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賢者と愚者

《幸也の世界へようこそ》《書庫》《子育てについて》 → 《賢者と愚者》


【賢者は知らぬを知り 愚者は知らぬを知らず】

【賢者は歴史からも学び 愚者は経験からも学ばず】

【賢者は愚者からも学び 愚者は賢者からも学ばず】

【愚者は賢者を嗤い 賢者は愚者をも嗤わず】

【愚者の鈍さは 賢者の砥石】




1)賢者とは 広い視野と認識力を持っている人であり
宇宙の広さも認識していますから
この広大な宇宙の中で
自らの知っていることは ほんの僅かであることもまた認識しています。
そしてだからこそ 常に謙虚であり 更なる探求をしていきます。

しかし 愚者は視野が狭く かつ認識力も低いですから
「自分」を基準にし 「自分」の身の周りのことしか見えません。
ですので「自分の知っていること」が世の中での全てだと思っています。
それがために尊大になり しかし更なる探求をしようとは思いません。
すなわち「自分の知っていること」だけでものごとを判断するのは 愚者だということです。


2)賢者は 自らが経験したのではない 過去の出来事からでも
そこに学びを見出すことができますが
愚者は自らが経験したことからでさえも学ぶことができません。

「学び」とは ものごとの因果と道理(=何が原因でそうなったのか
どうしてそういう結果になったのか)を捉えて
それを今と未来に役立てるということです。


3)賢者は 身の周りの全てのものごとが学びの種であることを認識していますから
愚者(の行動や生き方)からでも学ぶことができます。
しかし 愚者は「自分が全て」であり「自分が普通」ですから
身の周りの物事から学ぶことができず
目の前の賢者からもまた学ぶことができません。

すなわち 他者の話を聞けないのは 愚者だということです。


4)愚者は「自分が普通」だと思い込んでいます。
ですから自分が理解できないようなことを言う人のことを嗤います。
しかし 賢者は この広大な宇宙の中には実に様々な可能性があることを認識していますから
「自分以外のもの」をそのままに受け止め 他者を嗤ったりはしません。

「自分」を基準とし 「自分」と違っているものを嗤うのは
それだけその人の認識力が低いことの現れです。


5)愚者の認識力が低いというのは すなわち鈍いということです。
愚者=鈍者 です。
しかし そういう人たちは
ものごとの表面しか見ず ものごとを良く考えずに口から言葉を発します。

それに対して 賢者の認識力が高いというのは すなわち敏感であるということです。
そういう人たちは ものごとの本質を理解しようとし ものごとを熟考します。

賢者にとっては 愚者の鈍感さ(=道理を理解せずに行動し 物事を良く考えずに言葉を発する)
それでさえも学びの種であり 自らの成長に役立てることができます。


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私たちはいつでも 「賢者」として生きるのか 「愚者」として生きるのかを選択できます。



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