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「癒し」とは

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》 → 《癒しとは》


① 「癒しブーム」の本質

日本で「癒しブーム」が始まってすでに数年になります。
癒しブームとは一体何だったのでしょうか。
どうしてブームになったのでしょうか?

十年程前に 歌手の石川さゆりさんがインタビューでこう語られました。
「一時は頑張れ頑張れがはやりましたけれど 
今 これ以上頑張れと言われても みんな疲れているんですよね。
だから よく頑張ってるよね 疲れたときは泣いてもいいんだよ
そう言ってもらいたいんじゃないですか。」
そしてその後 癒しブームが始まりました。これは石川さゆりさんの先見の明でしょう。
けれども「癒し」という言葉が広まるにつれて
どうもその本来の意味とは違った方向へと向かって行ったように感じられます。

人は泣くことによって 自分自身の心を浄化させることが出来ます。
泪によって 心の中の要らなくなったもの あるいはネガティブなものを洗い流せます。

ということは 実は癒しの基本は
「誰もが 自分で自分を癒せる」ということではないでしょうか。
それなのに それを忘れて 「誰かに癒してもらう」のが癒しブームになってしまったようです。
つまり「癒しブーム」では無く 「癒されたいブーム」 になってしまったのです。
それによって 自分で自分を癒せるという認識が広まるので無く
誰かに癒してもらいたい人が増えてしまった訳です。

けれども 人間というものは 自分自身を満たせない人は
他人に満たしてもらうことも出来ません。
自分自身を癒せない人は 他人に癒してもらうことも出来ません。
なぜならそれは 心が「ざる」の状態だからです。
「幸せを感じる」「充実を感じる」「何かの素晴らしさを感じる」
それらは全て その人自身の心が感じることです。
それらの心を 誰か他人に作り出してもらうことは出来ません。
幸せも 充実感も 素晴らしさも 全て その人自身の心が感じることですから
それを感じ取れない人に対して 他人が感じさせてあげることは出来るのでしょうか?
つまり 癒しの前提になっているのは 「感じる心」「受け取る心」「受け入れる心」ではないでしょうか。
何かを「幸せ」と感じられる 何かを「素晴らしい」と感じられる
そういう心ではないでしょうか。

結局 「癒しブーム」は いたわって欲しい・癒して欲しい心を認めはしましたが
誰もがそうして欲しがる「欲しい欲しい」の大合唱になっただけで
本当に癒された人はどれ程いたのでしょうか。
「自分で自分を満たせる」という本来のあり方を思い出させ 本当の癒しに導くのでは無く
逆に 癒す人=ヒーラー・セラピストなどにすがろうとする人を増やし
その人たちの依存心(=誰かに何とかして欲しい気持ち)を
増長させただけなのではないでしょうか。


② 「癒しブーム」の間違い

そして 誰かに満たして欲しい気持ちが日本で更に次のブームを起こしました。
「不倫ブーム」です。
 自分で自分を満たせることを自覚していないからこそ
自分が不幸に感じるその原因を他人あるいは身の周りの何かのせいにしてしまいます。
自分で自分を満たせることを自覚していないからこそ
充実感を 満足感を感じられないことを何かのせい・誰かのせいにしてしまいます。
そして 相手が代われば自分は幸せを感じるのではないか 満たされるのではないか
誰かが自分を満たしてくれるのではないか という思いが不倫をさせている訳です。
ということは 不倫ブームと癒しブームとは 同じ根から出ているということになります。

もう一つ 「癒しブーム」の間違いは
癒して欲しい・いたわって欲しい その気持ちに応えてあげることは
必ずしも 生き活きと生きることには繋がらない という点にあります。
つまり 癒しが必要な状態は 病んでいる・疲れている状態ですが
違う言い方をすると 完全でない状態 あるいはマイナスの状態です。
今 一般に認識されている「癒し」は
癒して欲しい・いたわって欲しい気持ちを分かってもらい
何か(施療を)してもらってリラックスしたい
  ということではないでしょうか。
しかし それでは単に マイナスをゼロにするだけです。
不要なもの・ネガティブなものを取り除くだけです。

人 あるいは生命が存在するとは ゼロの状態で居続けることでは無く
プラスの状態=ポジティブな状態 あるいはクリエイティブな状態で何かを創造することに
その本当の目的があるのではないでしょうか。
ですから マイナスの状態をゼロにするだけでは無く
更にプラスの状態へと持っていくことが大切な訳です。

