ベルギーの七大至宝
① 「洗礼盤」(聖水盤)
ウイのレニエ/1107~1118年(リエージュ/聖バルトロメウス教会)
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《ロマネスク芸術の至宝》

現在 リエージュ市の聖バルトロメウス教会に置かれている 洗礼盤(聖水盤)
すなわち 新生児(あるいは改宗者)に洗礼を施すためのたらい状の水入れです。
1107~1118年頃に ウイHoei出身のレニエRenierによって作られたと思われています。
(この時代の 特に宗教儀式に使われるものには 作者の銘は入れられていません。)
(この時代には姓がありませんでしたので 出身地を姓の代わりに名に付けていました。)
【背景】
1)ムーズ/マース文化圏
ベルギーには 大きな川が二本流れており それぞれで独自の文化圏が形成されました。
リエージュを流れているのは
ムーズMeuse川(フランス語)/マースMaas川(オランダ語)です。
ムーズ川の更に東には ラインRhein川が流れていますが
ムーズ川とライン川に挟まれた地域が「ムーズ・ライン文化圏」と呼ばれています。
この地域は早くから金属工業によって繁栄しました。
ムーズ川流域は丘陵地帯が多く そこで金属が採掘できるからです。
そして 森も多く木が採れることや 十二世紀以来石炭も採れることから
金属加工の熱源にも恵まれていました。
そして 丘陵地帯の土地の高低差により 川を流れる水に勢いがあるので
水車を使った動力源にも恵まれていました。
ムーズ川やその支流の川岸には 作業場や資材を置くための場所が充分にあります。
金/銅/鉛/錫/鉄と 時代によって扱われる金属は移り変わっていきましたが
ウイの錫製品やディナンの銅製品など
金属の加工の伝統は今日まで二千年ほども続いています。
金を使った彫金細工は 宗教(キリスト教カトリック)に使われる聖具として発展しました。
十二世紀以降金を使った工芸品により 多くの修道院が
その地域の宗教的/文化的中心地となり 富と権力とを誇示しました。
銅はカリヨンや鐘や食器 鉄は暖炉や武器(剣/銃/大砲)
後には船舶/鉄道/自動車/飛行機などが作られるようになりました。
また 亜鉛が発見されたことにより 銅との合金の真鍮が作られるようになり
その成果の一つがこの洗礼盤です。
更に 1096年に第一次十字軍がこの地方から出発して以来
度重なる十字軍がビザンティンからの文化を持ち込みました。
(ビザンティンはヨーロッパよりも高度な文化を持っていました。)
11世紀から12世紀にかけて この地方は 金属加工において栄えていましたが
その「ムーズ/マース文化圏」の中心となったのがリエージュでした。
2)リエージュ
そのようなムーズ/マース文化圏の中で ムーズ川沿いにあるリエージュは
川を使っての物資の運搬と 金属工業とにより栄え始め やがて
司教座が置かれ 街の中心に大聖堂と それに向かい合って 壮麗な司教宮殿が築かれました。
(1184年に完成した大聖堂はベルギーで最初のゴチック建築でしたが 今日では残されていません。)
そして その後九百年間に渡って司教によって統治されたことにより 更に文化的にも繁栄しました。
(芸術品の主な注文主は 教会や修道院だったからです。)
リエージュ周辺では特に鉄と亜鉛が採れ 多くの金属加工業者が集まり
その取引もまた盛んになりました。
【洗礼盤】
洗礼とは キリスト教徒となるための儀式です。
初期の頃は 大人が「キリスト教に帰依する」ことを誓い自覚するために集団で行なっていました。
全ての人は原罪を負って罪人としてこの世に生まれてきますが その罪を洗い流し生まれ変わるためです。
しかし 時代と共に個別に行うようになり 中世になってからは新生児に授けるようになりました。
ヨーロッパ全体をキリスト教が支配するようになり 「人間とはすなわちキリスト教徒である」とされ
キリスト教に帰依しないと死後煉獄に落とされますので 子供が生まれたらば
なるべく早くに(大抵はその日のうちか翌日には)洗礼を受けました。
洗礼を受けるのは (普段通っていた)地区教会でできるところもありましたが
リエージュの場合には「洗礼権」を持った特定の教会でのみ受けることが出来ました。
リエージュの聖ラムベルトゥス大聖堂に隣接する聖母教会に1107年頃に赴任したエランHellin司祭が
信者を驚かすような立派な洗礼盤を作ることを思い立ちました。
【作者】
エラン司祭は その当時ウイHoeiの修道院ために作品を作り名声を博していたレニエRenierに
洗礼盤の制作を依頼します。
どのような場面/人物が描かれるべきかをエラン司祭が指示し
それに基づいてレニエが各場面の構図を決めて行ったようです。
しかし 作者レニエについてはほとんど何も分かっていません。
作品にも その名は印されていません。1402年になってから初めて
「この作品は ウイのレニエの作である」と文献(リエージュ市史記)に記されました。
同じ作者のものと思われる作品は ケルン/ブリュッセル/ダブリンにて展示されています。
1150年12月4日にウイで亡くなったレニエが この人物であろうと思われています。
【リエージュの洗礼盤】
この作品は 筒状の真鍮製で 直径80cm/高さ60cm/上下に6cmと6,5c,の縁取り/
人物像の大きさ29cm~38cm/下部で支えている牛の高さ18~20cm 長さ21~25cmです。
聖ラムベルトゥス大聖堂に隣接する聖母教会にて洗礼に使われていましたが
フランス革命軍によって大聖堂と教会とが破壊されたために
聖バルトロメウス教会へと移されました。
そもそもは 12使徒と旧約聖書の預言者たちの像が付いた蓋がありましたが
フランス革命軍による略奪から守るために隠された時に紛失しました。
全体は 十頭の牛の像によって支えられています。(本来は十二頭でしたが 二頭は失われました。)
本体側面には 洗礼に関わる五つの場面が描かれており
それぞれの場面は 立ち木の装飾で区分されていますが
連続した起伏のある地面で関連性/統一性も図られています。
各場面には 人物像の他にそれぞれの場面の説明として字も書かれています。
1)洗礼者ヨハネの説教・・・人々に悔い改めの洗礼を受けるように砂漠で説教をしている情景
2)改悛者の洗礼・・・ヨルダン川で人々に洗礼を授けるヨハネ
3)イエスの洗礼・・・ヨルダン川で洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受けている情景
4)ローマの百卒長コルネリウスの洗礼
5)ギリシャの哲学者クラトンの洗礼
1)洗礼者ヨハネの説教
人々に悔い改めの洗礼を受けるように砂漠で説教をしている情景

