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植民地 日本

《新しい地球へようこそ》 → 《歴史から学ぶ》


目次
 1) アメリカによる 日本植民地化
 2) なぜ 日本は世界で一番長く続いている国なのか
 3) 日本と欧米との違い(生活様式)
 4)日本と欧米との違い(宗教)
 5)日本と欧米との違いの理由
 6)狩猟民族と 農耕民族
 7)失われた精神世界
 8)宇宙に即した文化・文明
 9)有色人種対白色人種
 10)大和魂とは


70年ほど前の 大東亜戦争終結以後
日本はアメリカに占領され その後主権を回復はしたものの
世の中のいろいろな面において 戦前とは違ってきました。

その違いとは 一体何が原因なのでしょうか?
何が理由なのでしょうか?
敗戦国となったために それまでの日本は何でも悪かった とされたことでしょうか?
それとも 戦後の急激な経済成長によるものなのでしょうか?

このページでは
「植民地 日本」と題して
日本という国が戦後 いかに植民地化されていったのかを
その本質的な面から明かしていきます。



1) アメリカによる 日本植民地化

戦後70年たって
戦前戦中を知っている世代がだんだんと少なくなってきましたが
そういう中で この数年来
「昔の日本は良かった」
「今の日本の世の中は どうしてこんな風になってしまったのだろう」
「明治維新の志士たちは偉大だった」
「大東亜戦争とは何だったのだろう」
「大和魂・大和の心とは 何だろう」
等々
以前の日本の あるいは日本の古来の文化に
目を向ける人たちもまた 増えてきました。
そして そういった人々が
「過去を知らない 今の世代」に向けて
様々な情報を発信するようになりました。

特にそれは
「大東亜戦争とは何だったのか?」
「日本人は何のために戦ったのか?」
「東京裁判の正当性は?」
「戦後のアメリカの統治は 何を目的にしていたのか?」
等々
戦争とその後に注目したものも多いようです、

それらはすなわち
「今の日本は何かおかしい」
「最近の日本人は もう日本人とは言えない」
「どうしてこんな世の中になってしまったのだろう?」
「日本はこの先 大丈夫なのだろうか?」
というような
危惧から来ているようにも見受けられます。

つまり 日本の世の中は
戦前と戦後とでは 大きく変わってしまったのです。
そして その変化とは 決して良いことばかりではなかったということなのです。
では それらの違いは どういうところで そして何が原因で起きたのでしょうか?

(出来れば この先を読み進まれる前に
「日本固有の文化・文明とは何か」をお読み下さると
以下を理解し易くなるかと思います。)

戦後の日本の変化というものは
実は大東亜戦争の後で始まったものではありません。
それは 黒船来航から明治維新へ
そして「殖産興業」「富国強兵」を掛け声にした明治時代から
大正時代を経て昭和に入るまで つまり
戦前からもずっと続いていたものです。

鎖国を解いた日本には 外国からの情報が 大量に流れ込むようになりました。
情報だけではありません。
もの(物質)も 文化も です。
しかし それ来場に開国によって変わったのは 
それまでの日本は 「和の国」として
調和を重んじ 協調し 争わない文化の国だったのが
(そしてだからこそ 鎖国をし国内で自給自足の生活を出来たのですけれども)
「弱肉強食」を当たり前とする すなわち「暴力至上主義」の諸外国の圧力によって開国し
世界の主流であった欧米諸国の「弱肉強食社会」へと引きずり込まれていきました。
これが 日本の国が始まって以来の大きな出来事だったのです。
(それ以前に 漢字が入ってきた頃にも同じようなことが起きてはいますけれども。)

欧米諸国は 白色人種の国です。
白人たちは「白人至上主義」でした。
より正確な表現をすると「白人だけが人間だ」と思っていました。
有色人種は 人間ではないのです。人間と猿との間の存在なのです。
ですから 白色人種と有色人種が 対等でありえるわけが無いのです。
有色人種は 全ての点で 白色人種よりも劣っていなければならないのです。

