ベルギーの七大至宝
② 「フランダースの聖母の聖遺物箱」
ヴェルダンのニコラース作/1205年/(トルネ/聖母大青銅宝物殿)
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《奇跡の彫金細工師》

トルネの聖母大聖堂の宝物殿に展示されている 聖母マリアに捧げられた黄金の宝物箱。
ヴェルダン出身のニコラースによって1205年に造られたもので
その当時ヨーロッパでも最高の彫金技術を持っていたと思われる作者の代表作の一つ。
(作品に名と完成年とが記されています。)
【背景】
1)トルネ
トルネはベルギーで最も早くに都市が形成された土地です。
紀元前50年頃リー真帝国によって都市が築かれ 431年にはフランク王国の首都となりました。
トルネの位置するフランダース伯爵領は 毛織物産業と貿易業とによって
ヨーロッパ内で最も繁栄し豊かになった土地です。
その中でも シュケルデ川沿いに位置しているという地の利によってトルネは繁栄しました。
上流の北フランスの各都市と 下流のゲントやアントウェルペンと
そして大西洋に出れば羊毛の原産地イギリスと繋がっています。
12世紀から13世紀にかけて その繁栄は頂点を極めました。
ロンドンハンザ同盟/17都市ハンザ同盟にも参加し
年に二度五月と九月に ヨーロッパ内でも最大規模の歳市が開かれました。
また トルネでは石灰岩が採れました。
そのために ベルギー国内では最も早くから石造りで建物が建てられるようになりました。
最も繁栄した1180~1280年には (今日でも残されている)主要な建物が続々と建てられました。
1187年には鐘楼が 自由都市の象徴として建てられました。
(現存するベルギー最古の鐘楼となっています。)
司教座が置かれたことにより
(フランダース伯爵領のほとんどの範囲がトルネ司教区に属していました)
トルネには市の守護聖人聖母マリアに奉げた大聖堂が建てられましたが
ロマネスク様式によって1140年から1171年にかけて建てられたこの教会建築は
しかし北フランスで始まり流行していたゴチック様式に建て替えることが1243年に決まりました。
2)ゴチック様式
ゴチック様式は 北フランスにおいて12世紀半ばに始まりました。
十字軍がアラブやビザンティンから持ち込んだ様々な文化の内の一つが
石での建築技術でした。
そして 幾何学模様などの「形」には 意味があること
あるいは何らかの作用があること(それらを「神聖幾何学」と言いますが)
あるいは錬金術や 金属を加工する技術 機織など様々な技術を持ち込みました。
それらによって「ゴチック様式」というものが誕生します。
そして その新しい様式は あっという間に流行となります。
北フランスからベルギーへ オランダへ ドイツへと。
各地でどんどんゴチック様式で教会が建て直されました。
すなわち それまで流行であったロマネスク様式による建物を取り壊して
新たにゴチック様式にしたのです。
1192年から1203年までトルネの大司教であったステファヌスは 出身地のオルレアンや
赴任地のパリにおいて建築家としての才能を発揮していました。
トルネに赴任してからもそれは変わらず 大聖堂の中に
聖ヴィンセンティウス礼拝堂を1198年に完成させ
それがベルギーで最初のゴチック建築となります。
翌1199年には 大聖堂をロマネスク様式からゴチック様式へと建て替えることにしました。
かつ 教会内を飾るためにたくさんの聖具を作らせました。
(ですので 今日でもトルネの大聖堂の宝物殿はベルギー国内でも最も重要なものとなっています。)
その内の一つが 聖母の聖遺物箱です。
そして その当時最も優れた彫金細工師であったニコラースにそれを任せました。
【作者】
作者であるヴェルダン出身のニコラースについては ほとんど分かっていません。
ロレーヌ地方のヴェルダンVerdunの出身であること 1130年頃に生まれ1205年に亡くなっていること
ヨーロッパ各地を遍歴して仕事をしたこと 三つの作品の内の二つに名が記されていること
などごく僅かしか知られていません。
しかし その作品は当時のヨーロッパ内でも特に優れたものであったことは事実です。
彼の最高傑作とされるものは ケルンの大聖堂の主祭壇に置かれている「東方の三博士の聖遺物箱」です。

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これは 1181年から1190年にかけてケルンに滞在して作られたもので
長さ220cm/幅110cm高さ153cmで 中世最大の彫金細工であり 聖遺物箱となっています。
(ただし彼の在命中には完成しませんでした。)
また ウィーン近郊のクロスターノイブルク・ベネディクト会修道院の教会の祭壇は
1181年に完成した「ニコラウス・ヴェルドゥネンシス」の作品であると記されています。

