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アントワープの祭壇

《幸也の世界へようこそ》《幸也の書庫》《絵画を見る目・感じる心》 → 《アントワープの祭壇》


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アントワープの祭壇【目次】
【アントワープの祭壇とは】
【祭壇】
【アントワープの祭壇の特徴】
【構造】
【なぜ アントワープで盛んになったのか?】
【題材】
【その他の地域】
【主な作品】


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【アントワープの祭壇とは】

アントワープの祭壇とは 主に1500年~1580年の間にアントワープの工房で制作された 扉(翼)のある多連祭壇の総称です。
中央には木製の彫刻 左右には主に彩色された1対または複数対の扉(翼)が付けられています。
フランダース伯爵領とブラバント公爵領では この芸術的祭壇は教会の装飾として非常に人気がありました。 15世紀から16世紀にかけて 祭壇芸術は最盛期を迎えました。 フランダース地方やブラバント地方の木彫りや絵画の芸術性が高い祭壇作品は ヨーロッパ中で有名になり 引っ張りだこになりました。 オランダ/ドイツなどの近隣諸国のみならず スカンディナヴィアやバルト諸国などヨーロッパ各地へと あるいはカナリア諸島にまで出荷され 現在でも200以上の例が ヨーロッパ各国の教会や美術館に保存されています。
同じブラバント公爵領内のブリュッセルとメッヒェレンでも 美術品/調度品/装飾品の制作が盛んであり 輸出品として同様の祭壇が制作されましたので それらの総称として「ブラバントの祭壇」「フランダースの祭壇」「ネーデルランド(低地地方)の祭壇」などと言われることもあります。

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【祭壇】

キリスト教の礼拝施設である教会には 礼拝のための祭壇が建物の東の端にあります。(すなわち 東に向かって礼拝します。)
そこに 礼拝に必要なもの(香炉/聖餅など)を置くための机が設置されるようになりました。 そして 13世紀半ばからは その机の向こう側(東側)に 礼拝の対象となる聖人像/聖人画が置かれるようになりました。 ですので 祭壇を「retabel」と言いますが これは「recto=反対側」+「table=机」=「机の向こう側に置くもの」が語源だろうと思われています。
そして 低地地方(今日のベルギー/オランダ/ドイツ北西部)では 礼拝の対象とされる祭壇がどんどん立派なものへとなっていきました。 精巧な彫刻で聖人像を作り またその礼拝の対象を礼拝しない時には隠しておくために両側に扉が付けられるようになりました。 これは 祭壇が宝物箱を兼ねていて 宝物をしまうための蓋からの変化ではないかとも思われています。
このようにして 低地地方では15世紀初めには「扉付の彫刻(と絵画)の祭壇」が一般的になりました。 (それらのことをドイツでは「翼祭壇」と呼んでいます。)

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【アントワープの祭壇の特徴】

1)中央部分が高く 両側が低い「逆さT字」の形
2)時系列に並べられた 物語性のある場面の配置と 動きのある人物像
3)彫刻と絵画と建築的要素との融合

アントワープの祭壇は一般に 盛り上がった中央部分と 細部にわたる彫刻によって特徴づけられています。
祭壇の箱を仕切る個々の舞台にそれぞれの場面が配置されています。 このため 個々の舞台は通常 床が立ち上がり 奥行きの狭い2つの側壁(背景壁のようなもの)で設計されています。
そして 人物はしばしば鑑賞者に平行に3列に配置されます。 正面には (主役である)ニ人の立像が左右に向かい合います。 その他の主な人物は やや後方にずれた2列目を埋め 3列目の人物は これらの主な人物の肩越しに見ています。 彫刻の特徴は 細部へのこだわり/人物の写実性/豊かな衣装でした。 しかし 人物像の寸法や 特定の人物群の頻繁な繰り返しなど ある種の標準化も見受けられます。  奥の方の人物は(安く早く仕上げるためか)見えない部分には彩色や金箔が施されていなかったり 時には彫りすら充分に施されていないこともあります。
物語の人物の背後には 舞台の奥の壁を覆うように 風景を描いた層がさらに挿入されたり そこには主場面の副次的な場面が含まれることもあります。 物語の細部や 各区画に描かれる場面や人物の数は 注文主の意向や 望まれる神学的な目的によって大きく左右されたようです。
中央の彫刻部分は 三つの場面(区画)に分けられ 左から右へと時系列で場面が移り変わるようにされました。 (後には五場面 あるいはより多くの場面に分けられました。)
それぞれの区画の具象的な場面に加えて その上部は しばしば様々な建築的モチーフ(ゴチック建築の様式を取り入れた豊かに装飾された尖角アーチなど)で華麗に装飾されるようなりました。 このようにして 普遍性と地域性を兼ね備えたその表現は 伝統的な芸術(建築/絵画/彫刻)が総合され組み合わされています。
多くの場合 中央の部分には豊かな彫刻が施され 側面の翼には絵が描かれました。 場合によっては 側面の翼の裏面にも彫刻が施され 開扉時の視覚的統一性が保たれました。 個々の彫刻群では 構図の多面性と空間性が強調され 平面的な浮き彫りと立体的な塑像とが組み合わされています。
ドイツ語圏では 豊かな彫刻的/建築的装飾が施された竜頭装飾(フィニアル)が普及しましたがアントワープの祭壇では 祭壇下部の横に長い付加的な絵(プレデラ)が一般的でした。 それらは 後期ゴチックの写実主義絵画を様式的な規範とし 人物/具象/風景/建築に適用されました。
他の地域では 制作者(あるいは公房)が直接注文を受けて制作していたのが (アントワープでも初期の頃はそうしていましたが)だんだんと仲買人を通しての受注/制作/販売へと変わっていき 各部分(人物像/人物群)をあらかじめ作っておき 注文を受けてからそれらを組み合わせる工法を取るようになったことで 大量の生産と輸出に拍車がかかりました。
アントワープ製であることを示す「小さな手」が二つ刻印されていることも多くあります。

