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ベルギーの七大至宝

⑤ 「聖ウルズラの宝物箱」

ハンス・メムリンク作/1489年/(ブリュッゲ/聖ヨハネ病院)

《幸也の世界へようこそ》《幸也の書庫》《絵画を見る目・感じる心》《ベルギーの七大至宝》 → 《聖ウルズラの宝物箱》


《地上天国》

HansMemling_Ursula Schrijn.jpg(54931 byte)
〔どの画像も クリックすると別画面で大きな画像が開きます〕

ドイツ出身で ブリュッゲで十五世紀後半に活躍したハンス・メムリンクが
聖ヨハネ病院の注文により制作した木製の宝物箱で
表面に聖ウルズラ伝説の絵が描かれています。

【背景】
1)ブリュッゲ
メムリンクが活躍した頃 十五世紀のブリュッゲは
ヨーロッパ最大の商業都市/文化都市として繁栄していました。
ヨーロッパの中で最も高価な貴重な素晴しい物資が
ブリュッゲの港で荷揚げされ取引されたのです。
当然それらを扱う商人たちも裕福になりました。
そして 芸術作品も素晴しいものが作り出され 取引されました。
かつ ブリュッゲの芸術家たちは港で取引されるそういった素晴しい物資に触れ合い
実際に目で見る機会をもてたことで より素晴しい作品を生み出せました。
美と富の相乗効果です。

2)宝物箱
「ベルギーの七大至宝」の二つ目 トルネの聖遺物箱で見たように
13世紀の聖遺物箱は金属製でした。
しかし 十五世紀になると油絵の具が発明され
絵で細かく色鮮やかな克明な描写が出来るようになりました。
ですので 宝物箱や聖遺物箱も表面に絵を描いたものへと変わっていいきました。
その方が ①克明=写実的な表現が出来る ②軽い ③安い からです。

【作者】
ハンス・メムリンクは ドイツ生まれですが
その当時ヨーロッパで最も商業都市かつ文化都市として栄えていた
ブリュッゲに移住してきました。
彼は その画風がかなり似ているところから
ロヒール・ファン・デル・ウェイデンに学んだのではないかと思われています。
そして そのブリュッゲの街でも高額納税者と成りました。
つまり 彼に絵を注文するのは大金持ちばかりだったのです。
すなわち それほどに画家(宗教画/肖像画)として名声が高かったということです。
そのメムリンクは 聖ヨハネ病院からの注文を幾つも受けていました。
その内の一つがこの作品です。

【聖ウルズラの宝物箱】
HansMemling_Ursulaschrijn_320x183.jpg(29693 byte)

この木製の宝物箱は「聖ウルズラの宝物箱」と名付けられてはいますが
しかし本当のところ何を入れるためのものだったのは分かっていません。
聖ウルズラの聖遺物 あるいは彼女が率いていた一万一千人の乙女の遺品は
他の土地には残されています。(ベルギーのハッセルトの大聖堂に保管されています。)
しかし この作品が作られる前に使われていた聖遺物箱がありますので
Klein Ursulaschrijn Sint-Janshospitaal (ca. 1400)_Brugge_reliekhouder_320x216.jpg
何かが入れられていたのは確かです。

両面に三枚ずつ 聖ウルズラと一万一千人の乙女の伝道の旅の様子が
六画面に描かれていますが 場面としては五つです。
そして 短辺にもそれぞれ独立した絵が描かれています。

聖ウルズラは 四世紀半ばにブルターニュのキリスト教徒の王女として生まれました。
(このブルターニュが 大陸のブルターニュ地方なのか
ブリテン=イギリスのことなのかは説が別れています。)
異教徒の王子との婚約をするに当たって 大陸でのキリスト教伝道を条件に挙げ
一万一千人の乙女を連れて伝道の旅にケルンから出発します。
HansMemling_Ursulaschrijn_1_Sint-Janshospitaal_(Brugge)_175x240.jpg(19077 byte)

バーゼルまで船で行き
HansMemling_Ursulaschrijn_2_Sint-Janshospitaal_(Brugge)_180x240.jpg(19274 byte)

その後陸路でローマを目指し 当地でローマ法王と謁見します。
HansMemling_Ursulaschrijn_3_Sint-Janshospitaal_(Brugge)_173x240.jpg(19781 byte)

その後再びバーゼルを通って
HansMemling_Ursulaschrijn_4_Sint-Janshospitaal_(Brugge)_187x240.jpg(20967 byte)

ケルンに戻りますが その頃ケルン周辺に居たフン族に襲われて
一万一千人の乙女たちは殺され
HansMemling_Ursulaschrijn_5_Sint-Janshospitaal_(Brugge)_185x240.jpg(19527 byte)

その美貌からフン族の王子に求婚されたウルズラは
それを拒絶したために矢で射られて殉教します。
HansMemling_Ursulaschrijn_6_Sint-Janshospitaal_(Brugge)_178x240.jpg(20896 byte)


短編に描かれているのは 片側が聖ウルズラと十人の乙女たちです。
HansMemling_Ursulaschrijn_7_SintBarbara_Sint-Janshospitaal_(Brugge)_160x240.jpg(19818 byte)

一万一千人という数は それぞれに千人のお供を付けたということです。
(しかし これはかなり疑問視されています。)

反対側の短辺には 聖母子が描かれています。
HansMemling_Ursulaschrijn_8_Madonna_Sint-Janshospitaal_(Brugge)_160x240.jpg(19578 byte)

上部の屋根の部分には 天使の絵が描かれています。
彼女たちの伝道の旅は天使たちによって見守られていた とされています。
HansMemling_Ursulaschrijn_09_320x188.jpg(28748 byte)
HansMemling_Ursulaschrijn_10_320x187.jpg(27722 byte)


【様式】
この作品は 聖遺物箱として装飾性が高く 完成度が高いものではありますが
メムリンクの最高のものではありません。
しかし 「ベルギーの七大至宝」を選ぶに当たって
絵画作品と金属作品とのバランスを取るためには この作品が適当であろうという
ある意味打算的に選ばれているように思われます。

この作品において メムリンクの作風の中に ゴチック様式から
ルネッサンス様式へと移り変わっていく時代であることが見て取れます。
全体として ゴチック建築を思わせる形です。
短辺の方には尖角アーチが使われ 人物像も縦を基本にしています。
しかし 長辺の方では半円アーチで いずれの場面も
メムリンクが得意とした「く」の字の構図となっています。
両短辺の聖母マリアと聖ウルズラの穏やかな柔らかい顔や姿に
メムリンクの特色がはっきりと現れています。
また 矢を向けられている聖ウルズラの顔には 恐怖は一切表れていません。
達観しきっている顔です。心の静寂と平穏とが表現されています。
死ぬのは肉体だけです。魂という生命は永遠に生き続けます。
その魂の世界=あの世こそが 本当の世界なのです。
この世で生きるに当たっても あの世での平安な静かな歓びに満たされた
その感覚を思い出し 保ち続け
この世とあの世とはひと繋がりであり この世においてもあの世(=天国)と同様に
誰もが穏やかに平安に生きて良いのだということを
メムリンクはその作品で表現しているのです。



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