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新しい世の中に即した考え方と行動をする

「今の生活」の中で 新しい文明の波動でものごとを考え 行動する

《新しい地球へようこそ》 → 《新しい世の中に即した考え方と行動をする》


地球のアセンションが進行している今
私たち地球人類は
これから地上に現れる 新しい世の中への準備をする必要ああります。
なぜならば 新しい世の中になったからといって
地球上の全ての人が ある日を境にして突然
それ以前とは違う考え方をし 違う行動を取るようになることは
きわめて難しいからです。

特に これまで
アセンションということに興味が無かった人たち 否定的だった人たち
アセンションについて 何も知らなかった人たち
これらの人たちにとっては 突然の世の中の変化になります。

その時に 「知っている人は 知らない人を導く義務」というものがあります。
「より進化している存在は まだそこまで進化していない存在を導く」というのが
宇宙での基本的なあり方だからです。

このページをご覧になっている方々は
アセンションを自覚している方々であろうと思います。
その皆さんが 今の時代を
(まだ表面的に変換していない)この地上で生きていくに当たって
どう考え どう行動したら良いのか
その参考になれば幸いです。


〔調和〕〔環境〕〔肯定語/否定語〕〔貨幣を使わない世の中〕〔多様性〕


調和

新しい世の中 《五次元》の世の中では
地球上の全てのものが 宇宙のエネルギーと同調していますので
《愛》と《調和》を基本として 存在しています。

誰もが 「愛している」
誰もが 「調和している」
状態にあります。

ということは
誰もが 「愛し合っている」
誰もが 「調和し合っている」
状態です。

誰と接しても 何と接しても 心の中で 「愛している」と言っている
そしてその気持ちを表現する行動をする。
誰と接しても 何と接しても 調和している ということは
誰かのことを 何かのことを 「否定」したり 「拒絶」したり
ということはありえません。
「肯定」と「受容」が 調和です。

そして 愛し合い調和し合っているということは
誰とでも何とでも 「感謝し合っている」状態でもあります。
誰と接しても 何と接しても
その存在に その行為に その思いに
「有り難う」と 心の奥から思いが湧いてくる
それが「調和」の状態です。


環境

全ての生命との調和 そして地球との調和を思ったらば
それらが存在する環境に対しても 同様に
「愛」と「調和」の想いを向けることになります。
(そもそも 全ての存在を尊重すれば それが自ずと
全ての存在にとっての素晴らしい環境となるはずなのですけれども。)

合成洗剤を使ったらば フッ素入りの歯磨きを使ったらば
それらの入った汚水は どうなるのでしょうか?
汚水処理場に流されて処理されてから 海に流されます。
合成界面活性剤やフッ素は 分解されませんから
海に流されて どんどん海にたまっていきます。
そして 海中の生命を殺し 海の生態系を破壊します。

つまり 環境に対する意識というのは
目の前の誰か 目の前の何かと愛し合い調和し合うだけではなくて
目の前に無い何かにも その気持ちを向けるということでもあります。
あるいは 目の前にはあっても 「目に見えないもの」に対しても その気持ちを向けているかどうかです。

鉄筋コンクリートの建物を建てるとどうなるのか?
その中で暮らすのは 生命にとって自然で心地良いことなのか?
地球に打ち込まれた杭は 地中の生態系を壊していないのか?

石油を掘ったらば どうなるのか?
地球に穴を開けて (地球の体液に相当する)石油を掘り
それを運ぶためにパイプラインを作り
強大なタンカーを航行させるのは
地球にとって どれほどの苦痛か想像できますか?

更に大きな苦痛は 原子力です。
原子力発電所 そして核実験というものが
地球に そして地球外の宇宙に
どれほど大きな損傷を与えているでしょうか。
皆さんは ご自分の身体の中で 核実験をして欲しいですか?
身体の表面で 核爆発を起こして欲しいですか?
もし皆さんがそれを望んでいないのだとすると
地球自身もそれを望んでいないのが 分かるはずです。

木を一本切るにしても
その場の生態系に変化を起こします。
昔は 木を切る時には 事前に木そのものと その場の神様とに
お伺いを立てて 許可されてから切っていました。
それが同然なのです。
全ての存在は「生命」なのですから。私たちと同じ。
もし自分が 誰かに突然斧を振り上げられて殺されたくないのでしたらば
木の気持ちも分かるはずです。


肯定語/否定語

宇宙の本質は 《愛》と《調和》であり
それらは 存在しているものを 肯定します。
つまり 「肯定」ということも 宇宙の本来のあり方のひとつなのです。

しかし 私たちは この地上において生活する中で
沢山の否定語を使っています。
「~してはいけない」「だめ」「いやだ」

そして 他人を 他人のすることを 他人の言葉を
否定し 拒絶し 反発し
受け入れないだけではなく
「無価値なもの」「自分を利さないもの」「自分を害するもの」として
捨て去ろうとしています。

