〔大地のぬくもり〕
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ここに掲載した文章は
曲集〔 大地のぬくもり 〕の映像作品において
音楽に添えられたものです。
曲の長さや フレーズの展開に合わせて文章を書いていますので
文としての形が整ってるわけではありません。
【潤す大地】 |
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《魂のとどまる処》
私たち この地上に存在している全てのものは《生命》です
存在している全てのもの
ありとあらゆるものが《生命》です
その《生命》とは
この地上だけではなく
宇宙の ありとあらゆる場所に存在しています
夜空に光る星たちも《生命》です
それらの星には たくさんの生命が存在しています
けれども 《生命》という存在は
目に見えるものだけではありません
私たちの《生命》の本質は
身体ではなく 心でもなく
不可視の《生命エネルギー体》なのです
その《魂》と言われる《生命エネルギー体》は
非物質であり 目には見えません
ですから どこにそれがいるのか
私たちは 全く気付かずに生きているのです
しかし 《魂》は そこここに存在しています
身の周りの どこにでも存在しています
左を振り向けは すぐそこに
右を振り向いても すぐそこに
私たちは 遍在する魂たちに
取り囲まれて存在しているのです
そこここに魂たちは存在して
私たちを見守っています
私たちの この地上での肉体に宿った生を
見守っているのです
それら不可視の魂とは
「天使」や「精霊」と言われる存在であったり
あるいはまた 「幽霊」や「生霊」などと言われる存在でした
つまり 死後の精魂が存在するのは
「あの世」ではあっても
私たちのいる「この世」と
かけ離れた場所では無いのです
まさに この場に 様々な魂たちが
存在しているのです
つまり 私たちは 目に見える/見えないに関わらず
たくさんの魂たちと共存しているのです
そして 不可視の存在たちの中でも
「天使」や「精霊」と言われる存在たちは
私たちの生を見守り 導き 助けようと
その愛の思いを 私たちへと送り続けているのです
今居るこの場こそが《魂がとどまる処》
心を静めて耳を澄ませば
それらの存在からの声を聞くことができるのです
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《山の寺院》
山の寺院 そこは人の魂の安らぐところ
肉体を持って生きている生命も
肉体を持たずに生きている生命も
「この世」と「あの世」の魂たちの安らぐところ
煩悩を解き放つ鐘の音が鳴り渡り
どの魂もが この世のしがらみから離れ
天界の光に満たされるところ
山の寺院で 私たちの魂は
この世の重力から開放されて
軽やかに飛び回る
人間だけではなく
動植物も どの魂もが
この世の決まりごとに縛られること無く
自由に飛び回る
この地球で この宇宙で 地球人類だけが作り出した
たくさんの檻から魂を開放する
もう 何にも縛られること無く・・・
解き放たれた魂は
安らぎと静けさの中に憩う
自由に 豊かに 伸び伸びと
歓びの中に生きる
思い出してごらん 子供の頃のことを
思い出してごらん 生まれた時のことを
何の憂いも 何のこだわりも無かった
あの頃のことを
思い出してごらん 生まれる前のことを・・・
山の寺院
この世の高みで
天に近い場所で
魂は憩う
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《内在する光》
私たちは 光の存在です私たちの魂は 光そのものです
私たちという存在の本質である《魂》
すなわち生命エネルギー体とは
《光》なのです
私たちは 光を内在させている存在なのです
光の輝かしさと 清らかさ
光の軽やかさと 優しさ
光の柔らかさと 安らぎ
その 光そのものとして存在することを
自分自身に許してあげて下さい
私たちは この宇宙に遍在する《愛》
遍在する《光》の一部なのです
宇宙が存在しているから 私たちが存在し
私たちが存在しているから 宇宙が存在しているのです
私たちに内在する光
私たちは その光そのものの存在なのです
そして その光に導かれて
この世での生を歩んでいるのです
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《そこは知らない国》
行ったことのない国のはずなのに なぜか心を惹かれる見たことのないはずの国なのに なぜか憧れる
遠いはずの国なのに いつでも心の中にある
私たちの魂の故郷は「宇宙」
その宇宙にいつでも 私たちは
無意識のうちに心を惹かれている
心落ち着くところ
心和むところ
ここが温まるところ
美しさと 清らかさ
素晴しさと 安らかさとに満たされ
光輝いて感じられる
私たちの魂の故郷
見知らぬ国への憧れ
それは すなわち
心の故郷《宇宙》への憧れ
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《草原を照らす月》
夜の地上を照らす月と 幾千万の星々
あれらの光は すなわち
魂の光
この地上にかつて生き
そして去って行った魂たち
それらの魂が 光り輝くことによって
地上の私たちを見守ってくれている
ひときわ大きく たくさんの光を送る月は
この地上で たくさんの人々に心慕われた
清らかな魂たちの光
その光は 私たちを見守り
地上だけでは無く
私たちの心をも 照らし続けてくれている
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《あの世で語り合う夢》
この世での 短い生の後あの世で夢を語り合う 二人の娘
若くして終えた この世の人生
この世での 辛く 苦しかった思いも
あの世では 全て過去のもの
あの世に戻ってみれば
この世での体験の意味が分かり 納得できる
私たちは 何のために生まれたのか
何をするために生まれたのかを思い出し