ですから 白人たちは 有色人種たちを捕獲して奴隷として働かせました。
有色人種の住んでいた土地を武力で占領して 植民地にしました。
牛に農作業をさせたり 馬に馬車を牽かせたりするのと同じなのです。
有色人種は人間ではありませんから 他の動物と同じように扱っても良いのです。

大航海時代の始まり以来 ヨーロッパ諸国は
アメリカ大陸・アジア各地・アフリカ大陸に植民地を持ち
そこの土地の人々から自由を奪い 奴隷として強制的に働かせました。
貿易は ものを買って仕入れて それを他の場所に運んで売りますけれども
植民地を持つと ものを買わなくても良いのです。
そこでただで手に入れることが出来るのですから。

20世紀の初めには
欧米のごく僅かな国々が 世界各地に植民地を持って統治していました。
そういう欧米諸国は 日本にも目をつけます。
伝説の「黄金の国」ですから。
日本をも植民地にしようとしたのです。
しかし 他の土地とは違って そう簡単にはいきませんでした。
基本的には 有色人種は自然と協調した生活を営んでいましたから
必要以上にものを得ようとはしませんでしたし
無駄に(あるいは無意味に)生命を殺すこともありませんでした。
ですので 戦うための武器もほとんど持っていませんでした。

それに対して 白人たちと中国人は
戦うことを当たり前としてきました。
ですので 強力な武器を持っていました。
そういう鉄砲や大砲などの武器を持った白人たちに対して
有色人種たちは 槍で戦いましたが しかし戦いになりません。
簡単に負けてしまいました。
そうやって植民地になったのです。
そして 有色人種たちは 「武力の強い白人には勝てない」と諦めます。
しかし 日本人は 違った考え方をしました。
「白人が強いわけではなくて 彼らの武器が強いのだ」と認識したのです。
そこで 明治時代に軍隊を作り 兵士を訓練し 武器を作りました。
そして その富国強兵政策が 日清・日露の両大戦の勝利をもたらしたのです。

しかしそれは 欧米と中国にとっては 逆に脅威となりました。
白人よりも劣っている有色人種の日本が 白人の国ロシアに勝ってしまったのです。
あり得ないことが起きてしまったのです。
その上 第一次世界大戦の終わった後に設立された国際連盟で
日本は「世界の全ての民族の平等」を条項として入れることを提案しました。
欧米諸国にとってはとんでもないことです。
そんは日本を野放しにしておいたらば どうなるか分かりません。
日本まで戦いに行って 勝てる見込みはありませんから すぐには植民地には出来ません。
とにかく日本は強かったのです。
武士の国ですから。
日露戦争で ロシアが世界に誇る「世界最強のバルチック艦隊」を相手に
僅か30分で勝敗を決めてしまった
その日本を相手に おいそれとは戦いを挑めません。

そこで 日本の国力を弱める作戦に出ました。
資源の少ない日本は 諸外国からの輸入に頼っていましたが
それらが日本に入っていかないように制限をしたのです。
石油・ゴム・廃鉄などの日本への輸出を制限しました。

日本としては どうしてそういう「いじめ」にあうのかが分かりません。
「誰だって幸せに生きたいだろうに・・・」
どうして欧米人は争い合うのかが 和の国の日本人には分からなかったのです。


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2) なぜ 日本は世界で一番長く続いている国なのか

「世界で一番長く続いている国は?」と問うと
大抵の日本人は 「中国」「エジプト」などと答えます。
つまり 日本のことも外国のことも知らないのです。
「だって 中国四千年の歴史って言うじゃない」という声が聞こえてきます。
しかし 今の中国 すなわち中華人民共和国は 第二次世界大戦後に成立した国です。
まだ70年の歴史しか持っていません。
中国大陸は 時代によって国がどんどん変わっていきました。
すなわち 国が取って代わられました。
秦・漢・魏・蜀・呉・晋・隋・唐・宋・遼・金・元・明:清・中華民国 というように。
中国大陸では 三百年以上続いた国は無いのです。

