楽器の演奏法
6)想像する
****************************
「想像する」とは(言葉以外のやり方で)頭の中で「イメージする」「思い浮かべる」「視覚化する」ということです。
思考の始まりは ここにあります。私たちは 普段の生活で「言葉」を使って生きています。ですから 「考える」というのも「言葉を使った思考」を自覚しています。
しかし 言葉よりも重要なのが「想像」です。想像があって そして言葉があるのです。ところが 多くの人は「言葉を使った思考」だけしていて 「想像」をしていません。それはすなわち「口先だけで生きている」ということなのです。
「想像」が「創造」の元です。想像力とは創造力なのです。
楽器を演奏するに当たっては 「どういう動き」=「どういうエネルギーの速度と方向」なのかを想像します。音楽の動きも 身体の動きも。そして その想像した=思い描いたのを実現するために 練習をします。
言葉というのは とても大雑把な記号に過ぎません。例えば 色を言葉でどこまで正確に表現できるでしょうか? 言葉で言うのと見るのとでは全く違います。
頭の中で どこまで鮮明に思い浮かべることが出来るかは 人それぞれです。思い浮かべるのが鮮明であればあるほど それを実現するのも精度が高くなります。(実際に目で見ているのと同じくらいに鮮明克明に想像出来ると 物質化現象を起こせます。)(人類としてより進化していくと 言葉を使うよりも 想像する方が多くなります。つまり どの位言葉が少なく 想像が多いかが その人の進化の度合いであり 悟りの高さとなります。)
楽器を演奏するに当たっては 「どういう動き」=「どういうエネルギーの速度と方向」なのかと 「どういう形」なのかを想像します。音楽の動きも 身体の動きも なるべくはっきりと思い描きます。そして その想像した=思い描いたのを実現するために 練習をします。
〔身体の動き〕
身体の動きについては別項で説明しましたのでここでは繰り返しません。身体の各部位のどこを どのくらいの力を入れて どの方向へと どのくらいの速度で動かすのかを想像します。
〔音楽の動き〕
演奏は常に「今出している音」の連続です。
音楽は 今出している音>フレーズの中での位置(起承転結のどこか)>楽章の中での位置>楽曲全体の中での位置>楽曲全体としての表現 というような複合構造になっています。
日本人の民族性は 最後の「楽曲全体としての表現」が弱いところに表れています。きれいな音を出し フレーズもきれいに纏めているのに 「で 曲全体で何を表現し伝えたいの?」という演奏が多いということです。ですから「木を見て森を見ず」ということにならないようにしましょう。(勿論 逆に「森を見て木を見ず」にもならないようにしましょう。)
楽曲全体>楽章>フレーズ>音 つまり楽曲全体の中の楽章であり その中のフレーズであり その中のそれぞれの音だという そのいずれをもきちんと把握し想像し意図するということです。小説で言えば 小説全体の主題>構成>文章の流れ>単語の選び方 ということになります。それぞれの単語の表現にばかりこだわっていたらば 全体としての主題の表現はおろそかになってしまうかもしれません。全体としての表現を重視する余り 文章の流れが雑であっては結局は全体の印象をも損ねます。
全体から細部までの重層構造のいずれをも きちんと想像し意図しましょう。
〔想像出来る事と出来ないこと〕
人間は基本的には 自ら体験したことは想像できます。自ら体験したことの無いことは想像できません。(例えばあなたはスワヒリ語を想像できますか? 聞いたことがなければ想像できませんね。) ということは 想像力は実は記憶力と結び付いているのです。これは 非物質界には時空間が無いことと関係しています。思い出しているのは「今」思い出しているのです。未来のことを想像しているのも「今」想像しているのです。どちらもしているのは「今」です。「今」しかありません。
「(以前)経験したことを(今)思い出しながら 未来のことを(今)想像している」ということは 楽器の演奏に関して想像するのも 体験していることならば想像できますし 体験していないことは想像できません。これが「口で説明されるよりも やり方を見せてもらう方が習得が早い」理由です。見れば「あぁ こうすれば良いのか」と簡単に分かるのです。
ですから 身体の動きは いろいろな演奏家の演奏時の動きを観察したり 教師の動きを観察したり そして自らの身体を動かしてみて感覚を掴んだり というそれらの体験の積み重ねが 想像を容易にします。
(本当は 全くの空想としての想像が 創造と結び付いているのですけれども。)
楽曲の動きはより抽象的なものですから 身体の動きほどは体験に縛られない想像が可能です。
どういう音色/音質なのか。柔らかい音/温かい音/明るい音/広がりのある音/強い音。硬い音/冷たい音/暗い音/縮こまった音/弱い音。それぞれのフレーズや曲(楽章)の中での部分の印象。楽章あるいは楽曲全体の印象。それらを音の動き(=速度と方向)と結び付けて想像し意図しましょう。
〔暗譜と想像〕
演奏に当たって 暗譜をしての演奏もあります。(独唱やピアノの独奏は基本的に暗譜です。) 暗譜というのは どのように記憶しているのでしょうか?
