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北西ヨーロッパの代表的な芸術様式(基礎編)

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》《公演でのお話から》 → 《北西ヨーロッパの代表的な芸術様式(基礎編)》


【目次】

0) 芸術に接するに当たっての前提
前提① 本質を捉える・・・目に見えているものは ものごとの表面・側面 → ものごと内面(本質)を捉える
前提② ものごとには 必ず理由がある・・・なぜそうなったのか/なぜそれが出てきたのか/なぜそのような表現になったのか
前提③ 現在から過去を見ている・・・過去の出来事も その当時の最新

1)北西ヨーロッパとは
① フランク族の土地=フランク王国=オランダ/ベルギー/ドイツ/フランス/ルクセンブルク(→後の神聖ローマ帝国の一部)
② 低地地方=オランダ/ベルギー/北ドイツ/北フランス

2)代表的な芸術様式
(メロヴィング朝様式 → カロリング朝様式 → )
ロマネスク → ゴチック → ルネッサンス → バロック → ロココ → (新)古典 →
 (ロマン → 写実主義 → 象徴派 → 印象派 → 前ラファエロ派 →
 アール・ヌーボー → アール・デコ → 野獣派 → キュービズム → 即物主義 など)

3)建築/美術/音楽における それぞれの様式の(形としての)特色
ロマネスク=半円アーチ/円
ゴチック=鋭角アーチ/尖塔
ルネッサンス=三角形/遠近法
バロック=斜め/螺旋
ロココ=曲線
(新)古典=四角形/直線 

4)それぞれの様式が目指したもの・・・なぜそのような表現になったのか
ロマネスク=全体性
ゴチック=分離
ルネッサンス=世俗
バロック=はったり
ロココ=うわべ
(新)古典=安定

5)動きと様式・・・様式の変遷
ものごとの流れ=起承転結

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0) 芸術に接するに当たっての前提

前提① 本質を捉える

私たちがある芸術に接するに当たって それが建築でも美術でも音楽で文学でも 前提というものがあります。
私たちは 何かに接した時に 必ずしも その対象の全てを見て感じているわけではありません。
特に 「見る」という行為においてそれは顕著です。
私たちが何かを見るとき その対象の一つの面しか見ていません。
あるいは そのものごとの表面しか見ていません。
しかし ものごとには 中身というものがあり 見えているのと反対側もまた存在しています。
このように 私たちが何かに接した時に まずは表面しか見えていない
一つの面しか見えていないということを自覚するこが大切です。
なぜならば 表面に現れていることは そのもののほんの一部にしかすぎないからです。

前提② ものごとには 必ず理由がある

そして ものごとは 特に人間の作り出したものは 必ず ある意図や意識があって作り出されています。
特に芸術作品はメッセージですから その作品に触れた人々へ何かを伝えるために作られています。
その「何か」を感じ取ることが すなわち芸術作品に触れるということです。
そして ものごとには必ず「理由」があります。
なぜそうなったのか/なぜそれが出てきたのか/なぜその様な表現がされているのか といった理由です。
そして その理由とは すなわち 人間の心です。表現とは 基本的に「人間の心」が表れているものです。
形であれ色であれ それらは「人間の心」が具現化したものです。
ですから 何かの芸術作品に触れたり ある時代様式を理解しようとした時に肝心なのは
「なぜそれが生み出されたのか」「なぜその様な表現になっているのか」ということを捉えることであり
かつそれはどういう心から生み出されたのかを感じることです。

前提③ 現在から過去を見ている

もう一つの前提は 私たちは 「今」の時代から過去の様式を見ている ということです。
21世紀の時代に生きながら 過去の様式をある意味並列に見ています。
しかし 過去の時代様式も それが出て来た時は 最新のものでした。
そして それ以後の様式はまだ出てきていませんでした。
例えば 私たちはゴチックもルネッサンスも知っています。
しかし ゴチック時代の人々にとっては ゴチック様式が最新のものであり
ルネッサンスはまだ現れていませんから知りませんでした。
ということは 私たちがゴチックから感じるものと
その当時の人々が感じたものとでは 当然感じ方が大きく違っています。
私たちが それぞれの様式をどう感じるかも大切ではありますが
それぞれの時代様式は理由があって出てきた(それ以前の様式に取って代わった)のであり
その当時の人々に何を訴えたくてその様な表現様式が出てきたのか
その時代の人々が それをどう受け止めたのか
ということの方が より大切であって それでこそ その様式の「意味」が理解できる訳です。

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1)北西ヨーロッパとは

  北西ヨーロッパとは ヨーロッパ大陸の北西部のことです。
北ヨーロッパとは アルプス以北のことであり
その北ヨーロッパの中の西部です。
しかし同時に 民族的に ゲルマン民族のフランク族の土地でもあります。

