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日本語の特殊性

 

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》 → 《日本語の特殊性》

 

【日本語と欧米語との違い】

日本語という言語は 他の言語とはいろいろな点で違っています。普段日本語だけで生活し かつ他の言語をほとんど話せない人にとっては その違いが分からないかもしれません。しかし 中学校や高等学校で習った範囲の英語などと比べただけでも その違いというのはある程度は分かるかと思います。

以下は 英語に限らず欧米の言語と日本語との違いを挙げたものです。

 

文法的には

欧米語

日本語

主語を明確に言う

主語を明確に言わない

単数形/複数形がある

単数形/複数形が無い

語順が違う

 

「です」「ます」などを語尾に付ける

冠詞を付ける

冠詞を付けない

格変化がある

格変化が無い

性別がある

性別が無い

物による数え方の違いが無い

物によって数え方がある(一個/二枚/三本 など)

 

音としては

欧米語

日本語

子音だけの発音がある

子音だけの発音が無い(唯一の例外が「ん」)

それぞれの単語に強弱アクセントがある

アクセントが無い

音高の変化が無い

単語の音高の違いで意味が違う

音節が無い

二音節

略語が無い

略語が多い

 

文字は

欧米語

日本語

アルファベット一種類の表記

ひらがなカタカナ漢字の三種類の複合表記

大文字/小文字の区別がある

大文字/小文字の区別が無い

活字体と筆記体とがかなり違う

楷書体(=活字体)が基本

子音+母音の組み合わせ

(=子音だけの文字がある)

子音+母音の複合体

(=子音だけの文字が無い)

アルファベットは表音文字(=音の表記)

表意文字と表音文字の併用

(=視覚的な意味の伝達)

数字とアルファベットは別

漢数字も漢字

単語を離して表記

単語を続けて表記

アルファベットの順番はなぜそうなのかが不明

五十音表で整合性のある並べ方がされている

 

 

こういった様々な違いがあります。

この表だけではどういう意味か分かりにくいかもしれませんので これらをもう少し詳しく説明しましょう。

この文章で比べてみましょう。

「東京に行き スカイツリーを見て 箸を一買います。」

I will go to Tokyo, see the Sky Tree and buy a pair of chopsticks.」

 

まず 文法的には
1)欧米語では主語を明確に言いますけれども 日本ではほとんどの場合に主語を言いません。
2)欧米語の名詞には 単数形と複数形の区別があります。しかし日本語にはありません。
3)欧米語と日本語とでは語順が違います。
4)日本語は語尾に「です」とか「ます」「だ」「よ」「だよ」を付けますが 欧米語にはありません。
5)欧米語では冠詞を使います。英語の「The」のような。日本語にはありません。
6)欧米語には格変化があります。「~は」「~の」「~に」などによってその後の単語の形が変化します。そのような格変化は日本語にはありません。
7)欧米語の多くで 名詞に性別があります。男性形/女性形/中性形と。日本語には性別はありません。名詞だけではなく 誰かに呼びかける時にも相手が男性であるか女性であるかを明確にします。
8)日本語では「紙一枚」「鉛筆二本」「箸一膳」「椅子一脚」のように 物によって違う数詞を使います。欧米語ではこれはありません。

 

音の違い

1)欧米語の単語は母音と子音の組み合わせで出来てはいますが 語尾が子音のものもが多くあります。日本語の音は必ず「子音+母音」または「母音だけ」であり 必ず子音は先行する母音とくっついていますので 子音だけの発音はありません。(唯一の例外が「ん」です。) そしてこの違いから日本語では「しりとり」ということが出来るのです。
2)欧米語ではそれぞれの単語に強く発音するアクセントがあります。つまり それぞれの単語の中で音の強弱があります。日本語にはこれはありません。しかし
3)日本語には音の高低の違いがあります。これによって単語の意味が違ってきます。「雨」と「飴」とは「あ↓め」と「あ↑め」との違いです。このような音高の違いは欧米語にはありません。
4)日本語は二音節言語です。つまり「二つの音が繋がる」のが基本の言語です。ということは「二拍子」の言語です。だからこそ俳句や和歌が出来たのです。例えば「五+七+五」と言われているものも 実はそれは音の数のことですから 休止を入れると「12345⑥⑦⑧1234567⑧12345⑥⑦⑧」という8音×3の繋がりになっています。「アイス・クリーム」を大抵の人は「アイ スク リーム」という二音節で言っています。「恋は魔術師」が言いにくいのは「こいは」が三音節だからです。「真夏の夜の夢」は言いやすいのに「夏の夜の夢」は言いにくいのは二音節区切りと逆になるからです。しかしこういう音節構造は欧米語にはありません。
そして 二音節だからこそ 省略形を作りやすいのです。日本語では多くの単語が省略形で使われています。「携帯電話」は「ケータイ」 「万国博覧会」は「万博」というように。そしてカタカナ言葉も省略します。「パーソナルコンピューター」は「パソコン」というように。これらの例でも分かるように 省略形とは「二音節×2」にしているのです。母音と子音とが不規則に混ざり合い かつ単語ごとに強弱のアクセントがある欧米語ではこのような省略形は作れません。ですから どうしても略したい場合には「personal computer」は「PC」(ピーシー)という略し方になります。

