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エネルギー運動の方向性と 芸術の様式

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》 → 《エネルギー運動の方向性と 芸術の様式》

(この文章は  《身体の動きと表現(1)》 からの続きです。)

一番下に 索引があります



ここまで 上下・左右・前後・回転・収縮拡散といった方向の特徴を見てきましたが
それらは 目に見えない内面的なものの特徴を持っているだけではなく
目に見える 外面的な 形に表れた特徴もまた持っています。

人間は 感覚的に自分の身体を基準に物事を受け止め・受け入れ・判断しています。
ですから 形もまた 人間の身体の形を基準にして捉えています。
人体という 縦長のものを基準にすると
左右へのエネルギーの動きがあるというとは
左右への膨らみが出るということでもあります。
ですので 曲線を作ります。
上下の動きは (縦の)線を作ります。
前後の動きは 斜めを形作ります。
回転は 螺旋形を作ります。

人間の体型は 人それぞれですが
これらのエネルギーの流れる方向の特徴の表れでもあります。
痩せてひょろ長い人は 上下にエネルギーが流れやすい人です。
ですから 頭にエネルギーが行きますから 行動するよりも考える方が得意な人です。
左右への傾きがある人は 感情的で感覚的です。情緒的ともいえます。
前後への傾きのある人は行動的です。
腰が太い人は攻撃的・反抗的で競争心が強い人です。
身体が小さく 締まっている人は集中力が強く 凝り性です。
身体がふくよかで 締まりが無い人は おおらかです。
このように人間の体型にもそれぞれの形の特徴の違いが表れていますが
それと共に 様々な芸術様式における形の特徴の違いにもまた顕れています。
個人個人において 心のあり方の反映として身体の形があるように
時代様式あるいは芸術様式とは その時代のその土地の人々の
集合想念が形として現れたものですから
逆に言えば それぞれの様式の特徴的な形に それらを作った
特定の時代と土地の人々の心のあり方が反映され表現されている訳です。

ヨーロッパのこの千年来の芸術様式は 11世紀から19世紀の間に
主に ロマネスク・ゴチック・ルネッサンス・バロック・ロココ・古典と変遷してきました。
この他にも 勿論様々な様式がありましたが ここに挙げたものが
絵画・彫刻・建築・音楽・文学など いろいろな芸術ジャンルにおいて共通して顕れたものになります。
これ以後のものは ほとんどが特定のジャンルにおいてのみ顕れた限定されたものであって 
ということは 総合芸術になった様式は これ以後は
アール・ヌーボーやその後の即物主義などがあっても ごく短い期間の限られたものになります。

ここに挙げた
ロマネスク・ゴチック・ルネッサンス・バロック・ロココ・古典のそれぞれには
様々な表現の違いがありますが
形としての違いをごく簡単に言うと
ロマネスクは 円
ゴチックは 縦の直線
ルネッサンスは (底辺を下にした)三角
バロックとロココは 斜めと円(斜め+円=螺旋)
古典は 横の直線
ということになるかと思います。
そして 形とは 内面の表れですから
芸術様式の場合には ある特定の個人の というよりも
集団としての 不特定多数の人々の内面の現れであると考えてよいかと思いますが
ある特定の時代と土地における人々に共通して現れた ものの考え方・捉え方・感じ方
といったものの反映として それぞれの芸術様式が出てきたことになります。



ロマネスクの円の形は
回転運動というよりも ものを包括している状態を表しています。
つまり 動きを表しているのでは無く
包括 あるいは調和した状態を表しています。
これは ロマネスク芸術が
キリスト教の普及と共に出てきたものではあっても
実はまだ キリスト教カトリック的な
唯一神・神人分離・天動説=地球(というよりもヨーロッパ)を中心に宇宙が動いている
といった思想では無く
全てのものが 宇宙の中で包括され それぞれの存在には等しく価値があり 調和し合っている
という状態を象徴しています。
つまり キリスト教が 紀元千年頃にヨーロッパ全域に普及した
それ以前にあった(ケルト民族からゲルマン民族へと引き継がれた)アニミズム的な思想
自然や動植物と人間とを分離させない 全てが自然の中の存在であるとする捉え方
を引き継いでいると言えるかと思います。

これは 体型で言うと
矢張り 丸みを帯びた人の性格と一致しています。
骨盤が開いている人は 筋肉の締まりが無く弛んでいますが
性格的には 自他を余りはっきりとは区別せずに おおらかで・鷹揚で気前が良い
という傾向があります。
頭もおおらかなので 理屈をこねることもありません。
肩も丸味を帯びている撫で肩は 肩肘を張らない=人とぶつかり合わないということです。
今の日本では 特に女性は「痩せたい」という欲求を持っている人が多いようですが
これは この丸みを帯びた人における特色を否定しているものになります。
つまり おおらかさや鷹揚さを否定し 自と他の間に境をはっきりと作りたい
そして 「包括」よりも「分離」を無意識のうちに選択したい気持ちの現れ ということになります。



それに対して ロマネスクのすぐ後に出てきた
ゴチック様式の縦の直線は
第一に 天国を指し示す形であり ですので 地から天に向かった垂直の矢印です。
そして 第二に キリスト教カトリックの基本的な教義である
「原罪」と「人間罪の子思想」の顕れです。
直線ばかりで 曲線を使った横への膨らみが無いのは
全ての人が罪人(つみびと)として 楽しみを否定し ストイック(禁欲的)に生きなければいけない
贅肉を削ぎ落とした生き方を形として表したものです。
地から天に向かう ということは つまり
天と地とは一体なのでは無く 分離したものだということを意味しています。
これもキリスト教カトリックの基本的な教義です。
天と地とは分離したものだ というのは
神と人とが分離している存在だという認識からきています。
全知全能の神に対して 私たち人間は
罪深き存在であり その罪を贖うために生きています。
「贖(あがな)う」とは 許してもらう ということですけれども
そのために祈り労働をしてはいても
では許してもらったらばどうなるのかは 明確ではありません。
なぜならば この地上に生きている限り 罪人だからです。
祈ったからといって 神に近付ける訳ではありません。
このように ゴチックは 神人分離を基本教義としていました。
ですから ロマネスクの「一体」から ゴチックは「分離」へと変遷したことになります。
そして その「分離」という意識は 当然のことながら「分離」という現象を生みます。
つまり 宗教改革が起きて 新教がカトリック(旧教)から分離していきました。

