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絵画の何を「素晴しい」と感じるのか?

《幸也の世界へようこそ》《書庫》《絵画を観る目・感じる心》 → 《絵画の何を「素晴しい」と感じるのか?》



絵画に限らず 他の美術 あるいは芸術全般において
何を私たちは「素晴しい」と感じるのでしょうか?
あるいは 多くの人にとっては「良く分からない」ものなのに
なぜか高く評価されているものもあります。
例えば (ピカソを代表とする)キュービズムは 多くの人にとって「奇妙な」絵です。
あるいは ファン・ゴッホの作品の何を「素晴しい」と感じているのでしょうか?

いえいえ 多くの人は「有名だから」=「素晴しいのであろう」という思い込みで見ているのです。
自分で本当に感じ取っているのではないのです。
「有名な作品を見た」「有名な画家の作品を見た」という自己満足が
その作品から何を感じ取っているのかを上回っているのです。

しかし それでも芸術作品には「素晴しさ」というものがあります。
それは一体何なのでしょうか?


1)素晴しいからそれを表現する 美しいからそれを表現する

作者が 表現したいものをどこまで「素晴しい」「美しい」と感じ取っているのか
それが作品となります。
中世ヨーロッパでは 絵画はキリスト教絵画でした。
神=創造主が創った世界の素晴しさを表現しました。
イエス・キリストの素晴しさを表現しました。
聖母マリアの素晴しさを表現しました。
それらはいずれも 「そもそも素晴しい」からこそ その素晴しさを絵にしたのです。

しかし 時代と共に 描く対象が素晴しいものでは無くなりました。
あるいは 作者が描く対象を心底「素晴しい」と感じずに描くようになりました。
もっと後の時代になると キリスト教という宗教を離れて
存在している全てのものの中から素晴しさを見出し それを表現するようになりました。 
 
私たちが絵を見るのは すなわち「色」と「形」とを見ているのです。
それだけしか見えません。
しかし 絵に籠められているのは 作者の(描く対象を)「素晴しい」と感じ取った
その「作者の気持ち」なのです。


2)美しい/生き活きしている/整っている

その感じ取ったものを 「素晴しさ」「美しさ」として どう表現するのでしょうか?
しかし そもそも何が「美しさ」なのでしょうか?
何をどう「美しい」と感じるのかは人それぞれです。
(この「美しさは主観的なものである」ことを根拠に 世界遺産では
「美しさ」は「人類が共有すべき普遍的価値がある物件」の対象とされていません。)
それでも ある共通項はあります。
「生き活きとしている」ものは美しいのです。
(「美しい死体」や「美しい枯れ木」もあるのかもしれませんが
しかしそれらを美しいと感じるのは「死んでいる」「枯れている」からではありません。)
そして 「整っている」ものは美しいのです。
均整が取れているものを美しいと感じます。
それはすなわち 「無駄/むら/無理」が無いということです。

生き活きとしている 生命力が発露されているものに私たちは美しさ/素晴しさを感じます。
そして その生命力の発露には「無駄/むら/無理」が無い
すなわち生命の営みとして均整が取れている
そういうものを美しい/素晴しいと感じ取ります。

しかし 物質である絵画作品に「生命」を感じるのでしょうか?
私たちが絵を見るのは すなわち「色」と「形」とを見ているのです。
それだけしか見えません。
しかし 私たちが絵から受け取っているものは それだけではありません。


3)美しさをどこまで表現するか

芸術家は「表現者」です。
芸術作品を「創造」するのは「表現」するためです。
何を どのように どこまで表現するのか それによって作品の出来が違ってきます。
しかし 多くの画家たちは「何を」「どのように」表現するのかは気に掛けていても
「どこまで」表現するのかは意識していません。
松下幸之助さんが生前こう言っています。
「社員に何かを伝えようと思っても
こちらの言っていることの一割しか受け取ってもらえない。
一割しか受け取ってもらえないのであれば
こちらの言いたいことを100%伝えるには
自分は 1000%言わなければならない。」と。
私たちも 絵画作品から受け取れているものは 実は
作者が表現したことの一割程度なのかもしれません。
だからそこ 表現者である芸術家は
「自分の想い」=「自分が感じ取った美しさ/素晴しさ」を
その通りに受け取ってもらえるように 実際のそのもの以上に
200% 500% いや1000%表現するんだ
という意志を持って とことん表現する。
実は私たちは その作者の「意志」を受け止め 感じ取っているのです。
そして その意志の強さが 色使いや形にも表れるのです。
緻密さとして 完成度の高さとして表れるのです。