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ルカによる福音書第三章第一節~十七節が元になっている情景で
ヨハネが収税人や兵卒の問いに答えている様子ですが
彼らの姿は12世紀当時の服装や武具で描写されています。
「悔い改めるにはどうしたらよいのか?」とヨハネに問いかけ
答えを求める気持ちがその姿で巧みに表現されています。
2)改悛者の洗礼
洗礼者ヨハネが人々に洗礼を授けている情景

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二人の若者が身体をしなやかに前に傾けて 洗礼者ヨハネからの洗礼を受けています。
このときにヨハネは「私は水で洗礼を授けるが 私の後から来る方は精霊で洗礼を授けるであろう」と言います。
(マタイ3.11/マルコ1.7/ルカ3.17)
右側の二人は ヨハネ1.35に記されている 洗礼者ヨハネの弟子で
イエスの姿を見て彼に付いていくことにした二人かと思われます。
(ですので ヨハネではない方向を見ています。)
3)イエスの洗礼
ヨルダン川で洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受けている情景

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ヨルダン川のほとりの荒地で暮らしていた洗礼者ヨハネは 毛皮を身に纏っています。
洗礼を受けるイエスは 右手の三本の指を立て「三位一体」を表しています。
実際の三位一体は キリストの頭上の父なる神と精霊(鳩)とによって現されています。
その右には 天使が上半身を前に傾け 手のひらを上に向け
腕をやや曲げて敬意を表していますが これはビザンティンの様式です。
4)ローマの百卒長コルネリウスの洗礼