① フランク族の土地

フランク族は ゲルマン民族の一部族ですが ゲルマン民族の中では最も人数が多く勢力が大きい部族でした。
四世紀の後半に 民族大移動で東ヨーロッパから西ヨーロッパへと移住してきましたが
彼らが住み着いたのが 大陸の北西部でした。
 その後 五世紀後半には フランク王国という国家を形成することになります。
これが 北西ヨーロッパにおける最初の国家です。
フランク王国は次第に勢力を増し 9世紀はじめに最も大きくなり
今日のベネルクス/ドイツ/フランス/北イタリアまでを統治するまでになりました。
しかしその後分裂し その内の一つは 「フランス」として「フランク族の国」を名乗り続けています。
(人名で フランク/フランソワ/フランソワーズなどが フランク族であることを意味しています。
あるいは 地名でもフランクフルト/フランケン地方など フランク族の土地であることが残されています。)
 そのフランク族の土地の中でも

② 低地地方

 ヨーロッパ大陸の北西部は 土地が低く 「低地地方」と呼ばれています。
今日で言うオランダ/ベルギー/北ドイツ/北フランスにかけての地域です。
土地に起伏が無く ほとんどが海抜数メートルの高さの土地です。
 この フランク族の住んでいた 低地地方では ヨーロッパの他の地域とは違った独自の文化が築かれました。

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2)代表的な芸術様式

(メロヴィング朝様式 → カロリング朝様式 → )
ロマネスク → ゴチック → ルネッサンス → バロック → ロココ → (新)古典 →
 (ロマン → 写実主義 → 象徴派 → 印象派 → 前ラファエロ派 → アール・ヌーボー →
 アール・デコ → 野獣派 → キュービズム → 即物主義 など)

 メロヴィング朝様式とは 五世紀はじめにフランク王国を築き初代国王となった
クローヴィスによって始められたメロヴィング朝の時代のものです。
 それに続く カロリング朝様式は フランク王国が最も大きくなった時の国王
カール大帝の開いたカロリング朝の時代のものです。
 しかし この時期のものはほとんど残されていません。
 僅かに 金属製品が残されているだけです。

 その後の
ロマネスク・・・およそ1050年~1150年
ゴチック・・・1140年~1560年頃
ルネッサンス・・・(1420年フィレンツェ)1510年~1600年
バロック・・・(1575ローマ)1600年~1770年
ロココ・・・1740年~1780年
(新)古典・・・1780年~1820年
これらが 北西ヨーロッパにおける 代表的な芸術様式となりました。
すなわち 「総合芸術」=建築/美術/音楽といった異なるジャンル全てを包括する様式となり
その時代を支配し一色に染めるほどの力を持つ様式となったということです。

けれども その後の
ロマン派/象徴派/印象派/前ラファエロ派/アール・ヌーボー/折衷様式(ここまで19世紀)
アール・デコ/野獣派/キュービズム/即物主義/シュルレアリスム(20世紀)
などは ほとんどが総合芸術とはならずに 特定のジャンルにおいて出たものとなりました。
僅かに アール・ヌーボーが総合芸術となりましたが
しかしそれも時代を一色に染める程のものとはなりませんでした。

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3)建築/美術/音楽における それぞれの様式の(形としての)特色

ロマネスク

ロマネスク様式は 建築から始まりました。
アルプスから南のヨーロッパは 古代から石造建築の文化でしたが
アルプスよりも北のヨーロッパは 木造建築の文化でした。
(アルプス以南は山が多く岩がありますが アルプス以北は平地が多く岩は多くありません。)
木造建築文化の北西ヨーロッパにおいて 1050年頃から石造建物が建てられるようになりました。
それらは まずはその土地で最も重要な建物として 要塞あるいは教会が石造になりました。

ロマネスク様式が出てきたのは キリスト教の普及と関係しています。
四世紀に入ってから形作られたキリスト教が
アルプス以北のヨーロッパに広く定着するのが 11世紀のはじめでした。
ローマから始まったキリスト教ですので ローマ文化のまねをして
石造 そして ローマ風(半円)アーチを使った建築様式から
ロマネスク(ローマ風)様式と名付けられました。

従って 形としての特色は 半円アーチと です。

建築様式として始まりましたので 美術も壁画/柱彫刻など建築と結び付いたものが主です。

Romanesque-Cambridge.jpg(51723 byte)

ゴチック

ゴチック様式も 建築から始まりました。
1140年にパリのすぐ北にあるサン・ドニ修道院で始まり
瞬く間に北フランス/イギリス/ベルギー/北ドイツに広まり
およそ400年間にわたって北西ヨーロッパを支配しました。
ゴチックという言い方は 「ゴート族の」という意味です。
18世紀のイタリアから見て アルプス以北のガリア地方(主にフランス)に居た
ゴート(あるいはゴール)民族の野蛮な文化ということで言われるようになりました。

形としての特色は 鋭角のアーチ尖塔 縦の垂直性 左右対称です。



ゴチック様式も建築で始まりましたので 美術は建築と結び付いていました。
ゴチックを代表する美術は ステンドグラスです。
後にはタペストリーや木彫り彫刻 そして15世紀はじめからは 絵画においても顕著に現れる様式となりました。