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【構造】

アントワープの祭壇は 中央部分に複数の木彫があり その左右に一つまたは複数の絵が描かれた二重または多重の扉板とで構成されています。
内容の物語性を強調するために 場面は時系列に従って左から右へと並べられ それぞれの場面は枠によって明確に区切られた区画で構成されました。 15世紀には 祭壇の中央部分を 三つの縦軸または二つの横軸に分割することが定着しました。 (横に三つの場面を並べる)縦の分割の形が主流となり 他の部分よりも高い祭壇本体の中心軸が強調されました。そのため 本体上部は階段状や (各種)アーチ状の形になりました。
左右の扉板は 中央祭壇部分( = 礼拝の対象)を(礼拝しない時に)隠すための扉であると共に それらに付随する場面を描き 礼拝時以外の時に見せるための面で 最も簡単なものは左右それぞれ一面ですが 大きなものは複数の場面に区切られ 二枚あるいは三枚が横に連接されて幾重にも畳めるように( = たくさんの場面を見せられるように)なっています。

中世中期から後期にかけて 教会や礼拝堂に祭壇は欠かせないものとなりました。 貴金属に代わる安価な素材として トロワでは石 ユトレヒトではテラコッタ(素焼き彫刻) ノッティンガムではアラバスター(漢白石)といった材料で作られましたが 木製の祭壇はヨーロッパの全ての地域で作られました。 その中でも最も高く評価されたのが「ブラバントの祭壇」でした。

祭壇の制作には いろいろな職種の職人たちがそれぞれの工程で参加していました。 先ずは「箱作り職人」が 全体の枠や 後に彫像や彫刻群が置かれる個々の場面となる箱を作製します。 中に置かれる彫像は 彫刻職人によって作られました。 そして 彫刻群の背景となる天蓋や丸天井のような複雑な切り抜き部分を「石切り職人」が作り 最後に祭壇画を多色の色層で装飾するのは「張り職人」「彩色職人」「金箔職人」でした。 木彫像の上に麻布を貼り その上に石灰やパテを塗り その後彫刻の見える部分に油絵の具を塗り ワニスを塗りました。その後(場合によっては)金箔や錦を貼って完成となります。

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【なぜ アントワープで盛んになったのか?】

1)国際貿易港/ヨーロッパ随一の高級品市場
16世紀初頭 アントワープはヴェネツィアに代わって経済的に北ヨーロッパの主要な交易都市となりました。 シュケルデ川を通じての水運により交易の中心地として急速に発展し イギリスやスカンディナヴィアとの貿易 スペインやポルトガルの商品の市場 新大陸(南北アメリカ大陸)やアジアなど遠方からの物資の荷揚げ港として アントワープは西ヨーロッパで最も重要な港となり ハンザ同盟の後継者となりました。 このような国際市場の繁栄という状況は 在住する商人や貴族たちの高価な贅沢品(タペストリー/ガラス/織物/金細工/高級家具/楽器など)の需要に繋がり ヨーロッパ随一の高級品市場となりました。 かつそれらは 輸入された香辛料/穀物/ニシンなどと引き換えに輸出されました。
また 港を通して原材料の入手が容易であり かつ質の良い原材料を選べるという地の利も アントワープの祭壇制作を有利にした条件でした。
また 大きな(重さが5トンほどにもなる)祭壇を出荷するのに 港があることも有利でした。

2)写実主義絵画
フランダース伯爵領とブラバント公爵領は ブルゴーニュ公国に編入されていた時代(15世紀)には ヨーロッパにおける芸術の中心地となっていて 装飾的な芸術性が高い祭壇が好まれました。 フランダース地方は 油彩絵画発祥の地であり それにより「フランダース写実主義絵画」が生まれました。 芸術的水準が高かったことと 写実主義絵画からの影響もまた アントワープの祭壇の高い質を生み出した理由となっています。 (ロヒール・ファン・デル・ウェイデンのような巨匠画家の作 あるいは彼の絵を基にした と思われる祭壇も残されています。)
南ヨーロッパでは 礼拝の対象としてイコンが好まれていましたが 北ヨーロッパではイコンに対するこだわりが無かったことと キリスト教美術全般に「写実的表現」を重視したことも 木彫り彫刻で立体的がつ写実的な表現を追及していった理由となっています。
また (それらの絵の中にも描かれている) 壮麗なゴチック建築が発展した土地であることも その祭壇の装飾性と関わっています。

3)ギルド制
同じブラバント公爵領内でも ギルド制は異なっており ブリュッセルでは(画家と彫刻家は別というように)専門によって厳格に別々に組織されていたのに対し アントワープでは いわゆる「芸術家」の職業の大多数がギルドごとに厳格に分離していませんでした。 アントワープの聖ルカギルドは1382年から画家/彫刻家/印刷工/ガラス絵師/大工 後には植字工やその他の専門職を一つの屋根の下に統合しました。
ですので ブリュッセルでは 異なった職種の芸術家が共同作業をするのが難しかったのに対して アントワープでは大規模な祭壇のために共同作業を組織するのが容易でした。 (例えば 最初に祭壇の「箱」を作るのは家具作り職人 彫刻は彫刻家 絵は画家 金箔は金箔張り職人です。)  そのためか ブリュッセルでは顧客の希望に合わせた祭壇を作る傾向が強かったのに対し アントワープでは 規格化された作り方で量産された商業的志向が強く 港を通じて大量に輸出していました。
アントワープでは あらゆるジャンルの芸術家が屋台を借りて作品を販売する「パンド」と呼ばれる芸術市場が 1460年に聖母大聖堂の南側で開かれた際に初めて記録されました。 1481年には この芸術市場は 彫刻や絵画を販売する唯一の公認の美術品市場として独占権を確保しています。ここに「高級装飾調度品」として祭壇が出品されたことで「アントワープの祭壇」は広く知られるようになりました。

