ベルギーの七大至宝
③ 「オワニーの聖具群」
オワニーのユーゴー作/1228~1238年/(ナミュール地方古美術館)
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《ゴチックの祈り》
修道院共同体の生活と歴史を反映した13世紀の聖具(典礼品や儀式用具)約50点で
貴金属細工のほとんど(23点)は
オワニーOigniesのユーゴーHugo(または彼の公房)作とされています。
以前は「聖母マリアの姉妹団」によって管理されていましたが
現在はナミュールの地方古美術館に展示されています。
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【背景】
1)ナミュール
サンブルSambre川とムーズMeuse川とが合流するナミュールNamurは
ナミュール伯爵領の首都であると共に 司教座が置かれた
ワロン地方(今日のベルギーの南半分のフランス語地域)の中心地でした。
十四世紀にその最盛期を向かえ ナミュール伯爵は
ルクセンブルク国王/ボヘミア国王/神聖ローマ帝国皇帝も兼ねるようになります。
2)聖遺物
中世(十一世紀初頭)のヨーロッパでは 聖遺物信仰が盛んになりました。
最初の千年紀が終わる頃 世の中は終末思想(=この世は終わる)が流行り
人々は恐れましたが しかし終末は来ませんでした。
それで人々は安堵します。世の中が終わらなかったことを神に感謝する。
神の一人子キリストに感謝する。その使徒や聖人たちに感謝する。
そういう機運が高まりました。
また 農具の改良が進んで農業の生産性が上がり これによって人口が増えました。
それら増えた人々を収容するには それまでの教会建築では狭過ぎます。
ですので 新たな大きい教会建築を建てる必要が出てきました。
そのためには資金が必要です。
これらの理由によって 聖遺物信仰が盛んになりました。
十一世紀から十二世紀に掛けて ヨーロッパ各地や中近東で続々と聖遺物が発見されます。
聖遺物とは聖人の遺品であり 特に重要なのはキリストに直接関わるものです。
磔刑時に滴った血(聖血)/十字架の破片/茨の冠の棘/死体を包んだ布/
磔刑で使われた釘/右脇腹を刺した長槍の破片/磔刑前に脱がされた服の切れ端/
生まれた時に包まれた白い布の一片 など。
あるいは 聖母マリアに関わるものとして 聖母の服の切れ端/イエスに飲ませた母乳 など。
あるいはその他の聖人に関わるものとして 聖人の骨/歯/使っていた道具 など。
(キリストと聖母マリアは 肉体が昇天しましたので その身体の遺物はありません。)
特に人気があったのは 東方(パレスチナ/エルサレム/コンスタンチノープル)から来た
キリストや十二使徒のものでした。
それらを祀るため という名目で新たな教会建築が続々と建てられました。
そして それらの聖遺物を礼拝して廻る巡礼が盛んになりました。
それらの聖遺物を保管する入れ物も 立派に作られました。
あるいは それらの聖遺物を(大抵はとても小さいですので)
見るための道具(モンストランスと言います)も
立派に作られるようになりました。
【作者とオワニー修道院】
オワニーのユーゴーは 1187年以前にウォルクールで生まれ
三人の兄弟と共に1192年頃にオワニーに聖ニコラースに捧げる修道院を創設し
1238年まで活動したと思われています。
彼以外の三人の兄弟はいずれも司祭となり
弟のエギディウスは1233年に亡くなるまでこの修道院の院長を務めました。
しかし唯一ユーゴーだけは 芸術で神に仕える道を歩みます。
隠者/神秘主義者/霊能者として人々に助言を与え信頼されていたオワニーのマリアが
1207年に修道院の教会のそばに庵を築いて暮らすようになって以降 修道院は重要な巡礼地となり
その結果修道院はこれらの訪問者から多くの重要な聖遺物を受け取りました。
また アウグスチノ会修道士/神学者/司教で十字軍にも参加したヴィトリーのヤコブを通じて
聖ペテロの肋骨の一部と聖十字架の破片を所有することになりました。
これらの重要な聖遺物の存在は 更に多くの巡礼者を惹きつけ
ユーゴー兄弟はこれらの貴重品を展示するために多くの聖遺物入れを設計しました。
彼はまた 修道院のために聖杯と福音書の蔵書票を制作しています。
他の多くの宝物とともに これらの品々はオワニーの教会の宝物となっています。
1796年にフランス革命によって修道院が解散させられた後も
教会の宝物は例外的にほぼ完全に保存されました。
このため ユーゴーの作品で他の場所にあるものはごく僅かで
例えばブリュッセルの王立美術歴史博物館にはユーゴー作の聖遺物箱が二つ所蔵されています。
彼の作品の大部分は1818年にナミュールの聖母マリア姉妹団修道会に託され
2010年まで修道院内の一室にて展示されていました。
ユーゴーは幾つかの作品に署名しており
例えば1228年の聖杯の脚部には「Hugo me fecit: Orate pro eo」
(私はユーゴーによって作られた、彼のために祈れ。)と刻まれています。
更に 彼は修道院のために作った本の装丁に自画像を添えています。

