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子育てについて

Ⅳ 誕生後・・・生後13(または15)ヶ月まで

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歩けない時期=胎児の延長=100%の保護を必要としている時期=「受動」の時期

 この世に生まれた生命=肉体と共に生きる生命は はじめ母親の胎内で育ちますが やがて出産=肉体がこの世において母親の胎外へと出てきて 独立した存在として育っていくことになります。
 しかし 子供はまだ 独立していません。ものごとを物質として 物体としてのみ見る人たちにとっては 親と子とはすでに別々の独立した存在だと思えるかもしれません。しかし 子供はまだ独立した存在ではありません。
 生まれてきてからおよそ一年間は 子供はまだ歩けません。歩けない=移動できないということは 自分の肉体を守るすべが無いということです。では一体誰が守ってくれるのでしょう。それは親です。
 人間以外の動物の子供は 生まれてきてから歩けるように(移動できるように)なるのにそんなに時間はかかりません。僅か数分で歩けるようになります。それなのに 人間の子供は 歩けるようになるのにおよそ一年もかかってしまいます。ということは 歩けるようになるまでは 他の動物の場合には胎内に居るのですから 本来は人間でも胎内に居るべき期間だとも言えます。ですから 出産後 歩き始めるようになるまでのおよそ一年間は 胎児の延長だと言えます。胎児期の続きです。
 この 最初の一年間は「胎児期の延長」だという認識が この時期の子育てにおいて最も重要なことになります。
自分で歩けない=移動できないということは 自分の肉体を守ることが出来ない訳ですから 歩けるようになるまでは 子供は親からの100%の保護を必要としているということになります。そして この「100%」とは 子供という存在の100%です。

 自分で移動できないということは 能動的な行動ができないということです。この時期は 子供はまだ受け身の受動の時期です。親から与えられるものを 親からされることを そのままに受け止めるだけの時期です。受け止めるだけの時期だと言うことは 全てを受け止めているということです。ですから 親のしていること・与えているもの・与え方・親の考えていること・感じていること それら全てを子供はそのままに受け止めています。そして それが後のその子供の性格・人格を形作っていくことになります。

あの世とこの世との違いを認識し体感していく時期

 生まれてきた=胎内から出てきた子供は 段々と胎内とは違った聞こえ方に慣れていき 
目も見えるようになっていきます。あるいは 母親に抱かれたり 乳を吸ったりを通して触角で感じることを体験し育んでいきます。胎内ではいつでも一定の温度でしたが 外に出てくると温度差を感じます。
 これらは 胎内に居た時との違いですが 同時に生命体そのもの=魂が子宮に入ってくる前の あの世での状態との違いを体感していく過程でもあります。
 しかし 違いを体感していくというこの時期には 親は子供を守るということもまた大切なことです。ですから 子供にとって守られている環境を用意すると共に 子供が様々な感覚を育んでいけるようにするという両面が この時期の子育てにおいて必要になります。
温度・・・大きな温度差は避けます。風(窓からの・扇風機やクーラー)にはなるべく当てないようにします。なるべく23度に近い温度に保つようにします。子供の肌に当たるもの(服・タオル・手・哺乳瓶の吸い口・飲み物など)は予め体温に暖めておきます。
音・・・大きな音には当然びっくりします。特に衝撃音・打撃音にはびっくりします。
床の振動・足音・窓や戸の開け閉め・呼び鈴なども衝撃音です。
穏やかな音楽をずっと流しておくようにします。それによって周りからの雑音も緩和されます。
話しかける時には 「速度」と「方向」とに気をつけます。きちんと子供の方を向いて 穏やかに話しかけます。
光・・・新生児は生後すぐにはぼんやりとしか見えてないようですが 日に日にはっきりと見えるようになります。しかしものの形を捉えるよりも まずは光に反応します。大人にとって眩しい光は 子供にも当然眩しく感じられます。子供を抱いている時に子供の顔が上を向いていると 電灯の光が眩しいことがありますので気をつけます。
蛍光灯・省エネ電球は目に良くありませんので なるべく白熱灯にしますが 眩しいので覆いをします。ハロゲン灯は特に眩しいので気をつけます。
しかし 一番眩しいのは 太陽光です。直射日光は生後百日まで避けます。
暗いところ⇔明るいところの移動 つまり明暗の急激な差にも気をつけます。
触覚・・・子供の肌に触れるもの(タオル・布団・枕・服など)の質感と温度 そして触れる時(これは特に抱き上げる時と布団に置く時ですが)の速度と方向とに気をつけます。抱き上げる時には 子供の体温と同じ温度の手で 子供の息の速度でフッと手を掛け そっと持ち上げます。子供に気付かれないようにという位にそっとです。

