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アール・ヌーボー様式の始まり

~その意味と目的

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(ここでは 芸術様式の説明ではあっても
主に視覚芸術=美術=絵画・彫刻・建築)を扱っていて
それ以外の 音楽・文学・舞台芸術(=演劇・歌劇)・印刷・織物などにはほとんど触れていません。)


アール・ヌーボー様式は 19世紀後半から20世紀初めまで
すなわち1880年代から1914年頃まで続いた芸術様式です。

1)アール・ヌーボー様式の始まり~その始まりと理念と特徴

アール・ヌーボー様式も 突然出てきたものではありません。

18世紀前半にヨーロッパおいて 産業革命が起こりました。
石炭を熱源として それ以前の熱源である木炭よりも強く温度が高いために
金属の加工が容易になりました。
そして 蒸気機関が発明されました。
金属を加工して機械を作り それを蒸気機関で働かせ
様々なものが機械によって生産されるようになりました。
それまでは人間が手で作っていたものが 機械で作られるようになったのです。
つまり 大量に 安く 均一に作られるようになりました。
それに伴って 人間の労働は「ものを作る」ことから
「機械を操作する」ことへと変わっていきました。
そして 世の中は そのような機械を作り工場を建てられる金持ち=資本家と
工場で働く労働者とに二極化していきました。
農業が中心だった時代には 人間も自然に則って 日の出以後に起き 日没後に寝
春になったら種を蒔き 実が実ったらば収穫する
そういう生活を送っていました。
しかし 工場で機械を働かせるのはそのような自然の営みとは関係なく出来ます。
毎日24時間 一年中機械を使った方が効率が良いのです。
そうやって人々の生活は 自然から離れていきました。
機械の=工場の=資本家の都合で昼夜を問わず季節を問わず 労働者たちは働くことになったのです。
そして 機械で作られるものには 人間の手作りとは違って「心」がこもっていません。

そういう世の中になっていくことへの危惧や反発が起きてくるのは当然です。
機械で作るのではなく 手作りで気持ちのこもった質の良いものを作ろう。
機械の都合で作られた画一的なものではなく 一人ひとりの生活に即したものを作ろう。
そう思った人々が 産業革命の始まったイギリスに現れました。
先ずは 「アーツ&クラフト運動」として 
そして「ヴィクトリア朝様式」として
その後「前ラファエロ派」として。
そして これらの流れに参加した人々は 「人間の生きる意味」をも考えました。
そして キリスト教が説明してきた「この世」と「あの世」についても疑問も持ちました。
そして「人生」について 「世の中」について 「宇宙」について探求しつつ
芸術作品を生み出していきました。
それはすなわち「霊性」についての探求でもあります。
イギリスでのこれらの流れが その後大陸に渡ってきて(イギリスから一番地理的に近い)
ベルギーで「アール・ヌーボー芸術」として花開くことになります。

つまり アール・ヌーボーの基本は「霊性」の表現なのです。
「この世」と「あの世」との関係の表現なのです。
それは「人間と自然との関わり」や「宇宙のあり方」の表現なのです。
そして「人生を生きる意味」の表現なのです。
それまでの1900年間にキリスト教が
世の中を支配し統治し管理してきたにもかかわらず
説明してこなかった(=隠してきた)ことを
探求し 実行し 表現したものなのです。

ですので その表現は「この世的=物質的」表現とは違ったものになりました。
美術品という物質を使いながらも 「あの世=非物質」の世界を表現しようとしたのです。

しかし アール・ヌーボー様式は美術だけではありません。
その一番の理念は
「この世での人生が全てではない=この世とあの世とを通した人生が本当である」
ということであり すなわち
「この世での人生はあの世からの人生の続きである」ということです。
そして更には「この世での人生」よりも「あの世でのあり方」の方が本来である ということです。
つまり この世ではその本来の生き方が出来ていないということでもあります。

それらを表現するために
アール・ヌーボーは以下のような特色を持つようになりました。

1)総合芸術
あの世=天国では全てのものが美しいのです。全てのものが素晴しいのです。
なぜならば神様=宇宙が作り出したものは全てが美しく素晴しく作り出されたからです。
それを表現するために「生活に関わるあらゆるものが美しくあるべきだ」として
生活に関わるあらゆるものをアール・ヌーボー様式で美しく作ろうとしました。
それがために総合芸術となったのです。
結局は 芸術としての美しさだけではなく 世の中全体が美しくなるように
ということを目指していたのです。
ですから アール・ヌーボーの芸術家たちは 反帝国主義であり反資本主義であり
それはすなわち 社会主義的な考えを持ち 全ての人のための芸術を目指し
(個人でアール・ヌーボーを注文できるのは大金持ちに限られましたから)
建築をはじめとして公共のものをアール・ヌーボーにしようとしました。

