ひふみ15字の意味
~ 曲集「夢への目覚めの鐘」Op.161のための解説 ~
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曲集「夢への目覚めの鐘」Op.161の15曲には 「ひふみ祝詞」の初めの15音が当てはめられています。
動画では 音楽に合わせて最小限の言葉しか使っていませんので
ここでは より理解の助けになるようにと 動画の中では表現し切れなかったことを書き加えてあります。
「ひふみ祝詞」は あいうえお48音のそれぞれを一度だけ使った祝詞です。

その初めの十音は 数の「一」から「十」までを現しています。
また それを含む初めの15音は 宇宙の仕組みを説明したものとなっています。
音にはそれぞれに意味があります。(「音義」と言います。)
日本語は この音義に基づいてそれぞれの単語が作られている
とても系統立った造りとなっています。
「あいうえお50音表」は 音の響きを系統立てて並べたものですが
この「ひふみ祝詞」は 音義に基づいて並べられています。
【① 「ひ = 一」霊】
私達のいる宇宙は一つです。
それ自体が一体ですから その中の全ては一体です。
つまり 宇宙の全てはひとつながりです。
その宇宙とは 非物質の波動の集積という意識体です。
宇宙そのものの意識が「宇宙意識」です。
それを「霊 = ひ」とも言います。
すなわち 宇宙とは「霊 = ひ」の世界です。
私たち 宇宙の中の全ての存在の存在そのもの 生命そのものが「霊 = ひ」なのです。
また この「霊 = ひ」は他にも呼び方があって
「霊 = たま」「霊 = び」「霊 = くし」「霊 = ち」とも言われています。
「霊」の字は 音読みでは「れい」となります。
「霊 = ひ」の世界は「霊 = れい」の世界です。
「霊 = れい」の世界は「零 = れい」の世界です。
真空の宇宙空間には 宇宙エネルギーが満ち満ちています。
何も無いから全てがあるのです。
それが「霊 = れい」の世界 すなわち「零 = れい」の世界です。
宇宙の中の非物質の波動とはエネルギーで在り 全てのエネルギーは動いています。
「霊 = ひ」が動き回る = 走り回るから「霊駆る = ひかる = 光る」と言います。
「火 = ひ」も「日/陽 = ひ」も 光るものであり 光の元です。
宇宙意識という波動は すなわち 「愛」という「光」であり
「光」という「生命」であり 「生命」という「愛」です。
これが 宇宙すなわち「霊 = ひ」の世界です。
そして その宇宙の「霊 = 一 = ひ」から全てが始まります。
【② 「ふ = 二」振】
宇宙は 自らが「霊 = ひ」 すなわち無限の「愛」「光」「生命」だと知っています。
けれども「そうでないもの」があってこそ 自らがどういうものなのかを認識できます。
そこで 宇宙意識は「自分ではないもの」を創造しました。
「愛」では無い「恐れ」
「光」では無い「闇」
「無限」では無い「有限」
それが「二 = ふ」の世界の始まりであり 二元性の始まりです。
ものごとは 分けて対比させると認識しやすいのです。
例えば 「男/女」「大人/子供」「老人/若者」「白/黒」「明/暗」「美/醜」「善/悪」
分けることが 分かること = 認識への入り口であり
分けて その両者の違いからものごとを認識します。
しかし 分けただけでは 実態を認識してはいません。
それは 中身 = 実態を認識したのではなく ただ比較して(表面的な)違いを認識しただけです。
そして 分けることで そもそもは一つ = 全ては一体であることを忘れてしまいます。
宇宙は 波動の世界です。
