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中世ヨーロッパの宝物箱

~(フランダースを中心とした)ベルギーの美術(概要)~

《幸也の世界へようこそ》絵画を見る目・感じる心~芸術と触れ合うには → 《中世ヨーロッパの宝物箱~ベルギーの美術(概要)》



〔芸術が栄える要因〕

豊かさ・・・川/芸術を買ってくれる人/領主が芸術に理解があるか

〔地域〕

☆シュケルデ文化圏(フランダース伯爵領/ブラバント公爵領/ブルゴーニュ公国)
☆ライン・マース文化圏

〔時代様式〕

カロリング朝⇒ロマネスク⇒
ゴチック
ルネッサンス⇒バロック⇒ロココ⇒
(新)古典⇒
(ロマン派/印象派/象徴派/折衷様式/復古調)⇒
アール・ヌーボー⇒アール・デコ⇒シュル・レアリスム

〔シャンル〕

タペストリー/金属細工/木彫り彫刻/油彩絵画/手書き本(細密画)/建築/ステンドグラス



① 〔芸術が栄える要因〕

《豊かさ》
☆ 川(人/物資=原材料・道具・製品/情報=技術・知識 など)
☆ 芸術を買ってくれる人(教会/修道院/貴族/商人(ギルド)/都市)=その地方が経済的に豊かか
☆ 君主が芸術に理解があるか

☆ 素晴らしいもの・美しいものを生み出したい欲求。

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芸術が栄える一番の要因は その土地が豊かかどうかです。
大抵の人は 「豊か」という言葉を聞くと「お金持ち」と連想しますが
しかし お金は 豊かさの要素の一つであって それだけが豊かさではありません。

芸術が栄えるまず第一の要因は すなわち文明が栄える要因と同じで
川が流れていること です。
昔は 川によって様々なものが運ばれました。
人が運ばれ 物資が運ばれ 目に見えない無形(非物質)のものが運ばれました。
人が運ばれることによって それぞれの人の持っている
知識や技術や経験が運ばれていきます。
これらが「無形(非物質)」のものです。
ものとしては 原材料や道具や製品などが運ばれます。
そして これらが運ばれることによって 文化の交流が起きます。

そうやって その土地の文化・芸術が 豊かになります。

芸術が栄える二つ目の要因は
芸術を欲しがる=所有したがる=買ってくれる人がいることです。
物が生み出されても そして物が運ばれていっても
それを欲しがる=所有したがる=買ってくれる人がいないと発展しません。
つまり 豊かにはなりません。
(ここで お金が必要となります。)
中世のヨーロッパでは誰がお金持ちで 誰が芸術を買ってくれたのでしょうか?
一番のお金持ちは「キリスト教」ですから 「教会」と「修道院」です。
そして 領主たちです。
そして 商人や職人です。

中世のヨーロッパはキリスト教社会でしたので
すなわち キリスト教が世の中全体を支配し統治し管理していましたので
芸術もまたキリスト教と関わっていました。
絵画で言うと ごく僅かな肖像画を覗いては 全てがキリスト教絵画でした。
彫刻も ごく僅かな偉人の像を除いては 全てキリスト教のものでした。
音楽も キリスト教音楽として発展しました。
建築も キリスト教の教会建築として発展しました。
ですから 領主や商人たちが 自宅を立派に建て その内外を飾ったりもしましたが
基本的には芸術は キリスト教芸術として豊かになりました。

そして 芸術が栄える三つ目の要因は
その土地を治めている領主(君主)が芸術に興味があるかどうかです。
もしも領主・君主が戦争が大好きで 日々戦に明け暮れていたらば
その土地で芸術が花開いたりはしません。

そして 四つ目に
素晴らしい芸術を欲しいと思う人がいても
それを作り出す人がいなければ その土地の芸術は豊かになりません。
すなわち 中世のベルギーの芸術家たちは
とことん素晴らしいものを生み出そうという強い欲求を持っていたのです。