「写真記憶」というやり方があります。見たものを あたかも写真に撮ったかのように頭の中に取り込んで保存するような記憶のことです。ということは 「思い出す」のは その頭の中の写真を見るという感覚になります。往年の大指揮者トスカニーニを初めとして このやり方をしている演奏家は多いようです。
しかし そこで問題が起こります。
私たちが演奏するに当たって 想像すべきは「音楽」であり 音を出すための「動き」のはずです。ところが この「写真記憶」のやり方では 頭の中で思い描いているのは楽譜なのです。頭の中で楽譜を思い浮かべながら演奏するのと 動きを思い浮かべながら演奏するのと どちらが表情豊かに演奏できるでしょうか? 勿論 後者です。
(ですので トスカニーニの指揮を見ると 棒の動きに表情がほとんどありません。あれでどうやってオーケストラの楽員に音楽的な意図が伝わっているのかと思いますが 彼の場合には 棒の動きでは無く 念の力で伝えています。)
ですので 暗譜での演奏は (「暗譜」という言い方とは違ってくるのですが)楽譜を覚えて それを頭の中で見ながら演奏するよりも 動きを覚えて それを頭の中で想像しながら演奏するほうが ずっと表情豊かに演奏できるということになります。
写真記憶で演奏する場合には 「(頭の中の)楽譜を見る」ことよりも 「音楽を奏でる」ことの方が主目的なのだということを 充分に認識しつつ演奏することが重要です。
〔神童も 二十歳過ぎればただの人〕
「神童も 二十歳過ぎればただの人」という言い方があります。実際 これまでに多くの「神童」と称される天才少年少女がいましたが その人たちが大人になってからも子供の時と同様の素晴しい演奏をし続けているのかというと そうではない場合の方が多いようです。
それは なぜでしょうか?
(これに関しては「エネルギーとその流れ(上級用)」の中の〔意識を置く場所〕でも触れています。)
それは 結局は「脳の使い方」に原因があるのですが @右脳と左脳 A脳波 B想像 の三つに分けられます。
@右脳と左脳
人間の脳は 右脳と左脳とに分かれていて しかしそれは繋がっていて ですから別々の働きをしながら連携するようになっています。右脳は「非言語脳」とも言われ 言語を使わない抽象的な あるいは感覚的な情報処理をします。左脳は「言語脳」とも言われ 言語を使った論理的な情報処理をします。
言語を使わないで想像するのは 右脳の働きです。そして 音楽もまた右脳が処理をします。この右脳と左脳と働きは 年齢によって変わってきます。新生児は もちろん言語を話しませんから左脳は働いていていません。育つにつれて言語を習得し 言語的論理的処理をする左脳の働きを活発化させていきます。そして 二十歳を過ぎる頃には 右脳の働きよりも左脳の方が活発になってしまい かつそれによって右脳と左脳との連携(=情報のやり取り)が滞るようになってしまいます。
更に 音楽を銀後で論理的に把握する練習をしていると 本来右脳で処理する音楽を 左脳で捉え処理するようになります。論理的分析的に音楽を捉えるようになるということです。(ある日本の音楽大学の教員の八割が 音楽を左脳で捉えているという調査結果があります。)
A脳波
脳波は 年齢によってどの周波数の脳波が優勢なのかが変わってきます。
(これについては 「子育てについて」の「子育ての前提」のページの「成長と脳波」で説明しています。)
B想像
上記のように 年齢によって脳の働き そして脳波の状態が変わってきて 右脳よりも左脳を主に使うようになると 右脳の働きである(非言語的)想像力が衰えてきます。逆に言葉で音楽や身体の動きを司ろうとします。
このような 脳の働きが「神童も 二十歳過ぎればただの人」になってしまう原因です。ということは これを避けるためにはどうしたら良いのかもまた分かります。
なるべく言語的(論理的/分析的)思考を避けて 左脳よりも右脳を働かせ 脳波をゆったりとさせて 非言語的想像力を働かせるということです。もっと簡単に言うと「言葉を使って理屈で考えない」ということです。言葉で指令を出すのではなく 想像したことを実行していくのです。 そしてその想像とは 「音の状態」「音楽の流れ」「身体の動き」など複合的なものです。例えば「音の状態」は 音の硬さ/音の色合い/音の広がり などいろいろな面があります。「音楽の流れ」は どの方向にどのような速度で流れていくのか。あるいは(インドの音楽のように)音で空気を彫刻していくかのような流れの作り方もあります。
****************************