《魂の故郷》《やすらぎの彼方へ》
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ここに掲載したのは 映像作品に仕上げた
曲集《魂の帰郷》Op.150と《やすらぎの彼方へ》Op.149に付けられた文章です。
《魂の帰郷》 ①《魂の故郷》 ②《光の中へ》 ③《愛を運ぶ天使》 ④《宇宙の愛に抱かれて》 ⑤《天上への足音》 ⑥《神との対峙》 ⑦《 虹~願いの橋》 ⑧《昇華~怒涛を越えて》 ⑨《幸せの泉》 《やすらぎの彼方へ》 |
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私たち生命は 一体どこから来たのでしょうか?
そもそも 私たち生命とは何なのでしょうか?
私たち生命とは 宇宙の一部である生命エネルギー体
すなわち霊体がその本体であり本質なのです。
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《魂の故郷》
私たち生命は 一体どこから来たのでしょうか?そもそも 私たち生命とは何なのでしょうか?
私たちは肉体を見たり感じたりできますし 感情や心も知覚できます。
私たち生命とは 心と感情を持つ肉体という存在なのでしょうか?
では 肉体の死によって私たち生命は終わりとなるのでしょうか?
宇宙の一部である私たち生命は 肉体の死によって消滅するのでしょうか?
だとすると 生命はどこから生まれてきたのでしょうか?
宇宙が存在する限り 私たち生命が消滅することはありません。
なぜならば 私たち生命は宇宙の一部なのですから。
私たち生命とは 宇宙の一部である生生命エネルギー体 すなわち霊体がその本体であり本質なのです。
その霊体の中の魂は 肉体や心や感情を司ってこの世で生きているのです。
魂は知覚できないから存在しないのだと多くの人が思っているかもしれません。
しかし静寂の中に身を置き 心も感情も鎮めると 魂の声が聞こえてきます。
私たち生命が嬉しいとか楽しいと感じる 素晴らしいとか美しいと感じる
それは心であり感情であるとともに 実は魂の声でもあるのです。
あるいは 人生のある時に沸き起こる自分を突き動かすような衝動もまた魂の声なのです。
そして何か目には見えないものに対する強い憧れもまた魂の声なのです。
心や感情よりも もっと奥からの魂の声に耳を傾けてください。
そうすればこの地上に生きながら 私たち生命の魂の故郷へと戻っていけるのですから。
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《光の中へ》
美しい声で鳴き 戯れているように見える野原の鳥たち。私たちも幼児のころには光に包まれて純真無垢で天真爛漫に無邪気に遊んでいたのを思い出せる。
鳥たちは子供と大人とでは何が違うのだろうか?
なぜ私たち人間は子供の頃のままではない大人になるのだろうか?
私たちが大人になることで忘れてしまった純真無垢天真爛漫無邪気
それらは私たちの人生で価値がないから忘れたのだろうか?
忘れたことによって 私たち人間は本当に幸せに 光り輝く人生を生きているのだろうか?
「戻っておいで」と呼びかける魂の声 光の中へと
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《愛を運ぶ天使》
天使たちとは 愛を運ぶ天からの使いです。天使たちは 愛を大切に そっと運びます。
愛が壊れやすいからではなく きちんと受け取ってもらえるようにです。
天使たちは祈りの歌を歌いながら愛を運びます。
その祈りの歌が大地に響き渡るように 。
え? 天使の存在に気がつかない?
確かに天使の姿は目に見えませんけれども 心を澄ませば天使の存在を身の回りに感じられます。
天使たちは愛を運ぶのですから 愛のあるところには天使が来ているのです。
天使たちは愛を運ぶと共に 愛する心をも運んでいるのです。
人間の誰でもが本来は天使と同じように愛することを思い出せるように。
天使も愛も どちらも姿かたちはありませんから目には見えません。
でも 愛は誰にでも感じられるように 身の回りにいる天使達にも気づいてください。
そして あなたもまた愛を運ぶ天使の一人だということを思い出してください。
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《宇宙の愛に抱かれて》
広大無辺な宇宙の中の一つの星地球の上で生きている私達。天空の星々に目を向けるとき 地上の人間の存在は本当に些細に思える。
それなのに ほとんどの大人たちは 「自分」を基準に物事を見ている。
そして地上のこの「世の中」を当たり前だと思って生きている。
当たり前? 諍いがある 争いがある 暴力がある 裏切りがある それが当たり前?
宇宙と そして宇宙の中のたくさんの存在たちが 地球人のために祈っているのです。
「気づいてほしい」と 「思い出してほしい」と そして「戻ってきてほしい」と。
私たちが宇宙の中に存在しているのは 宇宙に生かされているから。
宇宙とは 全ての存在を生かす意識であり そこには一切の諍いも 争いも 暴力も 無いのです。
それなのに 地上の「大人」たちは それらがあるのが当たり前だと思っている?
あの美しく秩序だった星々を見れば 宇宙は平和に満ちていることがわかります。
調和というのは 愛が満ち満ちている状態です。
つまり 宇宙とは愛が満ち満ちて調和している意識生生命体なのです。
星空に目を向けて 宇宙の中の一つの存在であることを思い出してください。
そして 宇宙の愛に抱かれていることを思い出してください。
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《天上への足音》
天国ってどこにあるんだろう?その天国には 「神様」と言われる存在がいるのだろうか?
つまり「天国」に行けば 神様に会えるのだろうか?
「天国」とは この世とはるかに離れた遠いところにあるのでしょうか?
「神様」とはその遠い天国にいる 私たち人間には会えない存在なのでしょうか?
「天国」を探しに 「神様」を探しに出かけよう。
でも どこに? どうやって?