中世のベルギーは 素晴らしい芸術が生み出されるこれら全ての条件に適っていたのです。





② 〔地域〕

☆シュケルデ文化圏(フランダース伯爵領/ブラバント公爵領)
☆ライン・マース文化圏

☆フランダース地方=オランダ語地域
☆ワロン地方=フランス語地域

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今日のベルギー王国はヨーロッパの中でここに位置しています。
図表〔1〕ベルギーのヨーロッパの中での位置

ベルギーのヨーロッパの中での位置

ベルギーには 大きい川が二本流れています。

図表〔2〕ベルギーの主要な川
ベルギーの主要な川

いずれも 北フランスを水源としていて
ベルギーを通り オランダを通り 大西洋に注いでいます。
一本は「ムーズ(フランス語)/マース(オランダ語)川」(図表〔2〕の黄色)で
もう一本は「エスコー(フランス語)/シュケルデ(オランダ語)川」(図表〔2〕の赤色)です。
ムーズ/マース川は ベルギーの東側を
エスコー/シュケルデ川は ベルギーの西側を流れています。
ということは 今日のベルギーには
ムーズ/マース川流域の文化圏と ムーズ/マース川流域の文化圏と と
二つの重要な文化圏が形成されていたということになります。
エスコー/シュケルデ文化圏は
流域のトルネの周辺で採れる砂岩(トルネ青石)を使った建築や
油彩絵画が栄えました。
ムーズ/マース文化圏の方は 金属細工によって栄えました。

けれども 更に東のドイツをライン川が流れています。(図表〔2〕の橙色)
このライン川とムーズ/マース川に挟まれている地域は 一つの文化圏を確立しました。
ライン・マース文化圏と言います。
アーヒェン/マーストリヒト/リエージュがその中の三大都市ですが
今日では三つの国に別れ それぞれ言語も違っていますが
(アーヒェン=ドイツ=ドイツ語
マーストリヒト=オランダ=オランダ語
リエージュ=ベルギー=フランス語)
「ライン・マースの三兄弟」として一つの文化圏でした。

今日の「ベルギー王国」は1830年に独立して国となりました。
ですから 中世の時代には「ベルギー」という国はありませんでした。
では 何があったのでしょうか?
西の方で大西洋に面している地域は「フランダース伯爵領」でした。
その東側の内地が「ブラバント公爵領」でした。
そして その二つの地域は 一時期「ブルゴーニュ公国」の一部でした。

「フランダース伯爵領」と「ブラバント公爵領」を流れていたのはエスコー/シュケルデ川です。

図表〔3〕ブルゴーニュ公国領とその中のフランダー伯爵領(黄色)とブラバント公爵領(赤色)
図表〔4〕ブルゴーニュ公国領と今日のベルギー王国の位置関係

ブルゴーニュ公国領とフランダーsッ伯爵量/ブラバント公爵領 ブルゴーニュ公国領と今日のベルギー王国の位置関係

「フランダース伯爵領」と「ブラバント公爵領」は 中世のヨーロッパにおいて
最も経済的に繁栄した土地です。
そして 経済的に繁栄しただけではなく ヨーロッパ中で最も芸術的に繁栄した土地です。
毛織物産業と貿易業とによって とことん豊かになりましたので
都市が幾つも形成され(ヨーロッパ中で最も都市が多い地域となりました)
それぞれの都市の中には 立派で大きな建物
(教会/市庁舎/ギルトハウス/鐘楼など)が幾つも建てられ
毛織物産業と貿易業とで儲けたたくさんのお金が芸術に注ぎ込まれました。

そして更に 15世紀にこの地方を百年間にわたって治めた
ブルゴーニュ公国の君主たちが芸術に非常に理解があり
そのためにこの時代には (特にフランダース伯爵領は)ヨーロッパの芸術の中心地となったのです。
この地方で生まれた芸術家たちが素晴らしい作品を生み出し そして
他国からこの地に移住してきた芸術家たちも素晴らしい作品を生み出し
すなわち 芸術のあらゆるジャンルにおいて ヨーロッパ中で最も素晴らしいものが生み出されたのです。

