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子育てについて

Ⅴ 生後13(15)ヶ月から3歳半まで

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 この時期は 一言で言うと「自立の始まり」の時期です。歩けるようになって 今までの「受動」から 自ら動き行動する「能動」へと変わり その「能動」が「自立」へと結び付いていく時期です。
 この時期は 同時に 言葉を話し始める時でもあります。
 この時期に特に気を付ける点は三つあります。
 ①子供は 親や身の周りの大人の真似をして行動します。ですから 子供に真似されたら困るようなことはしない 逆に子供にとって良い例となることだけをするようにします。
 ②これは言葉に関しても同じです。子供が将来どういう話し方をするようになるか どういう言葉遣いをするようになるかは この時期の親の話し方に大きく影響されます。そして 人間は言葉を使って思考しますから 子供が将来どういう物事の考え方をするようになるのかも この時期の親の話し方に関わっています。
 ③自立の始まりの時期ですから 決して 自立心が育っていくのを邪魔しないように・妨げないようにします。

子は親の鏡=子供の育ち方は親の観念・行動の反映・・・目で見てまねをする・覚える

 「子は親の鏡」という言い方が昔からされていますが これは全く本当のことです。100%本当のことです。子供は歩けるようになり 行動力が育っていくこの時期に まず目の前に居る親のしている行為を見て その真似をし それを繰り返して覚え身に付けていきます。もしかしたら 身の周りに居る動物の真似をすることもあるかもしれません。しかし基本的には 親の真似をします。
 これは 行動に関しても 言葉に関しても同じです。また 親の行動を目で見て真似るだけではなく 目には見えない親の心の中の観念もまた子供に影響を与えていきます。なぜならば 第一に 言動(=言葉と行為と)は 必ずその人の心の中の観念(=考え方・思い込み・信念・認識の仕方・好き嫌いなど)の現われだからです。第二に 人は言葉を発しなくても 無意識のうちに雰囲気などで物事を感じ取っているからです。第三に 家の中の在り方(=整理されているか乱雑か・どんなものが置いてあるか・どんな色が使われているかなど)は 親の観念によって作られているものであり その中で育つということは 親の観念の中で育つということだからです。
 そしてもう一つ 「三つ子の魂百まで」という諺もあります。これもまた100%正しいものです。三歳までに身に付けたことは一生続くということですが 生後三歳半までに体験したことは 全て大人になってからもその人の考え方や行動に大きな影響を与え続けます。
 このことは 最近の西洋医学でも「Traumaトラウマ」という言葉で認知されています。しかし 一般にはトラウマと言う場合には 大人になってから何かネガティブなことが起きたときに その原因を幼少期の体験に求めるということのようですが 実際にはネガティブなことだけではなくて ポジティブなこともまた 三歳半までに経験したことはその後に人生において 行動や考え方 そして自覚していない「癖」までに大きな影響を与えています。
 ですから この時期にはそれを充分に踏まえたうえで子供に接することになります。そして その根底となるのが「楽しい」「嬉しい」「きれい」「美味しい」といったポジティブな感覚です。

 ☆子供に真似をして欲しく無いこと 真似をして欲しく無い言葉使いはしない。
 ☆いつでも きちんとした大人の言葉で話しかける。(いわゆる「幼児語」=ハイハイ・たっち・おてて・あんよ などを使わない)
 ☆子供の速度で話す。親の速度で話しても子供にはその内容は伝わりません。親が自分の速度で話すのは 親の都合で話しているのですから 子供が受け取るのは 親が「訳の分からないことを言っている」「親の都合を押し付けている」そして「親のその時の気分」のいずれかです。
 ☆感覚を共有しあって話す。(「美味しいね」「きれいだね」「楽しいね」「嬉しいね」など)
 ☆教えない。子供は親の行為の真似をして育ちます。はじめの内は行動力が発達していませんから 不器用です。言葉もきちんとは話せません。しかし決して「こうだよ」「こうするんだよ」というように教えません。教えるのは押し付けです。教える(おしえる)=「押し付ける(おしつける)」+「抑える(おさえる)」です。目の前に正しいものがあれば自然とその真似をします。いつかきちんと真似をするようになります。しかし教えれば それは押し付けですから 子供の心はへこみます。ましてや「違っているよ」などとは決して言わないようにします。子供にとっては否定されることは大変な恐怖です。子供にとっては行為を否定されることは 存在そのものを否定されているのと同じです。
 ☆禁止しない。子供にできそうも無いからと禁止するのも子供の心を壊します。もしも子供の心が何かを「したい」方向に動いていたら それを禁止するのは走っている自動車の前に何かを置くのと同じです。当然壊れます。子供の心も同様に壊れます。
 とても子供にはできそうも無いことをしたがった場合には ①危険でないことであれば やらせてみてできないことを自覚させ「もっと大きくなってからやってみようね」といえば納得します。②一緒にできることであれば 一緒にやります。この場合には「お父さん(お母さん)と一緒にやってくれる?」とお願いします。③もしも危ないことをしたがった場合(刃物を使うなど)には 「これは指とかに当たったらとても痛いからもっと大きくなってからしようね」と納得させます。かならず「きちんと」話します。
親がいつでも「きちんと」話していれば 子供も「きちんと」理解するようになります。つまり「言うことをきかない子供」は 親がきちんと話しかけていない子供ということになります。

