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宇宙とは神 神とは宇宙

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》《祈りの言葉》 → 《宇宙とは神 神とは宇宙》


「神」「神様」という言葉は 誰でもが知っています。
けれども 一体「神様って 何?」を説明できる人はどの位いるでしょうか?
ほとんどの人が説明できないのではないでしょうか。
ということは 説明できない すなわち
意味を分かっていない言葉を使っているということになります。
意味も分からずに使っているのですから 怪しいです。
そうです なぜか多くの人は 神様を「素晴しい」存在だとは思わずに
「怪しい」存在だと思っています。
ですから 「宗教信じてるの? 怪しい!」という反応をする人が多いのです。
しかしそれは 神様が怪しいからではなくて よく分かっていなくて説明できないからです。
(つまり 神様のせいではありません。人間の理解力のせいです。)
怪しいと思いながらも 多くの人は初詣に行きます。
その方がもっと怪しいです。
(もっともあれは観光/物見遊山/皆が行くからという付和雷同であって
神様にご挨拶に行く人はほとんどいないのかもしれません。)

多くの人がそう捉えている理由の一つは 神様は姿を現さないからです。
宗教画などでは 神様の姿が描かれていることもあります。
しかし 「誰かがその姿を見た」ということでは無いようです。
つまり 「多分こんな感じ(だろう)」という
憶測/推測/想像/妄想のいずれかで描いているわけです。(かなり無責任です。)
だからこそ いよいよ怪しく思われてしまうのです。
神様は姿を現さない。神様とは話しができない。
なぜ 神様はそんな怪しいことをするのでしょうか?

しかし それは神様のせいではないのです。
人間のせいなのです。
「姿を現していない」と思い込んでいる 「話しができない」と思い込んでいる
人間のせいなのです。

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「神様」とは「宇宙」です。
宇宙が神様です。
では宇宙とは何なのでしょうか?

宇宙とは「意識体」です。
あなたにも意識がありますね?
(今 これを読みながら
「ある?」「無い?」と思っている それが意識です。)
あなたは 身体があって意識があるのでは無くて
意識があって身体がある そういう存在なのです。
つまり 存在している全てのものは 意識体です。
そして 全ての存在は宇宙の中に存在しています。
ということは 宇宙そのものが意識の大本なのです。

でも 宇宙の更に元が有ります。
まず 一番初めに有るのが「根源意識」です。
これが一番の元です。
その「根源意識」が「創造意識」を生み出しました。
つまり 創造担当の意識体です。
そして「創造意識」が「宇宙意識」を創り出しました。
(「創る」と「作る」の違いは分かりますか?
「作る」は どこかに存在する原材料を集めてきて加工/変形/変化させることです。
「創る」は 何も無いところから生み出すことです。)
そして 「宇宙意識」が「宇宙」を創り出しました。
たくさんある宇宙意識のそれぞれが 「自分なりの宇宙」を創り出したのです。
その「自分なりの」とは 構造と規則です。
ですから 私たちのいる宇宙は 宇宙意識によって設計され創り出されましたが
その生み出されたものとは「構造」と「規則」とです。

意識というのは 波動です。
ですから 宇宙そのものが波動 宇宙の中の全ての存在も波動です。
地球人類が把握している波動は「音波」「光波」「電磁波」なとです。
それらは 人間の科学によって捉えられたものだけです。
(科学とは 人間が作り出した機械によって計測できるものだけを扱っています。)
しかし 科学が把握できていない波動もまたたくさんあります。
その大元が「宇宙そのものの波動=宇宙意識」です。

この「宇宙意識」が「神様」なのですけれども
ですから「創造神」という言い方がありますが
まさに 宇宙意識が宇宙とその中の全てを創造したのです。
しかし 宇宙の中に存在しているもので一つだけ
宇宙意識=神様が創造しなかったものがあります。
宇宙意識が創り出した規則の一つが「自由意志」で
つまり全ての存在は その自由な意思によって
考えたり行動したり作り出したりして良い
という規則ですけれども
それぞれの存在がその自由意志で何を生み出すのかは
宇宙意識が創造したものではありません。
(多くの人が「神様がいるのなら なぜこんな酷い世の中のままにしておくんだ!」
と言いますけれども
それは地球人類の自由意志の結果であって
宇宙=神様が作り出したものでは無いのです。)

では なぜそうなっているのでしょうか?