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今日のベルギー王国は 南北二つの地域に分かれています。

図表〔5〕ベルギーの地域
ベルギーの地域

◎ベルギー北部=フランダース地方=ゲルマン民族居住地域=オランダ語地域
◎ベルギー南部=ワロン地方=ラテン民族居住地域=フランス語地域

これは 昔の「フランダース伯爵領」と「ブラバント公爵領」の区分や
川の流れに即したものではありませんけれども
しかし 「ベルギーの七大秘宝」を見てみますと
ブリュッセルとフランダース地方の四つはいずれもが油彩絵画であり
ワロン地方の三つは いずれもが金属細工であることからも
違う文化圏であることが見て取れます。 





③ 〔時代様式〕

カロリング朝 ⇒ ロマネスク ⇒
☆ゴチック
ルネッサンス ⇒ ☆バロック ⇒ ロココ ⇒
(新)古典 ⇒
(ロマン派/印象派/象徴派/折衷/復古調) ⇒
☆アールヌーボー
アールデコ ⇒ シュルレアリズム

(☆を付けてあるのは ベルギーにおいて特に重要な時代様式という意味です。)
(一つの行で繋がっているのは前の様式との関連があり 行が変わっているのは前の様式と関連が無いことを意味しています。)


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時代によって その時代の様式=時代様式というものがありました。
そして それらの時代様式は 今の時代の「流行」とは全く違っています。
それらは 数十年/数百年続いた流行であり かつ
芸術のあらゆるジャンルにおいての様式=総合芸術だからです。
これはすなわち ヨーロッパがキリスト教(カトリック)社会であり
芸術はキリスト教(カトリック)芸術として繁栄した
ということが理由です。

しかし カトリックによって ヨーロッパ全体が支配され統治され管理されていた中で
カトリックのやり方に対する反発もまたありました。
ということは 「反カトリック」の表現もまたあったわけです。
そして 反カトリックとして宗教改革が起きましたが その後は
芸術がカトリックから離れていくことになります。
それによって 芸術様式は総合芸術ではなくなっていきました。

★キリスト教(カトリック)芸術 ロマネスク/ゴチック/バロック
★反キリスト教(反カトリック)芸術 (初期)ゴチック/ルネッサンス/ロココ
★総合芸術
(建築/絵画/彫刻/タペストリー/音楽/文学/服飾 など)
カロリング朝 /ロマネスク/ゴチック/ルネッサンス/
バロック/ ロココ/(新)古典/アールヌーボー
★非総合芸術 ロマン派/印象派/象徴派/折衷/復古調
 

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では ここからは各時代様式について時代順に見ていきましょう。

☆カロリング朝様式(750年~900年)
カール大帝によって開かれたカロリング朝の時代の芸術様式。
しかし 今から千二百年前ですから ほとんど残っていません。
アーヒェン(ドイツ)の大聖堂がその代表です。
彫金細工も盛んになりました。

☆ロマネスク様式(1000年~1200年)
ロマネスク=ローマ風様式。
アルプス以北のヨーロッパにおける最初の石造建築の様式で
半円アーチを主体としています。
建築が主体の様式ですので 絵画は壁画 彫刻も柱や天井など
建物の一部が装飾されました。
ロマネスク様式

★ゴチック様式(1200年~1550年)
ゴチック=ゴート族の様式。(実際には違うのですが そう間違って名付けられました。)
ゴチック様式が栄えた時代が まさに
フランダース伯爵領とブラバント公爵領とが栄えた時代と重なっています。
ですから この二つの地域の繁栄期に建てられた立派な建物は どれもがゴチック様式です。
そしてそれはカトリック芸術の繁栄の時代でもあります。
芸術表現は建物から離れて いろいろなジャンルへと発展していきました。
ゴチック様式

