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ハンス・メムリンク

《幸也の世界へようこそ》《幸也の書庫》《絵画を見る目・感じる心》 → 《ハンス・メムリンク》


ここでは 15世紀のフランダース写実主義絵画の代表者の一人である
ハンス・メムリンクの作風について
その作品で表現されているもの 伝えようとしたものは何だったのか
絵の前に立って感じ取れることをまとめています。

ハンス・メムリンク Hans Memlingは
ドイツ生まれで 多分出身の村の名であるメムリンゲンからの苗字だと思われます。
1435年ごろの生まれと推定されている彼は
ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの元で修業した後
師の死の翌年1465年 30歳の頃にブルージュへと移住し
その後1494年に亡くなるまでの30年ほどを ブルージュで創作活動をしました。
15世紀のブルージュは ヨーロッパ最大の商業都市として繁栄していただけではなく
ヨーロッパにおける 絵画芸術の中心地でもありました。
裕福な商人や聖職者たちからの注文を期待してのブルージュへの移住は
その期待を裏切られること無く
ブルージュで取引される種々の高級品を そのままの質感で描き出した彼の絵は絶賛され
15世フランダース絵画三大巨匠の一人と言われるまでになりました。




「ファン・ニューウェンホーヴェの二連画」

「ファン・ニューウェンホーヴェの二連画」または「りんごの聖母子」

この作品は ブルージュの旧聖ヨハネ病院
現在のメムリンク美術館に展示されている作品です。

この絵の注文主の名から「ファン・ニューウェンホーヴェの二連画」
また 聖母マリアが 禁断の木の実として りんごを持っているところから
「りんごの聖母子」と言われています。
この絵は 二枚のパネルで構成されている「二連画」です。
祭壇画としては 三枚のパネルで構成され
両側のパネルは観音開きになり 礼拝するときにだけ開ける
「三連画」がフランダース地方では主流でしたが
このような二連画は 旅行に行くときに持っていく 携帯用の祭壇画でした。

左のパネルに 聖母子が
右のパネルには 注文主である
若きファン・ニューウェンホーヴェ氏が描かれています。
つまり 開いた状態では
ファン・ニューウェンホーヴェ氏が 同じ室内に居る聖母子に向かって合掌し
礼拝をしているように描かれています。

聖母マリアの左上には ファン・ニューウェンホーヴェ家の家紋が
ステンドグラスとして描かれています。
ファン・ニューウェンホーヴェ氏の右上には
彼の守護聖人である 聖マルティヌスの姿が
やはりステンドグラスとして描かれています。
また 聖母マリアの左側(右肩のすぐ横)には 鏡が描かれていて
その中に この室内の聖母と注文主の姿が シルエットとして描き出されています。

聖母マリアは 典型的なイコンの伝統に則った 正面からの顔の描き方
祈っているファン・ニューウェンホーヴェ氏の方は
典型的な15世紀のフランダースの肖像画の描き方である
斜めの角度からの顔の描き方になっています。
この角度の違いによって
(同じ室内に描かれてはいても)この世の人間と あの世の聖人という違いと 
ファン・ニューウェンホーヴェ氏が聖母子に向かって礼拝している
その方向性がはっきりと現れています。

しかし 何を礼拝しているのでしょうか?

メムリンクが活躍したのは 15世紀のブルージュの町であり
その頃のブルージュは
ヨーロッパ最大の商業都市としての繁栄に翳りが差し始めた時代ではありましたが
それでも 「北のベネチア」として栄えていました。
そのブルージュの町において メムリンクという画家は
高額納税者の一人でした。
つまり とても収入が多かったのです。
それほどに人気のあった画家なのです。
ということは 制作料も高いですから
彼に絵を注文できるのは お金持ちだったわけです。

この絵の注文主 マールテン・ファン・ニューウェンホーヴェ氏は まだ独身です。
奥さんが描かれていないので それが分かります。
このとき 彼は23歳でした。
23歳でメムリンクに絵を注文できたということは
若くしてお金持ちだったことになります。
(または お金持ちの両親が彼のためにこの絵を注文したのでしょう。)

しかし この若きファン・ニューウェンホーヴェ氏の顔には
彼の世俗生活というものは 表現されているでしょうか?
日々 商売に励み お金を数えていたように見えるでしょうか?

あるいは 聖母子に向かってお祈りをしているこの顔から
「商売繁盛」を願っているように見えるでしょうか?