これが「愛」や「調和」ではない ということは
簡単に分かることかと思います。

日々の日常生活の中で
「否定語を使わない」ことを
「肯定語のみで考える」ことを
意識し実行していくには
「自分が何を考え 何を言葉として発しているのか」を
しっかりと自覚する必要があります。
多くの人が 無意識のうちに つまり良く考えずに言葉を発しているのです。

否定語を使わないということは
他人の何かを否定するということだけではなく
他人に強制したり 命令したり 許可したりもしないということです。
これら 他人を管理する言葉は
他人のすることを制限し ある特定の枠の中に押し込めるためです。
それは勿論 「自分にとってその方が良いから」という
「自分の都合」から来ています。
つまり 自分を優先させるために 他人を自分の支配下に置こうとしているのです。
それは 愛でも調和でもありません。


貨幣を使わない世の中

これまでの世の中との大きな かつ
非常にはっきりと 目に見える違いのひとつが
貨幣経済が無くなるということです。

地球の存在している銀河の中で
貨幣を使っているのは 地球人類だけです。
「私有」という
宇宙の調和の法則に反した考え方と
お金で ものや人間を管理しコントロールするという
宇宙の愛の法則に反した考え方とが
貨幣経済の元になっています。

しかし 新しい世の中において
異星人たちからもたらされた科学技術による
光プロセッサー(打ち出の小槌のようなものです)の普及によって
欲しいものは 何でも各家庭で作り出せるようになりますから
物を工場で作ることも無くなり
製品を売買する ということも無くなります。

ですので
「お金を得るため 収入のために労働する」
「お金のある無しで 買いたいものを選ぶ(買えるものが制限される)」
「安物を買う」「安物を作る」
「お金をどれだけ持っているかで 住める家が違ってくる」
「お金が無いから満足に食べられない」
あるいは
「お金が無いから 他人のものを盗む」
「他人のものを盗むめに 人を傷付けたり殺したりする」
「お金が無いと生きていけないから 自殺する」
こういったことは 全て無くなるということです。

では ものを売買しない世の中で
収入のために労働する必要の無い世の中で
私たちは 何をして暮らしていくのでしょうか?
物を作る必要はありません。
料理をする必要もありません。

私たちは ただ「成長」のために存在しているのです。
どれほどに 宇宙の《愛》と《調和》を感じ取り それと一体となっているか
それを「悟り」と言いますけれども
その悟りの道が すなわち成長であり
そのために私たちは存在し生きているのです。
そして その成長のために
私たちは 導き導かれる関係にあります。
誰もが 自分よりも前を歩んでいる人から学ぶ
誰もが 自分よりも後を歩んでいる人を導く
そういう関係です。
つまり 誰にでも「先生」としての そして「生徒」としての 役割があるということです。

そして 物を作らなくて良い世の中で
しかし 創造行為というものは存在します。
つまり 芸術の創造です。
これは機械にはできません。
私たちは 成長のためと共に
この宇宙を美しくするために存在しているのです。

「お金を使わない世の中」「売買の無い世の中」
「物を作らない世の中」「生産や販売という労働の無い世の中」
こういうこれからの世の中で
「自分は何をして生きていくんだろう」と 今のうちに考え
それに意識を向けて生活することを初めても良いかと思います。


多様性

今後 異星人や地底人たちが
私たち地球人類の前に姿を現します。
正確には 唯一の地球人類だと思い込んできた人々の前に
それ以外の存在が姿を現します。
その存在たちは 地球人類とは かなり違った外観をしています。
今まで 地球上で 人種の違い 肌の色の違いを
人々は見てきました。
そして 「違っている」ことから
区別するだけではなく 差別も行ってきました。
白色人種が 有色人種を奴隷とし
自由を奪い 無理な労働をさせてきたように。

しかし 今から私たちの目の前に現れる
異星人たちや 地底人たちは
地球人類がこれまで思い込んできた「人間」の外観とは
かなり違っています。
その違っている存在の方が
人間よりもずっと 宇宙の真理を知り 理解し それに則って生きている
つまり「進化している」ということが分かったらば
地球人類は その多様性というものを受け入れ
外観で区別し 差別することを 止めるようになります。

そもそも 「分かる」(=理解する)という言葉は
「分ける」からきています。
物事を理解するには 分ける 分類する
つまり 違いを見る ということです。
しかし その違いとは ほとんどの場合
外面的なものなのです。
中身は見ていないのです。
そして 目に見えないものは 認識していないのです。

「悟り」などという目に見えないものは
地球人類の「分かる」やり方では 分からないのです。

肌の色の違い/体型の違い/男と女/大人と子供
こういった 「違い」から 地球人類は
それぞれを ある特定の枠に押し込めてきました。
しかし これからは もうそのやり方は続けていけません。

多様性を受け入れる。
一つ一つの存在の 本来のあり方をこそ理解し
それを尊重する。
これまで地球人類が作り出してきた
一切の思い込み 決め付け 枠組みを捨て去り
「それぞれの生命があるがままに生きていいんだ」と
自分をも 他の生命をも そのままに受け入れる。

これもまた 新しい世の中でのあり方のひとつです。


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