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油彩の誕生と初期フランダース絵画

《幸也の世界へようこそ》《書庫》《絵画を観る目・感じる心》 → 《油彩の誕生と初期フランダース絵画》


【目次
①油彩の始まり
②写実主義の始まり
③巨匠たちとその作品
④巨匠たちの共通点と相違点
⑤フランダース絵画の高水準をもたらしたもの
⑥フランダース写実主義は何を表現したかったのか(巨匠たちの共通点)



①油彩の始まり

☆油絵の具以前の絵の具
一般に「西洋絵画」と言われているもの それはすなわち(西洋で描かれた絵ではなく)「油彩絵画」のことです。つまり油絵具( = 顔料を油で溶いた絵具)で描いた絵画作品です。

油彩の前にあったのは水彩とテンペラでした。水彩は 顔料を水で溶きました。テンペラは顔料を卵で溶きました。(フレスコは技術のことであって 顔料の名ではありません。)
しかし 水彩とテンペラとには 共通した欠点がありました。
①色の鮮やかさが出せない 
②細かい描写が出来ない
③グラデーションが描けない
④耐久性に劣る。

ZuidNederlandseSchool_ca1400.jpg(108534 byte)
〔作者不詳「マリアの生涯」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

これがテンペラで描いた絵です。
上記の欠点が一目で見て取れます。色の鮮やかさが出ていない。細かい描写が出来ていない。グラデーションが描けていない。耐久性に劣っている。
(この絵に関しては ⇒こちらに詳しい解説があります)

☆油絵の具の開発
そこで 絵の具の顔料を違うもので溶いたらどうか という試行錯誤が行われました。条件としては ①液状であること ②乾くこと です。
そうすると可能性としては ①油 ②蝋 ③蜂蜜 などになります。
溶剤を水/卵から油に代える試みは 古くからなされていたようです。しかし 溶剤を油に変えても 絵の具にはなりません。なぜならば 乾燥しないからです。
しかし 多分1400年前後 フランダースの(トルネの?)画家たちによって油絵の具が実用化されました。油乾燥剤が発見されたのです。油乾燥剤(シッカチーフ)を混ぜた速乾性の油を溶剤とした絵の具が開発されました。
なぜ フランダースの(トルネの)画家たちは これを発見できたのでしょうか?
中世の画家というのは 自分で絵の具を作らなければなりませんでしたので 錬金術に関わっていました。ということは 科学者だったのです。(今の時代の 学説を暗記するだけの科学者もどきとは違って 自分で実験/検証をする実践科学者でした。)
錬金術の中身は(古代エジプトからヨーロッパに伝えられていたものもありましたが) 聖堂騎士団によって中近東から伝えられたものでした。(第一回十字軍と聖堂騎士団は ベルギーで結成され 出発しました。) ベルギーでは 聖堂騎士団によって伝えられたものの伝統が引き継がれていたのです。(それが フランダース伯爵領とブラバント公爵領とが ヨーロッパ中で最も文化水準が高くなった理由の一つです。)

そして油絵の具が 水彩とテンペラの欠点を全て解消してしまったのです!
☆色の鮮やかさ/細かい描写/滑らかなグラデーション/優れた耐久性


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②フランダース写実主義の始まり

☆「本物以上に本物らしく」
〔フランダース写実主義〕
油絵の具の開発により 絵は写実主義絵画へと変わって(発展して)いきました。
ただし 油絵の具が開発されたから写実的な描き方をするようになったのか あるいは 写実的な描き方をしたいからこそ油絵の具が開発されたのかは不明です。多分後者であろうと思われるのは キリスト教美術はそもそも「写実的表現」を重視していた ということがあります。
「写実的」とは 画面の中の全てのものを(一切の例外無しに)目の前にくっきりはっきり克明鮮明に見ているように描く ということです。あるいは「実物そっくりに」描くということです。(ただし想像上のものは「実物」では無いのですが。)
なぜ そうしたのでしょうか?(これは 後で説明します)

ただし 「写実主義」というのは「現実主義」ではありません。すなわち 時間/距離/縮尺などがバラバラに描かれているのです。
なぜ そうしたのでしょうか?(これは 後で説明します)

油絵の具と油彩技術の出現と開発が ヨーロッパにおける絵画を一変してしまいました。油絵の具と油彩技術を持ったフランダースの画家たちが ヨーロッパ各地へと出向いて油彩絵画を披露し その当時のヨーロッパの画家たちは驚愕驚嘆します。それまでの水彩/テンペラによる絵とは全く違ったからです。そして 油絵の具+油彩技術でフランダースの画家たちはヨーロッパ中で大絶賛を博し 「画家 = フランダース人」と言われるようになりました。
そして そのようなフランダースの画家たちのことを 「Vlaamse Primitieven = フランダースの先駆者達」と呼ぶようになりました。 