つまり 「中国四千年の歴史」とは
ひとつの国の歴史ではなくて 「中国大陸」の歴史なのです。

エジプトも 昔から文明があり国がありました。
しかし その昔のエジプト帝国が今日まで続いているわけではありません。

世界で一番長く続いている国は
「日本」です。
西暦(キリスト暦)の2015年は 皇紀2675年です。
2675年続いていて
それだけの長さの歴史を持つ国です。
しかし これは「神武天皇が即位した(とされる)年」から数えてのことであって
それ以前に「国」が無かった証拠にはなりません。
本当は もっと長く続いている国なのです。

では どうして 日本はそれほど長く続いているのに
他の国は続いていないのでしょうか?


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3) 日本と欧米との違い(生活様式)

日本と欧米とでは いろいろな点で違っています。

日本人は着物を着ましたけれども 欧米人は洋服です。
着物は上下が分かれていませんけれども 大抵の洋服は上下が分かれています。
着物は帯で締めますけれども 洋服はボタンで留めます。
着物は 立ったままで着られますけれども
洋服は 足を服に通さないと着られません。
着物は 男女の違いがそれほどはありませんけれども
洋服ははっきりと違っています。
日本では靴は(ごく限られた時代の限られた人々しか)履きませんでしたが
洋装は靴です。

日本人は 米を主食とし 副菜として魚を食べました。
(ですので 炊いた米を「ご飯」と言いますし また
「さかな」とは「肴」のことであり 「魚」は「うお」です。
しかし 副菜として一般的なので「魚=うお」を「さかな」と読むようになりました。)
欧米では 麦と肉を主食としてきました。
日本人は乳製品は摂りませんでしたけれども
欧米は牛乳・バター・チーズなどの 乳製品の文化です。
日本人は 箸で食事をしますけれども
欧米人は ナイフとフォークとスプーンです。

日本人は 家の中では靴は脱いでいますけれども 欧米人は靴を履いたままです。
日本人は 床(畳)に座りますけれども 欧米人は椅子に腰掛けます。
日本の家は木で建てられていましたが ヨーロッパの家は石か煉瓦です。
日本の建物には廊下がありますけれども ヨーロッパの建物には廊下はありません。
(部屋から部屋へと通り抜けるようになっています。)
欧米では 家の扉に鍵を掛けますけれども 日本では扉に鍵を掛けませんでした。
ヨーロッパの都市は 城壁によって囲まれ 城門を通って出入りていましたけれども 
日本では町を取り囲む城壁も城門も作られませんでした。

衣・食・住のどれもが
日本と欧米とでは違っています。

あるいは
日本人は お辞儀をして挨拶しますけれども
欧米人は 握手をします。
欧米では 物を運ぶのに馬車を使っていましたけれども
日本では 馬車は使いませんでした。

そして そういう目に見える違いと共に大きかったのは
世の中の仕組みです。


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4)日本と欧米との違い(宗教)

欧米は キリスト教社会です。
日本は 神道・儒教・仏教の三つが共存していました。

キリスト教社会というのは
「人々がキリスト教を信じている社会」ということではありません。
キリスト教(カトリック)が 世の中を支配していたのです。
土地は 領主が治めています。
それぞれの地方領主は どこかの国に属しています。
国は 国王が治めています。
国が集まっているのが 帝国です。
(基本的には 国は単一民族であり 帝国は複数の民族になります)
帝国を治めているのは 皇帝です。
しかし その上にキリスト教(カトリック)があるのです。
それら全てを支配していたのがキリスト教なのです。
国王も皇帝も複数いましたが 更に上の存在は一人です。
それが「ローマ教皇(法王)」です。
皇帝や国王となり その土地を治める権利「王権」は
神から与えられるものです。
ローマ教皇が「神の代理人」として
皇帝や国王に「王権」を授けます。