【オワニーの聖具群】
聖具は 三種類に分けられます。①聖遺物に直接関わるもの ②ミサで使うもの ③その他。
このオワニーの聖具群の内の半数は①に属しています。
(それらは特に立派に作る必要があったからです。)
ここにある聖遺物は 十字架の破片/聖母の母乳/聖ペテロのあばら骨/
聖ヤコブの足/聖アンデレの歯 などです。
重要なミサの時にはこれら全てが公開されました。
1)福音書の装丁表紙(1230年頃)オワニーのユーゴー

2)オワ二―の福音書(1230年頃)

3)ジル・ド・ワルクールの聖杯 (1228年)オワニーのユーゴー

4)ジル・ド・ワルクールのパテン(1228年)

5)聖ペテロの肋骨の聖遺物入れ (1238年)オワニーのユーゴー

6)二重の十字架を持つ聖遺物入れ(1228~1230年頃)オワニーのユーゴー?
_Croix-reliquaire a double traverse_vers 1228-1230_180x240.jpg)
7)聖ニコラスの小さな聖遺物入れ(1228年~1230年頃)オワニーのユーゴー?
_Petit reliquaire de saint Nicolas_apres 1228-vers1230_180x240.jpg)
8)聖マルガレータの経典(1235~1340年頃)オワニーの公房
9)聖ヒューベルトゥスの刺繍枠(1230~1235年頃)オワニーのユーゴーの工房
_Phylactere de saint Hubert_vers 1230-1235_320x240.jpg)
10)聖アンデレの歯飾り(1230~1235年頃)オワニーのユーゴーの工房
11)聖アンデレの第二の経典(1230~1235年頃)オワニーのユーゴーの工房
_Second phylactere de saint Andre_vers 1230-1235_320x240.jpg)
12)聖マルティヌスの経典(1230年頃)オワニーのユーゴーの工房

13)オワニーの聖マリアのゴブレット(1228~1230年)オワニーのユーゴーの工房

14)聖遺物壺 ファティマ朝エジプトまたはビザンティン
(12世紀? 1228年以降?1243年以降? 1250年頃?)
オワニーのユーゴーの工房またはオワニーの工房
15)聖遺物壺 ファティマ朝エジプトまたはビザンティン(年代?)

16)聖母の乳の聖遺物入れ(1243年以降1250年頃)オワニーの工房
_Reliquaire du lait de la Vierge_apres 1243, vers 1250_180x240.jpg)
17)大ヤコブの足型聖遺物入れ(1250年頃)オワニーの工房?