ルネッサンス

ルネッサンスはイタリアのフィレンツェで 美術から始まり建築や音楽に波及しました。
北西ヨーロッパに波及してくるまで およそ百年かかりました。
これは 北西ヨーロッパでは ゴチックが非常に支配的だったからです。
ルネッサンス(日本では 文芸復興と訳されています)とは
再生という意味であり ギリシャ/ローマの文化の復興を基本としています。
ギリシャ/ローマ神話の神々がとても人間的に描かれているのを手本としたものです。
従って この地上に生きる「人間」を基本とした表現となりました。

形としての特徴は 遠近法と 三角の構図です。

ルネッサンス~アントワープ市庁舎 ルネッサンス~ダヴィッド「ミルク粥の聖母子」

バロック

バロックは イタリアで始まりました。バロックもまた美術から始まり建築や音楽に波及しました。
バロックという言葉は ポルトガル語の「バロッコ=歪んだ真珠」からきています。
その言葉の通り 左右非対称な歪んだ形 動きのある表現を特徴としています。
構図としては 斜め螺旋(=左右非対称)が特徴的であり
劇的な表現 躍動感溢れる表現を目指しました。

バロック~ルーベンス「二人の罪人の間のキリスト」

ロココ

ロココは パリの宮廷で始まったものです。絵画と建築が主で 音楽では僅かにしか現れていません。
地域的にも パリと南ドイツにほぼ限られています。
そもそもは貝殻を表す言葉からきていますので 形としては
貝殻をモチーフとした曲線が主で 装飾性豊かなことが特徴です。

ロココ~オットーボイレン ロココ~ワトウ

(新)古典

(新)古典様式は (ルネッサンスと同じく)ギリシャ文明やローマ文明への憧憬からきています。
「古典=ギリシャ文明/ローマ文明」への回帰ということで 新古典と呼ばれますが
音楽においては古典様式と言っています。
形としての特色は 安定/重厚/直線/左右対称 です。

古典~ダヴィッド 古典~ブランデンブルク門 このページの初めに戻る

4)それぞれの様式が目指したもの・・・なぜそのような表現になったのか

① ロマネスク様式

 ロマネスク様式は キリスト教の波及によって出てきたものです。
 しかし それはごく外面的なものだけであって 中身もそうであったわけではありません。
 それの現れが 「半円」や「円」を基本の形としていることです。
 キリスト教(カトリック)は 四世紀の後半に今に続くその形の基礎が築かれ発展していきました。
 しかし その基本教義はキリストが説いた教えそのものとはほとんど関係していません。
 四世紀に入ってから ローマ帝国の国教となり 現在の新約聖書が編纂され
 イエスの母マリアの神性が認められました。
 これらの出来事が 今に至るキリスト教カトリックのあり方を決定付けました。
 ローマ帝国の国教になったということは 政治=世俗権力と結び付いたということです。
 俗性に対する聖性が宗教の基本であるはずなのに 世俗権力と結び付くことによって
 キリスト教は聖性から離れていくことになります。
 現在の新約聖書は 四つの福音書とその他の文章から成っていますが 
 この新約聖書が編纂されるまでの時代には これら以外にも沢山の福音書が存在していました。
 しかしそれらのほとんどは破棄されました。
 そして 採用された四つの福音書においても 多くの削除が行われました。
 何が破棄され削除されたのかというと 「生まれ変わり」=輪廻転生に関する記述が含まれているものです。
 この 「生まれ変わり」=輪廻転生を否定することによって
 キリスト教は「現世だけが全て」だとし あの世や霊性を否定しました。
 もう一つの削除・破棄は キリストの家族に関するものです。 
 イエスがマグダラのマリアと結婚し子供がいたことや イエスに兄弟がいたことを隠すようになりました。
 そしてイエスの母マリアが処女でキリストを生んだことにしました。
 そして そのマリアを「神の一人子を生んだ聖母」としました。
 これによって キリスト教が キリストの教えが広まるというよりも
 聖母信仰=母性愛信仰がその中心となっていくことになります。
 そして キリスト教は 四世紀に入るまでにすでに 人々に抵抗感少なく受け入れてもらえるように 
 それまでにあった様々な他の宗教のしきたりや行事を取り入れてきました。
 これは アルプス以北にキリスト教が波及していく時にもまた同様でした。
 ゲルマン民族は森の民族と言われます。
 森に住んでいるということは 自然の中で生活しているということです。
 従って ゲルマン民族は 市自然崇拝や 精霊の存在を基本とする アニミズムを信じていました。
 ローマから キリスト教が伝わっては来ましたが そして
 ローマのまねをした建物を建てるようにはなりましたが 
 しかしまずはゲルマン民族のアニミズムが形としてのキリスト教を取り入れたというのがロマネスク様式です。
 つまり 半円のアーチは何を意味しているかというと「天蓋」です。
 全ての存在は「天蓋」の下にあるということです。
 そして 円は「全体性」と「調和」を意味しています。
 全ての存在は 宇宙の中にあり それら全てのものは一体であり調和している ということを表しています。
 円は輪であり 輪は和です。
 すなわち これらがアニミズムです。
 自然の中では 全てが宇宙の動きに支配され そして調和している。
 そして 全てのものには「霊」が宿っている。
 この様なゲルマン民族の信仰が 形として現れたのがロマネスク様式です。
 従って ロマネスク様式とは キリスト教の波及によって始まったものではあっても 
 そしてローマから影響で建てられるようになったものではあっても
 実はそれはキリスト教を表すものというよりも 
 ゲルマン民族の信仰=アニミズムを表すものだった訳です。
 ロマネスクの建物も 美術(壁画や壁彫刻・柱彫刻)も 
 全てが「円」と「半円のアーチ」が基本となっているのは そういう理由からです。