そして 自らの生と
自分たちに関わった全ての人々の生とを 祝福できる
だからこそ 笑顔を美しく輝かせて語り合う
二人の娘
苦しいこともあったけれど
辛いこともあったけれど
でも・・・
この世に生まれてきて 良かった
たとえ 短い人生でも
その人生を生ききり
私たちと関わった人々の心に
何かを残すことができた
誰でもが 生まれる時に
心の中に宝物箱を持っている
今 天国へ帰って
その宝物箱に入れられた宝物を
一つひとつ はっきりと見ることができる
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《大地のぬくもり》
宇宙は 私たちの棲家その宇宙の中で
この地球が 私たちの揺り籠
大地という布団の上で
私たちはぬくもりを感じる
裸足で大地に立つ
ぬくもりが伝わってくる
精気が伝わってくる
足の裏から吸い上げられた 大地の精気は
身体の中を昇り
頭頂から空へと抜けていく
目を閉じて 耳を澄ませば
聞こえてくる・・・
空のささやきが
静かに 深く息を吸い込めば
伝わってくる
大地の息吹が
大地のぬくもり
陽光をたっぷりと浴びた大地は
豊かな滋養を私たちへともたらす
生命の恵み
たくさんの生命が育まれる
慈愛に満ち満ちた大地
空を見上げれば それは掛け布団
柔らかなその掛け布団は
私たちを 優しくくるんでくれる
大地と空にくるまれた私たちは
生命を育む宇宙の豊かさを 宇宙の慈愛を
全身全霊で受け取る
大地のぬくもり
それは 宇宙の慈愛
私たちもまた
その慈愛として
優しさの中に生きていく
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《三途の川原》
「三途の川」 それは私たちの誰もがいつか迎える
この世での人生の終わりである「死」の後に渡る川です
私たちの生命「魂」は 永遠に行き続けます
この世での人生終えた私たちの魂が
あの世へと渡っていく
その境目にあるのが 三途の川です
「三途」とは 三つの方向を意味しています
「天国」と「地獄」 そしてその間の「中有界」です
そのどこに行くかが
三途の川を渡ったときに決められるのです
身体から抜け出した魂は
光のトンネルを通り
三途の川へと着きます
その三途の川を 渡し舟に乗って渡ると
あの世の入り口なのです
死んだ人は
この三途の川に この世での執着を捨てていきます
捨てなければ 天国へ入れないからです
天国は 清らかな 光だけの世界ですから
三途の川で執着を捨て 心を清めなければ 入れないのです
死んだ人は
三途の川原を歩きながら
これまでの人生を 振り返ります
素晴しい人生 美しい人生を生きたかどうかを 振り返ります
しかし この川原を歩きながら
周りの景色がどう見えるかで
その人が 天国に行くのか
地獄に行くのかは分かります
天国に行ける人 つまり
心清らかに生きた人には
周りの景色は美しく見え
地獄に落ちる人 すなわち
他人を害したり
欲にまみれて生きた人には
殺伐とした景色に見えるのです
川の渡し守の姿も同様に
天国に行く人には 美しい姿に
地獄に行く人には 恐ろしい姿に見えるのです
人生を振り返り
執着を捨てながら歩く
三途の川原
私たちは 三途の川腹を歩きながら
何を思うのでしょうか・・・
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《天国の門》
「死」を経て私たちは「あの世」へと移行する
「この世」から離れると
そこは 素晴しい場所
何もかもが美しく 輝いている
見渡す限りの野原
暖かな 安らぎに満ちた光が溢れ
そこにある全てのものが
生き活きとしている
穏やかで 平安
柔らかで 清らか
永遠の至福を感じさせる空気で覆われている
やがて 私たちは
「この世」での人生を回顧する
揺り籠の中で 安心しきって眠っていた
生まれたばかりの あの頃
暖かな光に包まれ
穏やかな安らぎに満ちていた あの頃
天真爛漫に遊んでいた 幼かった頃
何の囚われも 憂いごとも無く
自由に あるがままに生きていた あの頃
成長するにつれて
だんだんと「天国」が遠のいていった
世の中の いろんなことを知り
いろんな人と関わり合い
だんだんと「この世が当たり前」と思い
「本当の当たり前」を忘れていく・・・
いろんな人との触れ合いで
あの世でと同じように 愛を分かち合えただろうか?
お互いを 光り輝かすことができただろうか?
「この世」に何のために生まれ
何のために生きているか
忘れなかっただろうか?
穏やかな光に包まれ
心静かに回想する
生まれる前に立てた この世での人生計画は
全うできただろうか?
天命を全うすることはできただろうか?
地球のために
この地球上の全ての生命のために
貢献できただろうか?
そして
天国の門が開く
天国の門を通れば
そこは 光だけの世界
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《確かな道》
確かな道それは すなわち
悟りへの道であり
私たちを本来の世界へと導く
覚醒の道
確かな道
それは すなわち
あるがままに生きる道であり
迷いの無い道
私たちは これまで
何に迷っていたのでしょうか?
なぜ 私たちは
確かな道を歩むことが できなかったのでしょうか?
今 覚醒への鐘が鳴り
私たちは目を覚ます
なぜ これまで
目の前に こんなに確かな道があることに
気付けなかったのでしょうか?
それは 私たちの「エゴ」が
目の前を見えなくしていたから
心の力を抜けば 確かな道が見えてくる
心が 固く握り締めていたものを
今こそ開放せよと 覚醒の鐘が鳴る
目を覚ました私たちの心は
ワクワクした道を歩み始める
覚醒の鐘の音に
目を覚ました私たちは
迷いの無い道へと 真っ直ぐに進んで行く
心を静めて
その心の奥の思いに 良く目を凝らせば
確かな道は 目の前に見えてくる
私たちが 一歩一歩進むべき道が
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