宇宙意識は まず宇宙意識だけで存在していました。
とても素晴しい存在なのです。
根源意識によって創り出された創造意識が創り出したものなのですから。
しかし 「一体どれくらい素晴しいのかな?」と それを確認するためには
何かと比較しなければなりません。
その比較のために 自らを無数に分割して「生命体」を生み出し
そのそれぞれの生命体に思考させ行動させ体験させることによって
「自分」というものを確認しようとしたのです。
つまり 宇宙の中の(あなたを含めた)全ての存在は
「宇宙意識が自らの素晴しさを確認するため」という理由で生み出されたのです。
ということは 全ての存在は「宇宙の一部」であり
「宇宙そのものと同質」なのです。
(パンの塊にかぶりついて食べても 一口大にちぎって食べても
パンそのものは同質ですね?
それと同じことです。)

そして それぞれの生命体に思考させ行動させ体験させるにあたって
「自由意志」という規則を作ったのです。
宇宙意識は それぞれの生命体(=意識体)の
考え行動し作り出すその全てを「観察」するだけで
一切の口出しも手出しもしません。
ですから 宇宙意識は私たちが何をしても 何も言いません。
「これをしてはいけない」とか「これをしろ」とか 一切言いません。
では 「それで宇宙は混乱しないの?」と思いますか?

全ての存在にとっての「目的地」があるのです。
目指している目標=到達点があるのです。
宇宙意識としては 
宇宙の中の全ての存在は 自ずとその目標に向かっていく
という仕組みに作ったのです。
その目標=到達点とは
「宇宙そのものと同じ意識」です。
そして その方向に向かっている状態を「成長」と言います。

「全ての存在は宇宙と同質なのに 宇宙と同じ意識にまで成長するって
どういうこと?」と思いましたか?
「同質」=「同じ」ではないのです。
存在することで私たちは 様々な体験をしています。
私たちは それらの体験に反応して生きています。
その反応が次の体験を生みます。
そしてそれに反応します。
という連続なのです。
大きいパンの塊と それを一口大に切ったのとでは「同質」ではあっても
「同じ」ではありません。
バターを塗ったり ジャムを付けたり ハムやチーズを乗せたり
ちぎられたパンは様々な体験をします。
元の塊のパンが美味しければ ちぎられたパンだって美味しいのです。
でも 何をパンに付けるかによって 美味しくなくなったりもするのです。

様々な体験をし それに反応して生きていると
私たちの意識は 宇宙そのものの意識とは段々離れていってしまいます。
でも 様々な体験を通して「本当は自分は宇宙そのものと同質なんだ」
ということを思い出し そしてそこに戻る
そのために私たちは存在しているのです。

***********************


そうやって それぞれの生命体はそれぞれの体験をしつつ生きているわけですけれども
それぞれの生命体は 宇宙の一部ですから
宇宙意識は その全てを把握しています。
全てを把握しているのです。

あなたは何を把握していますか?
今あなたは部屋の中に居ますか?
周りを見回してください。
部屋の中のどこに何があるのか認識していますか?
そして それらのそれぞれを認識していますか?
部屋の窓にはガラスが嵌められていますが 
そのガラスはいつどこでどうやって作られたのか認識していますか?
そのガラスの原材料はどこから来たのかを認識していますか?
そのガラス面の外側と内側とで
つまり 外気に触れている面と 部屋の空気に触れている面とで
どう温度が違うのかを認識していますか?
壁の塗料はいつどこでどうやって作られたのか認識していますか?
それらの原材料がどこから来たのかを認識していますか?
壁そのものは?
電灯はどこでどうやって何によって作られたのか認識していますか?
電灯を灯す電気は どこからどうやって来ているのでしょうか? 
あなたが着ている服は?
そして 同じ家にいる家族の気持ちは把握していますか?