日本は 神道・儒教・仏教の三つが共存してきましたけれども
それらのいずれもが 世の中を支配していたわけではありません。

征夷大将軍の称号は 天皇から授けられました。
ですから ヨーロッパでの「国」は 日本での(明治以前の)「国(藩)」
ヨーロッパでの「国王」は 日本での「大名」
ヨーロッパでの「帝国」は 日本全体
ヨーロッパの「皇帝」は 日本の「将軍」
そして ヨーロッパでの「教皇」は 日本での「天皇」
ということになります。

しかし 日本では 天皇が神の代理人として
世の中を支配していたのではありません。

キリスト教では 「全ての人は罪人(つみびと)である」とされています。
その罪をあがなうために 教会で懺悔(ざんげ)をし 教会に献金しなければなりません。
罪を背負った人類に 神から「罰」として 労働が課されました。
そして その「罰」としての労働の対価として得た中から
十分の一を教会に納めました。
誰もが「十分の一税」といわれる教会税を払わなければなりませんでした。
罪を犯した罰金としてです。

日本では 労働は「罰」なのでしょうか。
神社やお寺は 「税」として強制的に献金を集めたのでしょうか。

そして 日本では「寺子屋」という仕組みで
お寺や神社で 誰にでも無料で「読み書き算盤」を習う機会を与えていました。
しかし キリスト教社会では キリスト教(カトリック)が 人々に字を読むことを禁じていました。
一般大衆は 無学な愚民でなければいけないとされていたのです。
ですから 江戸時代の日本では六割から七割の人々は 字が読み書き出来ましたが
中世のヨーロッパでは 九割の人々が文盲でした。


このように 世の中の仕組みも
日本とヨーロッパとでは 大きく違っていました。


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5)日本と欧米との違いの理由

そういう 日本と欧米との違いは
一体 何が原因なのでしょうか?
何が理由なのでしょうか?
つまり日本と欧米とでは 何かが本質的に違っているのです。


欧米の文化・文明は この五千年来
「弱肉強食」を基本としてきたのです。
「強いものが弱いものから奪う」=略奪
「強いものが弱いものから搾取する」=植民地
「強いものが弱いものを強制的に働かせる」=奴隷
という弱肉強食であり それは
植民地を持ち 奴隷に働かせる ということなのです。
欧米は 「略奪」「植民地」「奴隷」という
強いものが弱いものから 暴力で奪い取るというやり方を
五千年間続けてきたのです。

略奪から財産を守るために 金持ちは家を石作りにしました。
略奪から町を守るために 城壁で囲みました。

それに対して
日本という国は そもそもは「大和の国」です。
(一般に「邪馬台国」と言われているものは 間違いです。
「大和国」を中国で 全くの当て字として書いたものです。
「卑弥呼」も同様です。
そもそもは女王「姫子」を中国で貶めるために書かれた当て字です。)
「やまと」を「大和」と書くのは
当て字だということがが分かります。
「大きい和」ということは 大調和です。
全てのものが調和している状態です。

では「やまと」という言葉は 何を表しているのでしょうか?
「や」は「弥」です。
「ますます」「もっともっと」「どんどん」「いよいよ」という意味です。
(三月のことを言う「弥生」というのは
春になって生命力がどんどん出てくる状態を表しています。)
「ま」は「真」です。
真ん中のことです。
「と」は「止」です。
止める 留めることです。
真ん中に止めるのは「まと=的」です。
ということは「やまと」という音の意味は
「エネルギーをどんどん真ん中に留める」ということです。
そして それを形として表したものが「日の丸」です。
日の丸は 白地に赤い丸ですが
丸=円は 調和の状態を表しています。
(音で言うと 調和の音は「お」です。
「お」はアルファベットでは「O」と書きますが
まさに形で調和を表しています。)
赤は 太陽と生命力とを象徴しています。