波動であるということは 全てのものは震えて( = 動いて)います。
それを更に振る( = 動かす)ことによってエネルギーが増えます。
創造とは 「増える = ふえる」「膨らむ = ふくらむ」「太る = ふとる」
そうやって より多様になっていきます。
この「二 = ふ」「震える = ふるえる」「振る = ふる」「増える = ふえる」
「膨らむ = ふくらむ」「太る = ふとる」が
「霊 = ひ」で始まった宇宙の二番目の姿です。
【③ 「み = 三」実】
三は物質世界の始まりです。
この世 = 物質世界は三次元から始まっています。
宇宙の想念波動だけの世界の中に
「見る」ことのできる「実」 = 物質の世界が始まります。
二元性によって ものごとを認識しやすくなりますが
宇宙の本質は三元性であり 宇宙は三位一体の世界です。
物質を構成する一番元の原子は 陽子/中性子/電子から成っています。
宇宙は「愛」と「光」と「生命」です。
宇宙の感情は「感謝」と「祝福」と「歓び」です。
空間は「縦」と「横」と「幅」
場所は「ここ」と「あそこ」と「その間」
時間は「過去」と「現在」と「未来」
人間という存在は「肉体」と「心」と「魂」
人間の生命活動は「思考」と「感情」と「行動」
人間の意識は「顕在意識」「潜在意識」「超意識(集合意識)」
そして人間の感情も「感謝」と「祝福」と「歓び」
全ての存在の感情が「感謝」と「祝福」と「歓び」です。
そして その「三」は 調和の世界です。
三角形は 歪まない 堅固な形 安定した状態です。
物質界の「み」とは 「実」「身」であり
それは 「実り = みのり」すなわち 充ちる世界です。
「霊」の宇宙は膨らんで増えていき
その中の物質界もまた 中身がどんどん「実り」「充ち」ていきます。
そして 物質界の三次元に想念の次元が合わさって
全ての魂は 三次元から四次元 五次元 六次元と上昇していきます。
その始まりが 「三 = み」「実」「身」「実り」「充ちる」の世界です。
【④ 「よ = 四」世】
物質の「実」と「身」の集まりが 「この世」=「物質世界」を作ります。
物質の世界「この世」には 時空間すなわち空間と時間があります。
「世 = よ」と「節 = よ」は 共に時間の流れの中の一区切りを意味します。
「世代」「世紀」「中世」「文節」「小節」「節句」などのように。
それは 無限のものではなく 囲まれた世界 限られた時間であることを意味しています。
けれども 宇宙の中での物質界 = 時空界では
「四」は 「前後左右」「東西南北」「春夏秋冬」「起承転結」と 整った形を表します。
時間の流れにおいては ものごとは「起承転結」という移り変わりをします。
その四番目「結」はすなわち 最初の完成形であり 最初の纏まり/括りです。
その最初の完成形 最初の纏まり/括りは 「良し」「善し」「好し」「佳し」なのです。
「良し」「善し」「好し」「佳し」だから 「完成した」と言えるのです。
宇宙の本質は 「良きもの」「善きもの」「好きもの」「佳きもの」であり
この世(=物質界)も本来はそれだけの世界です。
宇宙は「愛 = 慈しみ」と「光 = 輝き」と「生命 = いきいき」なのですから。
四面の三角形で作られる正四面体は 最も面の少ない かつ歪みにくい正立方体です。
それが 物質界における最初の完成形です。
物質の集まりのこの「世」 それが「よ = 四」の世界です。
【⑤ 「い = 五」生】
「この世」=物質界に 「生命」が「出ずる」。
「い」は 「生命」「生きる」「息( = 生きる氣」の「い」。
物質界において 魂は様々な生命の形を取って成長していきます。
その 進化の始まり すなわち生命の始まりは鉱物であり「石」と「岩」です。
