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〔精霊からの光〕

《幸也の世界へようこそ》幸也の言葉《音と言葉》 → 《精霊からの光》


ここに掲載した文章は
曲集〔 精霊からの光 〕の映像作品において
音楽に添えられたものです。

〔 精霊からの光 〕

天からの光
天の慈愛
魂の旅路
導きの光
精霊の存在~微笑み
精霊の存在~呼びかけ
精霊の存在~賜り物


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天からの光

弾ける心のままに 天真爛漫に生きられる
この世も あの世に続きだと 何の疑いも無く思っていた

天からの光に満ち満ちた世界

優しい天からの光に守られ 全てを委ねて包み込まれる

ありのままに そのままに生きて 満ち足りていた 無邪気な幼少時
光の源を仰ぎ見るその目は 生まれる前にいた天国を思い出す

難易でも 素直に歓び 素直に驚き あの世のままに素直に生きる

いつでも あの 神々しい光の中で まどろんでいた 幼い頃
いつでも 妖精と共に 天使と共にあれた あの幼い頃

天からの光に満ち満ちた世界
弾ける心のままに 天真爛漫に生きられる

この世も あの世の続きだと 何の疑いも無く思っていた

この世の あの世と同じ 天からの光に満ち満ちた世界


* * * * * * * * * * * * * *

天の慈愛

私を翻弄し 打ちのめす 人生の荒波
次から次へと襲ってくる 人生の大波

なぜこんなことが起きるのだろう?
なぜこんな目にあうのだろう?

私を翻弄し 打ちのめす 人生の荒波

子供の頃の 心の煌きも 優しさも 失われていく
人生の大海原に 羅針盤を持たず 行き先もわからずさまよう
私は一体 何のために 何をしに 生まれてきたのだろう?

力尽きたときに ふと気付く 天からの慈愛
なぜ気付けなかったのだろう
いつでも この天の慈愛の中にあったことを
あの試練の中でさえ 降り注がれていた 天の慈愛

魂の旅路で経験した全てが 心の宝物箱に入れられる

あの世と繋がったこの世で 今世を生きた証しとして


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魂の旅路

幾つもの転生をしてきた 魂の旅路
心の底に感じる かすかな魂の記憶
これまでの幾多の人生での体験を蓄積している 私の魂

平穏な 愛の溢れる人生を生きたのでしょうか?
それとも 暴風雨のような辛い人生を生きたのでしょうか?
この世に生きる目的も分からずに 幾度もこの世での人生を生きたのでしょうか?
この世での日々の暮らしにだけ没頭して生きたのでしょうか?
誰でもが幸せに生きたい思いを叶える人生を生きたのでしょうか?
自分だけの幸せしか思わない人生を生きたのでしょうか?

この世での人生を終えれば 自分の本当の気持ちも
相手の本当の気持ちも 全てが分かるのです

それが分かった時に 全てへの許しが起きるのです

どの転生においても 天の光が降り注いでいたのです
いつでも天から見守られ 祝福されていたのです

幾つもの転生をしてきた 魂の旅路
心の底に感じる かすかな魂の記憶

魂が肉体を離れたときに思い出す この世で生きる目的
それは この世でも 天からの光にかざせば見ることができる

この世での人生を 悔いなく 精一杯生きてこそ
あの世へと 心安らかに帰ることができる

そして この人生が 魂の旅路の一歩であったことを
祝福と共に認識できるのです


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導きの光

朝靄の中から現れたような ほのかな光
その神々しい光は 精霊を通してもたらされる 創造主からの光

この世に生まれたはかりの頃 いつもこの光に抱かれていた
あの世の《愛》と《調和》のそのままに この世でも生きられるようにと
この世での魂の学びのために そして この世尾に貢献するために