目が見えるようになる・・・あの世とこの世との違い

 この世では 目に見える全てのものが「物質」です。それら物質のほとんどが固体であり硬いものです。そして ほとんどのものは動きません。これはあの世から生まれて来てみると とても不思議な光景です。ですから その様な この世の情景=この世での物質のあり方に徐々に慣れていくように 子供の視界に入るところにモビールを吊るします。
 モビールは一般にも 乳幼児に良いということでいろいろなものが売られていますが しかしそれらのほとんどが 一体何のためにモビールを吊るすのかを理解していなくて作られているもののように見受けられます。モビールは そのゆらゆらと動くことが あの世とこの世=非物質の世界と物質の世界との橋渡しになることを目的としています。ですからそれに適った作りになっていなければ意味がありません。モビールは簡単に手作りできますので 出産までに胎児と一緒に作っておくと良いかと思います。
 吊り下げるものの形は 平面でも立体でも良いですが 両方を使った方が良いかもしれません。正三角形・正方形・六角形・八角形・星型・円形・楕円形などの平面と 正四面体(正三角形×3面)・ピラミッド型・正六面体(正方形×6面)・渦巻き型 などの立体を厚紙で(ある程度厚みのある紙でないと反ってきてしまいます)作ります。 色は塗るか 色付きの厚紙を使うか 色紙や金属紙を張るかします。更にラメを入れてキラキラ光が反射するようにします。

全てが目新しい

 子供にとっては 目にするもの全てが目新しく 興味をそそるものです。身の周りには沢山の初めて目にするもの 耳にするものがあります。それらを子供は 一つ一つ触って確認しようとします。
この 全てが子供にとって目新しく 興味をそそるものだということを理解し受け入れて共感し合うことが 子供の成長にとってとても重要なことです。親の立場=大人の立場=この世に長く居る人の立場から 「そんなの当たり前のこと」という態度で子供の接するのは 子供のいろいろなものへの興味や好奇心を削ぐことになり ひいてはものごとに無関心な人間に育てていくことになります。
 大人だって 初めて旅行する土地ではいろいろなものが目新しく 興味を惹くのではないでしょうか? 子供にとっては 育っている場=家庭というのは まさにその様な初めて訪れた土地です。なぜなら 子供はあの世からこの世へと来たのですから。ですから 目にするもの全てに興味を持っても当然です。しかし 大人でも 旅行先で何に興味を持つか 何に関心を持つか あるいは何を見て何を感じるかは人それぞれです。同じものを見ても 感動する人もいれば 興味を示さない人もいますし 全く無関心な人も あるいは目の前にあっても見えていないのではないかと思わせる人もいます。興味を持たない・無関心・見えていない といった反応をしてしまうのは 子供のときに親からそう育てられたからです。子供の興味を削ぐような反応を親がしていたからです。
 つまり 子供の興味を削ぐような反応・対応をすると 子供は鈍感な人間に育つということです。
固体や液体が存在する。動かないものと動くものとがある。いろいろな色がある。いろいろな形のものがある。それらは全て 子供にとっては目新しく興味深く面白いものです。この子供の「全てのものが目新しい」「全てのものが興味深い」「全てのものが面白い」という視点を親がどこまで共有できるか・共感できるかが この時期の子育てにおいてはとても大切な点になります。