その次の段階は植物であり 最も人間)日本人)に身近な植物は「稲」と「藺」です。
「四」で一旦完成したものが 更に次の一歩を踏み出すのが「五」
すなわち 「五」は次に繋げる数 次への発展の数です。
「よ = 世」に生命が出でて 更に発展していきます。
それは 「弥 = いや/いよ」の世界。
「弥栄」(いやさか)とは 「いよいよ」「もっともっと栄えていく」こと
「いよよか」とは 「木が高く生い茂っている」様子。
その豊かなこの世=物質界において 生命は
「視覚/聴覚/嗅覚/味覚/触覚」の五感で外界を認識します。
そして それによって「生きていること」を実感します。
けれども 宇宙が創造した二元性により
宇宙そのものとは反対のもの すなわち不浄なものまでもが存在してしまいます。
「い」は 浄化する氣(エネルギー)の世界。
「忌む(いむ)」「斎む(いむ)」とは「不浄を離れること」
「祝う(いわう)」「斎う(いわう)」とは「これから起こることの安泰を願うこと」。
「い = 五」の世界は 「生 = い」の世界
「い」を宣る(のる)のが「祈り(い+のり)」
生宣り(い+のり)/忌宣り(い+のり)/祝宣り(い+のり)/弥宣り(い+のり)
「い = 五」は 生命が出でて 生き活きと生きる世界です。
【⑥ 「む = 六」産】
「六」は 正四面体の次の正立方体である 正六面体( = 立方体)を作ります。
それは 「上下+左右+前後」の六方向の世界です。
氷の結晶は六角形を基本としています。
そして 氷の元である水は物質界の記憶庫であり 人間の記憶も体内の水分に蓄積されています。
複数のものを集める/合わせるのが「む」です。
「むた」(「~と共に」の古語)
「む+統ぶ(すぶ) = 結ぶ」(合わせる/集める)
たくさんのものが集まるのが「群れ」「群る」「群れる」「群がる」
壁や屋根を合わせた空間が「室(むろ)」
建材を合わせたのが「棟(むね)」
人や建物が群れている場所が「村(むら)」
しかし 全く同じものが集まったのではないから「斑(むら)」があります。
しかし 物質を合わせるだけではありません。
自分と他人を合わせるのが「迎える」
迎えた人と心を合わせるのが「睦る(むつる)」「睦まじい」
相手の言い分を受け入れるのが「宣(むべ)」( = 承知する)
集まった人で賑わしく めでたい様子が「むくさか」
二人の人の「霊(ひ)」が結ばれて新しい霊を「産す(うむす)」( = 産み出す)のが
「産霊(むすひ/むすび)」
植物も 苔が「生す(むす)」ところから増えていきます。
物質界における霊的成長は 鉱物から始まり 植物を経て 「虫」へと進んで行きます。
宇宙は一つ 宇宙は一体。
物質界において五感で捉えると 物質は別々の物に見えてしまいます。
それを合わせるのが「む」です。
人の心も別々のものに思えてしまいます。
それを合わせるのが「む」です。
五感では捉えられないものを感じ取るのが「第六感」です。
そして 合わせなければ「む+無し」 = 「空し(むなし)」むなしいのです。
大和言葉では 語尾の「~む」は 想像や予想を表しました。
私たちが「向かう」方向です。
「み」で現れた「身」や「実」は 昔は「む」(身の古形)や「実(むさね)」と言われていました。
植物の「実」の皮や殻を「剥く」と中実が出てきます。
目には見えないものの中身は「旨(むね)」であり「宗(むね)」です。
「ひ」霊が宇宙の根源
「ふ」振られて増え
「み」実の物質の世界は
「よ」世となり
「い」生きている生命が
「む」産し 群れて生きる
それが「む = 六」の世界です。
【⑦ 「な = 七」成】