☆ルネッサンス様式(1500年~1600年)
ルネッサンス=再生。
文芸復興(=古代ギリシャ・ローマ文化の復活)とも言われるルネッサンスは
実は芸術による反カトリック運動ですが
イタリアからルネッサンスが入ってくるのには およそ百年かかりました。
ゴチック様式=カトリック芸術全盛のフランダースとブラバントには受け入れられなかった
ということになります。
ルネッサンス様式

★バロック様式(1600年~1750年)
バロッコ=歪んだ真珠。
宗教改革や自然科学の発展によって カトリックの教義が疑われ 権威も揺らぎ
カトリックによる一枚岩のヨーロッパ支配が崩れ 世の中が歪んだことの表れ。
宗教改革=プロテスタントに対抗する カトリックの側の反宗教改革運動の宣伝道具として
バロック芸術が大量にアントワープで生み出され
「バロックのメッカ=アントワープ」と言われるようになりました。
バロック様式

☆ロココ様式(1740年~1770年)
パリの宮廷文化から始まった(=宗教芸術ではない)ロココ様式は
マリア・テレジア時代のベルギーにも入ってきました。
宮廷文化の象徴であり 優雅・上品・洗練・軽やかさ・お洒落を特色としていましたが
後には 宮廷内の本音を言えない上辺だけを取り繕った軽薄な装飾へと変化していきます。


☆(新)古典様式(1700年~1830年)
宗教改革の後 更にフランス革命によってカトリックの権威は揺らぎ否定された時代の
変化が大きい世の中での「安定」を求める気持ちの表現。
古代ギリシャ・古代ローマ文化にその範を求めた古典主義の「均整」を基本とした表現は
ナポレオンによって統治された時代には その帝国主義と結びつきました。
新古典様式

☆ロマン派/印象派/象徴派/折衷様式/復古調(ネオ~)/(1800年~1914年)
帝国主義/全体主義の様式である新古典様式に対する反動として
個人主義=個の表現を主とするロマン主義が生まれました。
しかし それはフランス革命以後 キリスト教によるヨーロッパ支配が弱まり
人々の心がキリスト教から離れていったこととも関係しています。
すなわち はっきりとした目的があったキリスト教芸術に対して
表現の目的が失なわれたということでもあります。
そのために芸術は総合芸術ではなくなっていきます。

そして 本当の意味での新しい表現が出ずに
過去の様式を復活させた復興調 それらの組み合わせた折衷様式という
安易な表現が出てきました。

★アール・ヌーボ様式(1880年~1914年)
アール・ヌーボー=新芸術。
独立後のベルギーは 産業革命以後の重工業によって繁栄期を迎えます。
芸術家たちの機械製品への反発から始まり
鉄の造形性を利用した曲線を使ったアール・ヌーボー様式がベルギーを中心に花開きます。
アール・ヌーボー様式

☆アール・デコ様式(1919年~1935年)
第一次世界大戦後の人間性への失望から 物質主義の様式としてアール・デコが出てきました。

☆シュル・レアリスム(1945年~1990年)
シュル・レアリスム=超現実主義。
第一次世界大戦・世界恐慌・第二次世界大戦と続いた
この世に対する失望から 「幻想」「妄想」の世界へと逃避する表現として出てきました。

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芸術の様式(あるいは表現)は 下記のような二つに分類できます。

★ゲルマン文化=男性性=理性的
ゴチック/(新)古典/アール・デコ

★ラテン文化=女性性=情緒的
ルネッサンス/バロック/ロココ/アール・ヌーボー

(それぞれの時代様式については 以下に解説があります。
芸術様式の始まりとその変遷
カロリング朝様式の始まり~そのそもそもの目的と意味
ロマネスク様式の始まり~そのそもそもの目的と意味
ゴチック様式の始まり~そのそもそもの目的と意味
ルネッサンス様式の始まり~そのそもそもの目的と意味
バロック様式の始まり~そのそもそもの目的と意味
ロココ様式の始まり~そのそもそもの目的と意味
(新)古典様式の始まり~そのそもそもの目的と意味
アール・ヌーボー様式の始まり~その意味と目的)