 ですので ロマネスク様式を一言で表すと 「全体性」ということになります。


② ゴチック様式

 しかし 木で建物を建てるのと 石で建てるのとでは その中に居る感覚は違ってきます。
 木の建物の中に居る方が 「自然の中に居る」ことが感じ取れます。
 しかし 石の建物の中に居ると 外と中とを隔てている分断しているように感じられます。
この 「分離」ということが ゴチックの基本となりました。
 ゴチック様式の形の特徴である「鋭角のアーチ」と「尖塔」は
 それらによって「天国を指し示す」形を作っています。
 人々の心が天に向くように ということを形として表しているのが
 ゴチック様式の尖ったアーチと尖った塔です。
 しかし これはすなわち 「全てのものが一体」ということではなく 
 「神」と「人間」とは別のものであり遠く隔たった存在であるということを前提としています。
 この「分離」ということがすなわちキリスト教カトリックの基本なのです。
 イエスのみを「神の一人子」とし イエスの母は神の一人子を生んだ「聖母」とし 
 他の全ての人々は原罪=生まれながらに罪を背負った罪人であり
 その罪を贖うために生き労働しなければいけないという 
 「人間罪の子思想」がキリスト教カトリックの基本教義でした。
 つまり 私たち人間と神とは遠く隔たった存在なのです。
 その隔たりを表しているのが尖塔なのです。
 そして その形は同時に 「縦の垂直性」を強調したものです。曲線はアーチ部分にしかありません。
 縦の直線が基本となっている形が ゴチック様式です。
 この縦の直線 種直性が何を表しているのかというと キリスト教の基本教義である「原罪」です。
 全ての人は生まれながらにして「罪人」ですから 神からの罰としてこの世に生き労働しているのです。
 ですから楽しいことをしてはいけない 快楽は悪であり
 全ての人間=罪人はストイックに生きなければいけないという 
 贅肉をそぎ落とした生き方が このゴチック様式の縦の直線を基本とした形に表れているのです。
 
 ゴチック美術の典型は ステンドグラスでした。ステンドグラスのそもそもは「光」です。
 教会は「神の家」です。神の家はすなわち「天国」です。天国は「光の国」です。
 ですから 教会の中を光で満たすことによって
 「光の国」=「天国」=「神の家」であることを表すのがステンドグラスのそもそもです。
 しかし なぜ単なる窓ではなく 色付きのガラスを使うのでしょうか?
 この地上で光を象徴する物質は宝石です。
 宝石は光によって輝くからです。そして宝石には様々な色のものがあります。
 ですので 様々な色のガラスで宝石を象徴させ それによって光を表しているのがステンドグラスです。
 そして 次第にステンドグラスは抽象的な図柄から 具象的な表現へと移っていきました。
 キリスト教は一般の人々が聖書を読むことを禁じていました。
 (一人一人が聖書を読んで その内容に関して独自の判断を下されたらば困るからです。)
 本を読むことも禁じていました。
 (人々が知識を身に付けることによって 教会の権威が揺らぐのを恐れていたからです。)
 そのために識字率は非常に低くなりました。
 基本的にキリスト教は 聖職者が信者に語り聞かせる形で伝えられました。
 その語り伝える時の道具として つまり視覚的に分かり易いように
 宗教画が描かれるようになりました。
 ステンドグラスも同様の目的に使われるようになりました。
 そして 15世紀はじめに フランダース地方で油絵の具が発明されるまでは 
 細かい描写/はっきりとした色/グラデーションなどを表現することはとても難しいことでした。
 絵では写実的な表現が出来なかったのです。
 絵よりも写実的な表現が出来るものが タペストリー(綴織り)とステンドグラスでした。
 このために 北西ヨーロッパでは ステンドグラスと
 (特にフランダース地方において)タペストリーとが盛んに作られるようになりました。
 そもそも キリスト教においては(イスラム教と同様)偶像崇拝を禁じていました。
 従って 何か姿形を表す像や絵を作ってそれに向かって拝むということを禁じていました。
 六世紀にベネディクト派を起こした聖ベネディクトは「美は 物質の塊に求めるべきではない」と言いました。
 これを元に キリスト教では像や絵を作ることはしなかったのですが 
 しかし キリスト教を伝えるに当たって 視覚的なものを使った方が分かり易いということで
 「イコン」が作られるようになりました。
 絵は立体ではないから「像」ではなく 偶像崇拝とはならないという理屈でです。
 しかし 11世紀に入って ゴチック様式の始まりである聖ドニ修道院にこう書かれました。
 「愚かなる心は 物質を通して真実に導かれる」。
 この時から キリスト教は 積極的に視覚的な表現をとるようになります。
 その中でも 早くから使われたのがステンドグラスでした。
 その後 12世紀からはタペストリーが 13世紀からは木彫り彫刻が 
 そして15世紀からは油絵が これらの道具として使われるようになります。
 (これらは 今日では「美術品」とされていますが そもそもは
 あくまでも宗教を視覚的に伝えるための道具であり 美術品ではありませんでした。)
 これら 宗教美術においても ゴチックの典型である「尖り」「縦の垂直性」が強調されています。