人間の身体の中における 縦の動きとは
エネルギーが頭に行き易い ということです。
つまり 理性的であり ものごとをよく考えるのが得意だということです。
それはまた 感情的では無い ということです。
ですから ゴチック美術に表れている人物像もまた
感情表現は希薄であり 理性的な 落ち着いた 穏やかな表情で描かれています。
ゴチックも後期になると ルネサンスの影響を受けて
だんだんと一人一人の人物像の感情表現が豊かになってきますが
(この場合の「感情表現」とは 主に「喜怒哀楽」のことを言っています)
それ以前のゴチックでは 基本的に
一人一人の感情表現を重視していなかった というよりも
「喜怒哀楽」を表現しようとはしていませんでした。
これが ゴチックの理性の表れです。
「喜怒哀楽」は 個人の感情の表れであり と言うよりも
個人の人間として あるいは自我としての感情の表れであり
それは(特に 怒りや悲しみは)神に繋がっているものではありません。
神に祈っている時の心の状態ではありません。
ゴチック美術に描かれている人物像に共通した表情とは
この「祈っている」表情と言えるかと思います。
それは 日常の些細な出来事に心をとらわれている様子では無く
あるいは 日常生活の人間関係での葛藤を描いているものでは無く
目の前の何かに心をとらわれているのでは無く 普遍的な何かを心に思っている表情
 食べて飲んで働いて寝る生活では無い 日常性を越えた何かを思っている
つまり 「祈り」の表情であり
ですから その表情には 悲しみや怒りや憂いといった ネガティブな否定的な感情は表れては無くて
誰もがあたかも「聖人」であるかのような表情で描かれています。
これはまた 「高貴」と言う言葉でも表すことが出来るかと思いますが
それは ゴチックが 教会で起きた様式ではあっても
それを支えていたのは 宮廷であり 貴族であり 裕福な商人であり
つまり 上流階級の人々であったからこそ
その人々の宗教心=日常生活における宗教的な心の状態と
そして その人たちの生活の理想である高貴さ・優雅さとが表されている訳です。
ですから ゴチックの表現を解く鍵は
その当時の人々(特に上流階級の人々)の生活はどういうものであったのか
その中でも 宗教的な生活はどういうものであったのか ということになります。
どこの家にも 部屋ごとに祭壇がありました。
誰もが 聖職者で無くても 毎日7回ずつお祈りをしていました。
教会に行って懺悔をし 沢山の御布施をするのが当然でした。
基本的に生活の全てが キリスト教徒としての生活であり
全ての人が「罪人」ではあっても その罪を贖うために懺悔し祈るのが
人々の生活の基本でした。
だからこそ その懺悔している 祈っている
つまり 神の前にひざまずいている人間として
あるいは神に仕える人間として描かれていると言えるかと思います。
これは ルネッサンス後期からバロックに入ると
人間の「罪人」としての 罪を犯している表情が描かれるようになるのと
全くの対称を成していることになります。
ゴチックが 北フランスで起こり
北フランス・ドイツ・ベルギーといった地域で広まった アルプス以北の文化なのは
感情よりも理性という民族性の土地において広まり発展したものであり
敬虔な宗教心に基づいた生活をしている人々の住む土地であり
(だからこそ まさにそれらの土地から聖戦を目的とした十字軍が出発した訳ですが)
ですから この土地の人々の 「理性」と「宗教心」
この二つが ゴチックの表現の基になっているものと言えるかと思います。



ルネッサンスは そのゴチックの後に出てきた というよりも
北ヨーロッパでゴチック文化が栄えていた 同時期に
別の地域 南ヨーロッパのイタリアで始まったものです。
つまり 地域的な違い=それぞれの土地の人々の性格(民族性)の違いからきています。
その それぞれの土地の人々の性格(民族性)の違いは すなわち
生活の仕方の違い そして 信仰心の違いでもあります。
(それらを総合したものを「文化」と言い それが形として表れたものを「文明」と言っている訳です。)
ルネッサンスの基本的な形は 三角形です。
ゴチックが 天と地とを結ぶ縦の直線なのに対して
ルネッサンスの三角形は どこから来ているのでしょうか。
「天」に対して「地」の比重が大きくなった状態が 三角形です。
これは 「神」に対して「人間」の方に重心がある状態の表れです。
カトリックの総本山があるローマ(イタリア)の人々は
北ヨーロッパの人々とは 違った民族性を持ち ですから
違った感覚・感性で生きていました。
これは多分に 気候・風土のためですが
南方の気候が温暖で 農作物も作り易く手に入れ易いのに対して
北方では 気候が厳しく 農作物も実り難く種類も限られ ですから手に入れるのが困難です。
この気候・風土の違いは当然 そこに住んでいる人々の感性に影響を与えます。
気候が温暖な南方では そこに住む人々はのんびりしています。
それに対して 気候が厳しい北方では そこの人々もまた厳しい生き方をしています。
暖かいところでは 人は行動的になり 感情表現が豊かになり 楽天的になります。
寒いところでは 行動するよりも 内省的になり 寡黙になります。
ですから ローマにカトリックの総本山がありながら
実は ローマ(イタリア)の人々の性格は
カトリックの「罪の子思想」とは相反するものでした。
気候的に温暖で 従って喜怒哀楽をはじめとする感情表現が豊かで 楽観的・楽天的で
かつ 楽に食料が手に入る土地の人々にとっては
「人間は全て罪人なのだから 禁欲的に生きなければいけない」と言われても
なかなか実感できず 受け入れ難いのは当然でしょう。
つまり この地上での生活を楽しみつつ生きたい という気持ちで生きている人たちであり
だからこそ ギリシャ神話・ローマ神話の神々のおおらかさに対しての憧れもまた
大きかった訳です。
感情表現が豊かで 感覚的に生きているということは
人間の肉体を中心とした生き方になります。
それに対して 理性的あるいは内省的な生き方は 精神的 つまり肉体よりも
目に見えないもの(特に 心・精神)を重視する生き方になります。
ですから イタリアをはじめとする 南方の人々の生活は
人間の「肉体」を重視し それを基準とし あるいは出発点とする文化となりました。
その表れのひとつがギリシャ文明であり ローマ文明であり
そして カトリックの総本山のあるローマで 三角形を基本とする
ルネッサンスが始まった理由でもあります。
天 あるいは神よりも 地上の人間の肉体に重心があるからこそ
三角形になる訳です。
更に 人間の肉体には 直線の部分はありません。
ですから ルネッサンス美術では 曲線が多く使われるようになります。
体型的には
男性は肩幅が広く 胸の厚みもあり 骨盤は広くないので腰は細いという 逆三角形
それに対して 女性は 骨盤が広く 肩幅は狭いので 三角形
と一般に言われています。
男性の肩幅が広く 胸も厚みがあるのは 腕を多用することからきているのに対して
女性は 妊娠・出産という機能的なことが理由で骨盤が広く出来ています。
ルネッサンスの基本形が三角形であり
つまりルネッサンス文化は 感覚的・感情的といった
女性的な面が多く表れているということでもあります。
あるいは 男性の身体は直線的 女性は曲線的 と言われますが
ルネッサンスにおいて 直線的でなくなり 曲線が多く使われるようになるのも また
曲線的という女性的な面の表れということになります。
更に ゴチックと比べると ルネッサンスは
全体の表現が柔らかくなります。
これもまた ルネッサンスの女性性の表れの一つと言えるかと思います。

カトリックの教会は 外観も内装も美術作品も 全てが
絢爛豪華 と言って良いほどに装飾性が高いですが
それに対して プロテスタントの教会は 外観も内装も質素で
かつ 美術作品もほとんどありません。
これは プロテスタントが 聖書のみを拠りどころとし
質素堅実な生活を目指していることの表れですが
それに対して カトリックは 感情表現豊かな民族の土地において引き継がれてきたことと
教会の豊かな収入をそのような形で表現すること
そして 神の創ったものは全てが美しいことを表現するため という
三つの理由によって 絢爛豪華な教会美術を作り出してきました。
人間が全て 罪深き存在なのに対して 神をそれと対比させ
神の存在自体も 神の思いも 神の造りだしたものも 全てが素晴らしいことを
神の家である教会を 殊更に素晴らしく造ることによって表現する
という理由ではあっても そこには矢張り
その土地の人々の感情表現の豊かさ という下地があってのことになります。
更に言えば 南方の人々の方が 北方の人々ほどは内省的では無い
つまり 物事の本質よりも 外見・外観を気にする ということが
カトリックの美術に現れている特徴となっています。