この顔には そのような「世俗」というものは
一切表現されていません。

今度は 聖母マリアの顔を見てみましょう。

聖母マリアは この時代の典型的な「美女」の姿として描き出されています。
広い額/きれいな弧を描いた細い眉/アーモンド形の目/
細く真っ直ぐに通った鼻筋/薄い上唇と厚い下唇/細い顎/
透き通った肌/撫で肩/ゆるいウェーブの長い髪/細い指・・・

このように この世における典型的な美女として描き出されてはいますけれども
その顔には 一切の感情表現はなされていません。
聖母マリアは この世の存在ではありません。
この世でキリストを生んで育てましたが
死後天に上げられ 「天国の女王」の立場にある存在です。
ですから その顔に「世俗」が現れているわけがありません。

その顔に表現されているものは
「平穏」「平安」「静寂」「安らぎ」「安心」「清純」といったものであり
それは「至福」や「永遠」「無限」へと繋がっているようです。
つまり そこには肉体を持って生きている人間の感情表現はありません。
感情表現ではない 情感の表れとなっています。
その 感情表現ではない 情感とは
まさに 「永遠の至福の境地」なのです。
何ものにも心乱されることの無い 「永遠の平安の境地」なのです。
そして それは「あの世」であのあり方なのです。
「天国」での 生命のあり方なのです。

そして 天国とは「永遠の完全な美の世界」です。
美しいものしか存在していない世界です。

この世における「美」とは あの世=天国の「美」を映し出したものなのです。

もう一度 ファン・ニューウェンホーヴェ氏の顔を見てみましょう。
聖母子に向かって礼拝している 
このファン・ニューウェンホーヴェ氏の顔に表れているものも
聖母マリアの顔に表現されているものと同じものだということが
見て取れます。
彼は世俗の何かを願っているのではないのです。

そもそも「祈り」とは 何なのでしょうか?
日本人の多くは(四人に一人だそうです)お正月に初詣でに行きます。
あるいは 年間に九百万人が 伊勢の神宮にお参りに行きます。
しかし そこで人々は 何をしているのでしょうか?
大抵の人は 「願い事」をしているようです。
願い事というのは つまり
神様に対して「何かが欲しい」「何かを実現させて欲しい」という要求であり
結局は 神様への「ねだりごと」なのです。
しかし 本来の「祈り」とは「ねだりごと」ではありません。
神様と向き合うことによって まずは
日々の加護と導きを感謝し そして
「自分も神様と同じように生きていきたい」という
神の子としての自分の生き方を誓うのが 「祈り」なのです。
神社は神道の礼拝所であり 神道とは
誰もが「神様と同じ道を歩む」ということです。

さて ファン・ニューウェンホーヴェ氏の顔に表れているものは何でしょうか。

聖母子に対して ねだりごとをしている顔ではありません。
聖母マリアの顔に表されているような
「天国でのあり方」を この地上で自分も生きて生きたい
そして それによって死後 魂が天国に入れるように という気持ちでしょうか。

いえ そのような「欲」でさえ 表現されていません。

何も求めず 何も欲せず ただ
「永遠の至福の天国」に居る ただそのままの表情として描き出されているのです。


フランダース地方は ヨーロッパで最も経済的に繁栄した地域であり
この時代 15世紀のブルージュはその中心でもありました。
そして そのフランダース地方は ゴチック文化の土地でした。
豊かな経済力で 都市が形成され それらの都市には
立派なゴチック建築が幾つも建てられました。

メムリンクの絵には このゴチック様式の特色である
縦の垂直性が描かれています。
しかしそれらは 背景に描かれているのであって
聖母マリアの姿は 三角形の構図になっています。
これは 典型的な イタリアルネッサンスの構図です。
そして 幼子イエスも身体を傾け その傾きは
聖母の左肩の傾きと平行になっています。
そして 絵の中での遠近感がはっきり表されているもの
イタリアルネッサンスの描き方の特色です。

15世紀後半に フランダースの絵のスタイルが
ゴチックからルネッサンスへと移り変わっていく
その過渡期にメムリンクは居たことが表れています。

では ルネッサンスとは 何なのでしょうか?