虹の七色 音階の七音 週の七日 五感で感じ取れるものの周期が「七」。
週の七日は 人間の肉体の周期。人生は七年ごとの区切り。
「な」は「音(ネ)」の古形 そこから
音が出ることは「泣く」「鳴く」「啼く」「鳴る」。
「な」は 斜めの動き 横の動き
「薙ぐ(なぐ)」「投ぐ(なぐ)」( = 投げる) 「流れ」。
首を横に振るのは「ない」 = 否定。
斜めに組み合わせて「綯う」のが「縄」。
縦には「高い」 横には「よかい」では無く「長い」。
そして 斜めはきつくない状態 「和ぐ(なぐ)」「凪ぐ(なぐ)」。
「斜め」に「なだらか」に「流れる」のが 自然な無理の無い動き。
斜めの柔らかい動きは 「撫ず」 = 撫でる(優しくする/慈しむ)。
しっかりしていない状態が「苗」「萎ゆ(なゆ)」( = 萎える)。
そして 斜めは中途半端 すなわち「中」「半ば」。
中途半端は不確実なので 「なぜ」「何」「謎」が出てくる。
未来のことも不確実なので「な/なお」( = まだ) 「な」( = 希望)
だから 念を押したくなるのが語尾の「~な」。
人や物に「これは何だ」と念を押したのが「名」。
植物は鉱物と水とを栄養にして生きる。
虫や動物は 植物や他の生き物を栄養にして生きる。
そして人間は 食べ物を調理して食べる。
「な」は 人間にとって最も基本的な食べ物「菜」「魚」「肴」。
そしてそれらを生み出すのが「な = 土/地/土地」。
自然の恵みは「な = 土/地/土地」から「生る」。
ものごとが自然と形成されるのが「成る」「為る」。
なったものが 古くなって熟し柔らかくなるのが
「馴る」 = 馴れる/慣れる/熟れる/狎れる。
「馴れる+つく」→「なつく」→「懐かしむ」(昔の思いになつく)
そして 人間がものごとを生み出すことも「生す」更には「為す」「成す」。
生み出されなければ「無い」。
「五 = い」は産み出された生命
「六 = む」は生き物
生き物の中で人間だけが何かを「生す」「為す」「成す」。
それが「な = 七」の世界です。
【⑧ 「や = 八」弥】
末広がりの「八」の世界は 「弥 = たくさん/幾重にも重なる」世界です。
四方へ八方へと 無限に広がっていく 発展していくエネルギーが「や = 八」。
「弥」の字(正式には「彌」の字)を画数が少なく 末広がりで目出度い「八」で書いたので
「八(や)」は「たくさん」を表します。
「八重(やえ)」はたくさん重なる
「八十(やそ)」はたくさん
「八百(やお)」はとてもたくさん
「八千(やち)」は数え切れないくらいたくさん
「八万(やよろず)」はものすごくたくさん
「弥栄(やがはえ)」とは「たくさんなので おめでたい」こと。
草木がたくさん生えているのが「弥生(やふ)」→「藪(やふ)」。
藪を切り開いていくのが「破る(やぶる)」。
「や」(=たくさん幾重にも)+「ま」(=ますます)で「山(やま)」
すなわち「生命が溢れ出る場所」。
山と山の間は「谷(や)」。そこを人が通ったので「谷間の辻」の意味にもなり
更には「低湿地」のことも「や」「やつ」と言いました。(地名であります。)
昔は日本のことを「ハ方(やも)の八洲(やしま)の八民(やたみ)」と
「やたら」と「や」で言いました。
つまり エネルギーが勢い良く動く様子が「や」
「矢」「やおら」で速い動きをも表します。
「光陰矢のごとし」「矢も楯もたまらず」「矢の催促」などのように。
「や」「やれ」は 相手に動きを与えます。
「やぁ」も勢いのある呼びかけです。のんびりと「や~ぁ~」とは言いません。
「焼く」とエネルギーがもっと出ることを昔の人は感じていました。
ほら 「やきもちを焼く」と気持ちがカッカとしてエネルギーが高まるでしょう?
