私たちもそこへ同化していきたいと思わせる神聖さを感じ取ることができます。

そのような神聖さを湛えたヒマラヤの山々は
祈りの世界へと 私たちを誘っているのです。

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⑤ 雪山の彩り

遠くから見ると すっかり雪で覆われているかのようなヒマラヤの山々も
その中を歩いてみれば 雪が溶けた山肌に色鮮やかな花が咲いています。

ヒマラヤの暑くならない夏に 可憐に花を咲かせる植物たち。
澄み切った空気だからこそ こんなに色鮮やかになるのでしょうか。

「よくこんなに綺麗に咲いたね」 と思わず声をかけたくなる
誰にも見られることが無いかもしれないこの場所で。

しかし 健気に美しい花を咲かせ 精一杯にその生を全うさせる。
それはあたかも  人間の目には見えない
精霊や妖精たちと似たような存在なのかもしれません。

ヒマラヤの山々は その時々によって 空の色と共に山肌の色合いを 変えていきます。
ヒマラヤの山の様々な色合いを凝縮したかのような 植物の彩は

天から落とされた絵の具の雫であるかのような 聖なる色彩に見えるのです。

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⑥ 湖上の饗宴

ヒマラヤの雪解け水は 川となって流れ 僅かな平地に溜まり 湖を作ります。
その湖面は 昼には日の光を細く輝かせ 夜には月の光や星の輝きを映し出します

そして それらの湖には たくさんの生き物たちがやってきます
鳥や地上の小動物 そして虫たちも

さらには 目に見えない存在たちも
妖精たちや 精霊たちも 昼夜を問わず湖にやってきます。

妖精たちや精霊達は 湖で水の精と戯れるのです。
そして下流にいる生き物たちにも 思いを馳せているのです。
ヒマラヤでは 可視の存在も不可視の存在も 一体なのです。
全ての存在たちが 共存し合い 共生しているのです。

ヒマラヤの湖では 昼でも夜でも
目に見える存在と 見えない存在たちが 饗宴を繰り広げています。

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⑦ 風の躍り

ヒマラヤの山肌を 撫でるように吹く風。
山肌だけではなく 全ての生き物をも撫でて行きます。

あたかも 生き物の魂を掬うかのように。
掬われた魂は 地から空へと舞い上がります。
そして 舞い上がった魂達は 風と共に宙を踊るのです。
妖精や精霊達も一緒に。

そして 優しさや楽しさをその風に籠めて
その楽しい優しい気持ちを 風に乗せて広めていくのです。

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⑧ 山の記憶

ヒマラヤの山脈は 大陸の地盤の移動で形成されたと 人間たちは思っています。

しかし 全ての物事には 目的と理由があります。
なぜ ヒマラヤ山脈が形成されたのか
それには 何らかの「意味」があるのです。
そして 何らかの「目的」があるのです。

どの星も その星が誕生して以来の 全ての情報を蓄積しています。
星の地表からある程度の距離が その星の情報層となっています。

ヒマラヤの山々を見ると あたかも
地球のこれまでの全てを知っているかのようです。

ヒマラヤの山々は子守歌を歌います。
地球全体に向けて 地上の全ての生命へと向けて。
途切れることなく 子守歌を歌います。

地球が誕生してから これまでのことを
何十億年もの 地球そのものの歴史と
これまでに この地上に生きた全ての生命の生き方とを

それは地球の叙事詩

地球の全てを知っているかのように佇む ヒマラヤの山々は
「地球」という叙事詩を 子守歌にして歌い続けているのです。

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⑨ 黄泉の国から立ち上る霊気

遠くから見ると 雪と岩しかないかのようなヒマラヤヒマラヤの山々。
動物や植物など 地上の生き物を寄せ付けないかのような 厳しく険しい表情。

しかし それだけではない何かが湧き出てくるかのように感じられる。
高い険しい山々の下から 地底から湧き出てくるかのような
この世のものとは思えない それは 
黄泉の国から立ち上がってくる 霊気。

ヒマラヤの山々に立ち上る霧と
山肌をかすめて流れていく雲

それらは 変幻自在に形を変えながら 混ざり合っては消えていく。
あれらは一体 どこから出てくるのだろうか。

実は 山の精霊たちが姿を変えて 戯れているのです。
その時 合図の音が響き渡る。
戯れていた精霊たちは 自らの受け持ちの場所へと急ぐ

ヒマラヤの山々に立ち上る霧は 黄泉の国から立ち上る霊気であり
それと一体になった 山の精霊たちの姿でもあるのです。

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⑩ ヒマラヤの青いケシの花

ヒマラヤに六月に咲く 青いケシの花。
「ヒマラヤの青いケシ」と呼ばれるのは 標高が高いほど青が鮮やかになるからです。
その幻想的な青い色は ヒマラヤの山々の神聖な雰囲気を
花として体現しているかのようです。

標高が高く 気温も低いので 植物の生息にはあまり適してはいませんけれども
それだからこそ あの世に近い姿を植物たちも表すことができるのです。

けれども ヒマラヤの山々に咲くのは ケシの花だけではありません。
様々な種類の 様々な色の植物が それぞれに精一杯に生きています。

地球上で最も澄んだこの場所は 神々のささやかな庭園となっているのです。

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⑪ 精霊たちの讃歌の響き

ヒマラヤの山々は 高いところに行くほど 木が少なくなります。
雪に覆われた岩ばかりになります。

何も遮るものなく 太陽の光を浴びます。
ヒマラヤは この地上で最も太陽に近い場所なのです。

それはすなわち この地上で最も月に近い場所でもあります。
月光に照らされたヒマラヤの山では 誰もが「神秘」というものを感じます。
何らかの「気配」というものを ひしひしと感じます。

昼間の太陽に あるいは 夜の月光に照らされている時にも感じる「気配」  
それは  山にいる精霊たちが 賛歌を歌っているのです。

昼には 太陽と地球と山々の神性を讃える力強い歌を
夜には 全ての生き物の霊性を称えるひっそりとした歌を

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⑫ 天女の祈りの舞

ヒマラヤの山に生えている草を 草笛にして吹き鳴らす
その音は風に乗り 向こうの山に響き
その音に合わせて 天女が山への祈りの舞を踊る。
白い羽衣をたなびかせて。

祈りを 空気に 滲み込ませていくかのように。

山々の想いも 精霊達の想いも
そして祈りの想いも  全てが一体となっていく。

天女の白い羽衣は 雲に溶け合って宙をふわりと流れ
祈りの想いもまた 昇華していく。

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