 

文字の違いは

1)欧米語ではアルファベット一種類(と数字)の表記ですけれども 日本語はひらがなカタカナ漢字の三種類の複合表記です。ところが
2)欧米語のアルファベットには大文字/小文字の区別があり かなり違っています。日本語の文字にはそのような大文字/小文字の区別はありません。更には
3)欧米語では活字体と筆記体とがかなり違っています。ですから小学校では「活字体大文字」「活字体小文字」「筆記体大文字」「筆記体小文字」の四種類を学ぶことになります。日本語の文字にはこのような区別はありません。
4)欧米語は子音だけを表す字があります。日本語はどの音節も「子音+母音」または「母音だけ」です。ですから 子音だけを表す文字は(「ん」以外には)ありません。
5)欧米語の文字とは「音を表す」記号=表音文字です。日本語では 漢字それぞれが意味を持っています。ですから同音異義語でも文字の違いで意味の違いが分かります。「漢字」と「感じ」「幹事」と「監事」はいずれもが「かんじ」ですが 字の違いで意味の違いが分かります。そして更には平仮名とカタカナとの表記でも意味の違いを表現しています。例えば植物名を「連翹」「レンギョウ」とか「林檎」「リンゴ」と表記する違いは通称か学術的表記かの違いです。あるいはカタカナで書かれる単語は「外来語」であることを表しています。「つまり 欧米語の文字は音を表すだけですけれども 日本語は文字で意味を表しています。しかし
6)欧米語ではアルファベットとは別に数字があります。昔は数はアルファベットで表記していましたが 今ではローマ数字での表記です。これは表音文字ではなく表意文字です。日本では漢数字というのは漢字ですので それと別の数字はありません。
7)欧米語の表記では 単語ごとに離して書きます。でも日本では続けて書きます。
8)日本語には「五十音表」というとても整合性の取れた音と文字の並べ方があります。先ずは母音「あいうえお」を提示し その母音に「子音K」を付ける 「子音S」を付けるというように並べられています。しかし欧米語のアルファベットにはこのような整合性はありません。アルファベットでは なぜAの次はBなのかの理由が不明で ほとんど行き当たりばったりのようです。 

 

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【なぜ違っているのか?】

このように様々な違いが日本語と欧米の言語とにはありますが ではその違いは一体何から生まれたのでしょうか? そして なぜそうなっているのでしょうか?

 

言語というものは 昔のものの方が複雑です。そして 時代と共にだんだんと簡単になりました。

つまり 簡略化されました。文法はだんだんと簡単になりました。語彙の数はだんだんと減りました。発音もだんだんと簡素化されました。文章はどんどん短くされました。

例えば「こんにちは」という言葉は「今日は」です。「今日は」何なのでしょうか? 「今日は」どうなのでしょうか? たんに「こんにちは=きょうは」と言っても意味を成しません。「今日は良い日ですね」なら意味を成します。日本語は後半を省略しました。欧米では前半を省略しました。(ドイツ語のguten Tagも フランス語のbonjourも共に「良い日」です。)

 

なぜ時代と共に簡略化されたのでしょうか?

それは 地球人類が時代と共に退化したからです。

言語というものは 地球人類が生み出したものではありません。原始人が叫んでいただけだったのがだんだんと言語に発達したのではありません。地球外からもたらされたものです。欧米の言語(より正確にはインド・ヨーロッパ語)は プレアデス星雲から来ました。アラビア語はアルファ星雲ケンタウルス星から来ました。ヘブライ語はヘブラ星から来ました。日本語はカシオペアから来ました。地球よりも進化している星から来たのです。それを地球人類が使っているうちに そこまで進化できていない地球人によって言語は簡略化されたのです。そして 時代と共に退化していった地球人によってますます簡略化されたのです。

 

プレアデス/ケンタウルス/ヘブラ/カシオペアは 違う文化です。つまり 思考も行動も違っています。そして 言語はそれを使う地球人によって変えられました。そして それらの言語を使うことによって思考の傾向性が出来ました。思考が違えば行動も違ってきます。