ゴチック絵画が(特にフランダース地方において)写実主義と呼ばれた表現の仕方を取ったのに対して
ルネッサンスが その写実主義から離れていくのもまた
ルネッサンスが 感覚的な文化に移っていたことの表れですが
色に表れているルネッサンスとゴチックの違いも
同じところからきています。
そもそも「写実主義」とは
全てのものを あたかも目の前にそのものを見ているかのように
くっきりとはっきりと描くやり方ですが
これは 全て神の創り出したものは美しいのだから
その美しさを絵画として表現することを 画家としての使命だとした人たちによる
「神の存在」「神の意思」「神の創造物」を第一とする表現の仕方でした。
ですから 色の使い方もまた 「神が創り出したそのまま」を描き出しました。
それに対して ルネッサンスは
「神」ではなく 「人間から見た」という視点に移ります。
宗教画であっても
「神の存在」「神の意思」「神の創造物」などをそのままに表現したい というのでは無くなり
それらを 人間はどう見て どう感じている という視点からの表現になります。
「人間からはどう見える」という表現になっていった訳です。
しかもその「人間」とは 集合的なものでは無く
「その絵を描いている画家からはどう見えた」という
画家個人のものの見方・捉え方の表現になっていきました。
色使いもまた その画家個人はどう物事を感覚的に捉えたかの表現になります。
だからこそ 中間色も増え かつ 自然界には無い色合いが使われるようになります。

遠近法もまた ルネッサンスの特色のひとつです。
そしてこれも ルネッサンスの視点 つまり
「その絵を描いている画家からはどう見える」という視点の表現です。
ゴチックの写実主義絵画においては
全てのものがくっきりとはっきりと描かれていました。
これは当然のことです。
なぜならば 全て神の創り出したものは本来 はっきりとくっきりとしているからです。
そして この表現はまた
神の目から見たら 全てのものに価値がある ということの表れでもあります。
「価値があるもの」として神はものを創造した ということの表れです。
それに対して ルネッサンス絵画における表現は 人間の視点に移りました。
遠近法とは 「人間(画家個人)から見て 物事はこう見える」という表現の仕方です。
そもそも ものは どこにあっても 同じ大きさのままです。
それなのに遠近法として
近くのものは大きく 遠くのものは小さく描く
つまり同じものでも 近くにあれば大きく描き 遠くにあれば小さく描く というのは
ものの本来の姿を描き出してはいません。
その ものの本来の姿を描き出してはいない もうひとつの表現の仕方が
遠くのものをぼかして描くやり方です。
ものは どこのあるからといって ぼけたり かすんだりするものではありません。
つまり ものの本質を描くのでは無く
「画家個人からはどう見える」という 人間を基準とした視点が
ルネッサンスの表現だということになります。
そして 遠近法とは 近くのものを大きく 遠くのものを小さく描き
従って こちらに向かった末広がり=向こうに向かった尻すぼみになります。
これが ルネッサンスが三角形を基本にしている もうひとつの理由になります。

このように ルネッサンスの特色は
* 神から人間へと重心が移ったこと
* 視点もまた神から人間に移ったこと
* 物の本質を表現するのでは無く 画家個人が感覚的に捉えた表現になったこと
それによって
* 遠近法が使われるようになったこと
* 三角形が基本形になったこと
* 形にも色にも ぼかしが増えたこと
* 曲線的になったこと
* 動きが増えたこと
* 表現全体が柔らかくなったこと
となります。



それに続くバロックは
形や色の表現においては ルネッサンスからの発展になります。
しかし バロックを生み出したのは ルネッサンスとは全く違った人々の気持ちでした。
ルネッサンスとは ともそも
キリスト教カトリックからの 人々の(意識と行動の)解放でした。
けれども それが それに続く宗教改革の前に起きた意識改革と言えるのか
というと そういう訳ではありません。
そもそも 宗教改革は全て 北ヨーロッパで起きました。
カトリック総本山のあるローマを初めとする南ヨーロッパでは 宗教改革は起きませんでした。
(北ヨーロッパはアルプス以北 南ヨーロッパはアルプス以南のことです)
宗教改革が起きた理由は
本来は神に仕え 神の声を人々に伝えるのが役割のはずの聖職者たちの 欲深い乱れた生活でした。
ローマをはじめとする北イタリアは商業活動が盛んでしたから
教会にもまた沢山の税収入がありました。
その 十分の一税による豊かな収入を 神と人々のために使うよりも
聖職者の物質欲・名誉欲・性欲・食欲などを満たすために使っていたことが理由でした。
けれども どうして 特に聖職者たちの乱れた生活が行われていた南ヨーロッパでは
宗教改革は起きずに 北ヨーロッパでのみ起きたのでしょうか?
それは 南ヨーロッパでは 教会は沢山の収入の中の一部を
社会事業に使う形でその土地の人々に還元していましたし
教会建築や美術にもその収入が当てられていました。
また カトリックの教義を本当には受け入れていた訳では無い南ヨーロッパの人々には
自分たちにも そういった生活への口に出しては言わない羨ましさ・憧れがあったために
人々は聖職者たちの欲深い乱れた生活を黙認していました。
それに対して 北ヨーロッパでは違っていました。
人々は より敬虔にキリスト教を信じ その生活を従わせていました。
かつ 北ヨーロッパでは 南ヨーロッパと違って 教会の沢山の収入が
社会事業に使われることも無く 従って土地の人々に還元されてはいませんでした。
だからこそ 聖職者たちの乱れた生活を殊更に許し難く感じました。
ルネッサンスが 意識改革や宗教改革では無く
人々の意識や行動の カトリックからの開放だというのは
つまり南ヨーロッパの人々の意識が変化したのでは無く
もともと 本当にはカトリックを受け入れていた訳では無い人々の気持ちや行動を
はっきりと表面に出すようになったのが ルネッサンスだからです。
ですから 「開放」であり「個人の心の自由な表現」がルネッサンスでした。

それに対して バロックは
宗教改革が起きた後に カトリックが反宗教改革の伝道に使うために始まったものであり
ですから バロックとはカトリック美術=反宗教改革美術であり つまり「反動」でした。
それなのに どうして バロックは表現としてはルネッサンスの延長となったのでしょうか?
そもそも「バロック」とは 歪んだ真珠を意味する言葉から来ているのはどうしてなのでしょうか?

ゴチックが 縦の線を基本としている ということは
つまり 天と地とを繋ぐ形であると共に
人間の体型で言うと 上下にエネルギーが動き易い=頭にエネルギーが行き易い
ということであり 内面的には 「理性的」という言葉で言い表すことが出来ます。
キリスト教カトリックの教義は 非常に体系だてられていました。
その内容が 真実に・真理に即したものであったかどうかは別として
理屈としてまとめられていました。
ですので カトリックを信じるというのは
感覚的に信じるというよりも 理性的に信じるという面が強く
だからこそ カトリックは 感覚的・感情的な南ヨーロッパの人々によりも
理性的な北ヨーロッパの人々に受け入れられ その人たちの心にしっかりと根付いてきました。
けれども 宗教改革が始まり
そして 同じ時期には 自然科学が発達して
聖職者のみを神と人との仲介者とする あるいは 天動説をはじめとする
カトリックの教義の信憑性・信頼性に疑いが出てきました。
カトリックの教義の教義の信憑性・信頼性が揺らいだということは
カトリックの教えを 理性的に受け入れてもらうのが難しくなったということです。
ですので 理性的にではなく 感覚的あるいは感情的に受け入れてもらおうというように
方針を変更しました。
ルネッサンスではすでに 感覚的・感情的な表現に移っていましたので
それを延長・発展させ より感覚に より感情に訴えるバロック様式が
こうして出てきました。
そして 感情とは「喜怒哀楽」という言葉に表わされているように
動きのあるものです。
安定よりも 動きの方を一般に「感情表現」と言っています。
あるいは刹那のものであり その時その場での心の表現です。
それに対して 理性的であるのは 動きでは無く 安定です。
感情が動きであるからこそ バロック美術は
動きをより効果的に表現しようとしました。
それに対して 理性は安定であるからこそ ゴチック美術は
動きよりも 安定・固定・不変によって 普遍を表そうとしてきました。
このように バロック美術が
「動き」そして「刹那のもの」という 感情を表そうとしたことが
「歪んだ真珠」の形にまさに象徴されている訳です。
均整が取れていない 安定性が無い ということです。