「生命力がどんどん集まって溜められ
全てのものが調和し合って発展していく」
それを 「やまと」という言葉と 日の丸とは表しています。

調和ということは 争いごとはありません。
暴力も 略奪も 搾取もありません。

世界各地で発掘される遺跡の中で
日本の遺跡というのは 特殊です。
日本以外の土地の遺跡では 見つかるのが当たり前なのに
日本の遺跡からは 今までに一つとして見つかったことが無いものがあります。
それは「人を殺す道具=武器」です。
縄文の遺跡からも 弥生の遺跡からも見つかっていません。
人を殺す武器が無いということは
大きな動物を殺す道具も無かったということです。
兎程度の大きさの動物をさばける道具は見つかっていますけれども
もっと大きい動物を殺すことは無かったということになります。
それはすなわち 人間同士で争わないだけではなくて
動物とも争わなかったということです。 

このように
欧米は【弱肉強食」=暴力
日本は「大調和」=協調
という 全く違った文化・文明を作ってきたのです。


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6)狩猟民族と 農耕民族

そのような違いは どこから生まれたのかというと
欧米人は「狩猟民族」であり
日本人は「農耕民族」である
というところからです。

狩猟民族は 狩で獲物を獲り 食べます。
農耕民族は 植物を育てて収穫し 食べます。

狩は いつでも同じように獲物が獲れるわけではありません。
獲れた時に 獲れたものを 獲れただけ食べます。
それはすなわち 運よく獲物が獲れれば食べ物があるけれども
運悪く獲物が獲れなければ 食べるものは無いということです。
そして もしも何日も獲物が取れなかったらば どうなるでしょうか?
空腹になります。
空腹になると 大抵の人はイライラしたり 攻撃的になります。
そして 他人のものを奪おうと思います。

農耕民族は 植物を育てて 実った作物を収穫し
それを蓄えておいて 均等に分け
毎日同じ分量を食べることが出来ます。

狩の獲物は それを射止めた人のものです。
集団での狩が無いわけではありませんけれども
基本は 誰か一人が射止めます。
(民族と地域と時代とで 猟のやり方は違っていました。
大昔は「囲い込み」で獲物を捕らえていましたが
時代と共に武器が発達したので 個人の猟へと変わっていきました。)
そしてその人のものとなります。
もしも余れば他人に分けてやります。

農業は集団でします。
取れた収穫は そこで働いた皆のものです。
皆で分けます。

狩は 動物を殺します。
生命を殺すのが 狩の基本です。

農業は 育てます。
植物を育てるのが 農業の基本です。

これらの違いが
日本とヨーロッパとの世の中の違いを
そして 日本人とヨーロッパ人との違いを
作ってきたのです。


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7)失われた精神世界

狩猟民族は
「暴力」で「奪う」「殺す」ことを当たり前としました。

農耕民族は
「育て」「分かち合う」ことを当たり前としました。

そもそも 「力」というものは
二種類に分けられます。
一つは「生命力」のようなもので
自然の あるいは宇宙のエネルギーです。
それはすなわち 生命を生み出し 育み 生かすエネルギーです。
(これは 「目には見えない力」とも言えます。
このような力のことを 英語では「パワー」と言います。)

もう一つは
「腕力」「暴力」「武力」といった
ものを壊すエネルギーとしての力です。
(これは 肉体的な力であり 目に見える力です。
このような力のことを 英語では「フォース」と言います。)

狩猟民族である欧米人は
「フォース」の方の力を基本としてきたのです。

それに対して
農耕民族である日本人は
「パワー」の方の力を基本としてきたのです。

これは すなわち
「男性」と「女性」との違いであります。
どうして男性の方が 肉体的な力が強いのでしょうか?
それなのに なぜ 女性の方が長生きをするのでしょうか?