④ 〔シャンル〕

☆建築(ゴチック/アール・ヌーボー)=教会/市庁舎/ギルドハウス/鐘楼
☆タペストリー(壁絨毯)=アラス/トルネ/ブリュッセル/アウデナールデ
☆金属細工(金/銅/錫/鉄)=聖具/祭具/聖遺物箱/洗礼盤/祭壇/
☆ステンドグラス=教会
☆木彫り彫刻=聖像/祭壇/懺悔室/説教台/オルガン
☆手書き本(細密画)
☆油彩絵画=フランダース・プリミティーヴ/バロック/

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《建築》
ベルギーが最も繁栄した時代が すなわち建築の最盛期となります。
中世=ゴチック建築 近代=アール・ヌーボー建築

☆ゴチック建築
フランダースの繁栄期=ゴチック様式の繁栄期(13世紀~16世紀)のものであり
各都市の中に建てられた立派な建物です。
(教会/市庁舎/ギルドハウス/鐘楼)

◎教会
祈りのための集会所として始まった教会建築は
後に 神への捧げものとして立派に建てるようになります。
そして「立派に」は 「教会権力の象徴として」の意味に取って代わられます。

図表〔13〕トルネの聖母大聖堂 / 図表〔14〕ブリュッゲの聖母教会
トルネの聖母大聖堂 ブリュッゲの聖母教会

図表〔15〕ブリュッセルの聖グーデレ教会(現聖ミカエル・聖グーデレ大聖堂) / 図表〔16〕メッヒェレンの聖ロンバウツ大聖堂
ブリュッセルの聖ミカエル・聖グーデレ大聖堂 メッヒェレンの聖ロンバウツ大聖堂

図表〔17〕アントウェルペンの聖母教会(現聖母大聖堂) / 図表〔18〕ゲントの聖ヨハネ教会(現聖バーヴォ大聖堂)
アントウェルペンの聖母大聖堂 ゲントの聖バーヴォ大聖堂

◎市庁舎
都市の興隆によって各都市に市庁舎が建てられるようになります。
(そもそもは各都市で 毛織物館を市庁舎として使っていました。)
これは フランダース伯爵領において 「自由都市」の仕組みをとるようになり
市民の(富だけではなく)力が増大したことと関係しています。

図表〔19〕ブリュッゲの市庁舎(1376~1421) / 図表〔20〕メッヒェレンの市庁舎(左=ネーデルランド王国国会/中央=鐘楼/右=毛織物間)
ブリュッゲの市庁舎 メッヒェレンの市庁舎

図表〔21〕ブリュッセルの市庁舎(1402~1455) / 図表〔22〕ルーヴェンの市庁舎(1439~1469)
ブリュッセルの市庁舎(1455) ルーヴェンの市庁舎

図表〔23〕ゲントの市庁舎(右側 1519~1539 /左側 1595~1668) / 図表〔24〕アウデナールデの市庁舎(1526~1536)
ゲントの市庁舎 アウデナールデの市庁舎



◎ギルドハウス
各都市の繁栄は ギルドによってもたらされましたので
どのギルドも その富と権力の象徴として立派なギルドハウスを建てるようになります。

図表〔25〕ゲントの肉屋のギルドハウス(1410) / 図表〔26〕アントウェルペンの肉屋のギルドハウス(1504)
ゲントの肉屋のギルドハウス アントウェルペンの肉屋のギルドハウス

図表〔27〕アントウェルペンのギルドハウス(17世紀) / 図表〔28〕ゲントのギルドハウス(16~17世紀)
アントウェルペンのギルドハウス ゲントのギルドハウス