 ですので ゴチック様式を一言で表すと 「分離」ということになります。

 (ゴチック様式のそもそもである聖ドニ修道院や その代表であるシャルトルの大聖堂や ステンドグラスが 
 そもそも何を表現しようとして始まり造られたのかは ごく簡単に触れるに留めます。
 これにはキリスト教の歴史と共に 反キリスト教の歴史も大きく関わっているからです。
 第一回十字軍の時に 十字軍の兵士を守るという名目で「聖堂(テンプル)騎士団」が創立されました。
 この聖堂騎士団は 秘密結社「シオン修道会」の戦闘部隊であり 聖地エルサレムで密かに聖杯を探していました。
 聖堂騎士団が北フランスに戻ってからまもなく ゴチック様式が突如北フランスに現れました。
 「聖杯」とは キリストの血統であり 本当のキリストの教えを守り伝えるための秘密結社がシオン修道会です。
 ゴチック様式は そもそもはその形の中に「神聖幾何学」を入れたメッセージとなっており 
 キリスト教がキリスト自身の教えとかけ離れていることに対しての反動として 
 人々の「無意識」(「潜在意識」)に訴えかけるようにと始められたものです。
 しかし これもゴチック様式の広まりと共にその本来の目的からは離れていってしまいました。
 ですから ゴチック様式は そのそもそもは「分離」を表現しようとしたものではなかったのですが 
 しかしこの様式が広まると共にその本来の目的/意味は急速に忘れられていきました。) 
 

③ ルネッサンス様式

  しかし キリスト教の基本教義である「原罪」=「人間罪の子思想」は
イタリアの人々にはなじめないものでした。
そもそも 北西ヨーロッパは 南ヨーロッパと比べると
気候が厳しく かつ土地に栄養分が少なく 農作物は良く育ちません。
動物の飼育も難しく 海での漁も大変な労働です。つまり 食料を手に入れることが困難でした。
それに対して 気候が温暖な南ヨーロッパでは 労せずに食べ物を手に入れることが可能でした。
これが (アルプスを境とした)北ヨーロッパと南ヨーロッパとの文化の違いを作り出しました。
南ヨーロッパに人々は あくせく働く必要が無いのです。
のんびりと生活を楽しんで生きたいのです。
そういう人々が 先祖から引き継がれてきたローマ神話やギリシャ神話の神々が
生きいきと描かれているのをまねて生きたいと思うのも当然です。
これによってルネッサンスが始まりました。
 そもそも キリスト教は「一神教」です。
 父なる神を唯一の神とし キリストを神の一人子としています。
 しかし ギリシャ神話やローマ神話には沢山の神々が出てきます。
 一神教のキリスト教にとっては 多神教は「異端」です。
 地獄に落ちるべきものです。
 ということは ギリシャ神話やローマ神話を理想としたイタリアの人々は 
 本当にはキリスト教を信じてはいなかったことになります。
 ルネッサンス様式の形の基本は 「三角形」と「遠近法」です。
ゴチックは 天と地とはかけ離れたものとして二極化され 地から天を向く形が作られました。
ルネッサンスが三角形を基本としたのは ルネッサンスは
この地上に生きる人間を基準とした文化となったからです。
それは 天と地という二極化ではなく 「地上の人間」を中心としたものですから
重心は下に落ち 三角形の構図となりました。
そして 三角形はまた遠近法とも関わっています。
 ルネッサンスのもう一つの基本である遠近法とは これもまた
 「人間(あるいは個人)を基準とした」ものの捉え方の現れです。
 遠近法とは何でしょうか? そもそもものはどこにあっても大きさは同じです。
 近くにあっても遠くにあっても そのものの大きさが変わるわけではありません。
 しかし遠近法で 近くのものは大きく 遠くのものは小さく描くのは 
 すなわち人間(個人)から見て近くのものは大きく見え 遠くのものは小さく見えるという 
 人間(個人)としての視点で絵を描いているということです。
 そして 遠近法を使うことによっても 三角の構図が形作られます。
 ゴチック絵画でも 近くのものは大きく 遠くのものは小さく描かれはしました。
 しかし ゴチック絵画では 全てものもがはっきりと克明に描き表されていました。
 ゴチック絵画の視点とは 「神の目」なのです。
 神には全ての物事がはっきりと見えているのです。
 しかしルネッサンスは 人間を基準とした文化となりました。
 ですから 人間(個人)から見たみえ方である遠近法を使い かつ遠くのものはぼかして描くようになります。
 また絵画においては たとえ宗教画ではあっても 世俗的な表現がとられるようになります。
 聖人も一般の人間として描かれます。
 ゴチックでは 天と地とを分離させてしまいましたが それでも神聖なものを表現しようとしました。
 あるいは 神聖なものを理想とする人間像を描き出しました。
 しかし ルネッサンスにおいては その様な表現はとられずに
 全ての存在が「俗」として描き出されるようになります。 