生命エネルギーは
実は 男性よりも女性の方が強いのです。
ですから 昔から 乳幼児の死亡率は 男の子の方が高かったのです。
病気になりやすいのも 女の子よりも男の子です。
生命エネルギーは 女性の方が強いからこそ
女性の方が長生きをするのです。

男性は 内的な生命エネルギーが女性よりも弱い分
その弱さを守るために 外側が強くなっています。
弱い中身を固い殻で守らなければならないのです。
これが 男性の方が 肉体的な力が強い理由です。

ということは  男女における「力」は
女性は「パワー」 男性は」フォース」
ということになります。
出産し授乳し育児をする女性は
生命エネルギーである「パワー」を持っています。
それに対して 男性は
肉体的な「腕力」の方の「フォース」を持っています。

ですから
日本と欧米との違いとは
日本は「女性性」=生命エネルギーを基本とし
それに対して
欧米は「男性性」=肉体エネルギーを基本としてきた
ということです。
それが
日本は 生命を育み 調和し合う世の中を作り
欧米は 暴力で他のものを奪う世の中を作ってきたのです。

そして
「腕力」「暴力」「武力」を使って
弱肉強食の世の中を作ってきた欧米人たちは
殺すことを当たり前としてきましたから
「生命」というものに対して鈍感になり
そして「物質」に対して執着するようになりました。
つまり 目に見えない「精神」というものが分からなくなり
目に見える「物質」だけを重視するようになったのです。

こうして 欧米は
「目に見えるものしか認めない」=「物質主義」の世の中へとなっていったのです。
そして 「目に見えるものしか扱わない」近代科学が発展していったのです。

日本には
「おかげさま」という言葉があります。
ごく日常的に使われています。
(たとえ その本当の意味を知らなくても。)
「おかげ」ということは 「陰」ですから
目には見えない ということです。
人間は いつ誰がどこで 自分のことを思い 祈ってくれているか
分からないのです。
神様や天使たちや精霊たちや どういう存在が
私達のことを見守り 目には見えない形で導いてくれているかは
分からないのです。
ですから 目に見えない力に対して感謝する
「お陰様」という言い方があるのです。

あるいは もう一つとても日常的に使われているのが
「いただきます」という言葉です。
食事を始めるときに言います。
これは 誰に対して 何を対象に言っているのでしょうか?
料理を作ってくれた人にでしょうか?
給仕をしてくれた人にでしょうか?
その食事の代金を払ってくれた人にでしょうか?
本来は 目の前に並べられた食物は
全てが 何らかの生命を調理したものですから
(穀物も野菜も魚や肉も)
それら 自分のために捧げられた生命に対して
そして それを育んでくれた宇宙エネルギーに対して
「いただきます」と言っているのです。

そして これもまた
「目には見えないもの」に向かって言っていることになります。

そのように
日本の文化というものは
「目には見えないもの」と共存し 共生してきたのです。
しかし 欧米には
「おかげさま」という言い方も「いただきます」という言葉もありません。
目に見えないものに対して心を向けるということは無いのです。
目に見える「物質」だけが存在しているのですから。


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8)宇宙に即した文化・文明

これで どうして日本は世界で一番長く続いてくる国なのか
それに対して欧米(あるいは中国大陸)では
どうして国が次から次へととって替わられたのか
その理由が分かりました。

全てのものは 宇宙の中に存在しています。
その「宇宙」とは
その中に存在する全てのものを生み出し 育み 生かしているのです。
つまり 宇宙とは「生成エネルギー」であり「生命エネルギー」なのです。
その宇宙そのもののエネルギーである
「生命エネルギー」に則ってきたのが
日本という国なのです。

だからこそ 日本は
「大和の国」であり
「八紘一宇」「五族協和」を国是としてきたのです。

日本には「武士道」というものがありました。
武士とは 刀を持ってはいますけれども 戦いません。
「武」という字は 「矛」を「止める」ということです。
武器を持ってはいても それを使わないのです。
毎日 剣の練習をして精進します。
しかし 実際には刀はまず使いません。
戦わずしてものごとを丸く治めるのが 武士なのです。
あくまでの「争う」のではなく 「生かし合う」のです。