図表〔29〕ブリュッセルのギルドハウス(1696~98)
ブリュッセルのギルドハウス

◎鐘楼
自由都市の象徴である自由の鐘を吊り下げるための鐘楼が(見張りの塔を兼ねて)
各都市の中心に建てられるようになり
これは フランダース伯爵領独自の文化となります。

図表〔30〕トルネの鐘楼(1180) / 図表〔31〕イーペルの鐘楼と毛織物館(1304)
トルネの鐘楼 イーペルの鐘楼

図表〔32〕ゲントの鐘楼(1380) / 図表〔33〕ブリュッゲの鐘楼(1486)
ゲントの鐘楼 ブリュッゲの鐘楼

☆アール・ヌーボー建築
ベルギーの重工業の繁栄期(1883年~1914年)に
富豪となった実業家たちが自宅を新しい様式で設計させるようになりました。
◎産業革命以後の重工業による繁栄は
全てのものが工場で機械で作られる=人間性を感じさせない安価なものとなり
それに対する芸術家たちの反発として
手作りで本当に素晴らしいものを生み出そうという流れが出てきました。
鉄の造形性を利用し曲線を多用した自由な形を建築に取り入れました。
◎ アール・ヌーボーは「生活に関わるあらゆるものが美しくあるべきだ」という理念のもと
総合芸術(建築/絵画/彫刻/タペストリー/音楽/文学/服飾 など)となりました。

図表〔34〕オルタ設計ソルヴェイ邸
オルタ設計ソルヴェイ邸

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《タペストリー
「tapis=絨毯(仏語)を装飾したもの」
壁絨毯=壁掛け絨毯=刺繍した装飾用の絨毯

装飾された絨毯を床に敷いて踏むのは勿体無いから壁に掛けるようになったのではなくて
そもそも 城の壁に掛けた断熱材を装飾するようになったものです。

◎10世紀 フランダース地方で発明されたと思われています。
現存している最古のタペストリーは「バヨーのタペストリー」といわれるた1066年製のものです。
1063年のハスティングの戦いの様子を描写した
大きさが 横幅70mX高さ50cmという長いものです。

13世紀から アラス/トルネ
14世紀には ブルージュ/アウデナールデ/ゲーラーツベルゲン/エディンゲン/ゲント
16世紀には ブリュッセル/アントワープ
といった都市が タペストリー作りで繁栄しました。

◎ヨーロッパ中で最も生産が盛んになり ヨーロッパ中で最も高度な水準のものが生み出されました。
◎タペストリーを中心とした毛織物産業でフランダースの各都市が栄えました。
◎題材は 宗教/神話/風景/歴史 など
◎都市ごとのそれぞれの特色が 縁取り/色合い/図柄 などで表れています。

図表〔35〕アラス
アラス

図表〔36〕トルネ
トルネ

図表〔37〕ブリュッセル
ブリュッセル

図表〔38〕アウデナールデ
アウデナールデ

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《金属細工》
◎金
メロヴィング朝(5世紀後半)の時代にはすでに彫金細工が盛んになっていました。
祭壇/聖遺物箱/聖具(祭具)
装身具/装飾品

図表〔39〕フェルデュンのニコラース作トルネの聖遺物箱(1205)
フェルデュンのニコラース作トルネの聖遺物箱

図表〔40〕フェルデュンのニコラース作ケルン大聖堂の「東方の三王の聖遺物箱」
フェルデュンのニコラース作ケルン大聖堂の東方の三王の聖遺物箱

◎銅/錫/真鍮
ディナンを中心にしたマース渓谷で(ローマ帝国時代から)盛んになり
特にディナンは銅細工で栄えたために 銅細工=ディナンドリーと言われるようになりました。
食器/装飾品/カリヨンなどが銅や真鍮で作られました。

図表〔41〕オワニーのユーゴー作祈祷書表紙
オワニーのユーゴー作祈祷書表紙

図表〔42〕ユイのレニエ作リエージュの洗礼盤
ユイのレニエ作リエージュの洗礼盤

◎鉄
14世紀末にディナンで高炉が使われるようになり
17世紀にオルヴァル修道院の鉄工所がヨーロッパで最大になり
産業革命(1720年)以後 重工業が飛躍的に発展して
武器/鉄道/船舶/自動車/飛行機 などだけではなく
建築や美術にも鉄が使われるようになりました。
そこから アール・ヌーボー様式が広まります。