4)アントワープの商標制度
アントワープの祭壇には アントワープ製であることを示す「アントワープの手」が二つ印されているものが多くあります。 これは 単にアントワープ製であることを示すだけではなく 品質保証印でもあります。
美術品の生産量が多かったため 明確な加工規則と商標という形で 1470年以降品質保証の制度がとられるようになりました。 アントワープの市名「手を投げる」に由来する紋章である「開いた手」は アントワープ祭壇の証であり 定期的に交代するギルドの2人の検査官によって工房で検査され 枠のない人物グループの木に刻印されました。 (それぞれの人物像の下部に記されているものは 手が一つで 大きさも約1cmほどです。)
後に 彫像全体に翼が付けられるようになると アントワープの港にあるブラバント公爵の居城(ステーン城)を模した 「城の上の二つの手」が印されまれした。

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【題材】

図像面では 聖母マリア/キリスト(主に受難の場面)/聖人に捧げられた題材が主流でした。
キリスト教カトリックにおける「キリスト教徒の条件」とは 「イエスが処女マリアから生まれたこと」「イエスは全人類の罪をあがなうために磔になり死んだこと」「死後復活し昇天したこと」の三つを受け入れ信じていることです。 ですので当然 祭壇もこれらを表するものが多くなります。

1)聖母マリア
聖母マリアの生涯の場面を並べたもの。聖母マリアに捧げられた祭壇は 通常 神の母の人間的な側面と神的な側面を組み合わせた場面が強調されていました。
新約聖書ではマリアの役割があまり目立たないため マリアの図像の典拠は外典(アポクリファ=正典とされる旧約聖書+新約聖書以外の書)であり 聖母の就眠/聖母被昇天/聖母の戴冠といった場面が好まれ しばしば祭壇の中央部を占めました。
側面の翼には 同じく聖母マリアの生涯の場面が描写され それはしばしば当時の神秘主義的な潮流(神の一人子の母=母性愛の象徴)や 献身的な態度(良妻賢母の鑑)に触発されたものでした。
幾つかの作品では マリアの生涯の場面がイエスの生涯と あるいは寓意的なテーマと組み合わされています。また マリアに関連する聖人(アンティオキアのマルガレータやアレクサンドリアのカタリーナなど)が描かれることもありました。

代表例として ドイツのリューベックの聖マリア教会にあるマリア祭壇(1518年)で見てみましょう。
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〔いずれの画像もクリックすると別画面で大きな画像が開きます〕

下部の区画の大部分は(次の受難の祭壇と同様に)イエスの幼年期の物語で埋め尽くされています。
上部の区画は 神殿の行列/ヨセフとの結婚/マリアの死(あるいはマリアの昇天)/キリストと父なる神による戴冠/世俗的・霊的階級による栄光/ロザリオの聖母といった場面で占められています。
翼はより多様な構成になっていて 新約聖書以外の外典あるいはカトリックによる創作や 中世後期の神秘主義や敬虔主義が優先されています。

2)受難
受難場面は キリストの生涯における最も重要な出来事である受難(磔刑)に関する三つの場面が中心となっていることがほとんどです。
「受難」は最も視覚的に表現しやすく かつ「原罪」「罪人」を強調しやすっかたので題材として好まれたようです。

ドイツのオスナブリュックの聖マリア教会に展示されているものを例に見てみましょう。
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彫刻の部分は(左側に)十字架を運ぶ場面/(中央に)十字架上の死の場面/(右側に)十字架から降ろされる場面。
そしてこれらの場面は キリストの周りに聖母マリアやマグダラのマリアなどの女性たち/福音書記者ヨハネ/ニコデモ/アリマタヤのヨゼフを初めとする大勢の群衆を従えている 後期ゴチック様式の「磔刑群像」が好まれました。
多くの場合 両側の翼( = 扉)に磔刑前後の情景が描かれました。 左側には磔刑まで(最後の晩餐/エルサレム入城/ゲッセマネの園での祈り/裏切りまたは逮捕/石の上のイエス(エッケ・ホモ)/ピラトの前でのキリスト/鞭打ち/茨の戴冠など)の場面が 右側には磔刑以後の場面(埋葬/復活/昇天/聖霊の派遣など)が時系列で並べられる形式が好まれました。
あるいは この祭壇では 下部に聖母マリアに関わる場面が描写されています。
大きな祭壇では 更に翼(の外面)に 誕生の場面から始まるキリストの幼年時代の物語の場面が描かれたり 旧約聖書(のイエスに関する預言)を題材とした場面が描かれたりもしました。

3)聖人
聖人の祭壇は 受難と聖母マリアの祭壇画よりもはるかに稀少です。構成としては同じですが 常に一人以上の聖人の伝説の場面を含んでいます。 例えば 使徒聖マタイ/長老聖ヤコブ/リモージュの聖レオナール/聖ジョルジュ/聖ディンフナ/聖アンナなどが伝承されています。

これは アントワープの聖母大聖堂に置かれている 聖ヨゼフの祭壇です。
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まれに 立像の形で物語性のない描写のものもあります。 この特殊な形態がアントワープの祭壇に見られるのは 立像の形態が特に評価されていた地域がほとんどですので その地域の好み(あるいは注文)に合わせたものかと思われます。

聖人に捧げられた祭壇の主要な資料となったのは 福者ヤコブス・デ・ヴォラギネによって記された『黄金伝説』に収められた『生涯』でした。 聖人たちの殉教は キリストの死と重ね合わせられ しばしばキリストの受難の場面が添えられていました。

4)特殊な形式
アントワープで制作された祭壇の特殊な形式としては 単体の聖人像や 単場面の小型祭壇も あります。

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【その他の地域】

低地地方で製作された最も古い作品としては 1400年から1404年頃に作られたブラバント州ヘーケンドーバーの聖サルバトール教会の木製の祭壇があります。 装飾的な天蓋の下に 受難の場面が描かれた小さな浮き彫りがあり その上に聖人の像が描かれています。
祭壇の制作の主な中心地は 旧ブラバント公爵領の都市であるブリュッセル/アントワープ/メッヒェレンでした。
ブリュッセルでは ウィレム・アルズやヤン・ボルマンといった制作者の名が残されています。彼らの作品は イギリス/ハンガリー/スカンジナビア/エストニアなどにも伝わりました。 あるいは 名前を知られていないブリュッセルの芸術家たちの作品は リューベック/ライン川流域/ヴェストファーレンなどに輸出されました。 (先述したように)ブリュッセルでは芸術家も職種によってギルドが分かれていましたので 祭壇の制作には三つ以上のギルドが関わっていて ですので一つの作品の中でもそれぞれの部分にギルドごとの刻印が記されました。)
ブリュッセルの北に位置するメッヒェレンは 単体の聖母子像や聖人像 あるいは「箱庭祭壇」と言われる単場面の小型祭壇の制作の中心地であり それらはしばしば祭壇の飾り台に置かれ とりわけ幼子イエスやマリアの処女性を崇拝する修道女に修道院で使われました。