ところが 身体から氣が去っていくことも「や」で
「病む」「痩す」( = 痩せる)「優し」( = 身も痩せるほどに恥ずかしがる)のです。
「厄(やく)」( = わざわい)は氣が去っていくから起きます。
「八」は 最初の完成形「四」が二倍に発展した次の完成形。
正立方体が正四面体→正六面体→正八面体と面を増やしたそれは
三角形が八面の形 すなわち
「み」(三角形)が 「や」っつ(八面)の正八面体は「宮」
神の屋(や)は社(やしろ)
お宮も子宮も あの世とこの世を繋ぐ通路です。
あの世とこの世を繋ぐのだから
「や」は「安し」( = 悩みが無い) 「休む」( = 安らかにする)。
安らぐ場所が「屋」や「宿(屋+戸)」。
心が「安らか」なのは 心が「柔らかい」状態。
最初の完成形「四」が二倍に発展した次の完成形である「や = 八」とは
「霊」が「増」えて「実」が集まった「世」で「生」命が「産」し群れて「成」したら
「ヤッター」と叫ぶ それが「や = 八」の世界なのです。
【⑨ 「こ = 九」言】
「八」で整ったように見えるものも 更にそこから発展していきます。
宇宙は多様/多層の世界なのですから 「超える」「越す」「肥える」のが「こ」の世界なのです。
広がっていく方向が 四方八方から十六方へ分化するのが「こ」
昔は十六花弁に描く「菊」のことを「ここなし」と言いました。
(ココ椰子/ココナッツとは関係ありません。)
五感で捉えられるものは 「七」の周期です。
五感で捉えられないものは「九」の周期です。
人間は手の指の数から十進法を思いつきましたが
非物質の霊的世界では「九」の層を上がっていきます。(9の層とは3+3+3の層です。)
人間の人生も 非物質の霊的な成長は9年の波です。
「こ」は 近くにある特定のものを差し示す
「是」「此」→「ここ」「この」「これ」「こちら」などのように。
ですので 何かを近くに移動させることも
「来(く)」の命令形が「来い」となり そこから
「請う/乞う」(望んだものを来させる)が出てきます。
特定のものを更に凝縮させ濃くすることも「こ」です。
「込む」「篭める」「凝る」「混む」「濃い」など。
自分の気持ちが篭っているのが「心」です。
「ここ」にあるはずなのに「コロコロ」変わるから「心」なのでしょうか?
日本人にとって一番重要な食べ物は 「米」です。
それは 人間に必要な氣がこもった食べ物ということでもあります。
ですから「氣」の字には「米」が入っているのです。
米を砕いて細かくすると「粉(こな)」となります。
「こな」は「こまかいな」の省略形ではありません。
昔の人々は 「木」は「氣」が豊かだと認識していました。
ですから 木が集まっているのが「森=盛り」であり
「山」は「や」(=たくさん幾重にも)+「ま」(=ますます)なのです。
「木」は「こ」とも発音します。「木の葉」「木立」「梢(=木末)」などに現れています。
「こ」は「子」です。
男女の氣をこめ「霊(ひ)」を合わせて生まれてくるのが「子(こ)」ですので
「霊+子=彦」「霊+女=姫」となります。
男女の「霊」が結ばれて生まれる(男の)子は「むすこ」で
男女の「霊」が結ばれて生まれる女(め)の子は「むすめ」です。
「九(こ)」の次には「十(と)」が来ますが 続けると「九(こ)」+「十(と)」ですから
「こと」「言」「事」に成ります。
「言葉」というのは「言の葉」から来ていますが 本当は「言の端」です。
人間は 想像(イメージ)でものごとを考えていたのが
言葉で考えるようになりました。
言葉の理屈で考えることを「理(ことわり)」(言割り)と言います。
「九(こ)」から「十(と)」への上昇 すなわち言葉を使うのが
人間と他の生命との大きな違いなのですが しかし
人間は 分けて認識し(=分かる) 言葉で理解すると(あるいはしたつもりになっても)
しかしそれが 森羅万象でありながら全てが一体の宇宙を認識する妨げにもなるのです。
また 想像(イメージ)できることよりも 言葉で表せることはほんの僅かです。
(これが「言の端」の意味です。)
「言(こと)」を言うために音を出すのが「声(こえ)」です。
昔の人は イメージをテレパシーでやり取りしていました。
それが 言葉を使っての伝達になり 情報の質も量もとても限られたものになってしまいました。