このように カトリックが 理性よりも感情・感覚に訴える方針に変わったために
それ以後 カトリックは 人々が感覚的・感情的な南ヨーロッパに残り
逆に 北ヨーロッパは 新教=プロテスタントに変わっていきました。
あるいは すでに来たヨーロッパには新教が広まっていたからこそ
南ヨーロッパでカトリックを存続させていくには
感覚的・感情的な表現に変えざるを得なかった とも言えるかもしれません。
けれども そのような感覚的・感情的な表現に変えざるを得なかったのには
もうひとつ理由があります。
カトリックは宗教改革のために 信者の数が減ってしまいました。
それで 新たな信者獲得のために 世界伝道に乗り出しました。
つまり ヨーロッパ内での伝道がもう無理だったということですが
同時に大航海時代以来発見された世界の他の地域の野蛮な人々に キリスト教を普及させ
その人たちを救済する という大義名分で 世界伝道に乗り出しました。
けれども 世界各地での伝道においては 共通の言葉が無いのが障害になります。
ヨーロッパの言葉で 世界各地の現地の人々に伝道出来る訳ではありません。
だからこそ 理性的であるよりも 感覚的・感情的なやり方での伝道が選ばれました。

感情に訴える表現とは
過剰な感情表現を描くというだけでは無く
感情に訴える描き方がされるということです。
ですから 豊かな あるいは過剰な感情表現と共に
動きや姿勢にも 大袈裟な芝居がかった表現がされるようになりました。
「芝居がかった表現」というのは つまり「本当の状態では無い」
そして「本当の心の状態では無い」ということです。
つまり 感情表現とは言いながらも それらは
描かれている人々の本心を表したものでは無く
感情的な効果を引き出すための道具としての表現になりました。
「嘘っぽい」感情表現とも言えるものが バロックのスタイルになった訳です。
「嘘っぽい」ということは 他人に対しても 自分自身に対しても
そして 神に対しても です。
他人に対して嘘をついているのは 結局は自分自身にも嘘をついているということです。
そして 自分自身に嘘をついている人が
神に対してだけは真実の心を表せるでしょうか?
多分出来ないでしょう。

このような バロック美術の表現の基になっているものを見てみると
なぜ バロック美術の基本的な構図が 斜めの線なのかの理由も明らかになります。
つまりこれは バロックの時代=宗教改革以後の時代には
人々の心が天の方向・神の方向を向かなくなった
あるいは 信仰心が傾いたことの象徴な訳です。
感情的なやり方 感情に訴えるやり方での伝道によって
一体 キリスト教の何が伝わるのでしょうか?
キリスト教え キリストの思いの何が伝わるのでしょうか?
ですからこの時点で カトリックは
感情という その時その場その人限りの あるいは刹那のものを選ぶことによって
「普遍」から離れていきました。
これは 「カトリック」という言い方が
「普遍」を意味するギリシャ語から出ていることを思うと 皮肉なことです。
あるいは過剰な・大袈裟な・芝居がかった・嘘っぽい表現を選ぶことによって
「真実」から離れていきました。

同時に 斜めは 動き=行動を意味しています。
宗教改革派の人々も そして 反宗教改革派の人々も 行動しました。
ですからバロック絵画の中に描かれている人は 皆 行動しています。
行動的に行動しています。

そして 感情表現は左右の動きです。
つまり 横への膨らみが大きくなります。
ですので バロック絵画に描かれている人物がふくよかな体型をしているのも
この横への膨らみの表れです。

更に バロックでは
円 又は螺旋形も構図として多く使われています。
これが一体 何を表しているのかと言うと
円の動きは 発展性の無いこと
螺旋は (弱いものを敢えて)強くすることの表れですが
ですので 螺旋運動は 反抗心・競争心の現れです。
宗教改革以後 改革派の方が 反抗を意味するプロテスタント=新教 と呼ばれ
反動反改革派の方が 旧教=カトリックと呼ばれましたが
実際には 改革派に対して戦った反動反改革派のカトリックもまた
反抗的・闘争的だったとも言えます。
その様な 反抗心・競争心・闘争心の形としての表れが
円と螺旋になります。

もう一つ
ルネッサンスで発展した遠近法が バロックではそれ程には強調されなくなった
という変化がありました。
これも 感情表現が理由となっています。
なぜならば 感情表現は
その時その場でしているものが 全てだからです。
喜んでいる時には「喜び」が全てです。
悲しんでいる時には「悲しみ」が全てです。
怒っている時には「怒り」が全てです。
心の中に 遠近はありません。その時に感じ表現しているものが全てです。

このように バロックの特色は
* 「神」「普遍」といった概念から 人間の感情表現へと移ったこと
* 神からの視点が忘れられたこと
* ものごとの本質を表現するのでは無く 感情・感覚に訴える表現になったこと
それによって
* 斜めの線が基本になったこと
* 形にも色にも ぼかしが増えたこと
* より曲線的になったこと
* 心・身体・もの・状況など 全てのものの動きを強調したこと
* 画面全体に 沢山の人・物を描いて 劇的な表現をしたこと
であり
構図として顕れている心の状態が
* 動き=斜め・円・螺旋
* 発展性の無さ=円
* 反抗心・闘争心・競争心=螺旋
* 豊かな感情表現=左右への膨らみ
* 浅い信仰心=斜め
となります。



バロックの後に出てきたのは ロココです。
バロックの後 という言い方も あるいは
バロックの最後の バロックの変形しての一様式 という言い方もされますが
確かに 一見した印象では
バロックとロココとは何が違うのかな? と思うことも無きにしも非ずですが
その理念は違ったものであり
ロココは 反バロックの様式として出てきたものです。
バロックが余りにも過激な・過剰な感情表現をし 劇的な表現をした
その反動として
軽やかな・明るい・上品な表現に移っていったのがロココです。
それはまた ロココがフランスで(と言うよりもパリで)起きたことにも表れているように
宮廷的な表現でもありました。
過剰な感情表現をせずに 上品に
ということは 上品ぶっているということでもありますが
ですので 「ぶりっ子」的な表現が ロココであるとも言えます。
人間の本当の心を表現するよりも
作った・取り繕った表現 いわゆる「嘘っぽい」表現がロココの特徴となりました。
この「嘘っぽい」というのは 実は バロックからの続きなのですが。

ロココは時代的にバロックの続きということで
そのまま バロックから引き継がれて 反宗教改革伝道に使われていきました。
ですので フランス(パリ)で起きたロココですが
フランス・南ドイツ・ベルギーといったカトリックの地域で広まっていきました。
つまり 反宗教改革伝道組織であったイエズス会の立てた教会の多くは
バロック様式か ロココ様式になります。
ですから 宮廷で始まった様式が 教会で使われるようになった訳で
これが 宗教から始まって 後に世俗芸術にも使われるようになったゴチックとは 対比をなしています。

ロココの形や色の表現は
バロックからの続きですが ですから円や斜めを使ってはいますが
バロックのような力強さは無くなります。
つまり ロココに表れている 心的状態は
「本当ではない」「嘘っぽい」ということであり
身体を含めてみますと
腹が据わっていない=丹田に力が無いっていない・充実していない
胸が開いていない=他人に対して心を開いていない
首に力が入っていない=自分の頭で考えられない・責任を取りたく無い
状態です。
けれども 建築においては ロココは
宮廷のということもあり
権力を誇示するために 豪華さや立派さを表したい要求に答えるものとなります。
次の古典様式建築に繋がる 左右対称・重厚といった特色が見え始めるのはこのためです。


けれども ロココの時代は短く終わりました。
なぜならば フランスで革命が起きて 宮廷の時代が終わってしまったからです。

それによって 今度は 古典様式が出てきました。
古典様式の一番の特色は
重厚・凝縮・緊張・均整であり
それによって
理想・理性・象徴
といったものが表現されていることかと思います。
これらの特色を見れば 古典様式が
反バロックであることが容易に分かります。
過剰な感情表現には 理性も理想もありません。
歪んだ真珠は 均整がとれていません。
古典様式が 反バロックであるということは
それを表した人々の心が バロックのものとは非常に違っていた ということです。
フランス革命が起きたことによって
古典様式の時代が始まりましたが
ということは フランス革命によって 人々の心はどう変化したのでしょうか?
あるいは 人々のどういう心の状態が表現されるようになったのでしょうか?