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【主な作品】

名称 所在地 都市 制作年
アントワープの祭壇 聖母大聖堂 アントワープ ベルギー
アギロルフス祭壇 大聖堂 ケルン ドイツ 1520年頃
ヴェストファーレンの黄金の奇跡 聖ペトリ教会 ドルトムント ドイツ 1521年
アントワープの祭壇 大聖堂 ロスキルデ デンマーク 1550~1560年
ウィーンの祭壇 フォティヴ教会 ウィーン オーストリア
聖母マリアの祭壇 聖マリア教会 リューベック ドイツ 1518年
聖ローレンティウスの祭壇 聖ローレンティウス教会 ボッホルト ベルギー 1525年
アントワープの祭壇 アーヴェルボーデ修道院 シュケルペンフイヴェル ベルギー 1514年
アントワープの祭壇 ミュンスター教会 ルールモンド オランダ 1500年頃
アントワープの祭壇 聖マリア教会 オスナブリュック ドイツ 1520年頃
アントワープの祭壇 聖マリア教会 ヴァーゼ ドイツ 1520年頃
アントワープの祭壇 聖ゲオルク教会 フレーデン ドイツ 1520年頃
アントワープの祭壇 聖ヴィクトール教会 シュヴェルテ ドイツ 1523年
アントワープの祭壇 聖ペトリ教会 ゾースト ドイツ 1525年頃
殉教者の祭壇 聖ヴィクトール教会 クサンテン ドイツ
アントワープの祭壇 聖ミカエル教会 メルル ドイツ 1525年頃
フランダースの祭壇 聖ペテロ教会 ツュルピッヒ ドイツ
アントワープの祭壇 聖マリア教会 ヴァーゼ ドイツ 1520年頃
フランダースの祭壇 聖ジェルマン・ルクセロワ教会 パリ フランス 15世紀初め
アントワープの祭壇 ルーヴル美術館 パリ フランス
その他 各地


☆ 「アントワープの祭壇」(ベルギー/アントワープ/聖母大聖堂)
先ずは 地元アントワープで 聖母大聖堂の中に置かれている三つを見てみましょう。いずれも「聖人祭壇」です

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左〔聖母マリアの祭壇〕  中央〔聖ヨゼフの祭壇(1)〕  右〔聖ヨゼフの祭壇(2)〕


☆ 「アントワープの祭壇」または「アギロルフス祭壇」〔ドイツ/ケルン/大聖堂〕1520年頃
〔Antwerpener Altar(Agilolphusaltar) / Kolner Dom / Koln / DE〕
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〔ドイツ/ケルン/大聖堂/「アギロルフス祭壇」〕〔彫刻部分左場面「十字架を運ぶイエス」〕〔彫刻部分中央場面「磔刑」〕〔彫刻部分右場面「降架」〕

ドイツを代表する教会建築であり 世界遺産に登録されているケルンの大聖堂に置かれている「アギロルフス祭壇」は 8世紀のケルン司教アギロルフにちなんで名付けられました。 1520年頃にアントワープで制作された祭壇で アントワープの祭壇としては最も大きな一つであり ドイツ国内では最も重要な祭壇のひとつです。(高さ約5.50メートル 幅約7メートル)
かつては 大聖堂近くの聖マリア・アド・グラドゥス教会のゴチック様式の東聖歌隊の主祭壇でした。 1817年にこの教会が取り壊された後 ケルン大聖堂に移されました。 近年大規模に修復され 2012年7月に大聖堂の南翼廊で祝別式が執り行われました。
キリストの生涯と受難の場面が題材となっている「受難祭壇」で 中央上段には典型的な「十字架を運ぶイエス」「磔刑」「降架」の三場面が その下には宣教活動中の六つの場面が木彫り彫刻で表されています。 左扉には 聖母マリアの生誕に至る場面が 右扉にはイエスの幼少期の場面がそれぞれ五面ずつ描かれています。


☆ 「ヴェストファーレンの黄金の奇跡」〔ドイツ/ドルトムント/聖ペトリ教会〕1521年
〔Das Goldene Wunder von Westfalen / Sankt-Petrikirche / Dortmunt / DE〕
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左から〔開いた面 = 彫刻30場面〕  〔一度閉じた面 = 絵画36面〕
〔全て閉じた面 = 絵画10面〕 〔彫刻部分中央〕 〔彫刻部分下段〕


ドルトムントの聖ペトリ教会にある「ヴェストファーレンの黄金の奇跡」は その名の通り 全面が黄金に輝く祭壇です。 1521年に制作されたこの祭壇は 633体もの人物像を含む30の彫刻場面(全て開いた面)と 36(一度閉じた面)+18(全て閉じた面)=54面の絵画で構成され 総面積41㎡ 総重量5トン 高さ5.65メートル 二重扉を開いた幅7.40メートルと 現存する最大のアントワープの祭壇とされています。
ニ対(二重)の翼があり その両側には様々な場面が描かれていて 一年の間に教会の行事に合わせて開かれました。 聖週間には 祭壇はすっかり閉ざされ 18枚のパネルが正面に飾られます。 聖霊降臨祭から感謝祭にかけては外側の二重扉が開かれ イエスの家族物語と幼年期の物語が描かれている36枚のパネルが見られます。 感謝祭から聖週間まで そして復活祭から聖霊降臨祭まで ニ回目の開扉後 この祭壇は完全な輝きを放ちます。 36の区画と合計633体の金メッキの人物像からなる祭壇には 磔刑を中心としたイエスの受難の詳細な物語やが描写されています。