 建築におけるルネッサンスも 古代ギリシャおよび古代ローマの影響を受けています。
 半円柱(建物の壁面に貼り付けた円柱)や縦横の直線を使ったギリシャ風/古代ローマ風の立て方と 
 「釣鐘屋根」と言われる 鐘の形をした破風(=底辺が広い三角形)にそれが現れています。

 ですので ルネッサンス様式を一言で表すと 「世俗性」ということになります。
 
(ルネッサンスもそのそもそもは 「世俗性」を表すものではありませんでした。
ゴチック様式がその本来の目的から離れていってしまい 全く逆の意味を持たせられるようになった 
その反動として「人間と神との繋がり」を あるいは「人間の真性=神性」を表現しようとしたものでした。
しかしゴチック同様にその本来の目的とは全く逆の表現をするようになってしまいました。)


④ バロック様式

   16世紀に入り ヨーロッパは激動の時代を迎えました。
 大航海時代が始まり 自然科学が発展し 宗教改革が起き 
 これらがキリスト教カトリックにとっては大きな脅威となりました。
 天動説を唱え 地球が宇宙の中心であり 地球は平面であり ヨーロッパが地球の中心であるとする
 カトリックの教義が 新大陸の発見から地球が球体であることの発見と地動説とによって危機にさらされました。
また 宗教改革が起きたことにより 旧教・新教の対立から沢山の流血が起き 
新教を異端だとするカトリックによる新教弾圧が強まり 人々は異端裁判への恐怖に怯えました。
 キリスト教社会であるヨーロッパにおいて キリスト教カトリックの権威が揺らぐということは 大変な出来事です。
 この様な「激動」「揺らぎ」がバロック芸術を形作っています。
 バロック芸術の形としての特徴は「斜め」と「螺旋」です。
 そして 左右非対称です。斜めは「動き」を意味します。ものは 斜めのところでは止まらずに動きます。
 螺旋もまた 「終わりの無い動き」を意味します。あるいは 左右非対称によって 安定を壊しているともいえます。
しかしそれと同時に 「斜め」の構図は この時代にカトリックの権威が揺らぎ傾いた 
あるいは人々の信仰心が傾いたということをも 無意識のうちに表現しています。
螺旋の動きとは 身体の動きでいうと 「意固地になる」「意地を張る」「競争心」などの表れです。
この時代には 自然と一体になった 素直な心で生きることが出来なくなったのです。
人々は 常に何かに対して「斜に構え」「意固地になって」生きなければならなかった
ということの表れが このバロック様式の形です。
 更に バロック様式が 劇的な 躍動感溢れる表現をとったのには もう一つ理由があります。
 カトリックは 新教の勃発によって大量に信者を失いました。
 これは(全ての人が収入の十分の一を教会に納める)十分の一税を取っていたカトリックにとっては大変な痛手です。
 税収入が減るからです。それで 新たな信者獲得のために 世界伝道に乗り出しました。
 (ただし 建前としては 世界伝道の目的は 異教徒が地獄に落ちないように
 キリスト教に改宗させるためということでした。)
 しかし 世界伝道に当たっての最大の障害が言葉でした。
 現地の言葉を話せなければ 言葉を使った伝道は出来ません。
 そこで カトリックは世界伝道に当たって幾つもの取り決めをしました。
 その内の一つが「躍動感溢れる 劇的表現の絵を見せることによって 
 言葉での一切の説明無しに信者にしてしまおう」という作戦でした。
 バロックが劇画的表現をとっているのはこのためであり つまり 
 言葉を使わない 伝道に当たっての「看板」という目的が
 バロックの劇的表現をより一層推し進めることとなりました。
 しかし バロック芸術からは 確かに「躍動感」「劇的表現」が充分には感じ取れますが 
 しかし それらの絵を見て本当に宗教心が湧いてくるのでしょうか? 
 残念ながら バロック芸術において表現されているものは「劇的」な「躍動感溢れる」表現であって 
 内面的なものや ものごとの本質ではありませんでした。
 つまり外面的効果を狙ったのがバロック芸術だということになります。