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③巨匠たちとその作品

ということで フランダース出身の画家たちは ヨーロッパ各地で「巨匠」と言われるようになりましたが しかし それ以後今日までの六百年という年月の篩にかけられて 本当の意味での巨匠は僅かです。
「巨匠中の巨匠」が 以下の五人です。
☆ ロベルト・カンピン
☆ ファン・エイク兄弟
☆ ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
☆ ハンス・メムリンク

この五人と その次の四人の巨匠たちをこれから紹介していきます。

☆ ロベルト・カンピン
Campin_Annunciation.jpg(238238 byte)
〔ロベルト・カンピン「受胎告知」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

ロベルト・カンピン(1378?-1444)はトルネで活躍した画家であり 多分彼こそが油絵の具を初めて実用化した人ではないかと思われています。
極めて初期の油彩作品でありながら 油彩の長所 すなわち 色の鮮やかさ/細かい描写/滑らかなグラデーション/優れた耐久性 が遺憾なく発揮されています。
(この絵に関しては ⇒こちらに詳しい解説があります)

RobertCampin_Vrouw.jpg(82140 byte)
〔ロベルト・カンピン?「婦人の肖像画」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

この作品は作者不詳で しかし一応「カンピン作」ではないか?とされています。
絵とは思えません。まるで 生身の人間がそこにいるかのようです。

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☆ ファン・エイク兄弟
LamGods_Color_open_306x240.jpg(117666 byte)
〔ファン・エイク兄弟「神の子羊」(通称「神秘の子羊」)〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

この大きな作品は ヒューベルト(1366?-1426)とヤン(1390??1441)のファン・アイク兄弟によって制作されたもので 「写実の集大成」とも言える作品です。
画面の中の全てのものが極めて精緻に描き出されています。
(この絵に関しては ⇒こちらに詳しい解説があります)

JanVanEyck_VanDerPaele_2.jpg(116662 byte)
〔ヤン・ファン・エイク「聖母子を崇めるファン・デル・パーレ」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

ヤン・ファン・エイクの代表作の一つで 「写実の極致」とも言われています。しかし その「写実」とは 「全ては物質」であるかのような表現であり 「生命」を描き出してはいない ということも伝わってきます。

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☆ ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
VanDerWeyden_Antoine_de_Bourgogne.jpg
〔ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「アントワーヌ・ブルゴーニュの肖像画」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1390-1464)も トルネの人であり ですので カンピンの弟子ではないかと思われています。
彼は ヤン・ファン・エイクと共に 「フランダースの肖像画」を確立した画家とされています。

(この絵に関しては ⇒こちらに詳しい解説があります)

Rogier_van_der_Weyden_Seven_Sacraments_275x240.jpg(88149 byte)
〔ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「七秘跡」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます  ⇒こちらでもっと大きな画像が見られます

ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの代表作の一つ。特に 中央画面にその特色が発揮されています。

(この絵に関しては ⇒こちらに詳しい解説があります)

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次の三人は 一段下の巨匠です。

☆ ディルク・バウツ
Bouts_OttoIII.jpg
〔ディルク・バウツ「オットー三世の裁き」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

ディルク・バウツ(1410?-1475)は ルーヴェンで活躍した画家で ヤン・ファン・エイクやロヒール・ファン・デル・ウェイデンの次の世代です。しかし いかにもフランダース写実主義絵画で とても精緻な描き方がされています。
(この絵に関しては ⇒こちらに詳しい解説があります)

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☆ ぺトリュス・クリステュス
PetrusChristus_annunciation_1452.jpg(133244 byte)
〔ぺトリュス・クリステュス「受胎告知」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

ぺトリュス・クリステュス(1410?-1472)は上記ディルク・バウツと同じ世代になりますが 宗教画家/肖像画家としてとても人気がありました。

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☆ ヒューゴー・ファン・デル・グース
HugoVanDerGoes_death-of-the-virgin_2.jpg(124929 byte)
〔ヒューゴー・ファン・デル・グース「聖母就眠」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

ヒューゴー・ファン・デル・グース(1430?-1482)は 更に次の世代となります。ですので ルネッサンスの傾向が現れています。(三角形の構図/ぼかした輪郭線/品位の感じられない顔 など)。

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そして フランダース写実主義最後の「巨匠中の巨匠」が

☆ ハンス・メムリンク
メムリンク(1440?-1494)はドイツ出身ですが 当時ヨーロッパで最も経済的/文化的に繁栄していたブルージュにて制作活動をしました。ロヒール・ファン・デル・ウェイデンに師事したのでは中と思われていて ですから画風がかなり似ています。

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〔ハンス・メムリンク「ファン・ニューエンホーヴェンの二連画」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

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〔ハンス・メムリンク「聖カタリーナの神秘の結婚」〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