話し始めの時期

 この時期は 子供が言葉を話し始める時期です。はじめは一つの単語ずつですが やがて幾つかの単語を並べた「文」を言えるようになります。単語もはじめは 全ての音を言える訳ではなく 単語の中の一つの音だけを言うことが多いようです。二音節でも同音の繰り返しの場合(「パパ」「ママ」など)には早くから言えるようになりますが 概ね二音節の単語では言葉の後の方の音を 三音節以上の単語では初めの音を言えるようになるようです。
 しかし この時期に話し始めるからといって この時期に言葉を覚える訳ではありません。この時期までに耳にしていた言葉を話せるようになる・発音できるようになるということです。ですから この時期にきちんとした言葉を親が話すのではもう遅すぎます。受胎した時からきちんとした言葉で話しかけていれば この時期になって子供ははじめからきちんと話すようになります。
 言葉に関しては ①子供は親の話し方を真似る ②親が話している言語・語彙以外は学ばない ③思考力の基礎は言語 の三つがポイントになります。
 
①子供は親の話し方を真似る・・・親が何であれきちんとした話し方をしていれば 子供も自然ときちんとした話し方をするようになりますし 人の言うことをきちんと聞くようになります。親が丁寧な話し方をしていれば 子供も自然と丁寧な話し方をするようになります。しかし 親が乱暴な話し方をしていれば 子供も自然とその様な話し方をするようになります。
 特に 家庭の中では「くだけた」話し方をすることも多いかもしれません。家の外での他人との話し方と 家の中での家族の間での話し方とが違っているのが一般的かも知れません。しかし子供には「家の中」「家の外」という区別はありません。いつ丁寧な話し方をして いつくだけた話し方をするのかは区別できません。ですからまずは「きちんとした話し方」が基本となります。肉の塊をひき肉にすることはできますが ひき肉を肉の塊にすることはできません。きちんとした表現がまずあって くだけた表現はその後でのものです。くだけた表現をまず覚えてしまってから きちんとした言い方を新たに身に付けるよりも その逆の方がずっと簡単です。
 どういう言い方が「くだけた」表現なのかは どういう言い方が「きちんとした」表現なのかは 基準が人それぞれです。それぞれではありますが とりあえずは親が「丁寧な」「きちんとした」言い方を心がけることが 言葉を話し始める時期の子供にとっては大切な環境になります。

 また 自覚していない表現として 実は何かを押し付けたり 強制したりしていることがあります。「~ですよ」というのは押し付けです。ですから「~なんですって」という言い方にします。「~してごらん」も押し付けです。「~しなさい」は強制です。ですから「~してみようか」という言い方にします。つまり 子供と親とは一体であって 親対子供という関係では無いということを常々自覚しつつ話しかけるということです。このような押し付けや強制の表現を聞かされて育った子供は 大きくなってから他人に対してその様な言い方をするのが当たり前の人間になってしまいます。