一体 あなたは何を認識しているのでしょうか?
「何も認識していない」ことに気付きましたか?
けれども 宇宙意識は宇宙の中に存在する全てを認識し把握しているのです。
過去も現在も含めて。
全てを観察し その体験を共有するために生命体を生み出したのですから
全てを観察し認識し把握しているのです。

宇宙意識とはそういうものなのです。

ということは あなたのこともその全てを把握しています。
常に宇宙意識によって観察されているのです。
隠し事なんて出来ません。
(それを昔の人は知っていたからこそ
「お天道様に見られている」という言い方をしていたのです。)
宇宙の中の全ての存在に関して そうやって認識しているのです。

ということは 身の周りの全てが「宇宙」なのです。
例外はありません。
宇宙空間の星と星との間には何があるのでしょうか?
科学者は「何も無い」と言います。
科学者では無いあなたには もう分かっていますね?
「宇宙がある」のです。

身の周りの全てが「宇宙」で
「宇宙」とは「神」なのですから
身の周りの全てが「神様」なのです。
これを「遍在の神」と言います。
「宇宙意識」=「神の意識」は身の周りに遍在しているのです。

そういう宇宙意識=神様に対して
「どうして神は姿を現さないの?」と思っても
現しようが無いことが分かりますね?
宇宙そのものの遍在している存在が
何か人間もどきの姿で目の前に現れるのですか?
そんなことは ありえません!

けれども 宇宙意識=神様は遍在しています。
身の周りの全てが「宇宙意識=神様」です。
ですから あなたに今見えている全てものが「宇宙意識=神様」なのです。
あなたの身の周りにいる人たちもまた 「宇宙意識=神様」なのです。
そして あなた自身もまた 「宇宙意識=神様」なのです。

***********************

「宇宙意識=神様」は 全ての生命体が
「体験を通して学び 成長する」ように宇宙を創りました。
あなたは 学校でいろいろなことを勉強しましたね?
けれども それは「知った」ということなのであって
「体験した」ということではありません。
知ったことを 体験を通して「あぁ そうなんだ」と納得する
そして その納得したことを実行できるようになる。
それが実は学びなのです。
そして それまで知らなかったことをも「あぁ そうなんだ」と納得する
それが「気付き」であり その気付きが次の気付きを生んでいく
そういう体験の連続が成長となるのです。

そして(「宇宙意識=神様」はとても親切ですから)
私たちに「これに気付いたら」という 次の気付きのネタを
私たちの身の周りに用意してくれているのです。
これが「遍在する神」なのです。
ということは「神様はなぜ姿を現してくれないの?」という問いに対しては
「いやいや 神様はいつでもあなたの目の前に居ますよ」ということになるのです。
それを 「神様は特定の姿かたちをしているだろう」という思い込みでもって
「なぜ 姿を現してくれないの?」と思っていても
そうやっては姿を現すことは決して無いのです。
私たち一人ひとりの気付きに応じたものを目の前に用意してくれているのですから
私たち一人ひとりにとっての「その時の神」は違うものだからです。
これは 違う表現をすると「目の前の状況が神の現れ」だということです。
つまり 神様は変幻自在なのです。
(もっと正確に表現すると 多くの状況は用意されています。
その中で 何にどう気付けるのかが人それぞれだということです。
ですから 同じ状況の中でも 人によって何に気付くかは違うわけです。)

宇宙は意識体であり波動ですから 常に動いています。
私たちは エネルギーの流れの中にいるのです。
その流れの中で 
神様が用意してくれている「自分にとっての気付きのネタ」に気付いて
それを実行して体験して納得して というのを
「宇宙のエネルギーの流れに乗っている」状態と言います。
「乗っている」とは言っても「自然と乗っている」あるいは
「乗せられている」ような感じでしょうか。
(あなたは これまでの人生で「ツイている」と思える時はありませんでしたか?
それが「流れに乗っている」ということだったのです。)

ということで 神様は常に姿を現しているのです。
そして「流れに乗る」ということは 神様と対話をしているということなのです。

人間は「言語」を 思考や伝達の道具として使っています。
しかし この言語というものは とても大雑把なものなのです。
例えば 味を言葉で伝えられますか?
匂いを言葉で表現できますか?
色を言葉で言い表せますか?
言葉とは あくまでも大雑把な記号に過ぎないのです。
その言語でもって何かを伝えるのはとても難しいのです。
ですから(親切な)神様は 言語を使わずに私たちに何かを伝えてくれているのです。
それが「目の前の状況」なのです。
ということは「言葉を使わずに物事を捉える」というのが
神様との対話の前提なのです。
それなのに「対話なんだから言葉を使わないと」と思っていたらば
神様からの情報は受け取れないわけです。

ということで
「神様っているの?」
「どうして神様は姿を現さないの?」
「どうして神様と話しができないの?」
という問いに対しては
そのどれもが 人間の思い込みでもって「受け取っていない」
というだけのことなのが分かりましたね?