2)永遠の青春性
あの世では歳を取りません。
なぜならば 「時空間(=時間と空間)」があるのは物質世界であるこの世であって
非物質世界であるあの世には時空間は無いからです。
歳を取らないことを表すには 老人の姿では表せません。
ですので アール・ヌーボーの人物像は誰もが青年です。

3)中性性
性別 すなわち女か男かは肉体の違いです。
しかし 非物質の世界であるあの世には 肉体という物質はありませんから性別もありません。
それを表現するために アール・ヌーボーの人物像は中性的な顔立ちや体型で描写されています。

4)夢
人間が この世に生きながらも あの世を垣間見ることができるものの一つが「夢」です。
夢を見ている間は 私たちは肉体はこの世に置いておきながらも
魂はこの世から離れてあの世に居ます。
ですので 「夢のような」「夢想的な」表現をとりました。

5)自然
人間もまた自然界の中に存在しています。自然の営みを変えることはできません。
どんなに照明を付けたり消したりしても 日の出と日の入りの時間を変えることはできません。
ですので アール・ヌーボーは自然界の植物をモチーフとして多用しました。
人間よりも動物の方が 動物よりも植物の方が「個体」としての意識や意思が弱いのです。
そして その方があの世=宇宙と繋がっているのです。
物質世界の自然界には 直線はありません。曲線だけです。
ですので アール・ヌーボーは曲線を主としました。

6)光
あの世は光の世界です。
ですので この世における光はこの世とあの世との架け橋です。
アール・ヌーボーは光を重視しました。
ですので 窓を大きく作って室内を明るくしました。
ステンドグラスやガラス器を作りました。

2)アール・ヌーボー様式の表現

アール・ヌーボー様式の特色は
☆総合芸術
☆霊性の重視
であり
その表現の特色は
☆曲線
☆細かな装飾
☆金属やガラスの多用
☆(建築における)それぞれの彫像性を生かした 木/石/鉄/ガラスの組み合わせ
更に絵画においては
☆平面的な描き方
☆緻密な写実主義的な描き方
☆キリスト教を題材として復活
などです。

3)アール・ヌーボー様式のジャンル
☆建築
☆内装
☆家具
☆照明
☆ステンドグラス
☆装飾品
☆ガラス器
☆食器
☆絵画
☆彫刻
☆ポスター
☆衣装
☆装身具
☆音楽
☆文学


すなわち その理念のとおり「生活に関わる全てのもの」です。

☆建築
建築におけるアール・ヌーボーは ベルギーのヴィクトール・オルタが創始者だとされています。
しかし もう一つスペインにおけるガウディーもまたその一人です。
ただし オルタの始めたものは その後アール・ヌーボー運動として波及していきましたが
ガウディーのものはそうならずに 彼だけのものとなっています。
建築におけるアール・ヌーボーの特徴は 
1)素材として石/木/鉄/ガラスを組み合わせたこと
2)それらの素材それぞれの彫像性を生かしたこと
3)鉄の彫像性と強靭さとを利用して 柱を細くし 窓を大きくし 建物の中を軽く明るくしたこと
4)曲線の多用
5)内装や調度品との一体化
などです。

ヴィクトール・オルタがアール・ヌーボー建築の創始者とされており
個人の邸宅や公共建築を設計していますが しかし彼は
40代に入った20世紀はじめにはアール・ヌーボー様式から離れていっています。
アンリ・ファン・デ・フェルデはベルギーからドイツに移り
教師としても活躍したことから アール・ヌーボー建築を主導しました。
その他 ポール・アンカーやオットー・ヴァーグナーをはじめとする多くの建築家が ベルギー各地/ウィーン/プラハ/ナンシーなどで
世紀の変わり目にアール・ヌーボー様式で建物を設計しています。