この祭壇はもともと ドルトムントのフランシスコ会が修道院教会のためにアントワープのヤン・ギリシュ・ワーゲに注文したものでした。 世俗化の過程で修道院が廃止された後 1809年に修道院の教会が取り壊される直前に 聖ペテロ教区が購入し 教会に持ち込みました。 祭壇は第二次世界大戦中に撤去されましたが 1954年にドルトムントに戻され 戦災で聖ペテロ教会が使用できなくなったため 当初は緊急用の教会に保管されていました。 1960年代初頭から祭壇は聖ペテロ教会で修復され 1985年から再び展示されています。


☆ 「アントワープの祭壇」〔デンマーク/ロスキルデ/大聖堂〕1550~1560年
〔Roskilde Domkirke / Roskilde / DK〕
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左から〔デンマーク/ロスキルデ/大聖堂/アントワープの祭壇〕〔その一部「受難」〕〔その一部「ピラトの前のイエス」〕

デンマークのロスキルデの大聖堂は (世界で最も長く続く王家である)デンマーク王家の墓所がある教会で 世界遺産に登録されています。
その主祭壇にある1560年にアントワープで製作されたこの祭壇は イエスの幼少期と磔刑を中心とした場面を細かく彫刻した「受難祭壇」で 宗教改革後の芸術作品です。
左扉には イエスの逮捕に至るまでの四場面が 中央には上部に「十字架を運ぶ」「磔刑」「降架」の三場面と 下部に逮捕から磔刑に至る三場面が 右扉には 死後の様子が昇天に至るまでの四場面で表されています。 両扉の更に下には 左側に「受胎告知」と「マリアのエリザベート訪問」が 右には「ヘロデ王の幼児殺し」と「エジプトへの逃避」が見られます。


☆ 「アントワープの祭壇」〔オーストリア/ウィーン/フォティヴ教会〕
〔Votivkirche / Wien /AU〕
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〔オーストリア/ウィーン/フォティヴ教会/アントワープの祭壇〕〔その一部「十字架を運ぶイエス」〕〔その一部「降架」〕〔彫刻中央下部〕〔彫刻中央上部〕

オーストリア皇帝フランツ・ヨゼフの所有だったものがウィーンのフォティヴ(奉納)教会に贈られ 現在はその中の博物館となっている かつての宮廷礼拝堂に展示されています。 アントワープでの祭壇の大量生産が始まる前の作品であろうと思われる 1460年頃に作られたこの作品は フランダース写実主義絵画の巨匠たちの表現技法を取り入れた 極めて繊細な表現がとれられています。 表情豊かな人相や表現力豊かな身振り 細密な写実における豊かな質感 法衣の豪華さ 光り輝く色彩 そして(アントワープの祭壇の特色となった)物語性のある場面の関連性の高い自然な流れなど このような彫刻彩色祭壇として最高の作品とされています。
しかし 残念ながら幾度もの盗難にあったために 中央の受難の三場面のみしか残されていません。


☆ 「聖母マリアの祭壇」〔ドイツ/リューベック/聖マリア教会〕1518年
〔Marienkirche / L?beck / DE〕
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左から〔開いた礼拝の面〕  〔二枚目の面〕  〔全てを閉じた面〕

ドイツのリューベックの聖マリア教会のマリア礼拝堂には 1518年に制作され 1522年にゲルデルン出身の商人ヨハン・ボネによって寄贈された「聖母マリアの祭壇」が置かれています。 1790年に懺悔室に改築された後 祭壇は教会内を何度か移動し 第二次世界大戦の戦火をくぐり抜け破壊を免れました。
祭壇には 26の絵と彫刻の場面でマリアの生涯が描かれています。彫刻が施された祝祭日面の中央には マリアの死(その上の小さな付随するマリアの被昇天の群は1945年に盗まれた) その下には葬列 左には受胎告知 右には埋葬が描かれています。 翼面の彫刻は (左上に)マリアの誕生/(下に)神殿のイエスの描写/(右上に)癇癪かされた生命の木/(下に)神殿の12歳のイエス を示しています。 中央には 羊飼いたちの礼拝/三賢者の礼拝/イエスの割礼/エジプトへの逃避 その脇にヨアキムとアンナの結婚/イエスの生贄の拒絶/感謝の生贄/神殿を去るときの貧しい人々への贈り物 などが描かれています。 祭壇が完全に閉じられると(現在では聖週間の間) 1518年に描かれた 受胎告知の場面を見ることができます。


☆ 「聖ローレンティウスの祭壇」〔ベルギー/ボッホルト/聖ローレンティウス教会〕1525年頃
〔Sint-Laurentiuskerk / Bocholt / Limburg / Vlaanderen / BE〕
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左〔聖ローレンティウスの祭壇〕 右〔彫刻部分中央下場面〕

ベルギーのリンブルグ地方のボッホルトの聖ローレンティウス教会に展示されている1525年頃に制作されたアントワープの祭壇は フランダース政府の「厳選名作一覧」に含まれています。 この祭壇はコリイン・デ・コテルの作とされる「聖母祭壇」で 聖母マリアの生涯の内の六場面が木彫り彫刻になっています。 (カトリックでは 聖母マリアの人生の15の場面が決められていました。)  また 両翼には聖ローレンティウスの生涯の場面が描写されています。
中央の彫刻部分の上部には 聖母を祝福するたくさんの天使たちが集まっていますが このように中央部分を高くし ゴチック建築様の尖塔のようにするのがアントワープの祭壇の特色でもあります。 ただし この祭壇は 中央彫刻部分を隠す扉が一枚ですので この様に開いた時に左右非対称となる珍しい作りとなっています。