18)聖ブラシウスの足型聖遺物入れ(1260年頃)オワニーの工房

19)聖遺物モンストランス(1260~1270年頃)オワニーの工房
_Reliquaire-monstrance_vers 1260-1270_180x240.jpg)
20)聖遺物壺(1260~1270年頃)オワニーの工房
21)聖遺物モンストランス(1260~1270年頃)オワニーの工房
_Reliquaire-monstrance_vers 1260-1270_180x240.jpg)
22)聖ニコラースの大きな聖遺物入れ(1260年頃)オワニーの工房

23)象牙の箱(シクロ・アラビア語)(1220-1240年頃)シチリア
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24)聖十字架の聖遺物入れ(ビザンチン十字架として知られる)
(1228年以降または1250年頃)オワニーの工房
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25)ジャック・ド・ヴィトリーの携帯用祭壇(1216~1220年頃)工房不明
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26)三連聖遺物箱(1230年頃)オワニーの工房

27)羊皮紙製ミトラ(12世紀)流派不詳(イタリアかパレスチナ)
28)刺繍入りミーティア(1216年または1220~1230年頃)イギリス?
29)刺繍入りマニプル(年代不明)イギリス?
30)杓(パルティム)(1216年またはその直後)シチリア
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31)司教の指輪(1216~1240年)作者不明(イタリアまたはパレスチナ)
32)聖遺物検視鏡(1230~1240年頃または1250年頃)
オワニーのユーゴーの工房またはオワーの工房

【素材】
金/銀/銅/エナメル/水晶/カメオ/その他の(半)貴石/
アンティークの宝石/象牙/ビザンチン・エナメル/エジプト・ガラスなど
非常に貴重で珍しい素材が使用されています。
ユーゴーは聖遺物箱に 岩水晶やカボション(半球形の宝石)を使用して
聖遺物(聖十字架の破片/聖母マリアの乳/骨/衣服のかけらなど)を
信者に見えやすいようにしています。
1204年のコンスタンチノープル征服は 地中海貿易に理想的な条件をもたらしました。
オワニーのマリアの才能を認め 告解司祭となった
フランス出身のヴィトリーのジャック(ヤコブ)は
1215年の第四回ラテラノ公会議において
アルビゲンス派に対する十字軍に関する演説で大きな反響を呼び
第五次十字軍に参加し アッコAkkoの司教に任命されました。
(彼の著書の一つ「東方の歴史」は 十字軍に関する最も貴重な資料となっています。)
その社会的ネットワークと説得力によって
東方の貴重な品々をオワニーに送ることに成功しました。
それらの貴重品は アラブ領シチリア産の象牙で作られた箱に入れられ輸送されました。
また 彼は枢機卿としてローマで没しましたが 遺品をオワニー修道院に寄進しています。
【技法】
鋳造/型押し/浮き彫り/彫刻/ノミ彫り/ニエロ(黒金合金)象嵌/
カボション(半球形)/フィリグリー(金糸/銀糸)細工/金属箔など
いずれも今日でも使われ続けている技法が用いられています。
【様式】
十三世紀初頭のロマネスク様式と初期ゴシックの境目にある ムーズ/マース地方の高貴な鋳造芸術。
ユーゴーの作品は 同時代のマース地方芸術とは異なり 地味な色合いの金属を多用しています。
これにより 浮き彫りとコントラストの遊びを生み出し 彼の作品に独特の調和を与えています。
ニエロは彼の作品において重要な役割を果たしています。
銅/鉛/硫黄の合金の黒い象嵌と 磨き上げられた金属とのコントラストが
碑文や図像に深みを与えると共に 彼の作品を革新的なものにしています。
彼はまた 造形的なフィリグリー(金糸/銀糸)細工がもたらす可能性を追求しています。
彼の彫金作品には 製図家/本の挿絵画家としての才能が表れています。
また 動物や人物や葉がプリントされた金属箔の帯が加えられているスタンピング技法も使われています。
ユーゴーは聖典や 手に入れたスケッチブックなどを通じて
おそらく他の北フランスの修道院の公房の仕事も知っていたと思われます。