地球人類は長いこと そうやって
「宇宙意識=神様」の親切なお膳立てを
無視し 受け取らずに 無にしてきたのです。

***********************

そして お膳立ては
「宇宙意識=神様」だけがしてくれているというわけではありません。
宇宙の中の全ての存在が それぞれに生きている中で
他の存在のためにお膳立てをしているのです。
あなたのしていることが 誰かの役に立っている。
誰かがしていることが あなたの役に立っている。
そういう体験を重ねてきましたね?

宇宙の中の全ての存在が成長している ということは
それぞれの生命体によって成長の段階が違うわけです。
例えて言うと 宇宙の中での学びの幼稚園生から大学生までいるわけです。
そして 「より成長した存在は まだそこに到達していない存在を助ける」
という仕組みになっています。
例えて言うと 高校生のお姉さんが 中学生の弟の宿題を手助けするようなものです。
宇宙全体がそういう仕組みになっています。
ですから 宇宙の中のいたるところに 自分よりも成長した存在はいますから
必ず学べるようになっているわけです。
ただし 「成長を助ける」というのは 手助けをするのではなくて
ヒントを与えるというようなことです。
つまり 宿題をしている弟に その答えを教えるのではなくて
答えの出し方を理解できるように教えるということです。

ですから「答え」が目の前に出現する ということではなくて
「ヒント」が現われるということです。
そして それらのヒントは 身の周りのいろいろな所にあって
私たちがそれを見付けるのを待っているのです。
(見付けるというよりも より正確には気付いてくれるのを待っているのです。)

例えば あなたが病気になったとします。
そうすると その病気はあなたに「これに気付いて!」という
知らせとして 信号として 現われてくれているのです。
例えば 身体の使い方が良くないとか
食べ物が良くないとか ものごとの考え方が良くないとか。
それなのに 「病気を治さなくちゃ」という考え方をしてしまうと
(それはすなわち 病気を悪者扱いしているのですけれども)
折角の「病気が伝えたいこと」を無視することになります。
そしてその原因に気付こうとせずに 現象である症状だけを変えようとしても
本当の解決=治癒にはならないわけです。

あるいは とても意地の悪い人が身の周りにいたとします。
そうすると 大抵の人はその人のことを「悪い人」だと思います。
つまり その人が悪いんだと思います。
けれども その意地悪さんも 実は病気と同じで
あなたに何かを気付いて欲しくて「悪者役」を演じてくれているのかもしれないのです。
そして逆に あなたが誰かにとっての「意地悪役」を演じることになるかもしれません。

そうやって 誰もがいろいろな役を演じつつ いろいろな体験をしつつ
「本当の自分」すなわち「宇宙意識と同質」の自分を思い出していくのです。
体験したことから「これって 宇宙意識と同調するものなのかな?
それとも同調しないものなのかな?」と 自然と考えるようになっているのです。
(それを「良心」と言います。)
ですから 「この世」での肩書きとか役職とか地位とか職業とか それら全ては
私たちの「役」に過ぎないのです。
それらの「役」と 成長段階とは関係ありません。
映画の中で 大金持ち役を演じている俳優は人格が素晴しく
路上生活者役を演じている俳優は人格が劣っていると決めることは出来ますか?
演じている「役」と その人の中身は関係無いのです。
これは 肉体という物質もまた同様です。
美男美女だから 体型が美しいから 人格が優れているというわけでは無いのです。

これが 私たちが神様を見つけることが出来ない理由の一つなのです。
「何がすごいもの」「有名な人」「(いわゆる)成功者」などから学べると
多くの人は思い込んでいます。
低学歴者や低収入者や路上生活者からは学べるものは無いと
多くの人が思い込んでいます。
いえいえ そうではないのです。
身の周りのどこに「気付きのネタ」があるのかは分からないのです。