メムリンクの最高傑作とされている この「聖カタリーナの神秘の結婚」において 彼の一番の特色である「この世の天国」の情感が最も発揮されています。
(メムリンクに関しては ⇒こちらに詳しい解説があります)

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ジェラルド・ダヴィッド

〔ジェラルド・ダヴィッド「牛乳粥の聖母子」〕
⇒こちらで大きな画像が見られます

ジェラルド・ダヴィッド(1455-1523)は ハンス・メムリンクの弟子であろうと思われていますので 初期の頃はフランダース写実主義絵画を描いていました。しかし 後半生匠では ルネッサンスへと移行しています。
(この絵に関しては ⇒こちらに詳しい解説があります)

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④巨匠たちの共通点と相違点

五人の「巨匠中の巨匠」たちの作品には 何が共通しているのでしょうか?

☆巨匠たちの共通点
1)画面の中での高い(濃い)密度
2)構図/配置/方向 受け取る感性・感覚を研究
3)油絵の具の可能性を極限まで追求
4)妥協しない表現
5)何を表現する( = 何を伝える)かの理念が明確

1)画面の中での高い(濃い)密度
フランダース写実主義絵画を見て 最初の印象は「密度が濃い」ということではないでしょうか? 画面の中の全てのものが緻密に描き出されています。(肖像画の場合には 逆に背景はほとんど黒無地です。)
2)構図/配置/方向 受け取る感性・感覚を研究
絵全体の構図や それぞれの人や物の配置とその向きなどが それを見た人がどう受け取るか どういう印象を与えられるか 受け取る側の感性や感覚を詳細に研究しています。それによって 全てのものが無駄が無い表現となっています。
3)油絵の具の可能性を極限まで追求
すでに挙げたような油絵の具の長所(色の鮮やかさ/細かい描写/滑らかなグラデーション/優れた耐久性)が最高に発揮されるように その可能性を極限まで追求し開発しています。
4)妥協しない表現
そして 絵を描く全ての点において 一切の妥協をしない「とことん」表現しようという意志が伝わってきます。
5)何を表現する( = 何を伝える)かの理念が明確
その「とことん」の表現とは 結局は「絵画作品で何を表現し 何を鑑賞者に伝えたいのか」の理念が極めて明確だ ということなのです。


☆巨匠たちの相違点
(しかし それでも)画家ごとの表現の違いがあります。その違いとは 画家の人格/性格/人間性/思想の違いから出ているものです。

いずれも 左から右へ
上段:ヒューベルト・ファン・エイク/ヤン・ファン・エイク
下段:カンピン/ファン=デル=ウェイデン/メムリンク

5XVrouwenPortrait.jpg(1091452 byte) ⇒こちらで大きな画像が見られます
5XMadonna.jpg(1011373 byte) ⇒こちらで大きな画像が見られます
 
カンピンは 生身の人間の 人間らしさを表現しました。
ヒューベルト・ファン・エイクは 物質を通した魂の世界を現しました。
ヤン・ファン・エイクは 全ては(肉体も)物質であることを克明な筆致で描き出しました。
ファン・デル・ウェイデンは (カンピンの弟子らしく)人間らしさと 更には魂の存在を表現しました。
メムリンクは (ウェイデンの弟子らしく)肉体を通した魂の世界を描き出しています。


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⑤フランダース絵画の高水準をもたらしたもの

では このようなフランダース絵画の高水準をもたらしたものは 一体何だったのでしょうか?〕
1)緻密で理性的/感覚的な観察( = ゲルマン的)
2)経験/技術/道具/材料の共有
3)油絵の具の可能性の追求
4)何を表現したいかの理念と意志が明確
5)聖堂騎士団の理念を継承

1)緻密で理性的/感覚的な観察
これは ゲルマン的な傾向の現れです。ゲルマン民族の特徴は 理性的だということです。理念を重視します。そして 実際的実用的であることを重宝します。これは ラテン民族の傾向である 情緒的/雰囲気的/個人的とは対照的です。普遍性( = 不変であること)を重視しているとも言えます。
2)経験/技術/道具/材料の共有
画家たちの間で 様々なもの(経験/技術/道具/材料/情報)を共有し合ったことで 油絵の具の開発だけではなく 様々な点において水準を高めていくことができました。
3)油絵の具の可能性の追求
とことん写実的に「本物以上に本物らしく」描き出そうという意志の実現のために 油絵の具に関する情報/経験/技術/道具/材料を共有し合ったことで 発明されたばかりの油絵の具を 僅かな期間でその可能性を開発し尽くしてしまいました。
4)何を表現したいかの理念と意志が明確
絵を通して表現したいもの すなわち伝えたいものは何なのか その理念と意志とがきわめて明確で かつ確固としたものでした。単に 目の前にいる人を描いた肖像画では無いのです。単に 聖書の一場面を描いた宗教画では無いのです。
5)聖堂騎士団の理念を継承
そして それらの根底にあるものが 聖堂騎士団の理念を継承しているということなのです。(後ほど 詳術します。)


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⑥フランダース写実主義は何を表現したかったのか

(巨匠たちの共通点) 結局 フランダース写実主義の巨匠たちが(共通して)持っていた理念とは何だったのでしょうか?