イタリアのフィレンツェで15世紀始めに始まったルネッサンスは
「文芸復興」とも言われていますが
ギリシャやローマの文化の復興を目指し
ギリシャ神話やローマ神話に描かれている神々のような
天真爛漫な生き方を目指したものです。

もっとも どの芸術様式においても
そもそも(の理念)と その後(の発展)とでは 中身が違っています。
ルネッサンスは そもそもは 「人間性の解放」を目指したものでした。
中世のヨーロッパは キリスト教カトリックに支配されていました。
カトリックによって
人々は「原罪」を押し付けられ 洗脳され 管理され 支配され 献金を搾り取られ
つまり カトリックという名の檻に閉じこめられて生きていたのです。
それに対して 人間というのは本来そういう存在ではない
もっと伸び伸びと自由に生きたい という欲求が
ルネッサンスを生み出しました。
しかし その後のルネッサンスは
キリスト教の「神」よりも 「人間」へと重点が移っていきました。

この世に生きている人間は 必ずしも天国的に生きている人たちばかりではありません。
そして この世に生きている人間は 肉体と結びついた
「喜怒哀楽」の感情と共に生きています。
つまり ルネッサンスは 「感情表現」を主体とした
人間の(清らかではない)俗世の表現となってしまったのです。

さて 15世紀は 今の時代とは違って
情報も文化も 他の土地に伝わるには時間がかかりました。
特に 強力なゴチック文化の土地であったフランダース地方では
イタリアからのルネッサンスが入ってきて 定着するのに時間がかかりました。

メムリンクという画家は イタリアからのルネッサンスの
何を取り入れたのでしょうか?
形としての 三角の構図や(遠近法を含めた)遠近感が
その絵には表れています。
しかし 中身=精神としてのルネッサンスの 何を取り入れて表しているのでしょうか?
あるいは メムリンクは なぜ ゴチックから離れていったのでしょうか?

キリスト教カトリックの基本は
「誰もが生まれながらにして 一生あがなわれない罪を背負っている」という
「原罪」でした。
しかし ファン・ニューウェンホーヴェ氏の顔には
「罪を許して欲しい」という気持ちは表現されているでしょうか?
ただ 同じ室内に居るのと同じように 聖母子と同じ世界に居る
という表情として描き出されています。
つまり ルネッサンスの本来の始まりの理念であった
「神によって創られた 神の子としての人間のあり方を表現する」という
まさにそれが表れているのです。
人間は神様によって創られた 本来は素晴らしい存在なのです。
そもそも 罪の子ではなく 神の子なのです。
その人間の素晴らしさを 日常生活で発揮して生きていく
それが ルネッサンスのそもそもの理念でした。

ゴチックは そもそもは
天に向かった矢印として 尖がった塔やアーチを使い 縦の垂直性を強調しました。
しかし 時代と共に「神に向かう気持ち」ではなく
地(の人間)と 天(の神)とは 遠い隔たった存在である ということを
表すものとなってしまいました。
つまり カトリックの教えとして 罪を背負った私たちは
神に近付くことはできないということを表しているのです。

このメムリンクの絵に描かれている
聖母マリアと 注文主ファン・ニューウェンホーヴェ氏の顔を見ると
確かに 天上界の聖人と 地上の人間として その違いは表現されてはいますけれども
しかし「聖人と同じ世界に生きる」「天国に生きる」
すなわち「この世においても 天国と同じに生きる」
それを目指していることが感じ取れますし
聖母子とファン・ニューウェンホーヴェ氏の角度の違いから
この絵を見ている私たちもまた ファン・ニューウェンホーヴェ氏と同じように
聖母子に向かって礼拝する気持ちに誘われていることも感じ取れます。

つまり その礼拝する気持ちに誘われていることで
この絵を見ている私たちは メムリンクから問われているのです。
「あなたもまた この世で天国を生きたいのですか?」と。
そして 「そのためには何をするのですか?」と。

結局 メムリンクという画家は
たとえ地上の情景を描いてはいても
そこには 天国のあり方しか描き出していないのです。
そのための 平穏な情感の描写なのです。
この「平穏な情感の描写」 これこそが
メムリンクが最も得意とした表現であり
彼のどの絵にも出ている特色であり
そして それを描き出すことによって 見る人の心と魂とを
あの世=天国へと誘(いざな)っているのです。


それは この メムリンクの最高傑作とされる
《聖カタリーナの神秘の結婚》においても
充分に表現されています。



《聖カタリーナの神秘の結婚》旧聖ヨハネ病院 現メムリンク美術館


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