過去にもたくさんの人たちが天国を探し ユートピアを探し 神様の居場所を探したはず。
けれども 天国を見つけ ユートピアを見つけ 神様の居場所を見つけた人はどれだけいたのでしょうか?
「天国」とは どこかの場所ではないのです。
「天国」に行けば神様と会えるわけではないのです。
「天国」とは すなわち魂の故郷であり それは宇宙の中でのある状態のことなのです。
光に満ちた平穏な状態が すなわち天国であり 魂の故郷であり 私たちの本来の居場所なのです。
喜びと 優しさと 嬉しさと 幸せとに満たされている それが私たちの本来の在り方なのです。
私たちの本来の在り方に戻りたいという その思いが 私たちの魂を天国へと 魂の故郷へと向かわせるのです。
そうやって 私たちは魂の故郷=天国への階段を一歩一歩上っていくのです。
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《神との対峙》
神様ってどこにいるのでしょうか? 天国にいるのでしょう?神様ってどんな姿なのでしょうか? 天国ってどこにあるのでしょう?
神様は神社やお寺や教会にいるのでしょうか?
だからたくさんの人がお参りに行くのでしょうか?
神社やお寺や教会で心静かにお祈りをしていると 神様を感じられるかもしれません。
神社や寺や教会だから そこに神様がいるのでしょうか?
仏像や聖像に神様がいるのでしょうか?
「帰っておいで」「戻っておいで」という声が聞こえる
「どこか特別な場所に行かなくてもいいんだよ」という声が聞こえる
心よりも もっと奥の方から
神との対峙 それは 魂の声に耳を傾けること 自分の魂と向き合うこと。
そして 自分の目の前にいる人の魂が神様なのです。
神様は遠くにいるのではなく 神社や寺や教会にいるのでもなく 私たち一人一人の中にいるのです。
心も感情も静めて永遠=今この瞬間に身をまかせる それが魂とのふれあい すなわち 神との対峙なのです。
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《 虹~願いの橋》
誰でもが 例外なしに誰でもが持っている願い それは「幸せ」。幸せを願う それは「 祈り」
でも 誰の幸せ? どんな幸せ?
「幸せ」って何なのだろう? どういうのが幸せなのだろう?
空にかかる虹は 天の橋のように見える。
「祈り」は 天へとかける願いの橋。
つまり 虹は天へとカける祈りの橋。
誰にだって 何らかの願いがあるはず。
誰だって 幸せに生きたいはず。
太きい橋をかけよう 天に届く長くて太い橋を。
誰だって幸せに生きたい それを祈ろう。
「自分」のことしか考えなかったら それは天には届かない。
天にまで届く願いの橋は 全ての生生命への祈り。
だから 虹は美しいのです。
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《昇華~怒涛を越えて》
当たり前に平穏な人生を生きたい。幸せに満たされた人生を送りたい と思っていたのに。
突然襲ってきた嵐のように 私の人生は翻弄される。
平坦な平穏な人生を夢見ていたのに 何がいけなかったのだろうか? 何を間違ったのだろうか?
険しい山道を一歩一歩登っていくような人生。
全ては浄化されていく。
自分の心を浄化していく。
するとやがて澄んだ心の奥から魂の声が聞こえてくる。
「あの厳しい人生は この浄化のためだったのだ」と。
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《幸せの泉》
私の奥底から湧き出てくるような 涙が溢れる感動 心が躍る祝福 全身に広がる優しさ。誰でもが願っているはずなのに どうして 幸せに生きている人と そうでない人がいるのだろうか?
私には分かっている 幸せを自分の外に探しても見つからないことが。
満たされた至福の人生は 何かを欲しがっても得られ無い。
私の幸せは 誰かが持ってきてくれるわけではない。
祝福するのも 感動するのも 素直に 誠実に生きるのも「自分」。
それらが 自分の魂から湧き出てくれば それが幸せなのだ。
私の魂から湧き出てくる幸せ。
つまり 幸せとは 自分の中から出てくるもの。
その魂の声に気づき それを素直に出させてあげる。
どれだけ感動できるか どれだけ祝福できるか どれだけ優しくできるか。
魂から湧き出てくる 幸せの泉。
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《やすらぎの彼方へ》
私たちの心は肉体よりも大きく 魂は心よりも大きいのです。けれども 私たちはこの地上で 肉体に心を押し込め さらにその中に魂を押し込めて
魂の声に耳を傾けず 魂があることさえ気づかずに
この地上での「快適な日常生活」に目も心も奪われて生きている。
その「快適な日常生活」が私たちを本当の安らぎや豊かさから遠ざけていることに気がつかず。
誰だって 優しくされたら 許されたら 愛されたら 祝福されたら嬉しいだろうに。
それなのに なぜそれを自らは実行しない人が多いのだろう。
愛されたいのに 愛さない
祝福されたいのに 祝福しない
優しくされたいのに 優しくしない
それがこの世の中での「大人」?
「静寂」「平穏」に身を置けば 「安心」と「歓び」が体に満ちてくる。
宇宙の豊かさを実感すれば 全てを許し 愛し 思いやり 和合しあいたくなる。
そうやって思い出すことで いつでも私たちはそこへと戻っていくことができるのです。
安らぎの彼方 それはすなわち 「魂の故郷」
しかしそれは遥か彼方に 遠くにあるわけではありません。
目を閉じて 心も感情も鎮め その奥にある魂からの声に耳を傾けてください。
そして 心と魂とを 肉体の檻から解き放てば
今 この場にいながら 魂の故郷へ やすらぎの彼方へと戻っていけることを感じてください。
そうすれば「ようこそ やすらぎの彼方へ」「ようこそ 魂の故郷へ」と宇宙が迎え入れてくれるのを実感できるでしょう。
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この曲集に関する 演奏会での解説は ⇒ こちらでご覧いただけます
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