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使徒行伝第十章に書かれている場面。ローマの百卒長コルネリウスは夢の中でお告げを受け
パウロ(=サウロ)を訊ねて行き洗礼を受けます。
上から出ている三本の線は「精霊が下った」
「精霊の賜物が注がれた」(使徒行伝10.44)ことを表しています。
百卒長コルネリウスは(ローマ帝国の力として) 世俗世界を象徴し
次の場面の哲学者クラトンは(古代ギリシャの文化として)精神世界を象徴しています。
また ゴルネリウスはローマの人 クラトンはギリシャの人であり その両方で
(その当時の)世界全域にキリストの教えが広がっていくことを意味しています。
5)ギリシャの哲学者クラトンの洗礼

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福音書のヨハネからギリシャの哲学者クラトンが洗礼を受けている情景。
この場面は 聖書には書かれていません。
ですので説明文も無く 人物の名と 「dextera Dei」(=神の手)と印されているだけです。
先のコルネリウスの場面と反転させ 対象形になるように配置されています。
6)牛
これらの牛が本来どのように洗礼盤を載せていたのかは不明です。
これらの牛は 旧約聖書列王記に印されているソロモン神殿の前庭の
「青銅の海」(洗礼盤)を支えていた牛を模したものと思われます。
それらの牛は 三頭ずつが東西南北を向いていたと記されています。
それと共に ユダヤ十二支族を象徴したもの あるいは
全世界への伝道に乗り出したキリストの十二使徒をも象徴していると思われています。
【素材】
この洗礼盤は 真鍮でできています。
真鍮は 銅と亜鉛の合金で その配分によって固さや色合いに違いあります。
強度/熱による加工のしやすさ/しなやかさ(鋳造してからの加工のしやすさ)/
黄金色の美しい色合い/耐食性の強さ/毒性が無い/比較的安価 など様々な長所があります。
金属としては柔らかいので 形作ったものを
延ばす/拡げる/曲げる/削る/ などの加工も容易です。
【製作技法】
製作工程としては以下となります。
1)先ずは「核」となる部分を 藁を混ぜた粘土で作ります。
2)その外側に 蝋を貼り付けていきます。(この蝋の形が 出来上がりの形となります。)
3)蝋の外面に装飾を彫ります。
4)その上に粘土を貼り付けます。
5)全体を熱して 蝋を溶かし出します。
6)空いた隙間に 溶かした真鍮を流し入れます。
7)真鍮が冷えて固まったらば 外側の粘土を剥がし 核も取り除きます。
8)表面を砂で磨きます。(その上に金箔を張る場合もあります。)
この製作工程は 銅で鐘を作るときも同様です。
【様式】
マース文化圏の様式と技術を使いながら
古典(古代ギリシャ)/古代ローマ/ビザンティン文化の影響を受け それらを統合させています。
全体の筒状の形態は ローマの井戸を模したものでしょうか。
整った人物像は 古代ギリシャの様式を思わせます。
地面や木の緩やかな連続性ある波は ペルガモンやアレクサンドリアの様式のようです。
イエスが洗礼を受けているヨルダン川の描写や
天使の手の繊細な描写はビザンティンの様式からの影響のようです。
また 11世紀にムーズ/マース地方で盛んだった象牙細工の影響も
表面の滑らかさに現れているようです。
この時代まで 洗礼盤は石で作られているのが一般的でした。
かつ 装飾が施されていても 大雑把な描写がなされているだけでした。
つまり この作品における繊細な描写は 例を見ないものだったのです。
一人ひとりの人物の気持ちをも表現する姿。全体の表面の滑らかさ。場面を区切る木のしなやかさ。
そして この作品を模して同様のものが作られるようになりましたが
しかしこの水準に達したものはありません。
12世紀に繁栄を極めたムーズ/マース文化圏の金属加工の極致とも言える作品となっています。