結局は 自分がどういう役を演じるにしても
自分の身の周りの人がどういう役を演じているにしても
自分のすべきことは 一つしかありません。
「より素晴しい生き方をする」それだけです。
それが宇宙の中での成長であり
本当に「存在している=生きている」と言える状態だからです。
そして その「今までよりもっと素晴しい生き方」の切っ掛けが
気付きによって得られるのです。
日々の体験から 「これってこうなんだ」と気付いて
それを自分で実行してみて そして納得して。

多くの人は「誰かがそう言っているから」と
ものごとを考えようともせずに受け入れてしまいます。
(例えば マスコミの報道とか 学説とか 専門家の論評とか。)
しかし その「誰か」と自分とは違う存在なのです。
その人の経験と自分の経験とは別物なのです。
それらは 参考にはなるかもしれません。
でも 「自分で見付け」「自分で実行する」ことをせずには成長にはならないのです。
例えば 料理研究家や有名な料理人が調理の仕方を
テレビの中で懇切丁寧に解説してくれたとしても
あなた自身が実際に調理してみて上達しなかったらば
美味しい料理は作れない=食べられないのです。
重要なのはあくまでも 一人ひとりの体験であり成長なのです。

宇宙意識は 私たちを観察しているだけです。
でも 私たちの身の周りで私たちを手助けしてくれている存在たちは
私たちの成長を喜んでくれます。
あなただって 弟妹の宿題を手伝って 問題が解けるようになったらば嬉しいでしょう?

日本では昔から そのような「自分(たち)よりも成長が進んでいる存在」のことを
「神様」と呼んできました。
いろいろな神社に祭られているような存在です。
でも 本当の意味での神様は宇宙意識であり それは身の周りに遍在しています。
ですから「多神教」というのは 正しいのです。
身の周りの全てが神様なのですから。
しかし 「宇宙意識=神様」は(この宇宙では)一つです。
ですから「一神教」というのは 正しいのです。
どちらも正しいのです。
それなのに「神様」が何だか良く分かっていないから
お互いに「相手の言い分は間違っている」ということになるのです。

全ての存在=生命体は 宇宙意識が生み出したものです。
生み出されただけではありません。
全ての生命体は 決して死にません。
生命体そのものはひたすら成長し続けます。
その過程で いろいろな形(=肉体など)を経験します。
ということは 宇宙意識は全ての生命体が「生き続けるように」と
つまりは 生かし続けてくれているのです。
そして 終着点に向けて成長していけるようにという仕組みを創り出したのです。

ですから 宇宙意識とは私たちを「生み出し 生かし 育んでいる」のです。
これが 「宇宙の愛」です。
私たちの最終到達点は そこなのです。
全てのものを 生み出し 生かし 育む という意識です。
私たち地球人類の段階では まだほとんど何も認識できていないことを
先ほど確認しましたね?
ですから この宇宙の中での私たちの成長は
まだまだまだまだひたすらに続いていくのです。

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ところが 「人生うまくいっていないよ」「こんな人生嫌だよ」
あるいは「世の中 なんて酷いことが多いんだ」「こんな世の中嫌だよ」
と思いながら生きている人もいます。
折角 宇宙意識が生み出し生かし育んでいてくれるにもかかわらず。
しかし そういう人生を そういう世の中を作り出したのは
「宇宙意識=神様」ではありません。
私たち人間の自由意志です。
つまり 私たちが「こういう人生を作ろう」「こういう世の中を作ろう」と
作り出したものなのです。
そうすると「そんなことは無い こんな人生望んでいない」とか
「こんな世の中になるなんて思ってもいなかった」という声が聞こえてきそうです。
それでも 私たちが作り出したものなのです。

宇宙意識とは創造する意識です。
ですから 私たちの意識もまた創造する意識です。
何かを考える/想像する ということは 何かを創造しているのです。
宇宙意識が宇宙を創り出したように
私たち一人ひとりもまた その人生を創り出しているのです。