②親が話している言語・語彙以外は学ばない・・・育つにつれて子供が口にする言葉も増えていきます。しかし 耳にしたことの無い言葉を言えるようになることはありません。
そして
③思考力の基礎は言語・・・人間はその思考のほとんどを言葉を使ってしています。ですから 沢山の語彙を知っている方が いろいろな表現を知っている方が 繊細な緻密な思考ができるようになります。ですから なるべく小さいうちから 親がきちんといろいろな表現をするように心掛けます。特に(五感が捉える)感覚に関する言葉をいろいろな表現をするようにします。
触覚(「硬い」「柔らかい」「ツルツル」「すべすべ」「ザラザラ」「ヌルヌル」など)
味覚(「甘い」「辛い」「しょっぱい」「すっぱい」「美味しい」など)
嗅覚(「甘い匂い」「すっぱい匂い」「焦げた匂い」など)
聴覚(「柔らかい音」「硬い音」「きれいな音」「澄んだ音」「濁った音」「重い音」「軽い音」「高い音」「低い音」など)
視覚(いろいろな色の名前・図形の名前・明暗「明るい」「暗い」・空間「遠い」「近い」「広い」「狭い」「高い」「低い」など)

 細やかな表現をすることによって 子供は情感豊かな子供に育ちます。実際には情感豊かな子供に育つのではなくて もともとあった豊かな情感を言葉で表現できるようになることによって それを感じる能力が損なわれないということなのですが。全ての才能は もともと子供の中に有るものです。それが引き出させるのを待っています。感性も才能も育っていくものではありません。引き出されるものです。いかに壊されずに損なわれずに引き出されるかです。

 語彙が豊かになれば 思考力も豊かになります。表現力も豊かになります。理解力も豊かになります。ですから 豊かな語彙は 能力の発揮に欠かせないものです。
 そして もう一つ大切な点は 親が何をどう話すかはすなわち親の思考力・理解力・判断力・感性といったものの表現ですから それらを子供は家庭の中で受け取りつつ育っているということです。親の思考力・理解力・判断力・感性という空気の中で子供は育っていきます。その基となるのが言葉での表現だということになります。


 繰り返しになりますが 子供がきちんと単語や文章を言えなくても 決してそれを「違っているよ」と言ったり 「こうですよ」と言ったりして正さないようにします。そうすると 子供の心には歪みが生じます。親が正しく話していれば 子供もいつかきちんと話せるようになるにもかかわらず 子供の心を歪ませる必要はありません。そういう押し付けは「親の都合」であり 親のエゴです。子供が 感じていることをきちんと話せるようになるのは七歳を過ぎてからです。それまで気長に自然ときちんと話せるようになっていくのを見守りましょう。

字を読む

 言葉を話せるようになったらば 今度は字が読めるようになったら良いな と思うかもしれません。子供自身も 一人で本が読めたらば嬉しいかもしれません。
 子供の識字教育については 石井勲さんの本が参考になります。子供にとっては ひらがなカタカナから字を覚え始めるよりも 漢字からはじめる方が簡単だという 理論ではなく実践としての方法論についての本を出されています。単なる表音記号であるかな文字よりも 表意文字である漢字の方が子供にとって理解し記憶しやすいものだということです。
 ルドルフ・シュタイナーは 識字教育は遅い方が良いとして 6歳になってからを薦めています。しかしこれは 欧米のアルファベットが表意文字では無く かつ母音だけが表音文字であって ほとんどは音も意味も表わさない一字ずつ独立した子音であることからきていると思われます。
 実際に 子供は漢字をかなよりも簡単に覚えます。しかし ほとんどの子供向けの本は かなだけで書かれています。ですから そういう本は漢字かな混じり文に書き換える必要があります。
 字も 教えずに 一緒に読みます。目の前に漢字を置いて 一緒に読みます。文章からはじめても良いですが 漢字カードを作って使うのも効率的です。6cm×6cmくらいの厚紙に漢字を一文字ずつ書きます。これを順に見せていって一緒に読みます。

歩ける=自分で移動・行動できる=自立の始まり

子供の手で完成させる

 子供は 歩けるようになり 自らの意志で行動できるようになっていきます。これは 自立の始まりと言うことです。子供がしたがっていることは なるべくさせてあげるようにするのが大切ですが これは そのままさせてあげるということではありません。子供はまだ不器用で 必ずしもものごとを思ったとおりにできる訳ではありません。しかし だからと言って ものごとを不完全に終わらせてしまうのが良い訳ではありません。
 子供が何かしたがったらば 必ず子供にさせるようにしますが なるべく子供の気付かないように手助けしてものごとを完成させるようにします。子供がやり始めてある程度のところで満足したときにそっと手助けするか ものごとのはじめと終わりとを子供自身の手でするようにし 間のところをそっと手助けしたりすることによって 子供はあたかも自分でやったかのように満足します。この満足感が 大きくなってからもものごとを完成させる喜びを知った創造性のある人間にと育てることになります。



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