ルードヴィヒ・ファン・ベートホーヴェンの音楽は何が特別なのか
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1)西洋クラシック音楽の基礎
2)音楽の三要素
3)ルードヴィヒ・ファン・ベートホーヴェンの音楽は何が特別なのか
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1)西洋クラシック音楽の基礎
西洋クラシック音楽の作曲家の中で 最も有名なのがルードヴィヒ・ファン・ベートホーヴェンでしょう
。
(日本では ベートーベンと表記される子が多いようですが
ここでは ベルギーが生んだ最も偉大な人の一人として
オランダ語の発音に近いカタカナ表記をしています。)
クラシック音楽を知らない人でも 「交響曲」と言われれば「ダダダダーン」を思い浮かべるでしょう。
ファン・ベートホーヴェンは いわゆるクラシック音楽の礎を築いた人です。
彼の前のハイドンやモーツァルトも古典派に分類されますし
あるいは更に前のバッハは「音楽の父」とも称されていて ですからクラシック音楽の祖のように言われています。
しかし 今日の管弦楽団で演奏される「クラシック音楽」の礎を築いたのは紛れも無くファン・ベートホーヴェンです。
(ハイドンやモーツァルトの曲は大編成のオーケストラでは演奏されません。)
彼の音楽が後世に与えた影響はとても大きく 伝説的でさえありました。
(ファン・ベートホーヴェンが九曲の交響曲を残したがために その後の
シューベルトやドヴォルジャーク マーラーといった作曲家達も「九曲の交響曲」に縛られてしまいました。)
)
では ファン・ベートホーヴェンの音楽は何が特別なのでしょうか?
何が素晴しいのでしょうか?
なぜ 多くの人々に受け入れられるのでしょうか?
指揮者の岩城宏之さんが言っていました。
「世界各地に演奏に行って いろいろな作曲家の作品を演奏する中で
「民族性」というものがあるので 必ずしもどこででも同じように受け入れられるわけではない。
けれども ファン・ベートホーヴェンだけは例外で 世界中どこででも同じように受け入れられる。」
なぜ ファン・ベートホーヴェンの音楽だけは 民族を超えて誰にでも受け入れられるのでしょうか?
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2)音楽の三要素
音楽とは 音を使った表現です。
その音楽には 三つの要素があります。
(ただし 必ずしもどの音楽もがこれらの三つの要素を持っているわけではありません。)
①メロディー(旋律)
音の高さの変化を「メロディー」(旋律)と言います。
(ただし 太鼓だけの音楽などは音の高さの変化がほとんどありませんからメロディーはありません。)
②リズム
音が鳴る間隔の変化を「リズム」と言います。
(ただし 例えば バッハの曲の幾つかは16分音符だけで作られていて 音価の変化がありません。)
③ハーモニー
複数の音が同時に鳴らされたときの音の響き具合を「ハーモニー」と言います。
(ただし ハーモニーがあるのは 西洋音楽だけです。
世界の音楽の中で 西洋音楽以外=アジア/アフリカ/アラブなどの音楽は
単旋律の音楽ですので ハーモニーはありません。)
(日本語では この言葉から きれいなハーモニーを「ハモる」と言います。)
(三つ以上の音が同時に鳴らされるのを「和音」と言います。)
このように 音楽には三つの要素がありますが この三つを兼ね備えているのが西洋音楽の特色です。
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3)ルードヴィヒ・ファン・ベートホーヴェンの音楽は何が特別なのか
しかし 多くの作曲家には その人なり傾向があります。
例えば ラフマニノフやショパンの音楽は「メロディー系」です。
つまり メロディー/リズム/ハーモニーの内の メロディーが際立っているのが聞こえます。
ストラヴィンスキーのように リズムが際立って聞こえてくる音楽もあります。
ところが ファン・ベートホーヴェンだけは違うのです。
彼の曲で「メロディーがきれいだなぁ」と 心が揺さぶられる曲はあるでしょうか?
リズムが際立っていて それが心を躍らせる曲はあるでしょうか?
ハーモニーの響きが美しく 心が清められるという曲はあるでしょうか?
いずれも ありません。
メロディー/リズム/ハーモニーのうちの どれかに特に重みが置かれている曲は無いのです。
つまり ファン・ベートホーヴェンの音楽というのは
音楽の三要素である メロディー/リズム/ハーモニーのそれぞれに等しく重みが置かれているのです。
この三つが正三角形を形作っているのです。
ですから 安定感があるのです。
そもそも「古典派」とは 整った形で安定感を表現するものです。
均整が取れていることを重視します。
まさに ファン・ベートホーヴェンの音楽は 「音楽の三要素の整った形」そのものなのです。
そのように バランスが取れているからこそ
人はファン・ベートホーヴェンの音楽を民族性を超えて受け入れることができるのです。
(2026年7月25日)
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