結局 欧米語で「主語」を明確に言うということは 「所有」がはっきりしているのです。日本語で主語をはっきりと言わないのは「所有」が明確ではないからです。

宇宙は一体です。宇宙はひと繋がりです。その宇宙の中で 誰かが何かを所有するということはありえません。全ては共有なのです。しかし 地球人類にはこれが分かっていません。正確には 欧米人には分かっていません。アメリカ先住民やオーストリア先住民たちは「所有」という概念を持っていませんでした。古代の日本人も持っていなかったのです。ですから「私」という主語はありえないのです。「私たち」しか無いのです。主語が「私たち」という一種類しか無いのに それを敢えて言う必要はあるでしょうか? ありません。

「所有」の概念が明確だということは「個別」=分けるのが当たり前なのです。ひと繋がりの宇宙を分けているのです。人間を男女に分けます。名詞も性別を付けて分けます。「ひと繋がり」の概念の日本語では そういう分け方はしません。

所有するということは もし一つしか持っていなければそれは「自分だけのもの」です。二つ以上持っていれば 一つは自分のもの そしてもう一つは誰かに与えることが出来るかもしれません。ですから 「単数」なのか「複数」なのかを区別することが重要でした。単数形/複数形も所有の概念と結び付いているのです。

 

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【規則性】

欧米の言語に 子音だけの発音があり 単語ごとに音を強くするアクセントがあるということは 響きとしては不規則な流れとなります。それに対して 必ず母音+子音の組み合わせで かつ二音節の日本語では 響きが規則的です。

宇宙というものは 規則的なのです。つまり 日本語は「宇宙の規則性」に則ったものなのです。そして 音の強弱で変化を付けるのと 音の抑揚=高低で変化を付けるのとでは印象が違います。強弱での変化は「刺激的」です。高低での変化は「穏やか」です。音楽で言うと「打楽器」とメロディーを奏でる「旋律楽器」の違いです。ということは 言葉での伝達を欧米人は「刺激的」にしていて 日本人は「穏やか」にしているという違いになります。(ですから 日本人が欧米語での流れるような話し方を聞いた時に「美しい」と感じます。)

 

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【文字】

文字とは記号ですけれども 欧米の言語での文字は単に音を表すだけのものです。日本語の文字は音を表すだけではありません。意味をも伝えるものです。しかし その二つだけでもありません。更にもう一つ 「形態エネルギー」を伝えるものです。

今使われている「ひらがなカタカナ漢字」の他に 「古代文字」と呼ばれるものがそれ以前に使われていました。その古代文字とは 文字一つ一つが発しているエネルギーが何らかの作用を起こすものです。(「ホツマ文字」とか「ヲシテ文字」「カタカムナ文字」とかです。)

katakamuna+woshite_aiueo.png(3167 byte)

これらの古代文字は 漢字が入ってきたことによって破棄されました。これらの文字の持つエネルギーを怖れた人たちがいたのです。しかし このような「文字=形態エネルギー」であるという考え方は その後も(隠れて)引き継がれました。平仮名やカタカナはそういったものです。平仮名は漢字を崩しただけのものではありません。カタカナは漢字の一部から取ったものではありません。

 

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【簡素化】
ということは 欧米語と日本語とは全く違うものなのです。宇宙の法則から離れた欧米語と 宇宙の法則に則った日本語という違いなのです。宇宙のエネルギーと切り離された欧米語と 宇宙のエネルギーと繋がっている日本語という違いなのです。
より正確には 宇宙エネルギーとの繋がりが強い順に並べると ①日本語 ②ヘブライ語 ③アラビア語 ④インド・ヨーロッパ語(ラテン語/ゲルマン語/スラヴ語などの系統)であり ①②③と④との間にはかなりの差があります。
更には 今ではアメリカ英語があたかも「国際語」とされているかのようですけれども ではなぜそうなっているのでしょうか? 英語とはゲルマン語系の言語であり つまりはゲルマン語が変化し簡素化したものです。(例えば ゲルマン語の原型に最も近いドイツ語と比べてみると ドイツ語には名詞の性別がありますけれども 英語では無くなっています。格変化がドイツ語にはありますけれども 英語では無くなっています。) つまりは欧米語(=インド・ヨーロッパ語)の中でも 最も簡略化された言語が英語なのです。語彙も少なく ということはニュアンスに乏しく 微妙な繊細な表現は出来ません。そして 多民族国家アメリカではこの簡略化に更に拍車が掛かりました。
つまりは アメリカ英語というものは 世界中の言語の中でも最も簡略化されたものの一つなのです。だからこそ広まったのです。アメリカが大国だからというのは二番目の理由に過ぎません。
そして「ニュアンスに乏しい」簡素な言語だからこそ ビジネスに適しているのです。これが三番目の理由です。

