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宇宙の中での成長

 

《幸也の世界へようこそ》《幸也の言葉》 → 《宇宙の中での成長》

 

 

「成長」という言葉を聞くと 大抵の人は「子供の成長」のことを思います。なぜならば それは目に見えやすいからです。身体が大きくなる。言葉が話せるようになる。字が書けるようになる。計算が出来るようになる。変化しているのが簡単に捉えられます。そしてそういう成長を「誕生日」に祝ったりします。

ところが 大人になると「成長」を意識しなくなります。変化が分からないからです。肉体的にはもう大きくはなりません。何かの能力がどんどん目に見える形で育っていくわけでもありません。しかし 本当は何らかの能力が育っているのです。それらは目には見えないかもしれません。でも成長しているのです。ところが成長と反対のことも起きています。退化です。結局は「成長」も「退化」も「変化」です。人間というのは(人間だけではありませんが)必ず変化します。それが「成長」「進化」の方向に行くか 「退化」の方向に行くかです。

 

そして 私たちは地球人類として「進化」「成長」しているつもりでいます。ところがその「進化」と言われるものを見てみると 実は「進化=変化」しているのは人間のことではなくて 機械のことのようです。世の中がどんどん機械化されていることを(なぜか)「進化」と言っているようです。つまりこれも目に見えやすいからです。ところが 人間は進化しているのでしょうか? つまり人間の様々な能力はどんどん向上しているのでしょうか? していません。逆に低下しています。つまり人類は退化しています。でも人々はそれに気付きたくないのです。だって どんどん機械化されているのです。それらの機械を作り出しているのは人間なのです。ですから進化しているのです。そう思い込みたがっているのです。

 

本当は 人間そのものを見てみれば どんどん退化しているのが分かります。いろんな能力が衰えています。自分自身のことを考えてみれば分かるはずです。電卓を使わずに昔のように計算できますか? ワープロを経てパソコンを使うようになって どんどん漢字を書けるようになりましたか? 逆に書けなくなっていませんか? 誰かの電話番号を思い出せますか? 進化成長していないのが実感できるはずです。つまり「機械に頼る」ようになったのです。それによって 自らの能力は発揮しないように仕向けているのです。つまりは「退化」を選択しているということです。機械が発達することの対価が人間の退化なのです。

 

では「成長」とは「進化」とは 何なのでしょうか?_ 

何かの能力が向上することでしょうか?

 

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私たち全ての存在=生命は 宇宙の中に存在しています。ですから全ては宇宙の一部です。ではなぜ宇宙の中に存在しているのでしょうか?

宇宙というのは意識体です。宇宙意識という。けれども「自分」しかいなかったらば「自分の体験」しかありません。宇宙意識はたくさんの体験を同時に共有したく思って 宇宙意識の部分部分をそれぞれに活動できるようにしました。つまり それぞれに思考することが出来るようにしました。そして それぞれの自由意志による思考を元に様々な体験をする それを宇宙意識が共有するようにしました。

私たちはそういう「宇宙意識の一部分の意識体」なのです。ということは 宇宙意識と同質です。宇宙意識が海だとします。私たちはその海の水の一滴なのです。

ところが 宇宙意識と同質ではあっても同じではありません。海水の一滴は海全体の水と同質ではあっても同じではありません。それと同じことです。コップ一杯の水で喉の渇きを潤すことは出来ますけれども 一滴の水では出来ません。風呂桶一杯の水があれば風呂として入れますが バケツ一杯の水では無理です。風呂桶一杯の水だけでは水泳競技は出来ません。

だんだんと自らを大きくして「出来る範囲を広げる」のです。それが成長なのです。けれども私たちは「意識体」です。意識としての成長をするのです。宇宙意識と同じ大きさになるまでの。

では そもそもの宇宙意識とはどういうものなのでしょうか?

「愛」と「調和」です。

「愛」という縦糸と 「調和」という横糸とで 宇宙という織物が出来ているのです。

そして 愛と調和とは「歓び」「感謝」「受容」「祝福」でもあります。

 

宇宙意識は その中の全ての各部分の(つまり 私たち一人ひとりの)自由な思考を尊重しています。自由意志に基づいて思考し行動するのです。その自由意志を尊重しますから それに対しての「良い」とか「悪い」とかの価値判断はしません。全てをあるがままに受け入れています。これが「受容」です。

そしてそれぞれの存在がそれぞれの体験をしていることを「歓び」「祝福」しています。

そういう様々な体験を共有してくれいていることを「感謝」しています。

 

しかし 自由意志の結果 「肯定」と「否定」というものが生まれます。肯定とは(ポジティブとも言いますが) 宇宙意識の「愛」と「調和」の流れに乗っている状態です。否定とは(ネガティブとも言いますが)宇宙の「愛」と「調和」の流れに反している状態です。本来全ての存在は「肯定」すなわち宇宙意識の「愛」と「調和」の流れに乗っている状態が当たり前であって それによって成長をしています。否定の場合には 宇宙の「愛」と「調和」の流れに反している状態ですので成長はしていません。どちらの状態であっても それでも宇宙意識は価値判断をしません。

そういう 宇宙意識の「愛」と「調和」の流れに乗りながら私たちは自らの認識できる範囲を広げ 意識できる範囲を広げています。それが「成長」です。

 

