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楽器の演奏法

 




6)想像する

 

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「想像する」とは(言葉以外のやり方で)「イメージする」「思い浮かべる」ということです。

思考の始まりは ここにあります。私たちは 普段の生活で「言葉」を使って生きています。ですから 「考える」というのも「言葉を使った思考」を自覚しています。

しかし 言葉よりも重要なのが「想像」です。想像があって そして言葉があるのです。ところが 多くの人は「言葉を使った思考」だけしていて 「想像」をしていません。それはすなわち「口先だけで生きている」ということなのです。

「想像」が「創造」の元です。想像力とは創造力なのです。

楽器を演奏するに当たっては 「どういう動き」=「どういうエネルギーの速度と方向」なのかを想像します。音楽の動きも 身体の動きも。そして その想像した=思い描いたのを実現するために 練習をします。

 

〔身体の動き〕

身体の動きについては別項で説明しましたのでここでは繰り返しません。身体の各部位のどこを どのくらいの力を入れて どの方向へと どのくらいの速度で動かすのかを想像します。

 

〔音楽の動き〕

演奏は常に「今出している音」の連続です。

音楽は 今出している音>フレーズの中での位置(起承転結のどこか)>楽章の中での位置>楽曲全体の中での位置>楽曲全体としての表現 というような複合構造になっています。

日本人の民族性は 最後の「楽曲全体としての表現」が弱いところに表れています。きれいな音を出し フレーズもきれいに纏めているのに 「で 曲全体で何を表現し伝えたいの?」という演奏が多いということです。ですから「木を見て森を見ず」ということにならないようにしましょう。(勿論 逆に「森を見て木を見ず」にもならないようにしましょう。)

楽曲全体>楽章>フレーズ>音 つまり楽曲全体の中の楽章であり その中のフレーズであり その中のそれぞれの音だという そのいずれをもきちんと把握し想像し意図するということです。小説で言えば 小説全体の主題>構成>文章の流れ>単語の選び方 ということになります。それぞれの単語の表現にばかりこだわっていたらば 全体としての主題の表現はおろそかになってしまうかもしれません。全体としての表現を重視する余り 文章の流れが雑であっては結局は全体の印象をも損ねます。

全体から細部までの重層構造のいずれをも きちんと想像し意図しましょう。

 

〔想像出来る事と出来ないこと〕

人間は基本的には 自ら体験したことは想像できます。自ら体験したことの無いことは想像できません。(例えばあなたはスワヒリ語を想像できますか? 聞いたことがなければ想像できませんね。) ということは 想像力は実は記憶力と結び付いているのです。これは 非物質界には時空間が無いことと関係しています。思い出しているのは「今」思い出しているのです。未来のことを想像しているのも「今」想像しているのです。どちらもしているのは「今」です。「今」しかありません。

「(以前)経験したことを(今)思い出しながら 未来のことを(今)想像している」ということは 楽器の演奏に関して想像するのも 体験していることならば想像できますし 体験していないことは想像できません。これが「口で説明されるよりも やり方を見せてもらう方が習得が早い」理由です。見れば「あぁ こうすれば良いのか」と簡単に分かるのです。

ですから 身体の動きは いろいろな演奏家の演奏時の動きを観察したり 教師の動きを観察したり そして自らの身体を動かしてみて感覚を掴んだり というそれらの体験の積み重ねが 想像を容易にします。

(本当は 全くの空想としての想像が 創造と結び付いているのですけれども。)

 

楽曲の動きはより抽象的なものですから 身体の動きほどは体験に縛られない想像が可能です。

どういう音色/音質なのか。柔らかい音/温かい音/明るい音/広がりのある音/強い音。硬い音/冷たい音/暗い音/縮こまった音/弱い音。それぞれのフレーズや曲(楽章)の中での部分の印象。楽章あるいは楽曲全体の印象。それらを音の動き(=速度と方向)と結び付けて想像し意図しましょう。

 

 

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