そして 宇宙のもう一つの仕組みが「同調」です。
似たようなものは同調し 引き寄せ合うということです。
「波長同通」という言い方もします。
「類は友を呼ぶ」という言い方もします。

ということは
目の前に見えているものごとは「自分の考え」「自分の生き方」なのです。
それを「ものごとは合わせ鏡」という言い方をします。
身の周りの状況とは 私たち自身を映し出している ということです。
これは ものごとでも あるいは人間関係でも です。

ですから 「人生うまくいっていないよ」「こんな人生嫌だよ」
「世の中 なんて酷いことが多いんだ」「こんな世の中嫌だよ」
と思いながら生きているということは
実は そう思うことでそのような状況を作り出しているのです。
宇宙意識はとても親切ですから
私たちが思ったことを きちんと思ったとおりに実現して見せてくれる
という仕組みを創ったのです。 
「こんな状況は嫌だ」と思っていると
ちゃんとその嫌な状況を見せてくれます。
「なんて酷いんだ」と思っていると
ちゃんとその酷い状況を見せてくれます。
かつ そう思うことで私たちは
「その観念でものごとを見る」ことを選んでいるのです。
人間というのは 誰でもが「その人なりの観念」で
ものごとを考えたり捉えたり判断しています。
つまり ものごとをどう見るか どう受け取るかは
実はそのそのものごとを見ることを通して 自らの頭の中の観念を見ているのです。 

実は そうやって私たちの身の周りの状況と
そのものごとの受け取り方で気付かせてくれているのです。
「もっと違う生き方の方がいいんじゃないの?」ということを。
そして「どういう生き方が良いのか」「どうやったらばその生き方を出来るのか」
そのヒントが身の周りのどこかにあるのです。

***********************

私たちが 頭の中で思ったこと(=想念)は
念波(=想念の波動)として発振されます。
念波は 一瞬にして四方八方に拡散されます。
光の百億倍の速度で 宇宙全体へと伝播されます。
ということは 私たちが頭の中で思っていることというのは
その全てが 「宇宙の皆さん 私はこういうことを考えています」と
宇宙全体に向かって言っていることになるのです。
例外はありません。思ったことの全てが です。
そして 宇宙の中のそれと似た波動が それに反応して作用を起こすのです。
そうやって 私たちの思考によって 身の周りの流れを作っているのです。

「体験している状況」=「自分の観念」です。
それが宇宙の仕組みなのです。
そして「今の自分よりももっと素晴しく在りたい」
「もっと成長したい」と思うことで
今の自分の観念よりも一段階高い波動を受け止めることが出来ます。
これが「気付き」なのです。
そうやって 私たちは宇宙の中で一段また一段と成長し続けるのです。

しかし 「気付き」が無ければ成長はしません。
成長しないどころか 退化することもあります。
地球人類は どんどん退化して来ました。
多くの人は 科学技術の発達が進化だと思い込んでいます。
しかし それは「人間としての」「生命体としての」成長ではありません。
科学技術の発達と反比例して 人間の能力がどんどん退化していることは
日々の生活でも実感できるかと思います。
どんどん「勘」が鈍くなっています。
計算の能力も 読み書きの能力も どんどん低下しています。
そして何よりも「生命と向き合う」能力が低下しているのです。
目の前に居る人の気持ちが分からない。
赤ちゃんがなぜ泣いているのかが分からない。
それどころか 泣いている赤ちゃんを放置する。

けれども 成長が止まっても あるいは退化しても
いつかは成長することになっているのです。
それが宇宙の仕組みなのです。
(双六で「戻る」が出ることがあっても 先に進むようになっているのと同じです。)
いつかは成長するのであれば
成長が止まることを選択する必要はありませんね?
退化することを選択する必要はありませんね?


(まとめ)
宇宙とは意識体であり それがすなわち神様であり
私たちは その「宇宙意識=神様」の中の一部であり
ということは「宇宙意識=神様」は身の周りに遍在していて
その中で私たちそれぞれの生命体は「宇宙意識=神様」と同じになることを目指して
自分の観念の現れである身の周りの状況から
成長のヒントとなるものに気付き 実行し 納得して 成長し続けている。

宇宙とは この六行です。


(2021年12月25日)



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