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楽器の演奏法

 



2)演奏とは

 

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〔楽器を弾くことが目的ではない〕

「演奏」とは何でしょうか? 楽器を奏でることです。しかし 「楽器を奏でる」というのは それ自体が目的ではありません。大抵の人はこれを理解していません。または 誤解しています。ですから楽器を演奏しています。一所懸命に楽器を演奏しています。しかし これが間違いなのです。

楽器を演奏するのは「音楽を奏でる」為です。そのための道具として楽器を使っているのです。では「音楽を奏でる」とは どういうことなのでしょうか?

人間の行為(=身体の動き)は 「意志」と「意識」が元になっています。「こういうことをしよう」と思って身体を動かすのが「意志」によるものです。あるいは「歩く」というのは 足の動きを気にかけなくても自然と歩けますが これは「意志」よりも「意識」で行動している例です。それら「意志」「意識」は 「思考」=「想念」です。想念は「念波」となって発信され発散されます。この「意志」と「意識」が元になって 「話す」「動く」という行動となります。

ということは 「演奏」行為もまた 「意志」と「意識」の結果です。「念波」は 光の百億倍の速さで四方八方へと拡散されます。つまり (思った次の瞬間には)宇宙全体へと伝播されます。ということは 私たちが頭の中で思ったことというのは 「宇宙全体に向かって宣言している」ということなのです。例外はありません。全ての思考がそうなのです。「今日は餃子を食べよう」と思ったのも 全宇宙に発信されています。「暑いな〜」と思ったもの 全宇宙に発散されています。「楽しいな〜」と思ったのも 全宇宙に伝播されています。では あなたは「どういう思い」を全宇宙に対して発信したいですか?

これが「祈り」です。そして この仕組みを知っていて 「では自分は何を発信するのか」を自覚しているのが「悟った人」なのです。

「演奏」とは「祈り」です。その「祈り」の一形態が「音楽を奏でる」ということです。その音楽を奏でる手段の一つが「楽器の演奏」です。ですから 楽器の演奏法を習得するのは それ自体が目的ではないということをしっかりと理解しましょう。つまりは 楽器と格闘していないか随時確認しましょう。

 

しかし 楽曲によっては「感情表現」を目的としたものもあります。例えば 中国の音楽は基本的には「喜怒哀楽」という感情の表現です。あるいは 雰囲気や色合いを表現する(いわゆる環境音楽やBGMなどの)音楽もあります。それらの全てが「祈り」なのでしょうか? 

演奏というのは 聴衆に聴いてもらうことを目的としていますが では何が聴衆に届くのでしょうか? 楽曲の響き/楽曲にこめられた作曲者の想念/楽器の響き/楽器を作った人の想念/会場の響き/会場を造った人の想念/演奏者の想念 など 幾つもの波動の複合なのです。しかし 演奏者には自らの想念以外には何も変えられません。会場の響きは変えられません。その曲を作った時の作曲者の想念も変えられません。楽器を作った人の思いも変えられません。演奏者に左右できるのは自身の想念だけです。それぞれの楽曲が「最高に素晴しい状態で存在する(=演奏される)」ように それを100%「最高に素晴しい状態」へと向けることで 全体の中の他の要素(=楽曲の響き/楽曲にこめられた作曲者の想念/楽器の響き/楽器を作った人の想念/会場の響き/会場を造った人の想念)も生かされるのです。そのような 「全ての存在が最高に素晴しい状態であるように」と思うことが祈りなのです。 

演奏というのは 音を通して「想念」を聴衆に送っている そしてその「想念」とは「祈り」である。これが演奏の本質なのです。

 

 

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