☆内装
装飾性を重視しているということで 壁は淡色ではなく柄の有る壁紙が張られました。
ですので 壁紙専門のアール・ヌーボー芸術家たちがいました。
自然界を模した(=植物をモチーフとした)ものが主流となりましたが
これはイギリスのヴィクトリア朝様式からの繋がりの表れでもあります。

☆家具
家具は木で作られていますが 金属を使った部分もあります。
木と金属との一体感/統一感を重視し かつ手に触れる部分は
「手となじむ」(=手を触れたときに違和感が無く
手との一体感が感じられる)ようにデザインされました。
つまり 一見すると「装飾重視」のように見えますが 
実はそうではなく「実用性重視」なのです。

☆照明
照明器具は金属で作られました。
アール・ヌーボーの時代には 
照明はガス灯から電灯へと代わっていきました。
ガス灯は街灯や建物の外壁或いは天井に付けられたものでしたが 
電灯になりますと固定する必要はなくなり ですので卓上電灯なども出てきました。
形としては 植物を模した すなわち葉/茎/花びらをイメージさせる形状のものが多くなりました。
また ガラスを使うことによって 光と色との効果を発揮させました。

☆ステンドグラス
中世の教会や邸宅でステンドグラスが多用された それを復活させました。
ステンドグラスは 様々な色のガラスを使うことによって
「天国(=あの世)=光の世界」を現していますので
アール・ヌーボーがこれを復活させたのは当然のことでしょう。
曲線が基本ですので ガラス板の表面を平らではなく波打ったように作る
「ティファニースタイル」が発明され流行しました。
「この世」と「あの世」とを結ぶものの一つが「光」であり もう一つが「音」です。

☆装飾品
過去の総合芸術は キリスト教を基本としており ですのでキリスト教を題材としていました。
そのために 装飾品は総合芸術の中には含まれていませんでした。
(というよりも 装飾のための装飾品を部屋の中に置くということが無かったとも言えます。)
しかし アール・ヌーボーは「生活に関わる全てのものを美しく」ということを目指しましたので
部屋の中を飾るための装飾品も作られました。
そして それらは家具や壁紙との調和の中に置かれるものです。

☆ガラス器
装飾品の中でも 特に多く作られたのがガラス器です。
ガラスの彫像性/色/光の透過 なとを生かして
実用のために花瓶や果物皿など あるいは全くの装飾品として作られました。
エミール・ガレを代表とするナンシー派が 特にガラス器で有名になりました。
(これは逆に言うと ナンシーではガラス器と建築以外のジャンルでは
アール・ヌーボーはそれほど作られなかったということでもあります。
それは ベルギーの経済的な繁栄とナンシーのそれとの大きな差が原因となっています。)

☆食器
日々の生活の中でも 特に実用品として使うものが食器です。
ですから 食器も全てアール・ヌーボーにしました。
ということは ほとんどがそれぞれの家の特注です。
家紋やイニシャルを入れて作らせました。
しかし 他人の家紋やイニシャルの入ったものを使いたがる人はいるでしょうか?
ですから アール・ヌーボーの流行が過ぎてからは それらは散逸してしました。
ヨーロッパでは 食器は(12がヨーロッパにおける基本数ですから)12人用
或いはその半分の6人用が基本です。
そして 東洋では一膳の箸で用が足りますが 西洋ではフォーク/ナイフ/スプーンと使い
かつ それらも肉用ナイフ/魚用ナイフ/果物用ナイフ/バターナイフなど 幾種類もあります。
ですから それらを6人分あるいは12人分揃えるということは 大掛かりになります。
「全ての人の生活が美しく」を目指したとは言っても そこまで出来る人がどれほどいるでしょうか?

☆絵画
絵画での特徴は 平面的な描写と (中世)写実主義を復活させた緻密な表現です。
しかし それによって「この世」での様相だけではなく 「あの世」との繋がりをも表現しました。
そして 「あの世」でのあり方である「永遠の青春性」「中性性」が人物像で表現されています。
平面的な描き方は 日本の浮世絵からの影響です。
非常に象徴的な表現によってものの本質的な部分を表現していることに
ヨーロッパの画家たちは大きな影響を受けました。
また それはポスターの描き方にも大きな影響を与えました。
アール・ヌーボーは 印象派のような「個人の感性」の表現であはありません。
その作品がどう見えるのか どういう印象を与えるのかが重要です。

☆彫刻
アール・ヌーボーでは彫刻はそれほどには作られませんでした。
(絵画で平面的な表現をとったことが理由の一つです。)