図表〔43〕オルタ邸階段
オルタ邸階段

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《木彫り彫刻(木工)》
◎聖像
◎祭壇
ブリュッセルの祭壇/アントワープの祭壇(16世紀)がヨーロッパ各地へと出荷されていきました。

図表〔44〕アントウェルペンの祭壇
アントウェルペンの祭壇

(「アントワープの祭壇」について こちら⇒に詳しい解説があります。)

◎説教台/懺悔室
宗教改革以後(17世紀~18世紀)大量に作られ どんどん装飾が豊かなものになりました。

図表〔45〕アントウェルペンの聖パウロ教会の懺悔室
アントウェルペンの聖パウロ教会の懺悔室

図表〔46〕アントウェルペンの聖母大聖堂の説教台
アントウェルペンの聖母大聖堂の説教台

◎オルガン
図表〔47〕アントウェルペンの聖母大聖堂のオルガン / 図表〔48〕ゲントの聖バーヴォ大聖堂のオルガン
アントウェルペンの聖母大聖堂のオルガン ゲントの聖バーヴォ大聖堂のオルガン

◎絵画用の板

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《手書き本(細密画)》
☆活版印刷技術が発明される1450年代まで 本は全て(文字も装飾も)手書きでした。
☆羊皮紙が 製紙技術が入ってくるまでは使われていました。
☆聖書/祈祷書/宗教/歴史/学術/錬金術/軍事 など
本は極めて貴重なものでしたので 当然貴重な情報だけが扱われました。

図表〔49〕リンブルクの兄弟作「ベリー公によるいとも華麗なる祈祷書」/図表〔50〕グリューヒューズ低の蔵書
リンブルクの兄弟作「ベリー公によるいとも華麗なる祈祷書」 グリューヒューズ低の蔵書

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《油彩絵画》
(「油彩絵画」については こちら⇒にも解説があります。)

◎15世紀はじめ(または14世紀後半に)フランダース地方で発明されたと思われています。
◎15世紀半ばまでには フランダースとブラバントの画家たちによって
油絵の具の可能性が極限まで開発され 最大に発揮されていました。
◎ヨーロッパ中で「画家=フランダース出身」と言われ
「フランダースの画家無くして西洋絵画無し」
ヨーロッパ絵画の中心になります。
◎その後「西洋絵画=油絵」となり すなわちフランダース伯爵領は
「西洋絵画=油絵」発祥の地となります。

◎この時代のフランダースの画家たちのことを
フランダース・プリミティーヴ(フランダース第一=最高派)と言いますが
日温語では「写実主義」と言われています。

☆フランダース・プリミティーヴ=写実主義の特色は
◎緻密な観察/豊かな感性/経験の蓄積/情報の共有
◎目に見えている全てのものを そのままに=本物の質感で表現
◎距離に関わり無く全てのものを克明に表現
◎一つの画面の中に 異なる場所/時間の情景が描かれる
◎人物の大きさは 実際の大小ではなく その人物の重要度による
などです。

以下の画家たちが フランダース・プリミティーヴ=写実主義の巨匠と言われた中でも
特に高い評価を得て「巨匠中の巨匠」といわれました。(生年順)

ヒューベルト・ファン・エイク(1366~1426)
ロベール・カンピン(1378~1444)
ヤン・ファン・エイク(1390~1441)
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1390~1464)
ディルク・バウツ(1410~1475)
ぺトリュス・クリステュス(1410~1472)
ヒューゴー・ファン・デル・グース(1430~1482)
ハンス・メムリンク(1440~1494)
ジェラルド・ダヴィッド(1455~1523)