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〔ファン・エイク兄弟「神の子羊」(通称「神秘の子羊」)〕 ⇒こちらで大きな画像が見られます

これは ファン・エイク兄弟による「神の子羊」の開いた面 = 礼拝する面です。上段は天上界が 下段は地上界が描き出されています。
ところが 下段の地上界にも「罪人」は描かれていません。この絵全体は ヨハネの黙示録第21章が題材となっていて 「新しいエルサレムが天から地に降ろされた」ことを描いて今すぅ。(本当の題名は「新しいエルサレム」でした。)
その 新しいエルサレムには罪人はいないのです。(とヨハネの黙示録に書かれています。)
カトリックの基本教義は「原罪」でした。全ての人は「原罪を背負った人間」として生まれ 生きているという。
しかし この絵ではそれは表現されていません。人間は誰でもが天上界の神の子であり その天上界から地上( = 新しいエルサレム)に神の子として生まれてくるのです。
この世の全ては「神(創造主)の創造物」です。神は 全てのものを「美しく」「素晴しく」創造しました。ところが キリスト教カトリックの神は「裁く神」「罰する神」です。
もし 神が全てのものを「美しく」「素晴しく」創造したのであれば 人間もまた「美しく」「素晴しく」生きることが当たり前なはずです。「この世」も「美しく」「素晴しく」あることが「神の意志」のはずです。

フランダース写実主義の画家たちが共通して持っていたのは 「全てのものを『神の意志』として表現しよう」という意志だったのです。
☆(人間の)目に見えている物質の表現ではない = 神の意志を描き出す
☆(人間の)目に見えているものの表現ではない = 神の目からはどう見えるかを描き出す

ということは それは反カトリックです。つまり (建前としては)宗教画としてキリスト教カトリックの教義の表現をしているようでいて しかし実は「原罪」や「罪の子」を描いてはいないのです。
聖堂騎士団が伝えたものは(カトリックの教えではない)イエス・キリストの本当の教えでした。(神の意志として)全ての人間は美しく素晴しく生きる「神の子」なんだということ。人間は 肉体だけの存在ではなく 霊がその本質であること。
フランダース写実主義は 聖堂騎士団の流れを汲む「反カトリック」だったのです。
同時代のイタリア・ルネッサンスも 芸術による「反カトリック」運動でした。
「反カトリック」運動と言えば 先ずは宗教改革が思い浮かびますが ルネッサンスと宗教改革の違いは 宗教改革は(アルプス以北のゲルマン民族が起こしたものであり)理屈でカトリックに喧嘩を売るものでした。それに対して ルネッサンスは(理屈ではなく)感覚的に人々に訴えかけるやり方をとりました。
写実主義は イタリア・ルネッサンスと同様に 感覚的に人々に訴えかけるやり方をとったのです。誰にでも分かる伝わる表現をしたのです。

「神」とは人間を裁き罰するのではなく 全ての存在を生み出し育み慈しむ存在なのです。
全て( = 宇宙)は「神の意志」であり すなわち「全ての存在は美しく素晴しい」ということの表現が写実主義絵画なのです。
それは 神は「慈しみ」の視線で全ての存在を見ているという 「神の視線」の表現でもあります。
ですから 写実主義の画家たちは 「美しく描こう」「素晴しく仕上げよう」「本物そっくりに描こう」と思ったのでは無く 全てを「神の意志」として表現するには 全てのものを美しく素晴しく表現せざるを得なかった その当たり前のことをとことん追求したのです。
カトリックの「原罪」ではない 「(本当の)神の意志」を絵として表現したい意志の強さ その確固たる信念の強さが 彼らの作品のその完成度の高さを生み出した本当の理由なのです。

ですから 本当は「写実主義」は間違いなのです。物質を描いているのではないのですから。物質を克明に描いたようでいて 実は「神の意志」という「想念」を描いたものなのです。だから 大きさ/距離/時間が現実のとおりではないのです。


しかし 芸術作品から何を受け取れるか 何を読み解けるかは 人それぞれです。その「それぞれ」というのは 結局は一人ひとりの感性の違い 観念の違い ひいては悟りの違いです。すなわち 芸術作品を鑑賞するということを通して 私たち鑑賞者の悟りが問われているのです。

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(この記事は ユーラシア旅行社のオンライン講座「フランダース美術とは」(計五回)の
第二回「油彩の誕生と初期フランダース絵画(写実主義)」の内容を文章化したものです。)



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