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なぜシンセサイザー

《幸也の世界へようこそ》《幸也の音楽》 → 《なぜシンセサイザーも使うのか》


なぜ シンセサイザーを使うのでしょうか.....



幸也は
 三十六簧活斗鍵打笙とシンセサイザーの組み合わせによる曲
 三十六簧活斗鍵打笙だけの曲
 そしてシンセサイザーだけの曲と
 三種類のものを作っています。
幸也の音楽の特に伴奏として使われているシンセサーザーの響きは
オーケストラ的なものが多いにもかかわらず
なぜ アコースティック楽器(つまり普通の楽器のことですが)を使わずに
シンセサイザーを使うのでしょうか?

まず第一の理由は アコースティック楽器を使った場合
響きが現実的過ぎる印象になりやすいからです。
第二に シンセサイザーでは アコースティック楽器では出せない音色・響きを作れるからです。
第三に 楽器ではそれぞれの楽器を演奏する人が必要になります。
つまり響きによってはとても沢山の人が演奏に参加しなければなりません。
第四に アコースティック楽器では
演奏者の想念や技術の影響(あるいは限界)を受けやすいのに対して
シンセサイザーでは作曲者自身がそれをコントロール出来るからです。

そのようなメリットがある反面 デメリットもまたあります。
第一に シンセサイザーの音は デジタルだということです。
正確には 音そのものがデジタルなのではなく
音が出るまでの過程でデジタル処理をしているということですが。
第二に ニュアンスあるいは表情が機械的であることです。
第三に 公演での演奏にあたって シンセサイザーでの生演奏ができないことです。

私達が生活しているこの地上は 物質界と言われています。
つまり 「この世」=物質界です。それに対して 「あの世」は非物質の世界です。
正確には 「あの世」と「この世」というのは
「あちら」と「こちら」というように分かれているものでは無く
「あの世」の中に「この世」が含まれているのですが。
そして この地上は 重力の法則に非常に影響されています。
それに対して 地上を離れますと 重力の影響が少なくなります。
音は 波動ですが 物質的で無い波動です。(つまり物質もまた波動な訳ですが。)
しかしこの世で音が聞こえるというとは 結局 音は
物質界と非物質界を(あるいはこの世とあの世とを)結ぶ架け橋に成り得るということになります。
そして だからこそ あえて現実的過ぎる音は使いたく無い訳です。

また
人は 何かの情報に触れた時に
自分の知識にその情報を当てはめようとします。
(→ 《なぜ 三十六簧活斗鍵打笙を使っているのでしょうか.....》で説明しています)
あるいは別の言い方をすると
自分の知識(あるいは思い込み・観念とも言えますが)というフィルターを通して
 物事に接し 判断している訳です。
アコースティック楽器を使った場合
どうしても 聴く方の観念のフィルターに引っかかってしまいやすいのに対して
シンセサーザーでは 今までに聞いたことの無い音を作れますので
そのような 観念のフィルターにかからずに聴いて頂けるのではないか ということです。

私達が音を出して演奏する ということは
すなわち 自分自身の想念を音にして表現している ということです。
たとえば 日常生活で一番身近な行為のひとつ お料理でも同じですが
私達が料理をする という行為は 自分自身の想念・観念を味にしていることになります。
素材を調理して味を付け 盛り付けるのが料理の本質なのでは無く
作った人が何を思って作ったのか
あるいは無意識の想念(思い込み・好き嫌い等)もですが
そういったものが調理・味付け・盛り付けといった行為を通して
出来上がった料理の形で表現されている訳です。

演奏もまた同じことです。
どういう曲を どういう楽器で どう演奏するのかを通して
演奏者の(意識している・していないに関わらず)想念や観念が音として響いている訳です。
ということは 複数の演奏者で演奏する場合
その演奏に参加している人たちの想念・観念が統一されているかどうかは
とても大きな意味を持ちます。
シンセサーザーでは この問題が無いというメリットがある訳です。
けれども逆に 機械を使っているという
表情の乏しさとして感じるものがあるのも確かです。
その表情の乏しさというのは
本当のところどういうことなのかというと
結局は「気」が出ているかどうか ということではないかと思います。

「気」というのは エネルギーと言い換えても良いかもしれませんが
私達が何かの行為をする時には 想念と肉体とのエネルギーを発散させています。
そして その発散によって
周りの物事が影響を受けて 何らかの変化を起こします。
たとえば 手を使った癒し・ヒーリングがその顕著な一例ですが
手から出る「気」=エネルギーと
想念(イメージとも言えるかもしれませんが)のエネルギーとによって
対象に変化を起こしている訳です。
けれども この例に限らず
全ての行為は同様にエネルギーの発散であり
その影響による変化を引き起こします。
楽器を演奏した場合
このような「人間」のエネルギーの発散がある訳ですが
機械を使った場合は肉体エネルギー+想念エネルギーの発散とは違ったものになる
それを「表情に乏しい」という印象で捉えている訳です。

「表情に乏しい」あるいは「機械的な響き」という印象の二つ目の理由は
デジタル処理をしていることではないかと思います。
デジタルということは
全ての情報を0か1かに変換している訳ですが
ということは 0と1との間は存在しないことになります。
つまり デジタルな変化というのは
連続性が無いもので 階段状とも言えるかと思いますが
ですので滑らかさや 艶やかさにどうしても欠けてしまう訳です。
(→《デジタルとアナログ》へ)

そのようなデメリットが有りはしますが
初めに挙げた四点の理由によって シンセサイザーを使っています。



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