これがすなわち 「宇宙に即した 人間の生きる道」なのです。


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9)有色人種対白色人種

しかし これは日本だけではありません。
欧米諸国と中国大陸では 弱肉強食文化を基本とし それが続けられていましたが
アメリカ大陸やオセアニアの先住民たち あるいは
エスキモーやチベットの人々 そしてアフリカ大陸の人々も
(いずれもが有色人種です)
日本と同じような「調和」と「共栄共存」の文化に生きていました。
それら 平和な文化を築いていた有色人種たちに対して
武器を持って攻めていき 武力で征服する
それが白色人種のしてきたことです。
平和な有色人種たちは 武器を持った白人の強さには到底かなわないと
虐殺されたり 奴隷となったのです。

そして 日本は 欧米の「弱肉強食」の文明に
引きずり込まれ 翻弄されてきました。
明治維新とは 日本の国が始まって以来の
大きな出来事だったです。
つまり 「共栄共存」の世の中が
「弱肉強食」の世界とどう対峙していくかという。 

しかし日本人は 他の有色人種とは違っていました。
鉄砲を持った白色人種に 有色人種は槍で対抗したので負けたのです。
けれども 日本人は
「白人が強いのではなくて 彼らが持っている武器が強いのだ」と見抜いたのです。
そして 欧米諸国に負けず その植民地にならないようにするために
「殖産興業」「富国強兵」で強い国作りへと進んでいったのです。

しかし そのような国としての方向転換は
欧米の「腕力」「暴力」「武力」を使った「搾取」「略奪」を基本とする生き方に染まり
「戦争を起こせば儲かる」と 軍需産業と癒着し
莫大な政治献金を受け取っていた一部の政治家たちによって
日本を 中国統治と 軍国主義への道へと突き進ませることにもなってしまいました。

けれども
日本が「大東亜戦争」を始めなければならなかった理由は
また別です。
白人は「白人だけが人間である」と思っていました。
有色人種は人間ではないとされていたのです。
(人間と猿との間の存在だと思われていました。)
だからこそ 人間ではない有色人種の土地を植民地にし
奴隷として働かせることに罪悪感を持っていなかったのです。
しかし 明治の開国以来 有色人種の国でありながら国力を増し
日清・日露の二つの大戦に勝ち 
国際連盟に参加して常任理事国として発言権を持ち
国際社会での発言力・影響力を増してきた日本に対して
「弱肉強食」の欧米諸国が
「(人間ではない)有色人種が生意気だ!」と
その日本を何とか潰そうとして仕掛けてきたのが
あの戦争のそもそもです。

それに対して 日本は
「八紘一宇」「五族協和」を国是とし
世界各地で白色人種の奴隷となっていた有色人種の 奴隷の立場からの解放と
白色人種が植民地としていた土地を解放し その土地の人々の手に戻し
この地球上の全ての民族が 自主独立し 協調し合い
繁栄発展し 幸せに生きられる世の中を作る
そのために私たち日本人は あの「大東亜戦争」を戦ったのです。

だからこそ あの戦いは「聖戦」であり
その証しとして
戦後 世界各地で独立運動が起き
白人の植民地だった土地が その土地の人々によって独立し
世界の国の数が戦前の三倍にまで増えたのです。
(第二次世界大戦までは 世界中に64カ国しかありませんでした。
今は200カ国ほどにまで増えています。)

つまり 「大東亜戦争」とは
五千年来続いてきた 欧米の
「腕力」「暴力」「武力」を使った 「植民地主義」「奴隷主義」に基づく
「弱肉強食」の文明終わらせるための戦いだったのです。