☆ 「アントワープの祭壇」〔ベルギー/シュケルペンフイヴェル/アーフェルボーデ修道院教会}1525年頃
〔Averbode Abdijkerk / Scherpenheuvel / Vlaams-Brabant / BE〕
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ベルギーのフラームス=ブラバント地方のシュケルペンフイヴェルのアーフェルボーデ修道院教会には フランダース政府の「厳選名作一覧」に登録されているアントワープの祭壇の傑作があります。 これは「tabula parvaタブラ・パルヴァ」と呼ばれる小さな祭壇で 中央には彫刻が施され その両脇に2枚の絵が描かれています。
ヤーコブ・ファン・コッテムの公房で作られ 1514年12月にこの修道院に運び込まれました。その後 アントワープの古代博物館に展示されていましたが 近年この修道院に返還されました。
中央の礼拝面には 亡骸となったイエスを取り囲み嘆く使徒ヨハネ/聖母マリア/マグダラのマリア/マリア・サロメ/ニコデモ/アリマタヤのヨセフの姿が見られます。 小さい祭壇ですが 一人ひとりの人物像は大きく作られており 細部に至るまで繊細な表現がなされています。
開いた扉面には (左)「磔刑」 (右)「キリストの復活」が描かれています。 両翼板を閉じると (左)「エッケ・ホモ(この人を見よ)」 (右)「イエスとヴェロニカの出会い」が描かれています。 翼板を描いた画家は定かではく 様式的には15世紀後半から16世紀初頭の いわゆるアントワープのマニエリスム(技巧主義)に属するようで フランダースの写実主義絵画の要素とルネッサンスの要素との両方が見られます。
プレデラ(祭壇下部の横長の絵)は明らかに扉とは別の手によるもので 神話の三体の女性像は「信仰」「希望」「愛」を表しています。 左端にはひざまずくニコラース・フイブス修道士 右端にはジェラール・ファンデル・シュカーフト修道院長の紋章が描かれています。 ラテン語の文章が書かれたバンデロール(帯)から この兄弟が養蜂の収益によって祭壇画を手に入れたことがわかります。 このプレデラはもともとこの祭壇画にあったものではなく、現在パリのクリュニー(中世美術)博物館に所蔵されているヤン・デ・モルダー作の祭壇に付けられていたものであり 画家ユゴー・クリュイペルスの手によるもののようです。
この祭壇の作者ヤーコブ・ファン・コッテムの作品の一つは パリのクリュニー(中世美術)博物館にも展示されています。


☆ 「アントワープの祭壇」〔オランダ/ルールモンド/ミュンスター教会〕1500年頃
〔Munsterkerk / Roermond / NL〕
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オランダのルールモンドのミュンスター教会。1500年頃に制作されました。
中央部分に キリストの受難の三場面「十字架を運ぶ」「磔刑」「降架」が彫られています。 内側の側面には (左に)ゲッセマネのキリスト/受胎告知 (右に)三博士の礼拝/キリストの昇天が描かれています。 翼の外側には 聖母子の前に立つ寄進者の肖像と 聖母の戴冠の情景とが描かれています。
オランダとベルギーでは 16世紀後半に起きたプロテスタントによる「聖像破壊運動」によって多くの祭壇が壊されましたので このようなアントワープの三連祭壇でオランダに現存するのは三点のみです。


☆ 「アントワープの祭壇」〔ドイツ/オスナブリュック/聖マリア教会〕1520年頃
〔St. Marien / Osnabr?ck / DE〕
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〔ドイツ/オスナブリュック/聖マリア教会/アントワープの祭壇〕〔その一部「十字架を運ぶイエス」〕〔その一部「降架」

オスナブリュックの聖マリア教会の主祭壇は1520年頃にアントワープで制作されたもので 木彫り彫刻の祠堂と 絵が描かれた翼とで構成されています。 祭壇の前面と背面にはキリストの復活と聖霊降臨までの物語が合計12枚の絵で描かれています。 主祭壇の中央の彫刻部分は 受胎告知/マリアのエリザベート訪問/イエスの降誕/三賢者の礼拝/割礼/神殿奉献が 6つの区画に分かれています。 実際の受難の物語は三つの場面 十字架を運ぶ/磔刑/十字架からの降架 に分かれています。 このようなアントワープ祭壇は 16世紀に北ドイツで大流行したもので 特にベルギーから近い北ライン・ヴェストファーレン州に多く残されています。


☆ 「アントワープの祭壇」〔ドイツ/ウムマンツ島/ヴァーゼ/聖マリア教会〕1520年頃
〔St.Marien-Kirche / Waase / Ummanz / DE〕
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ドイツの北海に浮かぶウムマンツ島で唯一の教会 ヴァーゼの聖マリア教会にある後期ゴシック様式のアントワープの祭壇は 1520年頃 シュヴェーリン教区の大司教ツトフェルト・ワルデンベルクの注文により制作されました。 この祭壇は 元々はシュトラールズントの聖ニコラース教会の聖クルシスの祭壇の上にあったものです。 1702年に聖歌隊の改造の一環として解体され ヴァーゼにある教会に50ターラーで売却されました。
祭壇は 彫刻部分の上段三場面が受難物語を 下段の三場面は聖トマス・ベケットの生涯の場面が表されています。 トマス・ベケットはイギリス王ヘンリー2世の大法官であり カンタベリー大司教となった人ですが 国王の世俗権力と教会の権力との争いでヘンリー2世に暗殺されました。 下段左が戴冠の 中央が暗殺の場面です。
上段の受難の部分は出来合い製品を組み合わせ 下段の聖トマス・ベケットの生涯の部分は注文によって作られたと思われ ですので下段の方が上段よりも丁寧な仕上がりとなっています。
祭壇の翼には 6枚が開いた状態で 6枚が閉じた状態で 合計12枚の絵が見られます。
開いた左側には磔刑前の 右側には磔刑後のそれぞれ三場面が 閉じた面には旧約聖書の場面が描かれています。


☆ 「アントワープの祭壇」〔ドイツ/北ライン=ヴェストファーレン/フレーデン/聖ゲオルク教会〕1520年
〔St. Georg / Vreden / Westm?nsterland / Nordrhein-Westfalen / DE〕
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左〔開いた礼拝面〕  右〔一度閉じた面〕

