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魂の帰郷

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》《公演でのお話から》 → 《魂の帰郷》


今日の会の題名となっている「魂の帰郷」についてお話しするにあたって
まずは「魂」とは何なのかから始めた方が良いかと思います。
というのは ほとんどの方が「魂」という言葉はご存知ではあっても
では「魂」って何なのかをきちんと説明できる方はほとんどいないのではないかと思うからです。
魂というものは 目には見えないものであり
ですからなんとなく漠然と捉えられてしまっていて
人によっては 何かおどろおどろしいものだと思っていたり
あるいは お化けと混同している人もいるようなのです。

しかし「魂」とは何なのかを 一言では言えません。
魂とは何なのか その説明をするためには 更にさかのぼって
「宇宙とは何なのか」から始めた方が良いかと思います。
というのは 私たち存在している全てのものは 宇宙の中に存在しているのです。
皆さんも 今腰掛けている椅子も この建物も 全ては宇宙の中に存在しています。
ということは 全てのものは宇宙の一部分なのです。

宇宙とは何なのか。
これは一言で言えます。
宇宙というのはとっても単純なものなのです。
「宇宙」とは 「電磁波」です。
それだけしかありません。
宇宙は電磁波しか無いのです。
ですから宇宙の中に存在している全てのものもまた 電磁波です。
皆さんお一人お一人も 椅子も 建物も 全てが電磁波です。

電磁波は その名のとおり「波動」です。「波」なのです。
波は いろいろな形態をとります。
これは 海の波を思い起こせば簡単に納得できます。
高い波 低い波 大きい波 小さい波 いろいろな形態の波になります。
全て 「波動」というのはいろいろな形態をとるのです。

例えば 音を聞いて「高い」「低い」「強い」「弱い」と分かるのも
あるいは 楽器の音色の違いを聞き分けられるのも
音波の形態の違いを耳が捉えて認識しているのです。

あるいは 目で見ているというのは 目が光を捉えているのですけれども
光 すなわち光波もまたいろいろな形態をとります。
その形態の違いで 色や明暗を認識しているのです。

電磁波もまた同じです。
いろいろな形態をとります。

そして 波動はそれぞれの特徴によって分類もされます。
例えば 音は 人間に聞こえる範囲と聞こえない範囲とがあります。
とても高い音は人間には聞こえません。
けれども そういう高い音も 蝙蝠やいるかには聞こえます。
とても低い音も人間には聞こえませんけれども しかし象には聞こえます。
音には 人間に聞こえる限られた範囲がありますけれども それを「可聴範囲」と言います。

あるいは 光もまた 人間に捉えられる(=見える)範囲と 捉えられない範囲とがあります。
人間に見えるのは可視光線です。

宇宙=電磁波もまた いくつかに分類できます。
ある特定の範囲の電磁波は 物質になります。
その範囲内の電磁波だけが物質になるのです。
それ以外の電磁波は 物質にはなりません。

ですから この宇宙というのは
目に見える物質となっている電磁波と
物質にはなっていない=目には見えない電磁波とで構成されているわけで
実際には 物質ではない波動の方がずっと多いのです。

宇宙の中に存在している私たち人間もまた同じです。
いろいろな形態の電磁波の集合体なのです。
そして その中のごく一部が物質化して肉体となっています。
それ以外の電磁波は 物質化していませんから目には見えません。
物質化していない=目には見えない私たちの存在の中でも
人によっては見えたりもします。
昔の人々は今の人々よりも敏感だったので ある程度見えたようです。
それを「オーラ」と言います。
オーラは 幾つかの層になって見えるようです。
一番肉体に近い(=物質波動に近い)層は 身体の表面から3cmほどで
この厚みを昔の日本人は 「寸」と言っていました。
その次の層は 身体の表面から30cmほどの層になっており
この厚みを「尺」と言っていました。
更に大きな層は 体表から90cmほどのところまで出ています。
「寸」と「尺」と もうひとつの単位「間」もご存知かと思いますけれども
なぜ「けん」を「あいだ」の字で書くのかというと
この体表から 90cmの層までは昔の人たちは見ることができましたから
人と人との間というのは 一人から90cm 他の人から90cm つまり
180cm離れないと 本当に間を取ったことにはならない という意味なのです。

こういう 物質となっていない=肉体となっていない=目には見えない電磁波も含めた
私たち一人ひとりの存在ですけれども
肉体から一番近い 非物質の部分を「心」と言います。
「心」は 「想念」(=頭の中での思考)と「感情」です。
心は 物質化している肉体の波動ととても近いのです。
ですから 感情は肉体と結び付けて表現されます。
「腹が立つ」とか「顔面蒼白」とか。

その次の層が「魂」と言われます。
魂は その個人の性格を持ってはいますけれども
肉体波動とやや離れていますので 宇宙そのものとも繋がりが多くなっています。

その次の(=肉体からより離れた)層は「霊」と言います。
霊は より宇宙の波動と混ざり合って ですから個人の性格は薄くなり
つまり 個人の心に左右されるよりも 宇宙の波動に近くなります。

このように 「肉体+心+魂+霊」という電磁波の集合体が 私たち一人ひとりの存在なのです。

そして この世=地上の物質世界で生きるに当たって
私たちは肉体を持った赤ちゃんとして母親から生まれますけれども
その時に 「魂は天国からしかこの世に生まれて来られない」という決まりがあります。

「天国」と「地獄」という言葉も 皆さんどなたもがご存知かと思います。
昔から 死んだ人の魂は天国に行くか地獄に行くか振り分けられる と言われていました。
ですから 天国がどこかに 地獄がどこかにあるんだと思っている人が多いようですけれども
「天国」とか「地獄」とかも 波動なのです。
宇宙の電磁波の中の ある特定の形態なのです。
ですから 天国がどこか遠くにあるわけではないのです。
天国の波動というものが そこら中にあるのです。
地獄もどこか遠くにあるのではなく 地獄の波動がそこここにあるのです。

つまり 私たちが居る今この場所に 天国波動があり あるいは地獄波動があるかもしれないのです。

魂が天国波動になっていないと 肉体に宿ることはできません。
ということは 私たち一人ひとりの魂の故郷というのは天国なのです。
そしてその故郷である天国は どこか遠くにあるわけではなく
今私たちが居る この場が天国であり この場が魂の故郷なのです。

それを音楽を通して表現し 皆さんにお伝えし 感じ取って頂けたら
というのが私のしていることなのです。

今日 私は金色の衣装を着ていますけれども
お寺に行きますと仏像やその周りが金キラですし
キリスト教もカトリックの場合には金の装飾を使います。
金色というのは 宇宙の原色なのです。
宇宙の最も基本となる色が 金色なのです。
別の言い方をすると 金色というのは天国の色なのです。
ですから お寺や教会で金を使うのは
「私たちの誰もが 金色の世界=天国から生まれてきたんだ」ということを
目で見て分かるようにしているものなのです。

皆さんが これからの人生を
天国に生きることを選び
身の周りの天国波動を感じつつ生きていくということは すなわち
金ピカの人生を生きていく ということなのです。


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(この文章は 2017年10月に日本で行われた
複数の演奏会での演奏の合間の話しを 文章化しまとめ直したものです)


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