☆ポスター
19世紀後半から万国博覧会が開催されるようになり 国を挙げての「販売促進」が進められていきました。
また 商品を売るための宣伝活動が盛んになりました。すなわち「広告」です。
アール・ヌーボー様式の広告(ポスター)が一世を風靡するようになります。
その代表がアルフォンス・ムハです。
売りたい商品そのものよりも
そのものの雰囲気を表すイメージの方を重視した表現となっていることと
曲線によって(中性性では無く)女性性を強調していることが特色です。

☆衣装
アール・ヌーボーは「反帝国主義」ですので 「反宮廷文化」でもあります。
宮廷内や上流階級の婦人たちがコルセットできつく締めた服を着ていたのに対して 
「女性をコルセットから解放する」ことを目指しました。
人間は裸で生まれてくるのです。コルセットと共に生まれてくるのではありません。
身体を締め付けない 緩やかな衣装が作られ 絵画の中に描かれました。

☆装身具

装身具は 身に付けることによってたんに「飾る」ことよりも 
「身分」や「いかに金持ちか」を表すための道具として使われてきました。
しかし アール・ヌーボーではそうではありません。
神秘主義ですので その装身具を身に付けることによって 
その本人にどういう効果があるのかが重視されました。

☆音楽
アール・ヌーボー音楽の代表者はアレクサンダー・ツェムリンスキーとグスタフ・マーラーです。
(ツェムリンスキーはマーラー夫人の作曲の先生でした。) 
途切れの無い 曲線的な旋律が続いていくことと 
それまでの形式(ソナタや交響曲)と調性の枠に囚われない形での音楽を作りました。
マーラーは「(この世の中での)自然界」や
「この世とあの世にまたがった生と死」などをテーマに作曲していますが 
これがアール・ヌーボーの理念そのものです。

☆文学
アール・ヌーボーの中身は「神秘主義」(=反カトリック)であり
神秘主義とは 非物質の世界(=あの世)と物質の世界(=この世)との繋がりを認識し探求するものです。
そのためには 言語を通さない思考が重視されましたが しかし
その思想を表すためには言語を使った伝達も用いられました。
小説/詩/演劇/歌劇などで言語を使った表現がなされましたが 
演劇や歌劇の台本も文学です。
ですので これら全てが文学ということになります。
アール・ヌーボー文学者の代表が ベルギーのゲント出身のモーリス・マーテルリンクでしょう。
1908年に発表した「青い鳥」によってその三年後にノーベル文学賞を受賞しましたが 
発表から僅か三年で受賞していることで 
この作品の影響がどれほどに大きかったかが分かります。
(この作品は 小説では無く演劇ですが。) 
他の代表作が「ぺレアスとメリザンド」で これは後に
ドビュッシーとシェーンベルクが歌劇にしました。
これらの作品に共通していることが(キリスト教が説明してこなかった)
「あの世」と「この世」との関わりと 「真の幸せへの道」です。


4)アール・ヌーボー様式の終焉
1914年に 第一次世界大戦が始まりました。
(勿論最初からそう名付けられていたわけではありませんが。)
それによって アール・ヌーボーは終わりとなりました。
戦時中は贅沢は出来ません。
いつ壊されるか分からないのに新たに贅沢な建物を立てる人はいません。
そして ベルギーは 第一次世界大戦において 最も 大きな戦禍を被った国です。
ですから 勿論建物を再建する必要がありましたが しかし
それらをアール・ヌーボー様式で建てようという機運にはなりませんでした。
人類史上初めての広範囲における大規模な戦争によってたくさんの人が死に たくさんのものが壊されました。
それに対して 「こんなことは二度と繰り返さないぞ」=「今からはもっと素晴しい世の中を作るんだ」
とはなりませんでした。
「人間というのはどれほどに愚かなんだろう」「またこんなことが起きるかもしれない」という
未来への希望が持てない世の中になってしまいました。
そして 「霊性」という目には見えないものは 理解できる人よりも出来ない人の方が多いのです。 ですから それでアール・ヌーボー様式は終わりとなりました。
戦中戦後の贅沢は出来ない時代に
アール・ヌーボーの「生活に関わる全てのものを美しく」する理念は忘れられてしまったのです。
そして 世の中に新たな「アール・デコ様式」が起こりました。



(2020年2月20日)


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