ということは 宇宙の中での霊的成長での大きな関門の一つが
「九」から「十」への言葉での思考なのです。
【⑩ 「と = 十」富】
非物質の「九」の層を上がった次の段階が「十」で
それは次の「次元」という段階に上がることです。
「人(ひと)」は「一(ひ)+十(と)」
すなわち 「一」から「九」までの層を越えて 次の次元に入った存在です。
複数のものを合わせるのが「~と~」です。
複数のものを合わせるのは「+」(プラスマーク)で表します。
「十(と)」と「+(プラスマーク)」は見分けが付きません。
人(と)を合わせると「友/共/供/伴」
ものを合わせると「富/富む」になります。
けれども 「富」が欲しいのは「乏しい」(富+ほしい)です。
たくさんのものを「整える」のも「と」です。
「と」は 時空と関わっています。
「時(とき)」をたくさん合わせたものが「歳(とし)」「年(とし)」
もっとたくさん合わせたものが「永久(とわ)」「常(とこ)」です。
ということは 「と」は空間とも関わっています。
「遠い」のも「飛ぶ」のも「通る」のも 空間です。
「飛ぶ」生き物は「鳥」です。(昔は虫などの飛ぶものも「鳥」と言いました。)
「遠い」所に持っていくのは「届ける」です。
音が遠くまで響き渡ることを「轟く」と言います。音がたくさん合わさることです。
(それなのに車が合わさっています。昔は一番の騒音は車だったのです。)
遠くないのに「隣(となり)」です。
水が「通る」ものが「樋(とい)」です。
「と」は「止」です。
流れを止めると そこに「溜まる」ので「富む」のです。
「と」は 何かの動きを止めて自分のものにすることです。
「取る」「採る」「獲る」「摂る」「執る」「捕る」「盗る」「撮る」「録る」など。
「止+られる(受身)」は動くものを自分が止めることです。
「捉える」「捕える」「囚える」などのように。
「戸」は「止める」ためのものです。
「戸」を開けるようにしたものが「扉(とびら)」です。
「戸」に「非ず」ですから 「戸」と「扉」は違うのです。
火を「灯す(ともす)」のは「止+燃す」です。
時空のうち 時が溜まっているのは「頃(ころ)」で
空間的に溜まっているのが「所/処(ところ)」です。
まとまっているものをほぐすことも「と」です。
「解く」「説く」「溶く」「梳く」などは
「謎を解く」「帯を解く」「理屈を説く」「髪を梳く」「卵を溶く」「アイスクリームが溶ける」などのように使います。
「問う」と「訪う」はいずれも「訊ねる」「訪ねる」「尋ねる」と言い換えられます。
「問う」のは 相手の心の中を解いて教えて欲しいのです。
ところが 「と」は「利(と)」( = 鋭い)「研ぐ(とぐ)」( = 鋭くする)「尖らす(とがらす)」
でもあります。
この「と」までが 三次元世界です。
物質界での一番初めの 一番下の次元です。
(現在の地球の存在している次元であり 地球人類の次元です。)
そして 私たちの魂は更に上の次元へと成長していきます。
【⑪ 「も = 百」盛】
違うものを合わせるのが「と」なのに対して 一緒に有るのが「も」です。
「あれとこれ」「私とあなた」「こことあそこ」に対して
「あれもこれも」「私もあなたも」「ここもあそこも」のように。
その たくさんの状態が「も」です。
十までならば一度に認識できますが それ以上だと難しくなります。
「百(も)」あるものを一度には認識できません。
ですから 捉え処が無いのが「も」です。
「靄(もや)」「潜る(もぐる)」「脆い(もろい)」など。
固くないものを触るのが「揉む(もむ)」です。
「もさもさ」「もしもし」「もぞもぞ」「もたもた」「もやもや」「もじもじ」「もぐもぐ」「もこもこ」
などは どれもが 揉んでいるような状態です。
水の中でもやもやしているのが「藻(も)」です。
「諸々(もろもろ)」は 多くのものの一つひとつを捉えていない状態です。
日本古来の果物の中でも 柔らかいのが「桃(もも)」です。
桃は 落果したものではなく(潰れてしまいますから)まだ枝についている実を
「?る(もる)」(=捻って取る)ようにします。
しかし 「桃(もも)」はなぜ「木+百(もも)」では無く 「木+兆」なのでしょうか?
そんなにたくさんの実が取れたのでしょうか?