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私たちは意識体であるということは つまりは「意識」している「想念体」です。それが私たちの本質です。この地上で 私たちは肉体を持って生きていますけれども あくまでも本質は「意識体」=「想念体」です。それが肉体を動かし 様々な体験をしています。

宇宙の中で 「物質」の世界はごくごく一部です。ほとんどは非物質の世界です。そのごく僅かな物質界において私たちは肉体を持って存在しています。そして意識体は物質界と非物質界とにまたがって存在しています。宇宙意識は 私たちの物質界での行動は重視していません。成長とはあくまでも意識体としてのものだからです。私たち人間が この地上でどういう行動をしても それは大して重要なことでは無いのです。ですから どういう仕事をしても どういう業績を上げても どういう成功を収めても それを人々から賞賛されても それらはどうでもよいことなのです。あくまでも「意識体」「想念体」としてのあり方だけが重農なのです。

私たちはこの世で五感という感覚を持って生きていますが それはその五感に縛られて生きているともいえます。目で見える範囲 耳で聞こえる範囲 手で触れられる範囲 というように。(ちなみに これらの感覚器官で 感知できる範囲が広い順に上から付いています。目で見える範囲が一番広く その次が耳で聞こえる範囲 そして鼻で嗅げる範囲 舌で味わえる範囲 皮膚で触れる範囲 です。) それら感覚器官を通して知覚した それが認識となります。しかし 意識体というのはそれらには縛られません。そういう意識体として意識できる認識できる範囲を広げていくことが「成長」です。

 

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宇宙意識は 個々の生命体の体験を判断しません。あるがままにそのままに受け止め その体験を共有します。全ての存在は宇宙意識の「愛」と「調和」の流れに乗って 成長するはずなのです。宇宙とはそういう仕組みに創られているのです。ですから いちいち「良い」「悪い」と判断したりはしません。宇宙意識がそうしているのですから 私たち個々の存在も同様なのです。他人のしていることも 自らがしていることも「良い」「悪い」という善悪を判断しないことが宇宙意識への成長で大事なのです。善悪の判断をしなければ「受容」が出来ます。善悪の判断をすれば受容はできません。宇宙意識とは究極の受容なのです。そして私たち個々の存在は宇宙意識を目指しているのですから 私たちがどれほどに「受容」できるかが成長です。

大事なのは善悪の判断ではなく 「肯定」か「否定」かです。宇宙意識の流れに乗っているか逆らっているか です。より多くの存在と調和し より多くの生命を愛せるようになるのが「肯定」であり「成長」です。

そして そうやって宇宙意識の流れに乗っていれば 自ずと「歓び」の状態にあるのです。「喜び」に溢れた状態にあるのです。

そして そのような喜びを感じているときには 自ずと感謝したくなります。宇宙意識というものを感じ それによって生かされていることを感じ 全ての存在が調和してくれていることを感じると 感謝したくなります。

宇宙意識は 個々の生命がそれぞれの思考によって成長していることを祝福しています。ですから私たちもより多くの存在を祝福できるようになることが成長です。

 

このように「愛」「調和」「歓び」「感謝」「受容」「祝福」の範囲を広げていくことが宇宙の中での成長なのです。

 

「意識体」「想念体」として私たちは思考しています。その「想念」というものがすなわち「自分」:なのです。その「思う」ということによって私たちは「自分の世界」を作り出しています。自分が見ているものは 自らが作り出したものです。自らの想念を見ているのです。想念という想像を物質界で目に見ているのです。ですから 見えている全ては自らの想念です。自らの想念を鏡のように見せてくれる これが宇宙の仕組みです。そうやって自らの想念を認識することで私たちは成長できるのです。

それらの想念の中には「共通の想念」「共有の想念」もあります。「非認識想念」もあります。「共有の想念」とは 例えば地球人類が共有している想念であり認識の仕方です。非認識想念とは 普段認識していない意識であり想念です。例えば「息を吸う 息を吐く」と意識していなくても呼吸できているのは この「非認識意識」によるものです。「心臓を働かせよう」と思わなくても働いてくれているのはこれのおかげです。

そういう「共有の想念」や「非認識意識」をもきちんと認識できるようになり 自らの想念の全てを認識し その範囲を広げていくことが宇宙の中での成長です。宇宙意識とは 宇宙の中の全てを認識しています。宇宙の中の全ての存在が それぞれどういう意識でどういう想念でどういう行動をしているのかを認識しています。それと比べると私たち人間はほとんど何も認識できていません。

(ほとんどの人は「何も認識できていない」ということをも認識していません。)

ということは 宇宙意識までの道のりは長いのです。想念体として(地球の時間で)何億年何百億年もかけて成長していくのです。そういう成長のほんの一瞬を今この地上で過ごしているのです。

学校に一日行ったからといって 何を学べるでしょう? どれだけ成長できるでしょう? 私たちの一回の人生とは 一日学校に行くようなものです。そういう生を幾度も体験することで少しずつ成長していくのです。

 

(物質世界において)「何をするか」ではありません。意識体想念体として何を意識しているか どういう想念を持っているかが重要なのです。どれだけ「愛」「調和」「歓び」「感謝」「受容」「祝福」だけの想念となっているか それだけが重要なのです。そしてそれを物質界で行動として表す そのために私たちは今「この世」での人生を送っているのです。

 

 

(2022/01/28)


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