図表〔51〕ヒューベルト・ファン・エイク「神の子羊(ゲントの祭壇画)」
ヒューベルト・ファン・エイク「神の子羊(ゲントの祭壇画)」

図表〔52〕ロベール・カンピン「受胎告知」
「受胎告知」

図表〔53〕ヤン・ファン・エイク(1390~1441)
「聖母子を崇めるファン・デル・パーレ」」

図表〔54〕ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1390~1464)


図表〔55〕ディルク・バウツ(1410~1475)
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「聖母子の肖像画を描く聖ルカ」

図表〔56〕ぺトリュス・クリステュス(1410~1472)/図表〔55〕ヒューゴー・ファン・デル・グース(1430~1482)
ぺトリュス・クリステュス「受胎告知」 ヒューゴー・ファン・デル・グース「聖母就眠」

図表〔57〕ハンス・メムリンク(1440~1494)
ハンス・メムリンク「聖カタリーナの神秘の結婚」

図表〔58〕ジェラルド・ダヴィッド(1455~1523)
ジェラルド・ダヴィッド「牛乳粥の聖母子」


☆フランダース・プリミティーヴ以後の絵画

◎ルネッサンス様式
ピーテル・ブリューゲル(1525/30~1569)
ピーテr・ブリューゲル「ベツレヘムの戸籍調査」

◎バロック様式
ペーテル・パウル・リューベンス(1577~1640)
ペーテル・パウル・リューベンス「キリスト昇架」

ヤーコブ・ヨルダーンス(1593~1678) / サー・アントーン・ファン・デイク(1599~1640)
ヤーコブ・ヨルダーンス「酒を飲む王」 アントーンファン・デイク「ジェヌアの母娘の肖像画」

◎新古典様式
ジャン・バプティスト・シュヴェー(1743~1807)
ジャン・バプティスト・シュヴァエー「絵画の発見」

◎アール・ヌーボー様式
フェルディナント・クノップ(1858~1921)
フェルディナント・クノップ「愛撫」

◎象徴派
ジェームズ・アンソール男爵(1860~1949) / ジャン・デルヴィユ(1867~1953)
ジェームズ・アンソール

◎シュルレアリスム
ポール・デルボー(1897~1994)
ルネ・マグリット(1898~1967)
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《時代様式とジャンル》

カロリング朝=建築/彫金細工
ロマネスク=建築/壁画/彫刻/金属工芸
ゴチック=建築/彫刻(木/石)/絵画/タペストリー/ステンドグラス/手書き本/
ルネッサンス=建築/彫刻(木/石)/絵画/タペストリー/ステンドグラス/
バロック=建築/彫刻(木/石)/絵画/ステンドグラス/
ロココ=絵画/建築/彫刻
(新)古典=建築/彫刻(石/木)/絵画
ロマン派/印象派/象徴派=絵画 折衷様式=建築 復古調=建築/絵画/彫刻
アールヌーボー= 建築/絵画/ガラス工芸/彫像(銅)
アールデコ=金属工芸/ガラス工芸
シュルレアリズム=絵画





《栄えた本当の理由》

フランダース伯爵領とブラバント公爵領とが栄えた本当の理由は何なのでしょうか?

それは 十字軍と聖堂騎士団です。

☆十字軍/聖堂(テンプル)騎士団
十字軍は 第一次が1096年にベルギー南部のオルヴァル修道院において結成され
アルデンヌ公爵/アントワープ伯爵だったゴットフリード・ブイヨンに率いられて出発しました。
そして聖地奪回を果たした後に当地で結成された聖堂(テンプル)騎士団によって
中近東からの高度なアラブ/ビザンティン文明がもたらされました。
それまではヨーロッパには無かった様々なものがもたらされたことにおよって
ヨーロッパ中で最も文化水準が高い土地となったのです。
  ゴチック様式が栄えたのも
毛織物産業が盛んになったのも
風車が発明されたのも
アラブ/ビザンティンからの影響です。




(2019/10/24)


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