それはすなわち
「宇宙の法則」である
「生成発展」と「調和」を基本とした世の中を作るためのものだったのです。

そして
明治維新以前の日本は
そういう世の中だったのです。
明治の開国以来入ってきた欧米の文化が
日本に 良い面でも悪い面でも影響与え
日本人のものの考え方を変え 世の中を変え
日本という国の進む方向を変えてきました。

それでも なんとか
大東亜戦争の時代までは 保たれていたのです。
しかし 終戦で敗戦国となり
戦後 アメリカによる占領によって
日本の世の中は大きく変わりました。
ということは 日本人のものの考え方が大きく変わりました。
「戦前のものは 全ていけなかった 間違っていた」
とされたのです。
これは 日本という国を 目には見えない形での植民地としたかった
アメリカの占領政策によるものです。

白人の国であるヨーロッパ諸国が 次々と植民地を手放したのに対して
アメリカはどうしても植民地を持ち続けたかったのです。
ですから ハワイも手放しませんでした。
そして 日本から搾取するために
朝鮮戦争時の軍需景気から始まり
日本の高度成長を助けたのです。
隣の国の人々が傷付けあい殺しあう そのための武器や兵器を作ることで
日本の経済は潤い 戦後の貧しさから脱却していきました。
しかし それは宇宙の「生成発展」と「調和」のエネルギーに即したものなのでしょうか?
(ということは 日本人が朝鮮半島の人々に対して
本当に反省し謝罪すべきなのはこのことなのです。)
それは
「自分さえ満足に食べられれば良い」
「自分さえ金儲けできれば良い」
「自分さえ豊かになれれば良い」という
「自我欲」=「エゴ」を基本としたものの考え方であり
これがまさに 「弱肉強食」の文明そのものなのです。


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10)大和魂とは

日本という国が
世界で一番長く続いてきたのは
宇宙のエネルギーである「生成発展」と「調和」を基本としてきたからです。
そして それを自覚し 守っていく
その意識を「大和の心」あるいは「大和魂」と言います。

「大調和」のみが宇宙の真の姿であり あり方である。

これが「大和の心」であり「大和魂」なのです。

(そして だからこそ 日本人は「神に選ばれた民族」なのです。
「大和」の意味を 先程は音義で説明しましたが
そもそも「やまと」という言葉は ヘブライ語から来ており
「ヤ=神」「マトゥー=民族」すなわち 「神の民族」という意味なのです。)

だからこそ 日本という国を大切にする必要があるのです。
しかし その「大和の心」「大和魂」が失われてしまった日本は
それでも大切にする必要はあるのでしょうか?

「愛国心」というものは どこの国にでもあります。
しかし それが単に
「自分さえ満足に食べられれば良い」
「自分さえ金儲けできれば良い」
「自分さえ豊かになれれば良い」という
「自我欲」=「エゴ」を基本とし
それを国という単位に広げたものだとしたら
それは 宇宙のあり方には一致しません。
宇宙のあり方に反したものです。

ということは このことを認識していない「愛国心」は
間違ったものになりかねないということです。
それがゆえに 世界各地で
国が作られては滅ぼされ 他の国に取って替わられるという歴史を
地球人類は歩んできたのです。

なぜ 日本という国を守らなければならないのか。
なぜ 戦前の日本は良かったと言えるのか。
なぜ 大和の心を復活させるのか。
なぜ 日本は大東亜戦争を戦ったのか。

それらは全て 同じ理由からです。

宇宙のエネルギーである
「生成発展」と「調和」を
この地上において実現するためなのです。
その意識で生きることによって
それを基本として世の中を作るためなのです。


このことを認識しなければ
「愛国心」は自我欲であり
「昔は良かった」と思うのも 中身の無い懐古主義でしか無いのです。

そして このことを自覚できれば
今の時代に そしてこれからの時代に この地上で生きていく私たちが
どういう意識で 何を目指して生きて行けば良いのか
その答えもまた明確に認識できるということなのです。


(2016/5/28)



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