触って・舐めて認識する

 目に見えるものに対する興味から 座れるようになると両手をある程度自由に使えるようになり 更に這ったり歩いたりできるようになると いろいろなものを実際に触ってみて その質感を 感触を体験するようになります。
 その始まりが 口で感触を味わうことです。新生児にとってはまず 母乳を飲むというのがほとんど唯一の行動です。ですから新生児にとっては 口で(あるいは唇で)何かを感じるというのが触感の始まりになります。座ったり這ったりできるようになると 何でも口に入れてみる子供がいますが これがその理由です。口に入れるのは触角のためであって 味覚を味わうためではありません。手の触覚よりも 口の触覚の方が発達しているからです。
 ですから 子供が口に入れたら困るものは 子供の行動範囲には置かないようにします。棚や押入れの中にしまうようにします。床にはゴミや埃が無いようにします。それ以外のものは 子供にとっては全てが「目新しく」「興味深く」「面白い」ものなのですから きちんと舐めたりしゃぶったり触ったりして そのものの質感を感じ取れるようにします。
 決して 「これは口に入れるものではありません」などと言って禁止しないことが大切です。子供にとっては 何が口に入れるもので 何がそうではないものなのかの区別はありません。ただ全てのものを口に入れるというやり方で そのものの存在や質感を確認しているだけです。
 これは子供が成長してからの 感性に影響を与えます。物事をきちんと感じるということをして育ったかどうかによって 成長してからの物事への接し方が違ってきます。更に 何かを禁止されたらば 子供の心の中には 抑圧感・不満感・威圧感といった 「不自由な」気持ちが蓄積されていくことになります。
 テレビは ほとんどの家庭にあるようですが 子育てにおいては必要ありません。特に三歳半までは必要ありません。テレビから出る電磁波・音声・光の明暗 そして番組の内容 それら全てが100%子供にとって有益であるという確信があるならばテレビが有っても良いかもしれませんが 多分それは無いでしょう。そして 更に肝心なことは テレビを見ても それは「見る」「聞く」という行為だけであって その他の感覚は使わないということです。テレビで何を見ても その感触は分かりません。温度も分かりません。味も匂いも分かりません。それでいて 「見た」ということであたかも体験したかのように思い込んでしまうのは 将来 感性の鈍い 感覚の範囲の狭い人間の育てることになります。
子供にとっては 「見て」「聞いて」「触って」「味わって」「嗅いで」五感の全てを使ってそのものと接することが大切ですから テレビはそれを満たすことができませんので必要ないということです。


立ち始め・歩き始め・・・自立心・独立心・依存心

 生後一年ほどで 子供は歩けるようになります。その前に 「つかまり立ち」の時期があります。この 立ち始める時期・歩き始める時期とは すなわち 子供にとっては移動できるようになる時期であり 自立への第一歩となります。ですから その自立の第一歩を損なわないようにするのが この時期に気をつける点となります。
 ☆立とうとしている子供の手を引っ張ったりして立たせない。 
 ☆歩く時に 子供の手を引っ張らない。
 ☆歩行器は使わない。
 ☆歩けるようになるまでは 滑り台で遊ばない。
 ☆子供の移動は 抱く・負ぶうという 母体と接触した形が基本ですから 乳母車・バギーなどは歩けるようになるまでは使わない。
 必ず 子供が「自分の力だけ」で 立ち上がったり 歩いたりするようにします。決して 老婆心から手を貸さないようにします。人生で最初の「立つ」「歩く」自立の第一歩の時に他人の手を借りるということは 自立心ではなく 依存心を育てることになります。何かにつけて 身の周りの人の助力を当てにする人間に育ってしまいます。ですから この時期に決して 子供に手を貸さないことが肝心です。
 乳母車・バギーなどを使わないのには もう一つ理由があります。子供は「生命」であって 荷物ではありませんから 荷車のような乳母車・バギーなどに乗せるものではありません。それによって 子供は「親に大切にしてもらった」という感覚を得られるでしょうか? それは 母親との一体感を感じ続けてこそ 感じられるものです。決して 親の便利のために 親の都合で 子供と親との一体感を損なわないようにします。そして母親との一体感を保ち続ける他に もう一つ乳母車・バギーなどを使わない理由があります。それは子供の背骨の成長 特に尾?骨の成長と関わっているからです。
 抱っこ・おんぶで育った場合には(その振動と母親との一体感とによって)子供の尾?骨は健全に成長します。しかし 乳母車・バギーなどを使った場合には その振動および母親との一体感が得られないこととが原因で 尾?骨は健全に発育しません。その結果何が起こるかというと 思春期になってから いわゆる「きれる」子供になります。感情がデジタルな子供になります。つまり 感情的にも精神的にも不安定な子供に育ってしまいます。それを埋め合わせるために 思春期以後無意識に 太鼓や低音の振動の大きな(ディスコなどの)音楽を聞いて(というよりも振動そのものを身体で感じて)尾?骨に刺激を与え 幼児期に満たされなかった埋め合わせをしようとします。世の中一般に 振動音・打撃音の大きな音楽や 太鼓を中心にしたリズム系の音楽が多く聴かれているのは このことが原因です。