氣が溢れていて 木々が「盛り盛り」と生えているのが「森(もり)」です。
目に見えるものも 見えないものも
エネルギーが「もっと」出てくる「元」が「も」の世界です。
「燃す」とエネルギーがもっと出ます。
「模す」と数がもっと増えます。
「貰う(もらう)」ともっと増えます。
「持つ」ともっと重くなります。
「も = 百」は 五感の世界を越えて より広くより深い世界へと繋がっていく世界です。
「全ては一体」「全てはひと繋がり」であることを実感する世界です。
それは「共栄共存」の世界です。全ての存在と愛し合っている状態です。
これが 五次元です。
【⑫ 「ち = 千」力】
「ち」は 人間や動物を生かすものです。
「霊(ち)」「血(ち)」「乳(ちち)」「父(ちち)」
子供は 母親からは「霊(ち)」「血(ち)」を受け継ぎ「乳(ちち)」をもらいますが
父親からは「霊(ち)」「血(ち)」だけです。
子供は父親から「乳(ちち)」はもらわなくても 「霊(ち)」と「血(ち)」
(すなわち外からは見えないもの)を受け継いでいることを表しています。
その 人間や動物を生かす 外からは見えない「霊(ち)」や「血(ち)」から
「力(ちから)」が出てきます。
「ち」から出てくるから「ちから」です。
「力」とは 自分で出すもの以前に 自分に与えられているものなのです。
「ち」は 「小さい」を表します。
距離が小さいのが「近い」です。
他人との距離が小さいのが「近しい」です。
更に 「ち」は「小さい/ほんの少し/かすか」です。
「ちらめく」「ちらちら」「ちらり」などのように。
「ち」は 「小さい+たくさん+バラバラ」の様子をも表します。
「散る」「散らす」「散らかす」「塵」などのように。
ですから 「ち」は「とてもたくさんの」を表します。
「千代(ちよ)」「千万(ちよろず)」は「無限に近いほどにたくさんの」ことです。
天空でちらめく幾千万の星々が「ち」です。
「ち」とは「千尋」(=とても長く計れないほど深い)の世界なのです。
その「千尋の世界」へと私たちの心が入っていくとどうなるのでしょう?
宇宙の「力」を見出すのです。
そして その「力」とは「創造性」であることに気付き
私たち一人ひとりが 創造性を発揮していく それが「ち」の世界です。
そして この「ち」の世界が六次元です。
【⑬ 「ろ = 万」】
「一(ひ)」から「十(と)」までが「人(ひと)」の世界
一から十までは一つずつ上がり その先は
十の十倍が百
百の十倍が千
千の十倍が万
万の万倍が億
億の万倍が兆
つまり 人智を超えた世界へと繋がっていきます。
「万(よろづ)」は「寄らし→宜し」から来た言葉です。
宇宙の全てを統べる宇宙意識 それが「万 = 宜し」です。
全てのものを成長させる宇宙意識 それが「万 = 宜し」です。
人智を超えた世界ですから 古来の日本語には「ラ行」の音で始まる単語はほとんど無く
つまり 今日の日本語の「ラ行」の音で始まる単語は
外来語=中国からの音読みの言葉です。
「労働」「牢獄」「老人」「老年」「漏水」「露呈」「路面」「録音」「論外」「論文」「濾過」「露骨」
などのように。
「~ろ!」は 感動/親愛/命令の世界を表します。
宇宙の素晴しさ 宇宙意識の素晴しさに感動する世界でもあります。
全ての存在が それを感じ 体験するようにと促すのが「~ろ!」です。
全ての存在が 自らの素晴しさをも感じ 体験するようにと促すのが「~ろ!」です。
七次元になると 宇宙意識とはどういうものなのかを認識できるようになります。
しかし 七次元以上のことを 三次元の言葉で言い表すことはできません。
人間としての肉体を持つのは九次元までです。
つまり 九次元にまで上昇した人は 肉体を持っても生きられ
肉体無しの霊体+幽体だけでも生きられるようになります。
【⑭ 「ら = 億」】
語尾の「~ら」は 複数を表します。
「それら」「あれら」「彼ら」「私ら」などのように。
それは 数を特定しているのでは無い言い方です。
「ら」は 「一」から始まり「万」を超えて 更に多くの「億」の世界へと繋がります。
余りに多くて数え切れないので 不確実/推測の世界を「~らしい」と言います。