この世に生まれてきたばかりのあの頃
歓びと 祝福とに満たされていた

精霊たちが 私の周りを躍り
天使たちが私を優しく見守る

身の周りの全てのものに
あの創造主の光を感じる

いつの日にか気付く この世での人生は 平坦ではないことを
予期しなかった困難・・・
思いが伝わらないもどかしさ

あの出来事 あの出会い 
過ぎ去ってしまえば気付く
どれもが 私の魂の学びのためだったことを

いつでも あの光に照らされていたことを

朝靄の中から現れたような ほのかな光
それは 今世での私の魂をいつでも照らし続けてくれていた
これまでの幾多の転生において 魂を貫いていた創造主の光

この世での生を終えるまで いつでも どこでも いつまでも 
見続けることができるだろうか
祖霊を通してもたらされる 創造主からの導きの光を


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精霊の存在~微笑み

精霊たちは 地上の私たちの肉体の目では見えない存在です

けれども 精霊たちはそこここに存在していて 私たちを見守っています

精霊たちは 穏やかな優しい微笑みで 私たちを見守っています
私たちが同様に微笑んでいる時に その精霊たちの微笑みを感じ取ることが出来ます

それは 遍在する光 創造主の光と似ている 
柔らかな 暖かな そっと包み込まれるような感覚

その微笑みは 「何があっても大丈夫だよ」という
精霊たちの優しいささやきにも感じられる

「何があっても大丈夫だよ」という
励ましの眼差しのようにも感じられる

人生の様々な場面で 私たちは何を元に 選択や決断をしているのでしょうか?
その時の感情に流されての決断だったのでしょうか?
冷静に判断しての決断だったのでしょうか?

人生のいろいろな場面での決断は
何をもってして それを正しいと思えたのでしょうか?

振り返ってみれば 
ああすれば良かった・・・
ああしなければ良かった・・・

自分自身の「本心」って 一体何なのだろう?

本当に私はそれを 心の底から望んでいたのだろうか?
その場その場で 何かに翻弄されていたような私の「心」とは
一体 何だったのだろう?

いつでの 誰かに 何かに見守られているような感覚
心穏やかに振り返ってみれば感じられる
微笑みかけられているような
微笑みに抱かれているような

心の無駄な力を抜き
心を開いたときに
心の中に自然に入ってくる あの感覚こそが精霊たちの微笑み

精霊たちは いつでも地上の私たちに微笑みかけてくれているのです
人生のどの場面においても
精霊たちの その微笑みを受け取ることはできるのです


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精霊の存在~呼びかけ

平穏で 何も憂いも無いときも
心が満たされているときも
ワクワクと心浮き立つときも 
辛く悲しく涙するときも
何を思い 何をしたか それがこの世に生きた証しとなるのです

何を感じたか=どう受け取ったか ではなく
何を思ったか 何をしたか 
つまり 何を出し 何を与えたか
それが私たちの心の宝物箱へと 収められるのです

そして その心の宝物箱だけが
この世での生を終えてから あの世へと持っていけるものなのです

この地上での物質に囲まれた人生で
たくさんの人との係わり合いの中で
何をすることができたのか
何を作り出すことができたのか 
何を成すことが出来たのか
それは 「何を与えることができたのか」なのです

どんなものにでも 目を奪われ 心を奪われて 宝物にできたあの頃
どんなものをも 愛おしく 大切にできた あの幼い頃

あれこそが《宇宙の心》すなわち《神の心》だったのだと
大人になってから気付ける

精霊たちは 地上の人間の目には見えなくても
いつでも 地上の人間を見守り
そして 読みかけてくれているのです
「何を 心の宝物箱に収めるの?」と

人生のある時 ふと立ち止まった時に感じる
かすかなささやき
心の奥からの声
それが 精霊たちからの呼びかけなのです


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精霊の存在~賜り物

無数に輝く夜空の星々の中で 
一瞬 目を捉える流れ星

まるで 何かの合図かのように 星々の中で ひときわ輝く
けれども それに気付ける人は ほんの僅かかもしれない

星々の輝きは 天から地上の私たちへの贈りもの
私たちが いつでも宇宙の中で 宇宙に抱かれていることを思い出させてくれる

日常のふとした瞬間に
夜空が見えないときにでも 身の周りには同じような気配を感じる

それは 私たちの身の周りにいる精霊たちの 慈しみに満ちた微笑み
「何があっても大丈夫」と 私たちを安心させてくれる

それは 精霊から私たちへの贈りものであり
私たちがそれを受け取れれば それは賜り物となるので

星空が見えないときにでも
宇宙に抱かれていることを思い出し
宇宙のこの一人であることを思い出せるように

日常の世俗生活に埋没していても
世の中の理不尽さに心乱されていても
人生のどんなときにでも いつでも例外なく
私たちは 宇宙に抱かれ 精霊たちに見守られているのです

喜びに 心が打ち震えるときも
感動で胸が高鳴るときも
心が平安を感じるときも
至福の境地に心が満たされるときも
それは 私たちが
遍在する光=宇宙の創造の意志の中で
精霊から受け取った賜り物なのです

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