 ですから バロック様式を一言で表すと 「はったり」だということになります。


⑤ ロココ様式

 ロココ様式は バロックからの続きです。しかし それは続きであると共に 反動でもあります。
 ロココ様式は パリの宮廷から始まりました。結果的には この時代がフランス王政の末期となります。
 ロココ様式が起きたのは バロック様式が余りに
 「劇的表現」「過激な感情表現」「大袈裟なポーズ」をとるようになった その反動からです。
 より洗練された 優雅・優美な 軽やかな 宮廷風の表現をとろうとしたのがロココです。
 ですから ロココ絵画はそのほとんどが 宮廷あるいは宮廷をはじめとする上流階級の人々の情景を描いています。
 それにより ロココ様式の表現は バロックよりも穏やかな感情表現をとるようになり 
 劇的な大袈裟な表現も控えられるようになりました。
 しかし 表面的にはその様な違いが出てきましたが 本質的にはロココ様式はバロック様式からの続きです。
 より洗練された 優雅・優美な 軽やかな 宮廷風の表現をとろうとした その「宮廷」とは
 どういうところだったのでしょうか。
 一般社会から分断された 特殊な世界です。
 身体を使って労働することの無い 自然と向き合うことの無い
 本音・本心で行動することの出来ない世界でした。
 そして それはまた 一般民衆の生活も彼らの気持ちも分からない理解しない人々の世界でした。
 ロココ様式は 装飾性が豊かになり 更には過剰になりました。
 ロココ様式は 「夢」の世界です。
 一般民衆の生活から離れた宮廷における 優美さを追い求めた夢の世界です。
 そこには「生活臭」というものはありません。
 「感情表現」も希薄で かつ「楽しい」「嬉しい」ものが中心となります。
 偽悪・苦しみ・怒り・悲しみといったものは表現されません。
 ひたすらに「優美さ」を追い求めたのがロココでした。
 このような「夢」あるいは「天国的情景」を表現しようとしたロココですが 
 しかし それは本質を見失ったものとなっていきました。
 本心を表すことの出来ない宮廷での うわべだけを装い取り繕う生き方が 
 「装飾」を重視し 結果的に「装飾過剰」な表現へとロココ様式を導いていきました。
そして 民衆の生活や気持ちを理解できない宮廷は やがて民衆の反発を引き起こし
フランス革命へと繋がっていくことになります。
つまり ロココとは王権制末期の崩壊寸前の危うい美を表現したものとも言えます。  

 ですから ロココ様式とは 「うわべ(の美しさ)」「虚栄」だということになります。


⑥ (新)古典様式

 バロックは「変動」が基となっていました。
 しかし 人間は余りに変動が多いと 安定を求めます。
 その安定を求める気持ちにこたえて現れたのが ナポレオン・ボナパルトでした。
 そして 安定を求める気持ちが 反バロック=(新)古典様式を生み出しました。
 ですから バロックが曲線を主体としたのに対して 
 (新)古典様式は直線を基本とし
 左右対称で横幅を広く取った 四角形の 安定感ある重厚な形を作ることとなります。
 このような形はすなわち 古代ギリシャの建築様式でもあります。
 ですから (新)古典様式が 古代ギリシャ文化・古代ローマ文化を「古典」とし 
 その復活を目指したものではありますが その基となっているのは
 安定を求める人々の気持ちであったわけです。
 建築において (新)古典様式の特徴が顕著に現れていますが
 同時に絵画においてもその特徴は同様に現れています。
 ギリシャ風の建物/象徴化した人物像/動きの少ないポーズ/凝縮化された表現
 などによって 反動/安定を表現しました。
また音楽においても ベートーベンに現れているように 安定感を基本とした重厚な音楽となっていきます。
音楽における「形式」というものが確立したのが この古典派の時代であるのは 
すなわち 古典様式が安定感を出すための「形」を重視したことの現れです。
 この(新)古典様式は ナポレオンの時代と重なっています。
 ですから (新)古典様式は 帝国主義様式とも言われます。
 そもそもは 安定を求める人々の気持ちから始まったものではありますが やがては
 (新)古典様式は その重厚・反動という表現が 帝国主義という「権威」と結び付いたものとなります。
 古典様式が四角形を基本としている その四角形とはすなわち「四角四面」ということでもあり 
 融通が利かないことをも表しています。