ドイツのオランダとの国境の町フレーデンの聖ゲオルク教会には 1520年にアントワープで制作された壮麗な祭壇が置かれています。 翼付きの祭壇の高さは約4.60メートル。年間を通してのキリスト教の様々な場面が描かれています。 内側の中央部分には精巧な彫刻が施されていて キリストの生涯と受難を描いた23の場面が 後期ゴシック様式の建築物の下に彫られており 大祭の時にのみ開かれました。 祭壇の外側の翼は二重扉となっており 全ての面に絵が描かれ キリスト/聖ゲオルク/エラスムス/フェリシタスの奇跡と 更には聖母マリアの生涯の場面が表されています。
フレーデンは第二次世界大戦末期に空襲を受け 街の中心地の建物のほとんどが崩壊しましたが この祭壇は大戦中には撤去されたため 戦前から残された数少ない調度品の一つとなっています。


☆ 「アントワープの祭壇」〔ドイツ/北ライン=ヴェストファーレン/シュヴェルテ/聖ヴィクトール教会〕1523年
〔St.Viktor-Kirche / Schwerte / Nordrhein-Westfalen / DE〕
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左〔開いた礼拝面〕  右〔閉じた面

ドイツのシュヴェルテの1032年に建てられたロマネスク様式の聖ヴィクトール教会は 15世紀後半ハンザ同盟によってシュヴェルテが繁栄すると後期ゴシック様式で増改築されました。 後期ゴシック様式の主祭壇は アントワープの聖ルカ・ギルドの画家と彫刻家によって制作されたアントワープの黄金の祭壇です。 高さ約8.5mの楢(なら)材の祭壇は 1523年の復活祭に開示されました。
中央の祠堂には イエスの幼少期/受難/聖グレゴリオのミサ/聖母の悲嘆などの15の場面が彫られています。 両翼には アドリアン・ファン・オーヴァーベックの工房で制作された聖ヴィクトルの伝説を含む72の場面が描かれ 巧みに装飾されています。 幼子イエスの像は100年以上前に失われたので 2015年に彫刻家によって再現され 祭壇は2018年に修復されました。 ヴェストファーレン州で最も大きく保存状態の良い翼のある祭壇の一つであり オリジナルの配色と金箔がほぼそのまま残されています。


☆ 「クレッピング祭壇」〔ドイツ/北ライン=ヴェストファーレン/ゾースト/聖ペトリ教会〕1525年頃
〔Klepping Altar / St.Petrikirche / Soest / Nordrhein-Westfalen / DE〕
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ドイツのゾーストの聖ペトリ教会にある「クレッピング祭壇」は クレッピング家から寄贈された「受難祭壇」です。 1525年頃にアントワープで制作されたもので 聖ルカ・ギルドの刻印があります。 中央部分にはキリストの受難の場面の彫像群が飾られています。 受難節には祭壇は両翼が閉じられて閉面を見ることができます。


☆ 「殉教者の祭壇」〔ドイツ/北ライン=ヴェストファーレン/クサンテン/聖ヴィクトール教会〕1525年
〔Stiftskirche St. Viktor / Xanten / Niederrhein / Nordrhein-Westfalen / DE〕
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ドイツのオランダとの国境近くの町クサンテンの聖ヴィクトール教会にある「殉教者の祭壇」は 1525年にアントワープで制作された三連の祭壇で キリストの受難とマリアの生涯をさまざまに描いています。


☆ 「アントワープの祭壇」〔ドイツ/モーゼル/ツェル/メルル/聖ミカエル教会〕1525年頃
〔Pfarrkirche St. Michael / Merl / Zell / Mosel / DE〕
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ドイツのモーゼル川近くの村メルルの聖ミカエル教会。1481年8月24日付の文書には シュプリンギアスバッハ大院長からの寄贈と記されています。 しかし この彫刻が施された構造は1525年頃のもので アントワープの彫刻が施された祭壇の中でも 壮麗で入念に制作されたものです。 楢材の祭壇祠堂は 五つの区画で構成され 四面の側面の画面に 降誕/割礼/神殿奉献/三賢者の礼拝が描かれています。 中央にはダビデ王が描かれ その胸からキリストの家系図が伸び マリアの死とキリストの十字架上の死を表す蔓が上に向かって続いています。


☆ 「フランダースの祭壇」〔ドイツ/ラインラント/ツュルピッヒ/聖ペテロ教会〕
〔St.Peter Kirche / Z?lpich / Rheinland / Nordrhein-Westfalen / DE〕
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ドイツのライン川地方の小都市ツュルピッヒの聖ペテロ教会にあるアントワープの祭壇には ツュルピッヒにゆかりのある聖人が描かれており 従ってこの祭壇は市民団体の依頼によるもので この大きさから察すると おそらくマティアス兄弟団と肉屋組合の依頼によるものと思われます。


☆ 「フランダースの祭壇」〔フランス/パリ/聖ジェルマン・ルクセロワ教会〕
〔Eglis Saint-Germain-l'Auxerroi / Paris / FR〕
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パリのルーヴル宮(今日のルーヴル美術館)の近くにある聖ジェルマン・ルクセロワ教会は フランク王国の始祖メロヴィング家が礼拝に使っていた パリで最も由緒のある教会です。 「フランダースの祭壇」としてアントワープの祭壇が置かれており 15世紀初めの作と思われていますが この教会に置かれた由来などは不明です。
受難祭壇で 上段は(左)十字架を運ぶイエス/(中央)降架/(右)悲しみの聖母 下段には磔刑以前の情景が表されています。


☆ 「アントワープの祭壇」(部分)〔ルーヴル美術館/パリ/フランス〕
〔Musee du Louvre / Paris / FR〕
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〔フランスのメルンのコリニー教会にあったアントワープの祭壇(1500-1510)/全体〕〔その左面〕〔その中央面〕〔その右面〕

〔その細部

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ルーヴル美術館の「北方彫刻」の部門に 木彫りの聖人像や祭壇(の一部)が展示されています。
祭壇(の一部)はほとんどがアントワープのものです。

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☆ その他

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〔ドイツ/北ライン・ヴェストファーレン/アッフェルン/聖ラムベルトゥス教会/アントワープの祭壇(1520-1525)〕〔その閉じた面〕