 

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【日本語の何を守るべきなのか?】
こうやって 欧米語と日本語とを比べてみると では私たちは日本語の何を守っていくべきなのかもまた見えてきます。
近年では「カタカナ言葉」を使うのがかなり一般的になっています。しかし 本当にそれらの言葉の意味を分かって使っているのでしょうか?_ 実はほとんど人は意味をきちんとは理解していません。でも使っています。
明治維新後 海外から入ってきた情報を日本語に取り入れるに当たって 様々な訳語が作られました。「新聞」「郵便」「電話」「民衆」「経済」「民主主義」「共和制」「科学」「化学」などなど たくさんの訳語が作られました。これらは「漢字に意味がある」ことを利用して 二文字三文字で意味が分かるようになっています。
しかし カタカナ言葉はどうでしょうか? 「メール」「ポスト」で意味は分かるのでしょうか?「エコノミー」「デモクラシー」で本当に意味を理解できるのでしょうか?
そうです カタカナ言葉を多用するようになったがために 「意味が分かっていなくても(なんとなく)使う」ことに日本人は慣れてしまっているのです。ということは「自らの思考をきちんと理解できていない」のです。自分でも良く分かっていないことを言葉として発するということを当たり前にしてしまっているのです。
日本語特有の表現の一つが数詞ですか 最近ではほとんどの人が 何を数えるのでも「個」を使います。「個」とは見てのとおり「個体」を数える時に使うものです。「個体」限定です。それなのに多くの人が何にでも「個」を使っています。例えば「○個年上」のように。「歳」は固形ではありません。「紙一個」とか言っています。これらの例を見るだけでも「言語は退化する」ことが明らかです。その理由は 「人間が退化している」からです。
平安時代の人たちは 色の名前は240種類は知っていました。知っているだけではなく見て識別できました。今の日本人はどうでしょうか? 数種類しか言えません。しかも日本語では無く「ブルー」とか「レッド」とか言います。ほとんど三原色しか言えなくなっています。「色はいろいろ」などとは言えなくなっています。それほどに退化しているのです。

 

退化する理由は 「自分が何を思考しているのか」「その思考をどう表現しているのか」を自覚していないからです。つまり それをする能力が衰えているということです。

言語というものは とても大雑把な表現方法です。例えば「感じ」を本当に言葉で表現できるでしょうか? 食べ物の美味しさを言葉で表現できるでしょうか? 何かの素晴しさを言葉で言い表すことは出来るでしょうか?

「筆舌に尽くしがたい」とか「言語に絶する」ということです。

言語とは大雑把な記号にしか過ぎないのです。ですから 人類が進化していれば「より精妙な表現」をするために 言語は「より多様な表現」が出来るように変わるはずです。しかし 実際には逆行しているのです。

言語を使って思考し表現し伝達するというのは 宇宙の中での生命の進化の過程においては一時的なものです。「想像する」ことが元なのです。想像が創造となるのです。「想像」には言語は必要ありません。「こういう感じ」です。しかし「想像」を「創造」に結び付ける過程において言語が役に立つかもしれません。ということは 逆にそこで役に立たせなければ言語を使う意味は無いのです。

言語とは 本来は思考の道具ではなく伝達の道具です。目の前にいない人に何かを伝えるためのものです。「目の前にいない」とは「遠くにいる」か「違う時間にいる=未来」の人のためです。

人間以外の多くの生命は テレパシーで交流し合っています。しかし地上の人間はそれが出来なくなっています。植物にも動物にもできることが人間にはできないのです。しかし 今の段階からより成長すれば またテレパシーでの交流が可能となります。そうすれば言語での交流よりもずっと多くの繊細な伝達が出来るようになります。

ということは 言語を使う能力をどんどんと退化させていたらば そこには行かないのです。

 

日本語を大切にした方が良い理由はここにあるのです。世界の言語の中でも最も宇宙エネルギーに近い言語だからです。つまり 次の段階に最も近い言語だからです。日本語を大切にするかどうかは 私たち地球人類が(宇宙の中での)「成長」「進化」を望んでいるかどうか なのです。これまで何千年年万年と人類はそれを選択してきませんでした。その結果が退化です。

 

一人ひとりの選択です。宇宙の中での「成長」「進化」を望み それを選択するのかどうかは。

その一人ひとりの選択の集合が 世の中を作るのです。文化を作るのです。文明を作るのです。

 

 

(2022/01/27)


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