「そうらしい」「これらしい」「あれらしい」「彼らしい」など。
けれども 不確実だと強調したくなります。
「自分らしさ」「あの人らしい表現」「彼女らしい言い方」などのように。
更には 語尾の「~ら」でもっと強調します。
「ほら!」「そら!」「こら!」「あら?!」
「~ら」は受身
「らる/られる」
「~ら」は方向や場所を示します。
「あちら」「こちら」「そちら」「どちら?」「そこら」と。
これらは 空間を表しています。
「ら」も「ろ」も 物質を表す言葉には使われないのは
非物質の世界へと繋がる音だからです。
人が空を見上げて「広大な宇宙」と思っているのは物質の世界だけです。
本当の宇宙は非物質の世界なのです。
物質界はその中のほんの一部にしか過ぎません。
その広大無辺な宇宙に繋がるのが「ら = 億」です。
人間としての成長を終えても まだまだ先があります。
惑星意識として 惑星上の全ての生命を生かすエネルギーを発します。
恒星意識として 恒星系の全ての惑星の生命を生かすエネルギーを発します。
銀河意識として 銀河の中の全ての星の生命を生かすエネルギーを発します。
星雲意識として 星雲の中の全ての生命を生かすエネルギーを発します。
【⑮ 「ね = 兆」祈】
語尾の「~ね」は 命令/同意/呼びかけの音(ね)ですね。
「~ね」は 同意を求める/念を押す表現に使います。
「~ですね?」「~ますね?」「~だよね?」「~してね」ですよね?
「ね」は 回転の運動を表します。
「練る(ねる)」( = こねる)「捻る(ねじる)」のように。
この「捻る動き」すなわち「回転」「螺旋」「渦巻き」というのが
宇宙の中での動きの基本なのです。
ですから 水の流れは渦を巻き 風も渦を巻き 地球はぐるぐる回り(自転と言います)
地球は太陽の周りを回り(公転と言います) そして銀河も渦を巻いています。
けれど 心が捻れていたら?
「ねじく」とは「曲がりくねっている/素直で無い」という意味です。
なので「真っ直ぐでない心」「素直で無い心」が
「妬し/妬まし/妬み/妬む」となります。
「ねだる/ねだれ」は「欺き騙す」ことです。
「ねむ/ねめる」は「睨む」ことです。
「ね」は 身体の活動が静まることです。
「眠い/眠る/眠る(ねぶる)/眠り(ねぶり)」
「ねぶ」( = 歳をとる)/「ねぶる」( = 老人くさくなる)
「ねまる」( = 座る/くつろぐ)
「寝る」( = 横になって休む)
「練る」( = 静かに歩く)
「労ぐ(ねぐ)」( = 労う)
そして 身体の活動が静まった時に 生命は肉体だけでは無いことを実感できます。
「心」「精神」「感情」「気分」といった 物質ではないものを感じるのです。
私達は 宇宙の中の「想念体」「意識体」です。
その私達の「想念体」「意識体」とは 宇宙の根に繋がっているのです。
それを感じることが 「祈ぐ(ねぐ)」( = 願い/願うこと)です。
「祈(ね)」 それは 宇宙の「根(ね)」に繋がりたい願いなのです。
「ね」は 生命を宣る(のる)「生+宣る」 = 「祈り」の世界なのです。
「ひ」霊が宇宙の根源 それは
「ふ」振ることによって増えていく その一部が
「み」実と身 すなわち物質の世界 様々な物質が
「よ」世を作る 物質の一部が
「い」生きている生命として
「む」産し 群れて生き
「な」成すことによって ますます
「や」弥生の世界を作り出す
「こ」言葉を使う段階を経て
「と」で合わせる意識の次に 人(一~十)を超えて
「も」の全ての存在が一体であることを認識し
「ち」力(ちから)とは創造性の発揮であることを実践し
「ろ」万(よろず)すなわち宇宙へと意識を拡げ
「ら」無限に近い星々を含む銀河/星雲の意識となり
「ね」根である宇宙の根源の意識に到達する
(2025/10/24)
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(そもそもの曲集「夢への目覚めの鐘」Op,161 はこちらでご覧頂けます。)
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