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12世紀で最大のエナメル細工であるこの祭壇は 51の場面から成り(そのうち45はニコラースの作)
新約聖書の場面と 旧約聖書の十戒を課す前と後の場面が描かれています。
【フランダースの聖母の聖遺物箱】
この聖遺物箱は ヴェルダンのニコラースの作品として記録されているもう一つの作品であり
おそらくニコラースの最後の作品だと思われています。
寄棟屋根の家の形をしたこの聖遺物箱は 長さ126cm/幅90cmの大きさで
ニコラースの名「Hoc opus fecit magister Nicolaus de Verdun」
(この作品はヴェルダンの巨匠ニコラウスによって作られた)と
完成年1205年とが印されています。
11世紀にペストが流行した時にトルネの聖母大聖堂のために作られたもので
ペストの流行を抑えるために 街を行列して運ばれました。
(1092年に始まったこの聖母マリア祭は今日でも続けられています。)
この大聖堂が所有していた聖母の聖遺物
(そもそもそれが何であったのかは分かっていません)を入れるために作られましたが
聖遺物そのものは宗教改革時の聖像破壊運動の際に奪われたと考えられています。
長辺には三場面ずつ描写されていて 聖書の場面が時系列で並んではいますが
特に隣との関連性はありません。
片側には 受胎告知/マリアのエリザベート訪問/イエスの誕生が描かれ
反対側には エジプトへの逃避/神殿奉献/イエスの洗礼の場面で飾られています。
短辺には 受難具を持った天使に挟まれた玉座のキリストが
反対側には三人の王の礼拝が描かれています。
しかし 後世に幾度も修復と称する改変が加えられましたので
全てがニコラースの手によるというわけではありません。
長辺の左から右へ

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〔受胎告知〕

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処女マリアの前に大天使ガブリエルが現れて受胎を告げている場面で
右に立つ大天使ガブリエルが左手に持つ帯に 説明文とAve Mariaとが書かれています。
尖角アーチの下の天使像は18世紀末か19世紀初めに付け加えられたものです。
〔マリアのエリザベート訪問〕

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大天使ガブリエルのお告げにより身ごもった処女マリアが 従姉妹のエリザベートを訪問した場面。
二人以外には何も描かれておらず それにより
二人の対話(=交流)がはっきりと感じ取れる表現となっています。
背景を変えることで 別の場面であることと これは室内の情景であることを現しています。
〔イエスの誕生〕

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ベッドに身を起こしているマリアに ヨゼフが生まれたばかりのイエスを見せている場面。
飼い葉桶の中に牛と驢馬の頭があることで生まれた場所を暗示させています。
反対側の長辺の左から右へ

〔エジプトへの逃避〕

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嬰児を抱き驢馬に乗った聖母と それを導くヨゼフ。
〔神殿奉献〕

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イエスをシメオンに手渡す聖母。敬意の象徴として シメオンの腕に布が掛けられています。
〔イエスの洗礼〕

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ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を授かるイエス。頭上には鳩(=精霊)が現れています。
短辺
〔三王の謁見〕

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天の女王として冠を頭に載き 膝に嬰児を載せた聖母と 謁見する三人の王。
(この「三王の謁見」の場面で 「天の女王」の姿は例外的です。)
右側の一人は 上を見上げて天からの祝福を感じ取っているようです。
〔キリスト王〕

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受難具(キリストの磔刑時に使われた道具)を手にした天使に挟まれたキリスト。
左手の地球儀で地上の統治を任されていることを表しています。
屋根の上のメダル 右から左へ

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〔十字架を運ぶキリスト〕
二人の死刑執行人に挟まれたキリスト。
〔磔刑〕
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両側に聖母とヨハネ。
〔空になった墓〕
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キリストの墓が空になっているのを見つけた女性たち。
左上の天使が キリストの復活を予告しています。
反対側の屋根の上のメダル 左から右へ
〔復活〕
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マグダラのマリアの前に現れた 復活したキリスト。(ヨハネ20.15)
〔〕
煉獄に降り 義人を救い出す復活したキリスト。
これは新約聖書には無い場面で 旧約聖書の詩篇第十六篇十節
「あなたは私を陰府(よみ)には捨ておかれず
あなたの聖者に墓を見せられないからである」を元にしています。
〔トマスの不信心〕
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身体の傷をトマスに見せるキリスト。(ヨハネ20.27)
【素材と技法】
楢(なら)の木製の箱の周りに銀と銅の装飾板を貼り 金メッキを施し
貴石/真珠/エナメル/水晶で装飾されています。
鋳造/型押し/浮き彫り/彫刻/フィリグリー(金糸/銀糸)細工/エナメル/七宝など
今日でも使われている技法が用いられています。
全体で26.677kgの銀と 1.468kgの金とが使われています。
【様式】
ゴチック様式の尖角アーチの下に納められた各場面での 曲線豊かな緩やかな人物像
表情豊かな顔 繊細な細部などにロマネスク様式の特徴が見て取れます。
背景や装飾を極限まで減らし 人物を浮き彫りにすることで
一人ひとりの人物像はあたかも画面から出てきそうです。
(大聖堂そのものと同様に)ロマネスク様式からゴチック様式への過渡期の作品であり
ムーズ・マース文化圏の彫金細工の頂点を極めた作者の傑作として
時代を超えた価値を保ち続けています。
【その後】
1566~1567年に掛けての聖像破壊運動の時には 多くの聖具が藁に包まれて納屋に隠されましたが
この視遺物箱はその大きさから樽に入れて隠されました。
1794年にフランス革命軍によって大聖堂が襲われた時には 多くの聖具/美術品が略奪されたり
競売に掛けられましたが その多くは信者が買ったことによって保護されました。
1889~1890年に修復が行われ 痛んだ箇所/18世紀の修復で変えられた箇所/欠落 などが直されました。