私たちが幸せを感じるのはどういう時でしょうか?
誰かに愛されたら確かに嬉しいです。 誰かに優しくしてもらえたら嬉しいです。
しかし 実はそれ以上に 自分自身が
誰かのことを心から大切に思いその人の役に立てた時 あるいは
誰かに心から優しくして相手と共感出来た時にこそ
身体中に幸福を実感出来るのではないでしょうか。
つまり 誰かに何かをしてもらうよりも
自分が誰かに何かをし それが本当に相手の為になった時 相手の役に立った時
より大きな幸せを感じるのではないでしょうか。
それが 幸せを生み出すプラスの状態・クリエイティブな状態です。
ですから この状態にあってこそ人は本当に
「生きている」と言えるのではないでしょうか。


私たちOndeが あえて「癒し系」と銘打っていないのは 結局これらが理由なのです。
「癒しブーム」とは言いながら 実は「癒されたいブーム」であり 依存心を募らせている
そして プラスの状態・クリエイティブな状態で存在することを忘れている
つまり 充実感・満足感・幸福感は自分自身の心のあり方と
行動によるものだということを忘れている
そういう流れに自分たちOndeはいるのでは無いということです。


③ 本当の癒しとは

だったら私たちOndeは何を目指しているのでしょうか。
それは 「本当の癒し」です。

本当の癒しとは
誰もが自分で自分を癒すことが出来ることを思い出し自覚する為の導きです。

   私たち全ての生命は 宇宙の中に存在しています。
その宇宙とは 全てのものを自らの中に存在させています。
つまり宇宙とは 全ての存在を自らの中で生み出し・育て・生かしています。
宇宙がしていることはたったそれだけのことです。
ですから 宇宙とは 生命を生み・育て・生かすエネルギーそのものだとも言えます。
その 宇宙の 全ての存在を生み出し・育み・生かすエネルギーのことを
人間は「愛」という言葉で表現してきました。

私たちはそのエネルギーの中にいます。
つまり 私たちは誰もが等しく
生み出され・育まれ・生かされているということです。

それを実感出来るように導くこと それが本当の癒しです。

宇宙の 生み出し・育み・生かすエネルギーの中に生きているということは
何もしなくてもそれを受け取っているということです。
何を求めなくともそれを受け取れるということです。
それなのに それを受け取れていない人が沢山います。
それが「癒して欲しい」思い 「誰かに何とかして欲しい」思いで
生きている人たちですが
全ての計らい心を取り去った時に
自分(だけ)が生き残ろうとか 健康でありたいとか
幸せを感じるために ものやお金を沢山持ちたいとか
自分を満足させる為に肩書きや地位を手に入れたいとか
誰かに優しくして欲しいとか
そういった計らい心を持たずとも
私たちは生み出し・育み・生かすエネルギーの中に生きていて
満たされていることを実感出来る
その状態に導くことが 「癒し」の本当の有り方ではないでしょうか。

そして更に
そういうエネルギーの中に生きていることを実感したら
この世の中で 人や動物や植物や物との関わり合いの中で
どの存在であれごく自然に 生み出し・育み・生かす
宇宙のエネルギーに満たされて存在して欲しいと思え
生き活きと 伸び伸びと 自由に 豊かに存在して欲しいと思え
その状態を自分自身 あるいは身の周りに実現していけるように
自分の関わる全ての存在がそういう状態であれるようにと思える気持ち
(その気持ちのことを「祈り」と言いますが) 
それを導き かつ それを実行出来るように導く
それこそが本当の「癒し」ではないでしょうか。


④ 真の幸せに繋がる癒し

「しあわせ」とは「幸福」とは
人が 宇宙のエネルギー=生み出し・育み・生かすエネルギーと一致して
それぞれの持っている能力を・才能を・長所を発揮し
何かの役に立てた時に感じるのものです。
それぞれの人の才能や長所は それを発揮することによってそれが
沢山の生命の役に立つ為にこそあるものです。
誰もが そのそれぞれの能力・長所を自覚し 引き出し 発揮し 役立てられるように
そう関わりあうことが人間関係の基本であり
そうすることが
生き活きと 伸び伸びと 輝かしく 美しく生きる元であり
満足感・充実感を生み出します。
つまり 逆にそれをしなかったら
満足感も充実感も幸福感も実感出来ないということです。
だからこそ 他人に満たしてもらうことは出来ない訳です。

   私たちOndeの目指しているものは
本当の癒しであり
誰もが生き活きと充実して生きる為の切っ掛けとなることです。

私たちの音楽から あるいは文章から
それに触れられた方々が 
「幸せに生きるとは」「本当に生きるとは」ということを
思い感じる何かを受け取っていただけたらば
これに勝る歓びはありません。


(2003/04/22)


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