ルネッサンスが ギリシャ神話やローマ神話における神々の
天真爛漫な様子を理想とし
あるいは ギリシャ・ローマの美術における
人間の肉体美の表現に注目したのに対して
古典の時代には 同じく
ギリシャ神話やローマ神話 ギリシャ文化やローマ文化に目を向けはしましたが
均整の取れた美しさ そして 理想としての美しさの表現に注目しました。

フランス革命以前の時代とは 封建制の時代です。
領主が持っている土地を 小作人が借りて農作物を作り
その中から小作料 あるいは税としてかなりの量を納めていました。
教会にも税を納めていました。
幾ら働いても 自分のものになるのは僅かの量です。
手工業者・職人たちは その仕事のやり方と 中世からのギルド制を
産業革命が起きたために変えざるをえなくなりました。
ものが 機械によって大量に短時間に均一に生産出来るようになったのです。
ですから 沢山の手工業者・職人たちは職を失い
それに代わって 工場労働者が必要になりました。
自分の手で 自分の責任で物を生み出すのでは無く
工場で機械の一部として人間が働くようになったのです。
フランス革命は 農民たちの 自分たちの作り出しているものを搾取し
それを使って享楽的な生活をしている領主や王家に対する反感であり
工場で機械によって物が生み出されるようになった
それに対する 手工業者・職人たちの不満と
工場で機械の一部として働くようになった人々の 
「生き活きと生きたい」「人間として 人間らしく生きたい」欲求の現れでした。
けれども その人々には 不満があり反感があり「今の生活を変えたい」要求はあっても
では どうしたら良いのか 何をしたら良いのかというアイデアはあったのでしょうか?
つまり フランス革命の基になったのは その様な人々の気持ちではあっても
実際に革命を導いたのは ごく僅かの人々でした。
その人たちが持っていたのは
革命によって混乱を起こすというのでは無く
封建制に代わる 新たな体制を作りたい気持ちであり
人間が人間らしく生きる そのあり方としてギリシャ・ローマ文化を理想とした
新たな安定を求める気持ちでした。
そういう要求があったからこそ そこに登場したのが
ナポレオンでした。
王権に代わる 新たな権力の登場であり
王に代わる 新たな支配者の登場でした。

古典の基本が
重厚・均整=安定 そして 理想・理性・象徴であり
形・形式を重視した表現となったのは
このナポレオンの時代と重なっていて
その当時の人々の気持ちの表れだということになります。
王権に代わる 新たな体制による安定を求めていました。
権力者に搾取されるのでは無く 自分の意思で自分の人生を生き活きと生きたい要求の理想を
様式化されたギリシャ・ローマの文化に求めました。
古典様式が
インペリアル・スタイル=皇帝様式/帝国主義様式とも言われるのは
封建制に代わる 新たな体制の確立と
それによる新たな文化の創造を表現しているからです。

理想を描くのは 頭からエネルギーが昇華していく動きです。
けれども 本来理想とは
現実という「制限」に対しての「自由」な発想が基になっているように思われますが
古典主義が 形式という制限を重視したのはどうしてなのでしょうか。
形に則って 規則に則って行動するのは「自由」や「理想」とどう関係しているのでしょうか。
それは 形式という形に 秩序を求めたからです。
つまり 「自由」を理想としたのでは無く 「秩序」を理想としたということです。
美しさとは 秩序を持ったものだという認識が 古典主義でした。
これは ナポレオンが ナポレオン法典を制定し 新憲法を公布して
憲法・法律という形で 新たな秩序を作り出そうとしたのと共通しています。
あるいは 都市計画によって 中世からの古い町並みを都市として変えていったのも
機能も美しさも 秩序を前提としているという理念からでした。
その様に 形 あるいは秩序を基にしての理想とは
現実に根ざした理想であるとも言えます。
頭の中だけの空想 机上の空論では無く
新たな現実を作り出していくための理想でした。
秩序を求めるのは 安定を求めているとも言えますが
宇宙の動きとは秩序だったものであり
その中で様々な存在が自由に生き 活動しています。
ですから 本来「自由」とは ある秩序の中での自由であると言える訳です。
けれども 余りに秩序の方を重視するようになると 自由の方が制限されてしまいます。
逆に 自由の方を余りに重視すると 秩序が忘れられてしまいます。
このように 秩序の中の自由という認識が
宇宙の中での存在という認識と結び付いている訳ですが
ですから 古典主義とは 宇宙の中の存在 自然の中の在り方
そういうものを認識した様式であると言えます。
ただし 秩序の方を余りに重視すると
あるいは 理想を描く力が弱いと 形式に頼ることになりますが
これは安定を求めるというよりも 依存心の表れです。
依存するというのは 自分で責任を取りたくない気持ちの表れです。
つまり 形式主義とは 責任逃れの気持ちのことです。
これは 首に力が入らない状態です。
自分の頭で考えられないから 形式に頼ろうとします。
もしもの時には 形式のせいにすれば良いという考えからです。
そうさせた形式が悪いのであって それを選んだのは自分では無く
そういう体制だったから そういう規則だったから という
言い逃れをするためです。
つまりこれは 創造的では無い状態です。
私たち人間が創造出来る最も美しいものの一つに
「幸せ」があります。
創造的では無いという状態は つまり
幸せを作り出せない状態です。
かつ 幸せで無い状態です。
つまり 形式に頼ろうとするのは 非創造的であり 不幸せな状態です。
古典様式の時代に限らず
いつの時代にでも 真に創造的であろうとはせず
形式に則るだけの生き方や 表現をした人たちがいました。
首に力が入らないか 左に重心が傾いているか それとも重心が後ろにあると
その様になります。
けれども 秩序を前提としての理想を描き
秩序に則った美しさや機能を追及し表現する人たちもいました。
この人たちは 首がしっかりしていて
頭にエネルギーが行き易く かつ そのエネルギーが
頭から更に昇華させられる人たちです。
けれども 単なる想像・空想にとどまらずに
現実の世界で何かを作り出していく現実性もまた備えているのは
身体の中でエネルギーが集中するからです。
ですから 頭にエネルギーが流れ易く かつ身体全体ではエネルギーが集中し易い
収縮+昇華 というのが古典様式の中で真に創造性を発揮した人ということになります。
ということは この「収縮+昇華」が 古典様式のエネルギーの流れであるとも言えます。

しかし 古典様式に私たちが感じるのは 横の線です。
より正確には 線というよりも塊=ブロックですが。
古典様式の建築は 横に広く重厚感を出して建てられました。
絵画も 横の構図を重視しています。
音楽もどっしりとした安定感を感じるのは 線的では無く 塊のように聞こえるからです。