食事

 生後13ヶ月の間の食事は 母乳 → 母乳+牛乳 → 母乳+動物性たんぱく質の流動食 → 固形食 とその内容が変わっていきます。およそ13ヶ月目で歯が生え 歩けるようになり その時にはほぼ 大人と同じ食事ができるようになります。(勿論口に入れやすいようにする必要はありますが。)
 生まれてからの食事は 母乳が基本です。なぜならば それが自然だからです。別の表現をすると 人間はそう創られているからです。
 栄養の内容が 人間の子供に適している
 免疫力が付く
 子供が欲した時にすぐに飲める
 母親との一体感を感じられる などのメリットが母乳にはあります。
 生後の三ヶ月は 母乳だけで充分なはずです。母乳が充分に出ない場合には 温めた手で 乳房を下から手のひらで持ち上げるようにします。しばらくこうしていれば 乳の出が良くなる筈です。
 六週間を過ぎたらば 母乳以外のものも与えてみます。この時期から母乳以外のものを与えるのは 栄養のためというよりも いろいろな味に慣らさせるためです。実際に栄養的に母乳では足りなくなってくるのは三ヶ月の頃からです。
 まずは 牛乳を与えてみます。37度に暖めて 少し蜂蜜を加えて甘味を付け しばらく哺乳瓶を逆さまにして吸い口も暖めます。
 (哺乳瓶と吸い口はいろいろなものがあるようですが ピニョンの「母乳実感」というものが 最も本物の乳首から吸う感触に近いものとなっていますので 母乳を飲んでいた子供にとっては抵抗無く哺乳瓶からも飲めるようになるはずです。)
 蜂蜜味の牛乳を飲むようになったらば 次に この蜂蜜入り牛乳にバターを混ぜます。200ccの牛乳にバターを1cm角くらい混ぜます。
 生後百日を過ぎる頃に 首が据わります。そうしたらば 牛肉スープを与えます。牛肉を白菜と人参と一緒に一時間ほど煮込み フィルターで漉して 少し塩味を付けます。このまま与えても良いし 牛乳と半々に混ぜても飲みやすいかもしれません。
 これにも慣れたらば 次は卵牛乳を与えます。これには産卵後三日以内の新鮮な卵が必要になります。(なぜならば 産卵後三日以内の卵は「生きて」いますが それ以後のものは「死んでいる」からです。三日以内のものは暖めれば孵化しますが それ以後のものは孵化しません。) 200ccの牛乳に卵黄を一個入れてかき混ぜ 味を付けます。(卵白は生後13ヶ月になるまでは与えません。)これに慣れたら 卵黄の数を二個に増やします。この卵牛乳はこの後数ヶ月間与え続けます。一日に200ccの卵牛乳を三本飲むとすると 毎日新鮮な卵が六個必要になります。
 その次は 流動食です。初めに クリームチーズ・フォアグラ・パテなどを滑らかにしたものを与えてみます。(スプーンなども37度に暖めておきます。)
 基本的に 初めの13ヶ月に与えるのは 動物性たんぱく質です。なぜならば母乳自体が動物性たんぱく質だからです。ベジタリアンの人たちは「牛乳は子牛のためのものであって人間の子供のためのものでは無いから与えない」と考えて 牛乳の代わりに豆乳などを与えることがあるようですが 豆乳=植物性たんぱく質は 本当に母乳=動物性たんぱく質の代わりとなるのでしょうか。生後13ヶ月間は胎児期の延長だということからしても この時期には母乳及び動物性たんぱく質のものを中心とした食事にするのが理に適っています。(ただし これは母親にも動物性たんぱく質を中心とした食事を薦めている訳ではありません)
 食事の時にも 必ず子供に話しかけてから与えます。子供が返事をするしないに関わり無く どういう食事なのか・どういう味なのか・それを食べてどんどん成長することなどを必ず話しかけ 「美味しい」「楽しい」という感覚を共有するようにします。ですから 食事に関しても 決して親の思い込みや願望を子供に押し付けないようにします。子供は親が頭で考えた栄養によって成長するのではありません。親の愛情と 楽しい・嬉しいという感情とによって成長します。