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〔ドイツ/ニーダーザクセン/アウリッヒ/ラムベルティ教会/アントワープの祭壇(1510-1515)〕〔その部分「十字架を運ぶイエス」〕〔その一部「悲嘆の聖母」〕〔その一部「キリストの復活」〕


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左〔フランス/アムビエル/聖マルタン教会/アントワープの祭壇(1466)〕
右〔ドイツ/ビ-レフェルト/聖ニコライ教会/アントワープの祭壇(1524)〕



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左〔フランス/ブルゴーニュ/ボム・レ・メシュー/聖ペテロ修道院教会/ボームの祭壇(1530-1540)〕〔その左扉〕〔その中央部分「磔刑」〕〔その右扉〕


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左〔ドイツ/北ライン・ヴェsトファーレン/ビュルヴェニッヒ/聖ステファン教会/アントワープの祭壇(1520年頃)〕〔閉じた面〕〔「十字架を運ぶイエス」〕〔「磔刑」〕〔「降架」〕


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〔フランス/ブルゴーニュ/ディジョン/ディジョン美術館/アントワープの祭壇(1510-1520)〕〔「十字架を運ぶイエス」〕〔「降架」〕


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〔ドイツ/北ライン・ヴェストファーレン/オイスキルヒェン/聖マルティン教会/アントワープの祭壇〕〔閉じた面〕


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〔ベルギー/ワロン/ルクセンブルグ/フィセンヌ/アントワープの祭壇(1510-1515)〕 〔閉じた面〕


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左〔ドイツ/フランクフルト・アム・マイン/レオンハルト教会/聖母の祭壇(16世紀初め)〕
右〔ドイツ/ハルテルン/聖シクストゥス教会/アントワープの祭壇(16世紀初め)〕



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左〔ベルギー/ナミュール/ゲディンネ/聖母生誕教会/アントワープの祭壇(16世紀)〕
右〔スウェーデン/ウップサーラ/ホクヴズ教会/アントワープの祭壇(1500-1510)〕



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〔ドイツ/北ライン・ヴェストファーレン/ハイムバッハ/巡礼教会/アントワープの祭壇(16世紀)〕
〔その細部〕



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左から〔ドイツ/バーデン・ヴュルテムブルク/キルラッハ/聖コルネリウスとキプリアン教会/アントワープの祭壇〕
〔左面「十字架を運ぶイエス」〕〔その中央部分「磔刑」〕〔中央下場面「悲嘆の聖母」〕〔右面「キリストの復活」〕



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〔ドイツ/ラインラント・プァルツ/クラウゼン/巡礼教会/受難祭壇(1480年頃)〕
〔中央部分「磔刑」〕〔左面「この人を見よ」〕〔右面「降架」〕



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左から〔ドイツ/北ライン・ウェストファーレン/ランゲヴェー/聖マルティン教会/アントワープの祭壇(16世紀)〕
〔左面「十字架を運ぶイエス」〕〔中央上部「磔刑」〕〔中央下部〕〔右面「悲嘆の聖母」〕



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左〔オランダ/マーストリヒト/聖セルヴァティウス巡礼教会/アントワープの祭壇〕
右〔ポーランド/ズコヴォ/聖母被昇天教会/アントワープの祭壇(1520-1525)〕



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〔オーストラリア/メルボルン/ヴィクトリア国立美術館/アントワープの祭壇〕〔閉じた面〕



〔オランダ/セルトーゲンボス/聖ヨハネ大聖堂/聖アントニウス礼拝室(1510-1520)〕
〔その一部「ピエタ」〕右〔その一部「十字架を運ぶイエス〕



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〔ベルギー/ルーヴェン/M博物館/受難と幼少期のイエスの祭壇(1520-1530)〕〔左側〕〔中央部分〕



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〔ドイツ/ラインラント・プァルツ/ミュンスターマイフェルト/聖マルティンと聖ゼルヴィス教会/「黄金の祭壇」(XVI世紀)〕
〔その一部「十字架を運ぶイエス」〕



ポルトガル/コインブラ/マチャド・デ・カストロ国立博物館/降誕の祭壇(XVIe) Neerharen_Sint-Lambertuskerk_Passieretabel_(ca_1525)_240x240.jpg
左〔ポルトガル/コインブラ/マチャド・デ・カストロ国立博物館/降誕の祭壇(XVIe)〕
右〔ベルギー/リムブルグ/ネールハーレン/聖ラムベルトゥス教会/受難祭壇〕



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〔ドイツ/パッフェンドルフ/聖パンクラティウス教会/受難祭壇(1515-1520)〕〔その一部「磔刑」〕


Pruszcz_Polyptych_Antwerp Altar_(ca1500)_Warsaw_National Museum_559x240.jpg Pruszcz_Polyptych_Antwerp Altar_(ca1500)_Warsaw_National Museum_(detail)_Bearing_of_the_Cross_180x240.jpg Pruszcz_Polyptych_Antwerp Altar_(ca1500)_Warsaw_National Museum_(detail)_Crucifixion_of_Christ_180x240.jpg Pruszcz_Polyptych_Antwerp Altar_(ca1500)_Warsaw_National Museum_(detail)_Lamentation_of_Christ_182x240.jpg
〔ポーランド/ワルシャワ/国立博物館/プローストゥの祭壇(1500年頃)〕
〔中央木彫り部分「十字架を運ぶイエス」〕〔中央木彫り部分「悲嘆の聖母」〕〔中央木彫り部分「降架」〕



Pailhe_l'Assomption_Notre-Dame_church_Antwerps Altar_(ca1510-1530)_oak,_polychrome_Cinquantenaire_Museum_Brussel_240x240.jpg Oplinter_Passion Altar_Anywerps retabel_(1530-1540)_oak_polychrome_Brabant_Cinquantenaire_Museum_Brussel_389x240.jpg
左〔ベルギー/ブリュッセル/半世紀博物館/ペレの祭壇(1510-1530年頃)〕
右〔ベルギー/ブリュッセル/半世紀博物館/オプリンテルの受難祭壇(1530-1540年頃)〕





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