頭にエネルギーが流れやすい人において
もしもその流れに滞りが出来ると
形式・権威・名誉・肩書きといったものにこだわるようになります。
つまり 本来の自分では無いものです。
裸の自分では無く うわべとも言えるものにこだわるようになります。
ですから 想像力・空想力の豊かな状態と
形式・権威・名誉・肩書きといったものとは 裏表とも言え
これが 古典様式がその様な形式的な
あるいは権威を強調するような表現をもとった理由でもあります。



古典様式までは
建築・美術・文学・音楽といった多方面において 一つの様式の名で呼ばれましたが
それ以後には その様な様式はほとんど現れません。
古典様式の後には
ロマン主義・印象主義・象徴主義・即物主義をはじめとする 様々な様式が出ましたが
いずれも芸術の中のある特定のジャンルのものに留まりました。
また 多方面において現れた様式の中にも
それぞれのジャンルにおいて同時代に現れ 表現にある共通性があるので同じ名前で呼ばれているものと
総合芸術として一つの名で呼ばれたものとの違いがあります。
ヨーロッパにおいて その後 総合芸術となったものとして
アール・ヌーボーが挙げられますが
これに関しては 別項「 アール・ヌーボーと音楽 」を御参照下さい。

特定のジャンルにおいてのみ現れた様式の中にも
勿論 その時代その土地の人々 あるいは作った人の心の状態が表れています。

古典様式が 形式美=形としての美しさを追求し
帝国主義様式として 大きな重厚なものを作り出したのは
逆に言うと 人間一人一人に視点が向けられていないということになります。
あるいは「自分」というものの表現では無いということです。

ですから その反動として ロマン主義が起こりました。
人間一人一人の心の様子を描き出す というよりも
ロマンとは「感傷主義」「センチメンタリズム」であると言えますが
感傷ということは 内にこもった心の状態を描き出す様式となりました。
古典様式が 理性的=頭にエネルギーが集中し 能動的・開放的な表現をした様式なのに対して
ロマン様式は 左と後ろに重心が移り かつ 受動的・閉鎖的な状態の表現へと変わっていきました。
ここにおいて 20世紀の芸術家の表現に通じる
作者個人の心の状態を積極的に表現し
その心の状態に共感してもらい 他人を引きずり込もうとする表現の仕方が出てきました。
これは これ以前の芸術作品が
作者の心の状態は 積極的に表現しようとして表れていたというよりも
意図せずに表現されてしまっていた という方が正確なのと対比をなしています。
この ロマン主義において 受動というエネルギーの方向性が現れ
他人の共感を求め 他人を自分の感情や心の状態に引きずり込もうとする
つまり 他人のエネルギーを 作者の方向に引きずり込む方向性の出現は
芸術の歴史において 非常に重要な転換点になっています。
絵画を見たり 音楽の演奏を聴いたりした時に
対象に引き寄せられ 吸い寄せられるように感じる時と
逆に エネルギーが発散されているのを浴びるように感じる時とがありますが
その様な エネルギーの流れの方向の違いの中でも 特に
自ら他に向かうのか 他から自に向かうのか あるいは
個から多(あるいは普遍)に向かうのか 多から個に向かうのか
という違いが この時代によりはっきりとしてきたと言えるかと思います。



印象主義は 日本の方々には
特に フランス絵画とフランス音楽で知られているのではないかと思います。
絵画では マネ・ピサロ・スーラ・ドガ・モリゾー・ルノワール・モネ・セザンヌといった画家の作品が
音楽では ドビュッシーやラヴェルが知られています。
ところが 絵画の方は日本の方には非常に人気があるのに対して
音楽の方はそれ程でもありません。
印象主義の画家たちは
共通した表現の仕方をしつつも 個人個人それぞれの表現を目指しました。
共通した表現の仕方とは 技術的なことも無い訳ではありませんが
それ以上に 「何を表現するのか」という点で共通していると言えます。
彼らが共通して目指した表現は
個人の感情や心の状態では無く より普遍的なもの
様々なものに表れている 「生命」のあり方でした。
「ものは なぜ美しく見えるのか?」「美しさとは何なのか?」という問いから
美しさ=生命力の発現であると捉え
その 美しさ=生命力がどういうところに現れているのかを
それをそれぞれの感覚で感じ それぞれのやり方で表現しているのが
印象派の画家たちだと言えます。
マネは 色に生命力を感じました。
ドガは 人間の身体の動きに生命力の発露としての美しさを感じました。
ルノワールは 人間の歓びの表情に生命の煌きを見出して表現しました。
モネは 生命とは光ではないかと捉えて それを表現しようとしました。
これ以外の画家にもそれぞれの表現がありましたが 共通しているのが
美しさ=生命力の発現という普遍的なものを表現しようとしたことであり
あるいはそれは 宇宙の中での生命の表情の表れ方をそれぞれの画家の感覚で捉えて表現した
という点ではないかと思います。
ということは それぞれの画家の感覚や表現の仕方は
宇宙の中での生命のあり方を感じ取り表現する
宇宙の中での生命力の表現を感じ取って表現する
というように
画家個人を 自然の中の 宇宙の中の一部として捉えていてのやり方と言えるかと思います。
これは 画家が その個人的な感情を表現するのとは全く違っています。
画家それぞれの感覚は 敢えて表現しようとしているものではなく
宇宙の表情の一つを表現するときに 自ら表現されてしまっているものです。
この 「普遍性の表現」と「美=生命力の発現」とが印象主義であるからこそ
日本でも人気が高いのではないかと思われます。
つまり 宗教画のような「異文化」を感じさせないからです。
それに対して 同じ印象主義とは言っても
音楽では違う表現がされました。
音楽における印象主義は ロマン主義の感傷=センチメンタリズムの延長とも言える
個人的な感情の表現がされました。
ところが ロマン派は音楽として日本で知られているのは
シューベルト・シューマン・リスト・ショパンといった人たちの作品であり
これらはゲルマン系とスラブ系の人たちです。
感傷=センチメンタリズムとは言っても それは理性という基盤に乗っての感傷性でした。
それに対して 印象主義の音楽はフランス人によるもので
ロマン主義の音楽家たちとは全く違った表現をしています。
ロマン主義が 上下のエネルギーの流れに左右の動きが加わったものなのに対して
印象主義では 左右のエネルギーの流れに 後ろへの動きが加わったものになっています。
日本には 「演歌」というジャンルがありますが
主に短調で 悲しさ・切なさを歌ったものが多いかと思いますが
これらの演歌を聴くときに 聴きながら一緒に感情を発散させているのに対して
フランス印象主義の音楽を聴くと その作者の感情を
聴いている人は受け取るばかりで 一緒に発散していません。
発散出来ないと その曲に込められ表現されている
感傷性・消極性を 聴きながら自分の中に溜め込んでしまうことになります。
これが 印象主義の音楽の特色であり
かつ 聞く人が限定される理由かと思われます。



これ以外の様式に関しては割愛させて頂き
最後に キュービズムについて触れたいと思います。
なぜならば このキュービズムは 西洋の芸術の流れにおいて
とても重要な意味を持っているからです。
結局 芸術は
作者の「何を表現したいか」という 意志の表れと
意図せずに「何が表現されてしまっているのか」という
二つのバランスによって成り立っています。
つまりそれら二つのものの合わさっている表現を私たちは受け取っています。
あるいは 私たちは何か芸術作品に接したときに
目に見えている・耳に聞こえているものから受け取る部分と
そうでは無く 作品(あるいは演奏)から発散されているエネルギーを感じ取っている部分とがあります。
そしてもう一つ 特に視覚芸術においてですが
目に見えるように表現しているのが視覚芸術ではあっても
実際に目に見えるものを表現しているのと
目に見えないものを 敢えて表現しようとして表現しているものとがあります。