生活のリズム

 新生児は 一日のほとんどの時間寝ていますが おおよそ三時間~四時間くらいごとに母乳を欲して目を覚まします。しかしこの間隔は子供によってまちまちです。決して「何時間ごとに授乳する」などと決めないようにします。子供を時計に合わせる必要はありません。子供が欲した時に授乳します。
 授乳してからしばらくして 排便します。小便か大便か あるいは両方です。ですので 子供が目を覚ましたらば まず授乳し そして排便したらオムツを替えます。
 子供の睡眠は決して中断しないようにします。
 このように 新生児は 睡眠・授乳・排便を三時間~四時間のリズムで繰り返します。
 ☆もしも うまく乳首を吸えない場合には 乳首をくわえる角度を変えてみます。全ての子供は乳首のくわえ方・母乳の吸い方を本能的に知っています。ですから うまく吸えないのは100%母親の責任です。
 一回の授乳は15分くらいでしょう。それよりも短いのは お腹がすごくすいていて 飲んでいる途中で眠くなってしまうからか 飲んでいるうちに乳首をくわえる角度が変わってきてしまうからかです。
 ☆赤ちゃんが泣くのは ①お腹がすいた時 ②排便したい時 ③身体の何かが不快な時 以上三つの内のいずれかです。つまり 何かが不快だから泣くということです。ということは 子供を泣かせるのは 子供を不快にさせているということになります。
 子供が泣いたらば まずは授乳します。もしもそれで泣き止まなければ 別の何かが原因だということになります。
 排便したい時に泣くのと 排便した後でオムツの中が不快なので泣くのとがありえます。
 身体の何かが不快な場合とは 例えば身体に直接当たってる服やオムツや布団の何かが痛かったり 布団を掛け過ぎて暑かったり ということがありえます。もしも夜中に泣くのであれば 部屋の中が暗すぎるのかもしれません。
 しかし 上記三点に当てはまらないこともありえます。原因をいろいろと探したけれども 分からずにずっと泣いている...もしもこれが幾日も繰り返されるようであれば それは出産時の体験を怖がっているか 胎内にいた時に何かを「怖い」と感じたそれを思い出しているかの可能性があります。この場合には 抱いて「もう怖いことなんて無いんだよ」「いつでも安心ですよ」と繰り返すしかありません。

即答と一体感

 生後三歳半までは 親は常に子供と一緒に居るのが基本です。特に最初の13ヶ月は親の存在は不可欠です。
 子供が眠りから覚めて目を開けたならば 必ずそこに母親の顔があるようにします。胎児期の延長であるこの時期の子供にとっては 親の姿が見えないことは大変な恐怖です。自分と母親とは一体なのに その母親の姿が見えないということは 子供にとっては 宇宙から見捨てられたのと同じことです。こういう恐怖感が子供に良い影響を与えるはずはありません。大きくなってからも 大人になってからも「何かと怖がる」「一人ではいられない」「他人に依存したがる」ようになります。ですから 子供が眠りから覚めたらば 必ずそこに居るようにします。
 一人遊びができるようになっても 必ず親の姿が子供の視界に入っているようにします。
 それと同様に 子供が何か話しかけたらば 必ず「即答」します。すぐに返事をします。子供にとっては 「今」しかありません。子供は 時間の無いあの世から生まれてきました。ですから 子供には「過去」も「未来」もありません。ただ 存在している「今」しかありません。
ですから 子供にとっては 「後で~しようね」ということは理解できません。この「今しかない」という子供の感覚を親が理解し共感することもこの時期には大切な点の一つです。


抱く/背負う

 いわゆる「だっこ」「おんぶ」すなわち「抱く」のと「背負う」のは13ヶ月までは非常に重要です。胎内では大事は常に母胎と接触していました。それが 生まれてきたらばいきなり接触が無くなるのです。これは赤ちゃんにとっては非常な恐怖です。
 もう一つ「だっこ」と「おんぶ」が重要な理由があります。赤ちゃんはどんどん成長します。背骨も成長します。この時に 適度な刺激が与えられると背骨は正常に発育します。しかし 刺激が少なすぎると正常には発育しません。背骨の成長のためには常に適度な振動が必要なのです。負ぶっていれば あるいは抱いていればいつでも振動しています。これは特に背骨の一番下の尾てい骨の発育にとって重要です。
 尾てい骨がきちんと発育しないと 後に「わがままになる」「駄々をこねる」「癇癪を起こす」「意地悪になる」「他の子をいじめる」などの症状が出てきます。つまり これらは尾てい骨がきちんと生育していないことが原因です。 
 昔の日本では そういう子供はいませんでした。今でも アマゾンの奥地の先住民たちには そういう問題を起こす子供はいません。なぜならば 歩けるようになるまでは 常に抱くか負ぶうかしているからです。
 ということは 乳母車やバギーは使わないということです。赤ちゃんは荷物ではありません。あくまでも生命として接しましょう。人間以外の動物は 基本的には生後すぐに歩けるようになります。人間だけが歩けるようになるまで13ヶ月も掛かるのです。この 歩けるようになるまでの期間というのは胎内での生育の延長です。本来はまだ出てきてはいけないのです。ですから 歩けるようになるまでは 「まだ胎児なんだ」というつもりで瀬します。



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