私たちが絵を見るのは すなわち「色」と「形」とを見ているのです。
それだけしか見えません。
しかし 私たちが絵から受け取っているものは 「作者の意志」なのです。


4)存在とは

私たちは 誰もが宇宙の中に存在しています。
全てのものは 宇宙の中に存在しています。
つまり 宇宙とは全てのものを生み出し 存在させている「原初のエネルギー」です。
宇宙とは「生命」です。
「宇宙」=「原初のエネルギー」=「生命力」です。
全ての存在は それによって生かされています。
全ての存在は それによって存在しています。
ということは 全ての存在は「生命」なのです。
宇宙そのものも その中に存在している全てのものも「生命」です。

このことを 作者がどこまで認識し どこまで実感しているのか。
それを 私たちは作品から感じ取っているのです。
「生命の輝き」「生命の煌き」「生きる歓び」という生命のあり方を
作者がどこまで共感しているのか。
作者の「宇宙の中の存在としての 悟りの境地」がどこまで表現されているのか
それを私たちは感じ取っているのです。

フェルメールの作品にも レンブラントの作品にも共通して表れているのは
「美しさを感じ取る」作者の目(=ものの見方)であり
それを「均整のとれた構図/配置」と「それぞれの色の特色を発揮した色使い」によって
「無駄/むら/無理」の無い「生き活きとした」表現をし
その美しさを「とことん表現しよう」という意志であり
そして 「全てのものは 宇宙の中の存在である」という「存在に関する認識=宇宙観」
それらが層を成しているものなのです。

宇宙のほとんどは非物質界です。
その非物質界における「美しさ」「素晴しさ」を
「物質界」という 時空間と物質のみならず様々な制限があるこの世界において
いかに表現するか。
それが ファン・ゴッホが目指したものだということを彼の作品から受け取っているのです。
物質では表しえないものを 絵画という物質で描き出そうという葛藤の人生が彼の作品なのです。
(だからこそ 彼の作品のほとんどが「完成品」ではなく「習作」に見えるのです。)

美術解説書には それぞれの作品について 
「どういう題材なのか」「どういう構図なのか」「どういう色使いがされているのか」
「どういう筆使いがされているのか」「何が他の画家と違っているのか」
などが書かれています。
しかし それらを読めば 読む前よりも より
「あ~ 素晴しい!」と感じ取ることができるのでしょうか?
いえいえ 頭で分かったつもりになれるだけです。

本当に「感じ取る」とは 「何が表現されているのか」を感じ取るということです。
その「何か」が すなわちここに挙げたような
①「美しさを感じ取る」作者の目(=ものの見方)
②「均整のとれた構図/配置」と「それぞれの色の特色を発揮した色使い」による
「無駄/むら/無理」の無い「生き活きとした」表現
③その美しさを「とことん表現しよう」という作者の意志
④「全てのものは 宇宙の中の存在である」という「存在に関する認識=宇宙観」

この四つが層を成しているものなのです。

目の前の情景を「素晴しい」と思っても それを表現する技術が無ければ絵には出来ません。
逆に どんなに技術があっても 目の前の情景を「素晴しい」と受け取る感性が無ければ
素晴しい絵には出来ません。
美しさをとことん表現しようという意志無しに とりあえず描かれた作品には 感動しません。
そして 私たちの「存在の根源」=「生命の根源」である宇宙の素晴しさを
(ということは 存在している全てのものは宇宙の一部ですから
存在している全てのものの素晴しさを)どこまで表現しているのか
そこに私たち鑑賞者は「何か」を感じているのです。

宇宙の中の全てのものは 均整のとれたもの/調和したものとして創られています。
宇宙の中の全てのものは それ自体として完全なもの/完璧なものとして創られています。
そのあり方が「美しさ」です。
それを感じ取り 目の前のものに見出し そしてとことんそれを作品として表現する。
(④から①に戻っていく循環になっています。)
これら四つの層の濃度/密度から 私たち鑑賞者は
芸術作品に「素晴しさ」「美しさ」を感じているのです。


しかし・・・・
本当は 美しさは目の前にあるので無いのです。
(①の「作者の目」は 誰にとっても同じですから)
美は それを見る人の目の中にあるのです。

色を美しいと感じるか
形を美しいと感じるか それとも
絵から発せられている波動を美しいと感じるか。

存在している全てのものは完全だと認識し
身の周りのものを そのままで愛し
存在していること自体に 歓びを 幸福を感じ
それらが 深まれば深まるほどに 私たちは
美しさ」を感じ取ることができるのです。



2023/12/19
(2023年12月上旬 オランダで幾つかの美術館を訪れた時の印象から)




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