私たちが日常生活で感じている 「目に見えないもの」の第一が
「感覚」ではないでしょうか。
感情は 非常に個人的なものではあっても 他人に対して(ある程度)見せることが出来ます。
しかし 感覚は 同様に個人的なものであり かつ 他人に対して見せることが出来ません。
また 「思想」「思考」もまた 他人に対して見せることが出来ません。
敢えて積極的に見せようとして公表することも出来ますが
敢えてそうしない限り 他人が頭の中で何を考えているのかは分かりません。
つまり 「感覚」+「思考」=「心」 ですが
ですから 心の中は他人には分からない あるいは分かり難いのは
目に見えないからです。
もう一つ 私たち人間の生活に関わってきた 目に見えないもので 心に繋がっているものが
宗教であり 神です。
神とは何なのか? どういう存在なのか? どういう姿なのか?
あるいは 宗教心・信仰心とは どういうものなのか?
それらを目に見える形で他人に表現することは出来ません。
けれども その表現出来ないものを表現しようとしてきたのが
宗教であり 宗教芸術です。
目に見えないものを 見えるようにするために
様々な規則を作り 様々な儀式を作り 様々な道具を作り出しました。
更には 自然や 宇宙は 私たちには見えません。
見えないというよりも 大き過ぎて認識しきれません。
地球の中で何が起きているのかも 地球の外で何が起きているのかも
私たち地球人は ほとんど知りません。
知っているのは 宇宙には沢山の星があるという程度のことです。
つまり 目に見えることしか 知りません。
あるいは 生命についても 私たちは何も知りません。
なぜならば 目に見えないからです。
見えているのは 生きているか 死んでいるかの違いです。
死体と 生きている身体の違いは そこに生命が入っているかどうかですが
でも その生命自体は見えません。
一体 生命とは何なのか 私たちは分かっていません。

それら 目に見えないものを 敢えて表現しようとしてきた芸術様式
あるいは 芸術家がいました。
目に見えないものを表現するには 先ずそれらを認識しなければなりません。
認識していなければ それは存在していないかもしれないからです。
存在しているからこそ 表現します。
ですので 先ずは認識する必要がありますが そこで感覚が登場します。
しかし 感覚とは 五感という
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚だけではなく
いわゆる第六感と言われているものもあり
実は これが目に見えないものを認識するのに 一番重要な役割を担っています。
なぜならば 五感は主に 目に見えるものを認識する感覚だからです。
しかし ヨーロッパの文化は キリスト教が普及し
カトリックの教義が確立して 人々に受け入れられ(あるいは押し付けられ)
その結果 第六感を認めないものとなりました。
人間は神とは違う存在であり 神と人間とは分離しています。
地球が宇宙の中心であり ですから宇宙の中の一つであるとは認識せず
宇宙の広さも認識していません。
全ての人間は罪人だとしながらも 自然の中の一部として謙虚に生きるのでは無く
自然を管理し克服し支配する存在だとしました。
ヨーロッパでは無い地球上の他の地域ではそうではありませんでした。
例えば アジアには インドにアーユル・ヴェーダと言われる
全ては自然の中の一つの存在であり その流れの中に生きていると認識している哲学がありました。
中国も同様でした。中国の医学は 人間を自然と切り離して捉えたり
人間の身体を部分部分にバラバラに分けて捉えたりはしません。
日本でも 全ての存在は自然の中の一部分で だからこそ
宇宙 あるいは無限につながり かつ
全てのものには神性・仏性が宿っていると認識し ということは
全ては神の子であるからこそ 人間も神の子として神の道を歩むのが当然であるとする神道がありました。
アメリカ先住民や オセアニア先住民もまた
人間を含めて全ての存在は 自然の中の一部であり 自然の掟に従っていると認識していました。
 自然の掟とは 宇宙の法則の一部でもあります。
ですから 動植物の声を聞き 自然の声に耳を澄まし 宇宙の流れを体感し
そこに身を委ねるのを当然として生きてきました。
けれども ヨーロッパでは 今から五千年ほど前から
北ヨーロッパでは特にこの千年来キリスト教化されてからは違いました。
人々は 自然から 宇宙から 動植物から 人間を 自分を切り離しました。
切り離したということは 第六感を使わなくなった ということです。
あるいは 感覚を閉ざしたということです。
そういうヨーロッパの文化の中で
ごく僅かの人々が
謙虚に自然に耳を傾け 宇宙を体感しつつ生き
その人たちが創り出した芸術作品が
普遍性をもった 真実・真理に即したものとして
人々の心の奥に訴えかけ 人々の魂を揺さぶり続けてきました。
そもそも 人間は 何に感動するのでしょうか?
どうして 人間は感動するのでしょうか?
(これに関しては 別項《芸術の目的》の中の「人はなぜ感動するのか~魂の共鳴~感動は生命力の表れ」を御参照下さい。)
結局 人間は 普遍性をもった 宇宙の真実・真理に即したものに感動するのです。
普遍性をもった 宇宙の真実・真理に即したものこそが
人々の心の奥に訴えかけ 人々の魂を揺さぶるのです。
そしてその 普遍性をもった 宇宙の真実・真理に即したものとして
私たちが一番身近に感じ取れるのが
「生命」であり
つまり この宇宙の中で 「生命」が
その本当の姿で 本来の姿で=あるべき姿で存在している
その生命の煌きに 生命の輝きに触れた時 私たちは感動します。
(フランス印象派の画家たちが感じ取ろうとし 表現しようとしたのはこの感動です。)
あるいは ごく僅かの人々が感じ取っているのが
この地上で渦巻いている 様々なエネルギーを超えた 宇宙のエネルギーです。
宇宙そのもののエネルギーに触れた時 人は感動します。
地球の外に出た時 地上のエネルギー圏から外に出て 宇宙のエネルギーに触れた時に
人は その本来の居場所に帰ったように感じ 本来の在り方に帰ったように感じ
安心感・安堵感とも言える感動を実感します。
(宇宙飛行士や 臨死体験者が報告している感動がこれです。)

中世のヨーロッパでは
芸術家は すなわち聖職者でした。
修道士・修道女が芸術を創り出していました。
これは キリスト教社会において 芸術が
宗教芸術として キリスト教芸術として発展してきたことと関係しています。
宇宙の全ては 神が創造したものであり
その全てが本来は美しく創られた あるいは美しくあって欲しいと願って創られた
その神の創造物と 神の想いと 神の存在とを
その本来の姿で表現したいというのが
そもそもは 「美」を表現する芸術の始まりでした。
つまり そもそもは「美」を表現しようとしたのでは無く
「美」は 神の創造物と 神の想いと 神の存在とを
その本来の姿で表現しようとした結果として表現されたものとも言えます。
あるいは 宗教や神とは 目に見えるものではありません。
心の在り方を導くのが宗教です。
ですから 心の在り方という 目に見えないものを扱うのが宗教である以上
目に見える形で=物質的に表そうとしても 心の在り方のごく一部分しか表現出来ません。
そのために イスラム教も 初期のキリスト教も
偶像崇拝を禁じるという名目で
絵画や彫刻の形で 神やそれに付随するものを表そうとするのを禁じていました。
神そのものも 神の想いも 物質では表現出来ないからです。
心を導くのは 物質では無く 心だという立場でした。
これは 八世紀の聖ベネディクトのこの言葉に表れています。
「真実は物質的な塊の中に求めてはならない。」
けれども 目に見えないものを伝えるのは大変です。
抽象的なものを伝えるのは 容易ではありません。
従って 十一世紀になり キリスト教が全ヨーロッパに広まった頃から
沢山の人々にキリスト教を伝え 理解してもらい 信じてもらうためには
物質的な表現をもせざるを得ないのではないか というように考え方が変わってきました。
それは ゴチック発祥の地である パリ近郊の聖ドニ修道院に書かれているこの言葉が象徴しています。
「愚かなる心は 物質によって導かれ....」
これ以後 キリスト教においては
宗教芸術が公認されるようになりました。
そして 修道士・修道女たち聖職者が それら宗教芸術を創り出していくことになります。