 ですから (新)古典様式を一言で表現すると 「安定」だということになります。


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5)動きと様式・・・様式の変遷

 以上のように
 ロマネスク様式→ゴチック様式→ルネッサンス様式→バロック様式→ロココ様式→(新)古典様式 という 
 北西ヨーロッパにおける代表的な6つの芸術様式を見てきましたが 
 この内 本当に「時代様式」と呼べるもの つまり 
 ある時代に様々なジャンルにおいてその土地を一色に染めてしまうような影響力を持ったものは 
 ロマネスク/ゴチック/ルネッサンス/バロック/(新)古典 この五つとなります。
 ロココ様式は 地域的にごく限定されたものであり かつ 絵画・彫刻と建築が主でした。
 そして この後は ロマン派/印象派/象徴派/前ラファエロ派/アール・ヌーボー/折衷様式(ここまで19世紀)
 アール・デコ/キュービズム/野獣派/即物主義/シュルレアリスム(20世紀)
 などが出てきましたが これらのほとんどが総合芸術とはならずに
 特定のジャンルにおいて出たものとなりました。
 僅かに アール・ヌーボーが総合芸術となりましたが
 しかしそれも時代を一色に染める程のものとはなりませんでした。
 ではなぜ 上記五つの様式が 代表的時代様式となったのでしょうか。
 これはものごとの流れ 起承転結と関わっています。
ものごとには 必ず始まりがあり その始まったものが発展していき
そして転機を向かえ そして完結(終結)していきます。
そして この「起承転結」というものごとの流れは エネルギーの流れの方向性と関わっています。
人が何かを始めるというのは「思いつき」「ひらめき」によってです。
この「起」にあたる「思いつき」「ひらめき」というのは
天から降って来るものであり エネルギーの流れは縦の流れです。
ものごとが発展していくのは 例えば思いついたこと=ひらめきを発展させていくのは 横への広がりです。
つまり「承」は エネルギーの流れが 横の動きです。そして「転」とは 回転(ねじれ)の動きです。
最後の「結」は ものごとを作り上げる「前後」の動きと 
終わりにする「安定」=重心を下に置く という二つの要素から成っています。
 ロマネスク様式は「全体性」を表現していました。そこからものごとが始まります。
 あるいは この状態はものごと(=動き)が始まる前の段階とも言えます。
 ゴチック様式は 縦の垂直性を表現していました。つまり 縦のエネルギーの流れです。
 全体性からの分離によって 縦の動きの「起」が出てきました。
 ルネッサンス様式は 三角の構図をとり 底辺が広がる形となりました。
 横へのエネルギーの流れ すなわち「承」です。
 バロック様式は 回転と斜めが基本でした。「転」そのものです。
 そして (新)古典様式は 安定を基本としました。
 このように 北西ヨーロッパの代表的な五つの芸術様式とは
 ものごとの流れ=起承転結の流れと対応しているのです。
 つまりそれが この五つの様式が 代表的な時代様式となった理由なのです。 
 では なぜ これ以後は これらに相当する時代様式が出てこなかったのでしょうか? 
 (新)古典様式は 帝国主義と結び付いたことによって 個人から離れていきました。
 その反動として出てきたのが ロマン主義です。
 個人個人の感情 といういうよりも「感傷」=センチメンタリズムが ロマン主義です。
 そして 印象派も個人個人のものごとの受け取り方=印象を主体としました。
 つまり 芸術表現というものの主体が 「個人」へと変わっていったのです。
 「全体」でもなく 「集団」でもなく 「個人」となったのです。
 それに対する反発が 前ラファエロ派からアール・ヌーボーという流れを生み出しました。
 ラファエロ以後の堕落した芸術を本来のあり方=ラファエロ以前に戻そう
 という考え方から始まった前ラファエロ派は 
 芸術は「個」の表現ではなく 「あの世とこの世」「天と地」「人間と自然」を
 全て包括したものの表現であるべきだとしました。
 そして その延長として出てきたアール・ヌーボーは 人間の「夢」=潜在意識を表現しようとします。
 これによって 「この世での肉体だけが人間という存在なのではない」ということを表現しようとしました。
 このアール・ヌーボーは 建築・美術・音楽・文学と 様々な分野において出て 総合芸術と成りました。
 しかし このアール・ヌーボーの時代とは すなわち
 帝国主義(あるいは植民地主義)が最も高まっていた時期でもあり 
 それに対する反動でもあったアール・ヌーボーは この時代を一色に染めることは出来ませんでした。
 (アール・ヌーボーを一言で表すと「霊性」であり
 これは「近代科学」と「物質主義」に対する反動でもありました。)
 ですから 本来はアール・ヌーボーが ロマネスクの「全体性」へと回帰するはずだったのです。

 また ロマネスク/ゴチック/ルネッサンス/バロック/(新)古典という流れは 
 ロマネスクにおける全体性 → ゴチックにおける神と人との分離 →
 ルネッサンスにおける(人間の)感覚・知性 → バロックにおける(個人の)感情 →
 (新)古典における理性 という表現の変遷でもあります。
 宇宙という一つの有機体とその中の存在を表現したロマネスクから
 神と神性とを表現しつつも神と人とを分離させたゴチック 
 そして神から分離された人間の感覚や知性を主体とした
 (ということは神の存在を忘れつつあった)ルネッサンス
 更には人間個人個人の感情(喜怒哀楽)を表現したバロックと変遷していった結果
 (この変遷とは 人間の宇宙からあるいは神からの分離の過程でもあります)
 安定の古典様式に落ち着きました。
 人間は理性で感情をコントロールしてこそ 安定した生き方が出来るということです。
 しかし帝国主義でも人間は結局は本当の安心・安定は得られませんでした。
 そしてそれ以後のおよそ二百年間は 神あるいは宇宙から分離した(神の存在を忘れた)
 人間個人個人が右往左往する表現様式となっていくのです。

(この項目は 2010年2月3日に豊田市のトヨタで行われた講演を 文章化し加筆修正したものです)


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