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芸術様式の始まりとその変遷

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この世=時空間の世界では 全ての物事に「始まり」と「終わり」とがあります。
芸術様式にもまた「始まり」と「終わり」とがあります。
芸術様式というものは どうやって始まり どうやって終わるのでしょうか?
全ての物事は この世=時空間の世界において 時間の流れに乗っていて
それは 「起承転結」の四つの過程を経ます。
起=始まり 承=発展 転=転換 結=終わり という過程です。
芸術様式もまた 起承転結の過程を経ます。
芸術様式は 大抵は 少数の人によって始められ
それが多数の人々によって発展し
そして他の芸術様式に取って代わられて終わりとなります。

1)芸術様式の始まり
 
芸術様式は ある個人か 少数の共通した理念や意識を持った人たちによって始められます。
もっとも 始めた人たちは 「芸術様式を始める」という意識は持っていかもしれません。
後から振り返ってみると その人たちが始めたものが発展して
一つの芸術様式として名付けられたのです。
そしてそれらは たまたま始められたものではありません。
物事の始めには「想念=アイデア」というものがあります。
「どういうものを創り出したい」という。
そしてそれには 「なぜそれを創り出したいのか」という理由があります。

ですから芸術様式の始まりは
ある個人か あるいは少数の共通した理念や意識を持った人たちの
「何を=創り出したいのか=何を表現したいのか=何を伝達したいのか」
「そのためにはどういう表現をしたら良いのか」
という理念=アイデアです。

この理念が 確固たるものであれば それはその後周りに波及していって
ひとつの芸術様式にまで発展していきます。
しかし 確固たるものではなかった場合には 単なる個人の思いつきということで終わります。
つまり 「何を=創り出したいのか=何を表現したいのか=何を伝達したいのか」
「そのためにはどういう表現をしたら良いのか」
という理念が強ければ強いほど 明確であればあるほど
大きな影響力を持った芸術様式になるということです。

ですので 芸術様式の始まりとは
「何を=創り出したいのか=何を表現したいのか=何を伝達したいのか」
「そのためにはどういう表現をしたら良いのか」
という理念です。

しかし 理念だけではそれは現実化しません。具現化しません。
理念を形として表現するためには 作る作業を実行しなければなりません。
そのためには 技術というものが必要になります。
頭の中で思い描いたものを どうやって現実化するか という技術です。
その技術には 知識や知恵が不可欠です。
(それらは「経験」という曖昧な言い方をされたりもします。)

ですから 芸術様式の始まりとは
理念+技術(知識+知恵+実行力)です。

そして その理念の崇高さ・強さ・明確さと 技術の高さとが
その人(たち)の始めたものが 周りに波及し
その時代の文化 すなわち時代そのものをも支配するほどの影響力を持つようになるのです。


2)芸術様式の変遷

ある個人 あるいは 少数の共通した理念や意識を持った人たちによって
ひとつのスタイルが生み出されます。
(正確には その人たちが生み出したものが ある「スタイル」だと認識されます。)

【例えば 15世紀初めのフランダース地方で
少数の画家たちが 油絵の具を使うようになりました。
そして その油絵の具を使って それまでには無かったような表現をするようになりました。
そして それを 他の画家たちも真似したり 取り入れたりするようになります。】

つまり 誰かが生み出したものが 周りに波及していくということです。
多数の人たちが それを取り入れたり 模倣したりすることによって
初めは少数の人々が始めたものが より発展していく可能性があります。
つまり そもそもの理念がより明確になっていく可能性があり
そして もっと技術的に高度なものになっていく可能性があります。

【例えば ロベール・カンピンが油絵の具を使い始めた人ではないかと推定されていますが
それを取り入れたロヒール・ファン・デル・ウェイデンやファン・エイク兄弟によって
油絵の具を使って何を表現したいのかがより明確になり そして
油絵の具を使って表現する技術が最高度に磨き上げられ発揮されました。】

しかし 必ずしもそのように発展するわけではありません。
なぜならば 他人が始めた物事を取り入れても
単に模倣にしかならないかもしれないからです。
始めた人と同じ あるいはそれ以上に強く明確な理念が持てなければ
それは模倣にしかなりません。
そして 始めた人と同等かそれ以上の技術を持てなければ
やはり模倣にしかなりません。
誰もが同じような悟りの高さにあり
(理念の崇高さ・強さ・明確さは その人の悟りの高さによります)
同じような技術を持っているわけではないのです。

多数の人たちが取り入れることによって 当人は取り入れているつもりであっても
実際には模倣にしかなっていない それも質の悪い模倣にしかなっていない
という場合も多くなります。
つまり「流行だから」と取り入れる=真似をする人が多くなると
そこにある理念は「真似をする」というものなのですから
そもそもの理念とは遠ざかっていて
それによって質が落ちるということです。


そこから芸術様式の衰退が始まります。
そもそも何を表現しようとしたのか という理念が曖昧になり
どうやって表現するのかの技術が低くなり
生み出されるものの質が堕ちていきます。

ですから ひとつの芸術様式の変遷というのは 「発展」と「衰退」とがあるわけです。
芸術様式の流れを起承転結で言うと
起=始まり 承=発展 転=衰退 結=終焉 となります。


3)芸術様式の終焉

確固たる理念が失われ そして高度な技術も発揮されなくなると
生み出される作品の質は堕ちます。
そうすると 新たな様式が生まれます。
つまり「こういうことを伝えよう」 そのためには「こういう表現をしよう」
という 新たな明確な理念が誰かから出てくるのです。
そしてそれがひとつの様式となると それ以前の質の落ちてしまった様式は
淘汰され終わりとなります。


4)芸術様式の本質

このようは芸術様式の起承転結は 基本的には全ての芸術様式に当てはまります。
(アール・ヌーボーのように 戦争が始まったことによって終わった様式もありますけれども。)

新たなものを生み出す「創造」のエネルギーというものは とても大きなものです。
模倣とは桁違いの大きなエネルギーなのです。
個人の単なる思い付きで芸術様式が始まるわけではありません。
「何を=創り出したい=何を表現したい=何を伝達したい」
そのためには「どういう表現をしたい」という
その理念がとても強くしっかりとした(=エネルギーが強い)ものであればこそ
数十年あるいは数百年も続く時代様式となりえるのです。

しかし それが 一旦は発展しながらも 結局は衰退していく
その理由が 理念が希薄になってしまうからなのですから
芸術様式の本質というものは すなわち
「何を表現し 何を伝えたいのか」そしてそのためには「どういう表現をしたいのか」という
「理念」である ということが分かります。

ということは 私たちが個々の芸術作品に触れたり あるいは芸術様式に触れたりしたときに
その理念というものを感じ取れるか 読み取れるか 受け止められるか
ということがとても重要になります。
私たちが受け取らなかったらば それは 伝達にはならないのですから。


(2017年11月10日)



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