けれども 先述したように
芸術のそもそもの目的 あるいは
人はなぜ感動するのか 何に感動するのか
ということを考えると
芸術と宗教 あるいは宗教心・信仰心といったものが
密接に結び付いているのは明白です。
なぜなら 本来目には見えないものごとを
物質的に視覚化して表現するのが美術だからです。
明白であるにもかかわらず 芸術の歴史の流れの中では
それが しばしば忘れられていた時代があったのを見出すことが出来ます。
あるいは それを自覚することなしに 作品を作り出していた人もまた
沢山いたことに気付きます。
いつの時代でも ある様式を創り出した人々には
大きなエネルギーがありました。
そのエネルギーによって それまでにあった様式を変え
それに取って代わる新たな様式を確立しました。
そのエネルギーとは 「何を」「どう」「何のために」表現したい という
強い意志であり 強い信念でした。
特に 新たな様式が それまであったものと大きく違っている
あるいは 反対の表現をしているような場合には 大きなエネルギーが注がれました。
それに対して ある様式が その前の様式の延長・発展・変化として出たものであれば
それは それ程に多くのエネルギーが注がれている訳ではありません。

私たちはすでにここまでで
ロマネスクから始めて ゴチック・ルネッサンス・バロック・ロココ・古典と
そして その後の幾つかの様式を見てきました。
そして これらの中で それぞれの様式がどの位
宗教と あるいは 目に見えないものと結び付いているかを
又は逆に 離れているのかも見てきました。
それぞれの様式が どれ位
人間の肉体と結び付いた表現をしているか
あるいは精神性を表現しているかを見てきました。
そして それぞれの様式が どれ位
個の表現であるか それとも普遍の表現であるかを見てきました。

さて ピカソが始めたといわれるキュービズムですが
それは一体何を表そうとしたものだったのでしょうか?
彼の 個人的な感情・視点・観念などを表そうとしたものだったのでしょうか?
残念なことに ピカソの表現やキュービズムを理解出来なかった
その当時の人々や 後の時代の人々が沢山いました。
特に ピカソの表現とキュービズムの本質を理解出来なかった 同時代の芸術家たちが
ピカソの表現を 個人的なもの 個人的な視点
あるいは 個人的な心象風景の表現 と捉えました。
そして 芸術とは その様な表現をするものだと思ってしまいました。
ひいては 作者個人の 好き嫌いの感情や コンプレックスなどを表すのが
芸術だと思うようになってしまいました。
けれども ピカソが表現したかったのは 全く違うことでした。
物質は 人間の目からは一度に一つの方向からしか見られませんが
けれどもその時見えていない面もまた同時に存在しています。
人間の心も その時表情に表れているのは一つの感情だけかもしれませんが
心の中には様々な思いが同時に存在しています。
これを 一枚の平面に描き表したのが キュービズムです。
ですから 物の本当の姿を 本質を表そうとしたものであり
決して 個人的な心象風景の表現でも 感情表現でもありません。
人間の目には 一度に一方向からしか見えないけれども
対象を その様に一度に多方向から見る目とは
これは 神の目です。
あるいは 非物質の世界での認識の仕方です。
これがまさに 臨死体験者の報告に共通して表れているものの見方です。
ものを同時に多方向から見ている/ものの中身を見ている/人の心の中が見える
という見え方です。
ですから ピカソが非物質の世界(「あの世」とも言い換えられますが)での
ものの見方をしていたということは
彼が この世においてそれを体験していたか
又は それを思い出していたかの どちらかだということになります。
これはまた 神の目 神の視点 とも言えますが
ですから ピカソは 特定の宗教としての表現では無く
神からのものの見方を平面に表現している訳です。

このような 「神の視点」は それ以前の様式では
ゴチック期の フランダースの写実主義絵画に表れています。
写実主義絵画において なぜ 画家は全てのものを
くっきりとはっきりと画面に描き表したのか
それは 全てのものは等しく 神の想いによって創られたものであり
全てのものは 等しく存在する価値があるということであり
神によって創られた全てのものは美しい ということを表現するためでした。
ただし この時期の絵では 多方向からの視点はありません。
あくまでも 一方向から=人間の目から見たものの見え方です。
つまり 「神はこう見ているのではないかな」という人間の捉え方の表現だということです。
このように ゴチック絵画には そこに
人間の心の方向性が表れています。
けれども キュービズムにおいては
それは 非物質の世界での認識の仕方を表したものですから
そこには 人間の身体の動き あるいは姿勢の方向性は表れません。
つまり 心の方向性も表れていません。

私たち 全ての生命は 宇宙の中に存在しています。
宇宙とは この世とあの世との全てを含むものです。
宇宙には 物質と非物質とを含む 様々なものが存在しています。
つまり 目に見えるものと 見えないものとがあります。
何かを目に見えるように表現する視覚芸術=美術が
「目に見える」というところにこだわってしまうのも理解出来ますが
しかし ものごとの本質を捉えようとした人々は
目に見えるものと 見えないものとを感じ取り
そして それを目に見えるように表現しようとしてきました。
私たちが何かの芸術作品に触れたときに感じ取っているものは
決して 美術作品の 色や形だけを見ている訳ではなく
音楽の 音の高低や強弱の変化 あるいはリズムを聴いているだけではなく
それら以外の何か つまり
目に見えない=非物質の=心 をも感じ取っています。
結局 芸術作品において表現されているものは
作者の「心」です。
音楽から聴いているのは 演奏者の「心」です。
認識能力の高い人=ものごとを多様に認識出来 深く認識出来る人の作り出した作品には
それらが自(おの)ずから表現されます。
ものごとの本質を見極めたいと思って 感覚を開き 研ぎ澄ましている人の作った作品には
ものの本質が表現されます。
ものごとに慈しみをもって接している人の演奏には
一つ一つの音からそれを感じます。

このように 芸術作品として表現されているものには
「心」が表れている訳ですが 同時に「気持ち」も表現されています。
「心」とは 精神であり意思・意志・観念・理念などを含んだものです。
それに対して「気持ち」とは 心の中の感情を主にした部分です。
様々な芸術様式の違いとは 結局は
「心」を表そうとしたのか それとも「気持ち」を表そうとしたのか
そのどちらを主に表現しようとしたのか
そのバランスが異なっているのが 様式の違いとなっているとも言えます。
「心」は 普遍に あの世に 無限に通じています。
「気持ち」は その時その場その人のものであり この世の肉体に 有限に結び付いています。
そのどちらを主に表現しようとしたのか
様式による違いも また芸術家個々による違いもありますが
「心」あるいは「気持ち」とは 動きと速度とを伴ったエネルギーであり
従って 方向性を持ったものであり
つまり 芸術作品や演奏には 「心」あるいは「気持ち」の表現として
そのエネルギーの方向が反映されている訳です。


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索引

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ロマン  /  印象  / アール・ヌーボー(別項 「アール・ヌーボーと音楽」 )/  キュービズム